2017年03月12日

丹波木津城跡を再訪する

なんとなく丹波焼の里ー今田にある木津城跡に再訪。

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淡い記憶を手繰り寄せながら、城址を目指したが、見事にルートを間違えロスタイム。人間の記憶力なんて大したことないなと痛感。ジックリ道を探すと途中で曲がるべきところを真っ直ぐに行ってしまったようだ。
そこからは迷うことなく山上の城址まで登ることができたが、登る人もないようで雑木に阻まれて難儀したことだった。

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ガレ場を登っていく

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たどり着いた城址は雑木藪

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堀切を見る

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堀切の土橋はシッカリ残っている

城址はといえば、登りに負けず劣らぬ養父状態。むかしなら芝刈りなどで灌木が程よく伐採されたのだろうが、現代ではそのような作業は行われることもない。植林地でさえ放置される昨今にあって、雑木はさらに顧みられることはないのだろう。

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堀切側より虎口を見る

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城址は雑木に覆われ、足の踏み場もない状態

ともあれ、ひどいブッシュのなかを縄張り図を見ながら城址を一通り歩いた。来年度のおもしろゼミナール山城編の俎上に上ったものの、これでは見学会は覚束ない。おもゼミに決定したならば、ガッツリ整備作業をせずばなるまい。
posted by うさくま at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城

2017年03月11日

篠山子ども狂言「早春発表会」

今年も篠山子ども狂言の発表会の日を迎えた。例年なら磯宮八幡宮の舞堂で行う発表会だが、今年は三年に一度、重要文化財指定を受ける
城下町の春日神社能舞台で稽古の成果を披露した。

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昨日、教育委員会の皆さんのサポートを受けて、能舞台を保護する板戸を開け、準備を整えた。そして、本番の今日、受付、椅子の配置など会場の設営を完了。子どもたちは春日さんにお参りしてのち、13時の開演に向けて舞台での立ち稽古。三月とはいえ、曇り空ということもあって心なしか寒さが沁みてくる。昨年は風邪をひいて発表会に参加できなかった子たちもいたが今年は全員参加である。

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昼を過ぎても思ったほど気温はあがらない、ばかりか寒さが強まってきたようななか、発表会はスタートした。この一年、重ねてきた稽古を十二分に見せてほしいといつも願う。もっとも、子どもたちは舞台にあがると度胸があるのか驚くほど達者な演技を見せてくれる。今年もセリフに詰まるところもあったが、全員、寒さにも負けず一番一番シッカリとした演技で観客の皆さんに素直な笑いを届けていた。子どもたちの演技が終わったのち、指導者の山口先生と裏方に任じていただいた大蔵流狂言師の方々による番外狂言が披露された。

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子どもたちの稚ない演技、プロの狂言師による大人の演技、毎年のことながら飽かず楽しい発表会。本当に楽しめる篠山子ども狂言、もっとたくさんの皆さんに見てほしいと思う。

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ともあれ、平成28年度篠山子ども狂言と番外狂言は無事終了。重文の舞台の戸締りも事故なく完了、篠山子ども狂言「早春発表会」はすべて滞りなく終わりました。いろいろなカタチで協力いただいた皆さまに感謝です。
posted by うさくま at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月05日

山名会による上月城攻めに遠征

今日は山城保会の上月城跡登山に混ざって、ひっさしぶりの山城行。

上月城は横浜に住んでいたころ、帰省したとき登って以来、実に十六年ぶりの再訪。今日の登山会は、保存会の会員でもあるT氏の段取りで、城跡のガイド役は木内さんであった。集合場所である上月歴史資料館に着くと、なんと参集者は40人越え、変わらぬ山城&登山人気にビックリだ! 

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登山前に木内さんのミニセミナーで上月城の山城としてのポジションを学んでのち、北尾根ルートより本丸を目指した。この季節の山歩きは、木々も芽吹き前でもあり快適、折々にあらわれるビュースポットからの展望も心楽しかった。

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堀切に到着

堀切にたどりつくと城址で、曲輪を二段越えると主郭、いわゆる本丸で羽柴秀吉を迎え撃ったという佐用赤松正範の碑を中心に戦死者の供養塔が祀られている。上月城は地形に沿って主郭の南尾根、西尾根に曲輪を構築、西端部を堀切と横掘りで遮断している。総じて小ぶり、縄張りも大味な山城で、その城史を思えば意外の感を抱いたことである。

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主郭から北方を遠望
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赤松政範と家臣らの供養塔
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主郭で恒例の記念撮影
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切岸を見る
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曲輪群

とはいえ、はじめて登ったときは草だらけだったが、いまは手入れもされているようでスッキリしている。何よりも、当時は登っただけというものだったが、今日は木内さん、西尾さんといった山城の達人とご一緒していることもあっておおいに山城の勉強をさせていただいた。

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堀切で解説を聴く
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堀切から続く竪堀
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西端の堀切

上月城跡を下山したところで、昼食タイム。資料館の庭で思い思いに弁当を使ったのち、次の目的地である仁位山城跡に移動。仁位山城跡はハリネズミの如き畝状竪堀が特徴的な城で、かねてより登ってみたかったところだ。

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仁位山城、北尾根曲輪へ移動

山上まで車で移動、谷を隔てて上月城を見るが木々に邪魔されて眺望はイマイチであった。仁位山城跡は城域はそこそこ広いが、印象としては築城途上にあり畝状竪堀、曲輪、堀切など防御に欠かせないところを、まず手を入れたものであろうか。

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曲輪を区画する土塁
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腰曲輪と切岸
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城址に踏み込むと雑木が生い茂っているが、土塁、曲輪、切岸などウッスラと確認できる状態ではあった。目当ての畝状竪堀は電波施設への山道を通したときに破壊を受けているが、遺構はシッカリと残っている。木内さんの実演を交えた畝状竪堀の効能に関する話は、木内さんらしくて面白かった。

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畝状竪堀
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明確に残る竪堀

あと、・・・城が予定されていたが、参加者の多さと高齢の方への配慮もあって、今日は二つの山城攻めで解散となった。
みなさんと別れたあと、佐用インターチェンジまでの道々で墓紋をウォッチ、迫る夕闇を背に中国自動車を丹波へと帰っていった。
posted by うさくま at 13:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 山名氏城跡保存会

2017年03月04日

上洛、「戦国時代展」と洛北佐竹家の家紋探索

京都で開催されている「戦国時代展」を見に久々の上洛をした。
残念ながら・・・、目玉の洛中洛外図は人だかりがスゴくてジックリ見ることが出来なかったのは残念だった。それなりに面白かったが、チョッと期待過多だったかも。図録はズッシリとした重さで2500円の価格、これはお得だったかな!

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ついで、前から気に掛かっていた高野の佐竹家の家紋探索へ、どちらかといえば今日の上洛はこちらがメーンだったかな。
戦国時代の洛北において、一勢力のあった佐竹氏。岩倉の山本氏、田中の渡辺氏らとともに乱世を生きた国人である。その後裔といわれる佐竹さんが比叡山西麓、高野川のあたりにいらっしゃると聞き、ポツポツと城跡や事跡、家紋などを調べ、まずは、やっと家紋探索に出かけることができた。佐竹家が散在する上高野にある宝幢寺近くにある墓地を訪ねると、ありました佐竹の墓所、彫られた家紋は「五本骨扇に月丸」でした。

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せっかくなので佐竹家以外の墓地に林立する墓石を見ると。田上家:三つ追い鶴・二股家:剣カタバミ・井口家:三つ鱗・細川家:抱き柊・菅原家:梅鉢・宮野家:花菱・渡邉家:三つ星一文字が多かった。

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目を引かれたのは、三好家の三階菱、井上家の頭合せ三つ雁くらいで、むかしながら界隈に続いてきた家々のお墓が祀られる村墓地であった。
posted by うさくま at 08:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋

2017年02月19日

淡路島、はじめての山城攻め

先日、淡路の某所より家紋講座の依頼をいただいた。それが引き金となって、いつか淡路島の山城へ行かねばと思う気持ちにとらわれてしまった。

今年の篠山は二十何年ぶりという雪の多さで、その結果として丹波・但馬の山々は雪が残っている状態である。今朝もウッスラと雪が積もっていたが、思い立って淡路に行ってきた。目的地は田村氏が拠った郡家城、蜂須賀時代における淡路治世の中心となった洲本城、安宅氏にゆかりの炬口城などなど。

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丹南篠山口インターチェンジから自動車道に乗り、明石大橋を走りぬけ、淡路の津名一宮インターチェンジを降りる。ここまで、なんと一時間チョイという近さにビックリだ。しかも、雪の篠山が嘘のような、うららかな暖かい陽射である。
最初の山城である郡家城は藪だらけの小山にあり、登り道を探ったが見当たらない。手持ちの縄張り図と地理院の地図を頼りに城址の竹薮へ踏み込む、竹が折り重なっているものの曲輪、切岸、城址を東西に区画する横掘など、城址遺構はシッカリと残っていた。主郭部は広い削平地で、土塁を有し、切岸も高い。戦国時代、城として機能していころは、建物群が営まれ、武士らが暮らしていたことであろう。

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郡家城を見る
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曲輪と切岸
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横堀か?
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主郭部への虎口

城主田村氏は淡路国一之宮・伊弉諾神宮の神職も勤めていたともいわれることから、郡家城から供を連れて神宮に通っていたのだろうか。そのようなことを思うと、いまは竹薮に覆われているが優雅な光景が浮かんでくる山城跡ではあった。

田村氏の歴史を調べるため伊弉諾神宮に立ち寄り、社務所の方に中世の神宮、とくに田村氏のことに質問してみた。しかし、いまは田村氏を含む中世の歴史はよく分からないということで残念ながら得るところはなかった。

淡路島の暖かい陽射を浴びつつ、洲本方面に車を走らせた。洲本で昼食を取ろうとレストランを探したが見当たらない、ということでホテルも覗いてみたが心惹かれる店はない。

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長閑な海辺

それなら、昼ごはんはあとにして洲本城に登ることにした。洲本城は、戦国時代、淡路を支配した安宅氏が築いた城がベースとなって、江戸時代に秀吉配下の大名により改修されたものだ。
城址に残る石垣群はシッカリとしたもので見ごたえ十分だったが、天守台に建つ模擬天主は驚くショボサであった。江戸時代の天守を復元したものでもなく、単に展望台として築かれたそうで、いまは老朽化のため立入禁止となっていた。鉄筋コンクリート製の模擬天主としては日本最古ということで、それはそれで価値があるのかも知れないが、やはり違和感は否めなかった。洲本城では「登り石垣」が最大の見所だが、今回は残念ながら実見できなかったのがは心残りとなった。

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洲本城の石垣
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見ごたえのある石垣
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梅が咲いていた
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0219_IMG_9290.jpg 天主から洲本湾を見る

ここで遅くなった昼ごはんを食べることにしたが、すでに食堂やレストランは準備状態。ハングリーアングリーな相方を宥めすかして、いつもの通りスーパーで食べ物をゲット。腹を満たしたのち、三つ目の山城である炬口(たけのくち)城に攻め上った

炬口城淡路守護被官から勢力を伸ばし淡路を支配下においた安宅氏が築いた城で、洲本港を眼下におさめる小山に遺構が残っている。三好氏が勢力を伸ばすと安宅氏は三好氏の下風に立つようになり三好長慶の弟・冬康が家督を継ぎ由良古城に拠ると炬口城はその有力支城として機能したようだ。

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虎口
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土塁
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洲本湾を見る
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堀切

城址へは山麓に鎮座する炬口八幡神社から山道があり、アッサリと堀切から伸びる竪堀へと登りつく。城址は土塁で囲繞された二つの曲輪で構成され、山道にそって虎口が開いている。実際に歩いた印象は、山城というより居館跡という佇まいで、立地といい規模といい近江小谷城の山崎丸・福寿丸に似ているものであった。

三つの山城と一宮をめぐって今日の淡路遠征は、ひとまず幕引きとしてお土産を買おうとバスターミナルに寄ってみた。これといった掘り出し物もなく、丹波へと帰っていった。淡路島、丹波からめちゃくちゃ近かったが片道3,430円(ETC でなければ5,050円)はチョッと高すぎやしないか。ともあれ、講座までにもう一回くらい淡路に行きたいものだ。課題は相方が望む美味しいもの、山城とはちがうスポット訪問をどう盛り込むか、それが難しい。
posted by うさくま at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 山城探索

2017年02月03日

一陽来復のお札を新しく

今日は節分、我が家恒例の行事「一陽来復」の御札はり神事を終えることができた。先日、長女と孫を京都まで送っていた帰り、これまた恒例となっている嵯峨野の車折神社でゲットしたもの。
横浜時代は高田馬場にある穴八幡さんにお札をもらいに行ったもので、穴八幡さんと車折神社の「一陽来復」のお札の見た目はまったく別物である。穴八幡さんのお札になれた目に車折神社のお札は違和感があったが、何年も歳を重ねると馴染みがでてくるからおもしろい。

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ともあれ、酔っぱらって寝過ごさないように頑張って今年の恵方に向けてお祀りした。これで、今年も心安らかに一年を過ごせることだろう 二礼二拍手一礼 m(_ _)m
posted by うさくま at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年01月31日

猿田彦神社、そして車折神社へ

正月明けの18日に帰省してきたマゴゲンと長女を京都駅まで搬送。夫婦二人の暮らしにガチャガチャと彩を添えてくれた、孫のいる暮らしも今日でおしまい (〃ω〃)


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マゴゲン送り届けた帰り道、我が家の年中行事となっている「一陽来復」の御札をゲットするため、予定通り嵯峨の車折神社に移動。その途中、ふと路傍に珍しい神紋を発見、車を寄せて立ち寄って見ると「猿田彦神社」。

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変わった家紋に見えたのは「くくり猿」紋であった。まことに小さな神社だが解説版を見ると、別名を「山ノ内庚申」といい京都三庚申の一つとして数えられる神社で、その創建は比叡山を開いた伝教大師最澄がその座禅石の傍らに猿田彦大神を祀ったことに始まるとあった。なかなか由緒もゆかしい猿田彦神社であった。

思わぬ寄り道で眼福と京都の歴史にふれたのち、目的地・車折神社に参拝して古い御札を返し、新たに今年の「一陽来復」の御札を買い求めた。

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境内をぶらつくと早咲きの桜がチラホラと咲いている。まさに一陽来復、春はもうすぐそこまで来ているようだ。
posted by うさくま at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社紀行

2017年01月13日

山城一揆、ゆかりの山城をめぐる

今月22日に予定されている「ささやま市民センターまつり」の振替休日を取って、山城一揆にゆかりの山城を訪ねてきた。篠山から南山城まで京都縦貫自動車道から大山崎ジャンクションを経て京滋バイパスから一般道をドライブすること約二時間、丹波と南山城は近くなった。

0113_IMG_8985.jpg 井出城跡を遠望

まず、井手城攻めからスタート。登り口となる「井手町高齢者福祉センター・いでの里」横の山道を登っていくと、「弥勒石仏」と書かれたカンバンを発見、ほどよい空き地に停車して磨崖仏をウォッチ。磨崖仏は井手の地に営まれた、橘諸兄の館建立に際し鬼門除けとして刻まれたものという。しかし、実際は鎌倉〜室町時代の戦乱に苦しんだ農民たちが心の平安を求めて刻んだものであろうとのことだ。いったん林道に戻り、竹やぶが生い茂るなかをテクテクと城址を目指す。

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手持ちの地図を確認しながら、ここらあたりかな?と目星をつけた斜面を登っていくとドンピシャ井手城跡の竪堀が現れた。竪堀に接する曲輪を越えると堀切、そこを登れば主郭である。城址は主郭を主体に西と南に腰曲輪を構え、さらに西方尾根に数段の小曲輪が築かれている小さなものだ。雑木に邪魔されて眺望は利かないが、西方の岩清水八幡宮領石垣庄を見下ろす立地を占めている。

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井手城のすぐ近くに橘諸兄相楽別業と呼ばれた館跡があり、その別業にちなんで諸兄は「井手左大臣」とも呼ばれた。整備された館跡には、立派な石碑、供養塔が建立されている。諸兄は別業に山吹を植えたといわれ、橘氏の流れを汲む武家が「橘」紋を好んで用いるのはそれに由来したもので、供養塔にも「橘」紋が刻まれていた。

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二つ目は稲八妻(稲屋妻)城。戦乱に苦しむ応仁・文明の乱において国人を中心に自治支配を行った山城一揆。かねてより一揆のことは心に掛かっていて、狛氏、木津氏、椿井氏ら一揆を結んだ国人たちの歴史・家紋、寺院・館跡・城砦などの史跡を折々に訪ね歩いた。山城国人一揆の歴史のなかにおける稲八妻城は、一揆方が最後に拠って敗北、一揆解体の地となったところだ。ここは外せないと思っていた史跡である。
その所在地については諸説あるようだが、今回、郷土史家・奥田裕之氏の調査された資料(30年以上前のもので簡単な縄張り図がうれしい)を拠り所として、南稲八妻にあるとされる城跡を訪ねた。

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城址を遠望

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曲輪と切岸

inaya_MAP.jpg赤線が京奈和道

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土塁

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シッカリ残る切岸と曲輪

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切岸と横堀?


目指す城跡は京奈和道で分断され、藪化が進んでいる。藪をかき分け城址であろう山に踏み込むと、なるほど山城に見える。逸る心で登るとシッカリ削平された曲輪に土塁、切岸など、間違いない山城であった。さらに城址を歩くと、曲輪群が連なり、堀切や塹壕状の横堀なども築かれている。

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曲輪が連なる

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竹に覆われた大堀切

縄張り図と見比べると、城そのもの規模は小さくなく、京奈和道で分断された西側にあたるようで、それだけでも相当な広さである。一揆勢が守護体制に最後の戦いを挑んだ場所にふさわしい山城であった。もっとも、いまに残る城跡は、一揆時代のものではなく後世の手が入っているように見えた。可能性としては南山城を制圧した松永久秀あたりが鹿背山城の出城として改修したと思われたが、当たらずとも遠からず…か?

三つ目は一揆の中心的な国人・狛氏の詰めの城ともいわれる東山城(高ノ林城)。上狛駅側にある「ぬくもりの里」そばの登り口に車を停め、軽トラや軽の4WDなら楽に入れそうな山道に踏み込んだ。


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竹林の山道

印象としては登り口からすぐのところにありそうな感じだったので、「あそこか?ここか?」と迷走を繰り返すも城址と断定できる遺構は現れない。 『まだか!まだか?』 と不安になる心を励ましながら明確な林道を40分以上歩いて、あきらめかけた頃に城跡への進入路の目印を発見。

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城址の土塁

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主郭切岸があらわれた

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ヤットの思いでたどり着いた東山城跡は、最高部の主郭をコアとして西方尾根を土塁で防護し、北東の桜峠に続く尾根は堀切で遮断、南に伸びる二つの尾根に曲輪を設けている。曲輪の削平も丁寧で切岸も高い、曲輪を堀切で区画し、しっかりとした井戸も残っている。規模の大きさかから推して、狛氏単独の詰め城というより一揆衆が共同で営み維持したものであろうと思われた。


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堀切
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尾根側から見た堀切
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曲輪
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連なる曲輪
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竹藪に埋もれた井戸
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腰曲輪と主郭切岸
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竹で埋もれた堀切

東山城から下りてくると、駐車したすぐ近くの山側に「東山城こちら」のカンバンを発見。とはいえ、そのカンバンを頼りに行ってもアッサリと城址にたどりつけたかどうか?、うろうろと山道を歩いたことも城址探索には無駄でなかったと思いたい。

三つの山城をめぐった今日の遠征、思いがけぬ収穫の多さに大満足であった。来た道を帰っていくと、丹波に入ったあたりから雪がチラホラ。本格的な冬は近い。

posted by うさくま at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都の山城

2017年01月07日

粟賀から香寺へ、赤松氏ゆかりの史跡を巡る

今日は神河町にお住まいの Sala 同人で歴友のTKさんと播磨の山城 & 史跡めぐり。
粟賀のいつもの場所で待ち合わせて、まずは法楽寺近くに残る古い五輪塔、応仁の乱において山名氏と赤松氏が干戈を交えた「赤松、山名氏激戦の地」を案内いただく。
粟賀の地は播磨と但馬を結ぶ街道の宿場町にあたり、北上すれば播磨と但馬の国境をなす生野(真弓)峠であり、この峠も赤松氏と山名氏が激戦を演じたところである。以前、TKさんと登った大山城跡も赤松氏が山名氏に備えて構えた山城であった。

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法楽寺近く

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今日のメーンの目的地である矢田部城跡は、例えれば真弓峠を突破した山名勢が粟賀を越え、市川、福崎を経て姫路になだれ込んだルートに沿う香寺町の西方山上に遺構が残っている。後期赤松氏の本拠・置塩城の当方、恒屋城の南方に位置する山城だ。
矢田部集落の昔ながらの狭い道を走りぬけ、かつて、TKさんが矢田部城跡の場所を確認されたというお年寄りのお宅で、改めて城址への登り道を教示いただき山道へ分け入った。

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いい感じの尾根を登る

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曲輪が緩やかに続く

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東尾根曲輪の切岸

城址は山頂の主郭と数段の曲輪で構成された小さな山城で、後方尾根と南に延びる尾根先を遮断する堀切が見所であった。昆虫の研究をされているTKさんは、ダニの行動を研究されるらしくダニの採取に余念がない。一月の第一週だというのに、少なからぬダニが徘徊していることに驚いた。

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主郭、陽射しが柔らかい

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北の堀切

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二重になっている

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南端の堀切

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城址を下山したのち、後藤又兵衛の先祖にゆかりのものも含まれるという郷倉(ごむら)の五輪塔群を観察、ついで赤松氏の家老であったという喜多野氏が拠った伊勢山城跡の遺構があるという神明神社を訪ねる。
山上にあるという城跡に登ってみたが遺構らしいものはない。どうやら神社の境内一帯が居館跡であったようで山上は見張砦程度のものが営まれていたのだろう。神社の説明板を見ると喜多野氏の居館跡があり、早速、訪ねてみたが場所を特定できなかった。

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郷倉の五輪塔

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伊勢山城跡の神社

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須賀院構居跡か?

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親王塚

なんとなく不完全燃焼の気分を抱えつつ「城の段(しろんだ)」と呼ばれる赤松氏系の古城跡があるという相坂集落に向かう。途中、須加院構居跡、赤松則祐に奉じられた赤松宮陸良親王を葬ったという親王塚を経巡ったが肝心の城跡は見つからない。

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遠くに見える山上に「城の段」があるらしい

結局、相坂集落まで行き着いたところで村の方に城の段のことを聞くと、相坂集落より遥か西方に見える山上に城址遺構が残っているとのこと。むかしは道もあったそうだが、いまは殆んど登る人もないそう。すでに夕暮れが迫る時間、今日の歴史歩きはここまでとして、後日、城の段へのチャレンジを帰して帰途に着いた。

posted by うさくま at 17:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2016年02月14日

大中臣那珂氏流桐村氏の家紋を探索する

予定されていた宍粟城研の「楯岩城オフ」が雨天中止となった。
ポッカリと空いてしまった日曜日、以前より調査を続けていた
丹波天田郡の中世国衆・桐村氏の家紋探索に出かけた。

桐村氏が勢力を有した天田郡北西部は、かつて佐々木荘と呼ばれ
桐村氏の本家にあたる金山氏が所領とし、金山氏が開基した古刹・天寧寺、
金山氏、桐村氏の山城群が存在、これまでも折につけて訪ね歩いてきた。
とりわけ金山氏、桐村氏の家紋探索に注力してきたが
滅亡した金山氏はともかくとして桐村氏の家紋を発見するには至らなかった。

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posted by うさくま at 13:59| Comment(3) | TrackBack(0) | 家紋

2016年02月13日

ディスカバー土曜会と「Sala」59号

ディスカバーささやまグループの土曜会に出席。
本日の講座は町屋研さんの古民家再生の取組、
まんざら無縁でもなかったけれど
キッチリとお話を聴くのははじめてのこと。

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なるほど、順序立ててお話を聞くと面白い。
個人的にも興味深い話であったが
ボランティアガイドとして城下町のガイドにも活かせる話題であった。

家に帰ると家紋コラムを寄稿させていただいている
歴史民俗誌「Sala」59号が届いていた。


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今号の表紙写真は、いままでと一味ちがうティストで
不可思議なような懐かしい雰囲気がただよっている。
コラムも次の号で10回を数える。さて、どういう話でいくか・・・?
posted by うさくま at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年02月07日

寒いはず、またまた雪。

今朝、起きて、外を見ると一面の雪。
昨日のワークショップで冷え冷えし
これは天気予報通りに雪かも?と思っていた。

でっ!今朝の大雪
今年になってからの雪の予報はすべてドンピシャ

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天気予報当たりすぎ!
スタッドレスに履き替えておいてよかった。

ともあれ、この雪のお蔭で
大坂城の現地説明会に行き、あれやこれや・・・
と思い描いていた今日の計画はすべて白紙となった。
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2016年02月06日

器とお酒 ワークショップ に参加した

昨年の秋より開催されている「丹波篠山 食と器の 国際ビエンナーレ」
それに伴ってワークショップが開催され、
昨秋、「黒豆ワークショップ」に参加、そして今日、
「器とお酒 ワークショップ」に裏方として参加した。

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会場は、篠山の酒造メーカー「鳳鳴酒造」
酒と器を楽しむワークショップだけにスタートは夕闇迫る午後六時
参加者は30名定員のところに40名という大盛況となった。

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posted by うさくま at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年02月03日

2016年、申年の節分。

今年も「一陽来復」の御札を貼り替え
「鬼は外〜ッ」と控えめに豆まきをした。
流行りの巻き寿司の丸かじりは、どうもピンと来ないので
今年も我が家では割愛した。

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丸かじりでいうところの、今年の恵方は「南南東」とかで、
御札を恵方に向けて貼った。・・・のだが、
車折神社の場合、穴八幡の御札に添付されていた
恵方や今年の運勢などが書かれていた説明書は
入っていない。それって、京都と東京の文化の差だろうか?

実際、車折神社の説明書らしきものには、
入口のところに貼ればよいとあるばかりなのであった。
貼る側としては御札を恵方に向けて貼るのは
簡単なようで意外と難しいので京都方式で行きたいのだが
やはり恵方に向けた方がご利益がありそうで・・・
ともあれ、今年も恒例の行事を終えることができた。
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2016年01月31日

綾部・大槻氏の山城をめぐった

今日は戦国倶楽部のミニオフ「綾部の山城攻め」で綾部に遠征。
メンバーは、いつものMiyaさんと
大和郡山オフ以来、一年半ぶりのPeroさんの三人。
訪城先は、綾部に割拠した国人領主大槻氏にゆかりの
高津城、将監城、石原城、そして舘城の四城。

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心配した残雪もなく、いまの時期ならではの見通しのよさ、
ダニの心配もないコンディションの城跡、
それぞれ個性的で、なかなか楽しめた。

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posted by うさくま at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国倶楽部