2015年07月26日

城友と出石・福知山へ

身体は未だ本調子ではないけれど、
城友Mさんのの誘いを受けて、出石から福知山に出かけた。

出石でこれも城友Tさんと合流
まずは、炎天下、出石城界隈を散策して
出石ソバに舌鼓をうつ。

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出石城跡、知る人ぞ知る虎口跡だそうな

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出石とくればソバでしょう!

今日は、山城は止めておこうということだったのだが、
普通に歩いて登れる中村城跡と猪崎城跡に寄ってしまった。

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中村城跡の切岸と帯曲輪

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城跡を囲繞する横堀

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猪崎城跡の切岸と腰曲輪、高い、広い!

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人物と比べると、規模が分かります

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猪崎城跡から遠く福知山城を見る


とんでもない暑さで、一汗かいたあと、
ビールを呑めなかったのは残念だったが、
体調が戻ってきているな〜と実感できた。

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帰ると、予約していた「信濃をめぐる境目の山城と館・上野編」が
届いていた。見ると、吾妻郡の海野氏一族が気になってきた・・・ かも (ー_ー) 。
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2014年08月03日

田路氏発祥の地、朝来田路谷を歩く

天気予報では「曇り」というが、ときおりパラっとくる不穏な天気。
予定通り、宍粟城研会長藤原さんと朝来田路谷の探索行に出陣。

丹波篠山から但馬朝来までは、何通りかのルートがあり
ナビは舞鶴道→中国道→播但道を推奨している。豊岡道を
知らないナビとしては最良の選択なのだろうが遠回りな上にお金もかかる。
青垣から銀山湖を横目に生野へ抜け、そこから北上という一般道ルートもあるが
道が狭い山道は避けたい。ということで豊岡道を選択、
会長との待合せ場所である田路谷口までは一時間半のドライブだった。
豊岡道は本当に安くて重宝な自動車道である。

IMG_5894.jpg
奥田路に残る田路城址を遠望

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2013年09月29日

高生田城の見学会に参加して但馬遠征

今日は、朝来の糸井ユートピア計画実行委員会さんが主催される
「高生田城跡 見学会」に参加して高生田城跡攻め、
ガイドは山名城跡保存会会長の西尾先生。
高生田城は和田山から出石へ通じる糸井街道の傍らにある山城で、
かねてより登ってみたいと思っていた城だ。

高生田_眺望
高生田城跡から和田山方面を見る
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2013年04月20日

但馬の山城攻めに遠征

いま、なにかと注目を集めている天空の城ー竹田城、
その南方に位置する戦国山城―岩洲城(山口城)に登った。
同行は、山城仲間で戦国倶楽部の中心メンバーである三宅さんだ。

岩洲城は数ある竹田城の支城の一つで、
天正五年(1577)中国攻めを進める羽柴秀吉が、
播磨との国境生野口から但馬に侵攻したとき、竹田城の前衛を担った山城だ。

岩洲城_眺望
祠のある曲輪跡からの見事な眺望
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2013年03月25日

但馬の山城をハシゴする

今日は代休。昨日の山名城研のミニ講演会のあと豊岡に一泊。
豊岡に泊まるのははじめてのことで
美味しいものを!と思ったのだが知らぬ町とて満足度は低かった…、かも。

さて、今日のメーンターゲットは、雪のころに下見に来た温泉城。
いまにも降り出しそうな塩梅の空模様で、天気予報は「曇りのち雨」、
雨になれば中止だ!と心に言い聞かせて湯村温泉へと移動する。

温泉城_06

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2013年01月06日

但馬温泉城攻めに遠征

今日は、かねてより気になっていた但馬国湯村温泉にある
温泉城址を攻めようと但馬に遠征した。
おそらく但馬は雪であろうと思われたが
昨年の十一月に開通した豊岡自動車道の延長区間を走ってみたいこともあって
積雪がひどかったら「止めればえ〜やん」と割り切って出かけたのだ。

湯村_01 延長なった豊岡自動車道

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2012年11月04日

但馬に遠征、宵田城、国分寺城を踏破。

但馬国府・国分寺館の企画展「但馬の城と館」のイベント
“山城を歩く” に参加して但馬の宵田城に登ってきた。
九月の有子山城整備に参加した帰りに
企画展をやっていることを知り寄り道、城歩きに申し込んでいたものだ。

集合場所である日高支所に向かう但馬路は濃霧、
和田山インターチェンジから見える竹田城も霧に包まれて見えない。
うっすらとだが、陽射しも感じられる…このシチュエーションは、
雲海に浮かぶ竹田城が見られる絶好のチャンス! だが、
文字通りの断腸の思いで日高支所へと車を走らせたのであった。
(あとで調べると、雲海の竹田城が見られたそうだ (T_T) )

但馬宵田城_01
前方に宵田城址が見えてきた

城歩きの参加者は約三十人、八木城登山のときに知り合った城ガールさん
Twitter でフォロわっているIKさんも参加されていた。

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2012年10月21日

但馬生野城、再訪

ちょうど一か月前の秋分の日、田舎へ墓参で帰省する予定をたて、
その翌日に宍粟城研のタケネットさんとの登城を計画していたものが、
つまらぬモライ事故で帰省も登城も無念の中止となり、改めて仕切りなおしたのであった。

生野城2012_01
山麓のローソンから城址を遠望

今回は、墓参は割愛して山城に専念、田舎に一泊した翌朝の九時
宍粟市役所でタケネットさんと落ち合うと、一路、播但道生野インターチェンジへ。
生野の天気は快晴、ローソンで昼ごはんをゲット。
ローソンを出ると目の前に城山がバッチリと見える、いい城攻めの予感だ。

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2011年08月07日

真夏の竹田城跡に登り、BBQを楽しむ

職場の同僚と、仕事仲間と連れだって真夏の竹田城に登った。
参加者は七人、山城に登ったことのない人が多いこともあって
いちばん楽々な中腹の駐車場から登るコースをチョイス。
 
竹田BBQ_登る 暑い陽射のなか急坂を登る

のっけからの急坂を登り御花畑曲輪へ
そこから見える眺望、本丸の石垣群に一同まず感動!
石垣の間を通り、本丸曲輪への石段を登り
天守台への木梯子を登れば竹田城の本丸である。

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2010年11月10日

三開山城に登る

先日、豊岡埋蔵文化財センターのSさんから「豊岡城館調査報告書」を送付いただいた。城館とあることから「城」「館」を調査した報告書と思い込んでいたわけだが、実物は「豊岡城」「館」の調査報告書であった。こちらから頼んで送ってもらったものだけに購入すべきところだが、求めた記述・挿画はない。あつかましいとは思ったが、Sさんにお願いして返本させていただくことにした。そんなこともあって、本の返却と失礼のお詫び、併せてSさんに但馬の山城情報を教示いただこう、加えて文化財センターすぐのところにある三開山攻めも…と豊岡に出かけて行った。

和田山に着いたあたりから空模様が怪しくなり、文化財センターに到着したころから小雨がぱらつき出しだ。さらに、訪ねたSさんは不在であった。仕方なく学芸員の方に本を返却し、三開山城の情報と但馬方面のクマ出没情報を聞いたところ、一週間ほど前に三開山城近くでクマが捕獲されたという。センターを辞して外に出ると雨、加えて「やはり、クマ出るか〜」、ともあれ三開山城の登り口だけでも見ておこうと目星を付けた東南山麓にある住宅街へと車を走らせた。

三開山城を遠望
北方から見た三開山城址

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2010年10月21日

但馬から播磨、山城めぐり

昨晩、城郭ドットコムの播州さんから
「山城に行きませんか」とのお誘いを受け、当然ながら快諾!
但馬から播磨方面の山城に登ってきた。

篠山口駅で七時半に合流、まずは生野城を目指した。丹南篠山口ICより春日ICへ、そこから多可町方面へ西走、神河町を北上して生野に到着、約二時間のドライブであった。
生野城は二年前の夏、田舎に帰省する途中にウサと娘二人と銀山を観光、生野城にも登ろうと言って却下されたところである。それもあって、機会があれば登りたい山城だっただけに播州さんの誘いは 「待ってました!」 というものであった。

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2010年08月21日

朝倉氏発祥の城址に登る

先日は香住で討死しそうになったが
懲りもせず、今日は養父市八鹿町にある朝倉氏発祥の城址に登ってきた。
 
朝倉氏といえば越前一乗谷に京文化を花開かせ、
織田信長と対立して滅亡した朝倉義景が知られる。
義景の朝倉氏は八鹿の朝倉氏の一族が越前に移ったものであり
八鹿町朝倉は全国の朝倉さんの発祥の地なのである。
朝倉には朝倉本城・朝倉比丘尼城・朝倉向山城と三つの山城がある。
今日は八木城の山麓界隈を訪ねたいこともあって
朝倉本城と朝倉向山城を攻略してきた。
 
朝倉本城は地元の方々の努力によってよく整備されていて
曲輪・切岸・堀切・櫓台・虎口などなど遺構の保存状態もよく、
山上からの眺めも抜群で、非常に気持のよい山歩きが楽しめた。

香住_朝倉城s
朝倉城主郭の櫓台より城下を俯瞰、素晴らしい見晴らしだ

 一方の朝倉向山城は朝倉本城の東方に位置しており、
どこから登るか取り付き口に迷ったが、忠魂碑の側に登り道を発見、
尾根筋をひたすら登っていくと、迷うことなく城址にたどり着けた。
どうやら城址東端の尾根先に、かつて建物があったようで
そこに至るまでの山道が掘削されていて、格好の登山道になっているのだ。
城址は山上の主郭を中心に南北の尾根に曲輪群が配された連郭式のもので
東北尾根の二重堀切、主郭を取り巻く帯曲輪、曲輪ごとの切岸などなど
こちらは手入れこそされていないが、遺構の保存状態は悪くない。

香住_朝倉向山城s
向山城主郭へ続く急斜面を登る

朝倉にはもう一つ中世山城‐朝倉比丘尼城址があり、
聞けば、そちらもよく手入れがされているとのことである。
地元の方々の朝倉氏に対する誇りというか、
思い遣りというかが感じられて、なんとも気持が良かった。
by kuma

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2010年08月18日

畝状竪堀を持った香住の城へ

先日、香住の山城行きを計画して駅まで行きながら
青春十八切符を入れた財布を忘れて痛恨の挫折を味わった。
いまのJRは都会中心のダイヤであって、
田舎では一度乗り遅れたら悲惨なことになる。
特急を使えばいいのだろうが、十八切符では特急は利用できない。
 
…というようなことがあって、今日、仕切りなおして香住の山城を探索してきた。
ターゲットは、香住駅前の小山にある志馬比城と、
志馬比城の南方にある釣鐘尾城の二城だ。
駅前のレンタサイクルで自転車を借り、城のことを聞くと
公民館に勤める友達 Y が詳しいのでと、連絡をとっていただく。
都会にはない、なんともいえない地域ネットワークで、
公民館の Y さんもまことに親切丁寧、資料をいただいて
まず、一番目の志馬比城へ自転車を走らせる。

香住_志馬比城
香住駅より志馬比城を見る (右の赤いボディは乗ってきた電車)

志馬比城・釣鐘尾城とも羽柴秀吉の但馬侵攻に抵抗した垣屋氏が
既存の城を拡張修復したもので、畝状堀切が特長的な山城だ。
志馬比城は発掘調査もされたといい比較的登りやすかったが、
釣鐘尾城は登る者もないとのことで、急斜面の山腹を攀じ登った。
おりからの暑さと、ところどころで強いられる藪コギで
頭はクラクラ、身体はフラフラ、たまらず日陰でへたりこんでしまった。
このままでは熱中症になるかも…、最悪のケースも頭にちらつく、
さらにこの藪状態では、厭〜なダニも徘徊しているかもと思われ
木々も葉を落とし、城址の地形も分かりやすくなる晩秋に再訪を決め
道なき尾根を藪コギしながら下山した。

香住_釣鐘尾城 竪堀を攀じ登る

下りたあと、ダニに取り付かれていないかをチェック!
駅のトイレで身体を拭って、着替えてスッキリしたが
危うく、釣鐘尾城で討死するところであった。
いや、本当に今年の暑さは異常というしかない!
by kuma 
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2009年09月14日

垣屋宗家の城、但馬楽々前城址を攻略!

楽々前(ささのくま)城は丹波守護山名氏の重臣であった垣屋氏が拠った城で、応永年間(1394〜1428)に垣屋隆国が築いたものと伝えられている。城は日高町西武の三方盆地の東側、佐田から伊府を経て道場に伸びる佐田連山の山上に築かれ、南北800メートル、東西250メートルにおよぶ規模壮大な山城である。

楽々-常光寺 楽々-経堂
西側山麓常光寺より城址を見る 20080705   北側山麓に残るかつての菩提寺址という経堂 20090502

これまで但馬守護山名氏が拠った此隅山城址・有子山城址、山名四天王である田結庄氏の豊岡鶴城址、八木氏の八木城祉、太田が木氏の竹田城址、そして垣屋氏一族の宵田城・轟城などを攻略してきた。その間、楽々前城には二度チャレンジしたが、いずれも途中で登り道が分からなくなり無念の挫折を繰り返してきた。その後、あっちこっちの山城攻略を続けながら楽々前城の資料を収集、今回、新たに発見した縄張り図を手に三度目のチャレンジを敢行、ついに楽々前城を攻略できた。


楽々-展望s
北尾根の曲輪から日高市街を見る

To Be Continued
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2009年05月03日

豊臣秀吉に抵抗した但馬轟城址

昨年、山名氏の此隅山城有子山城、垣屋氏の宵田城、田結庄氏の鶴城、宿南氏の宿南城などなど但馬の戦国山城攻略に汗を流した。しかし、垣屋氏の本城とされる楽々前城は攻略途中で道を見失い挫折、垣屋豊続が豊臣軍を迎え撃った轟城も準備不足で登山を断念。今回、改めて両城攻略を目論んで豊岡に遠征してきた。轟城址は山上にある秋葉神社への参道により容易に城址へ到着できたが、楽々前城址は山麓の垣屋氏の菩提寺跡から続くという登り道が発見できず再び挫折とあいなった。
 
轟城-遠望 
垣屋氏の菩提寺-蓮華寺から城址を遠望
 
轟城址主郭には秋葉神社が祀られており、神社に続く参道がそのまま登り道となっている。お世辞にも整備された道とはいいがたいが、まず迷うことなく城址東南端に穿たれた堀切を経て東南曲輪にたどり着けた。そこから主郭方向に段曲輪が続き、参道はさらに主郭へと葛篭折れに続く。主郭は倒木が目立つが秋葉神社を中心としてそれならいの広さだ。主郭から東北に曲輪が続くが、それぞれ見事な広さのもので、東北端には畝状の堀切が設けられている。一方、主郭北西にも曲輪が設けられ、大堀切を経てさらにその北西方に曲輪が設けられている。主郭と腰曲輪、またそれぞれの曲輪を区切る切岸も見事な高さを有し、羽柴軍を迎え撃った城址だけのことはある規模の大きさだ。

轟城-堀切 轟城-主郭 轟城-二曲輪
東南端の尾根を穿つ堀切  主郭を見上げる  広い二の曲輪

轟城-石仏 轟城-石垣 轟城-大堀切
当時のものか・石仏が  石垣跡を思わせる遺構  北西尾根の大堀切
 
轟城址は垣屋氏一族の豊続が拠った山城だが、垣屋本家は日高町の楽々前城に拠っていた。昨年の攻略失敗もあって、今回、改めて資料を用意してリトライした。いわゆる垣屋氏の菩提寺である隆国寺が最初に建立されたという大手方面からの登城を目論んだのだ。ところが、その寺院跡が分からない。地元の方々にあれこれと聞いて、やっと、寺院跡を発見した。そこは意外な広さで、そこかしこに石垣も残っている。主家山名氏を凌ぐ勢いを有した垣屋氏の力のほどが知られるものだ。しかし、地元では省みられrことはないのか、荒れるにまかされているのが惜しい!さて、そこから楽々前城址への登城路を探したが、夕暮れも迫り、二度目の攻略も挫折とあいなった。
 
楽々前-寺院切岸 楽々前-寺院古墳 楽々前-寺院石垣
寺院跡の高台  古墳上には鐘楼があったとのこと  石垣が随所に残る
 
地元の人によれば、主郭近くまで林道が通っているとのことだが、ここは、やはり大手道からにこだわっていきたい。この秋までには、三度目のアタックを目論んで作戦を練っているところだ。 by kuma
 
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2008年11月25日

竹田城址、三度目の訪問

日本三大山城の一つとして有名な但馬竹田城址、その見事な石垣は数ある戦国山城の中でも屈指のものだ。応仁の乱の一方の立役者である山名宗全が築き、重臣太田垣氏をもって守らせたが、山名氏の衰退とともに太田垣氏の居城となり戦国時代を迎えた。
麓のJR竹田駅から見上げると、石垣が山上一帯に見える。昨年、五月の連休に往時の大手道という山道をテクテクと歩きで城址を目指した。山頂にたどり着いたときには疲労困憊であったが、眼前に展開する見事な縄張りと石垣群、何よりも360度のパノラマに疲れは一気に吹っ飛んだ。宮崎駿のラピュタではないが、天空の城と呼ぶにふさわしい竹田城の素晴らしさに魅入られてしまった。
takeda01 晩春-のどかな春の陽光に霞む城下町

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初登城から三ヶ月後の夏休み、ふたたび竹田城址に登った。山腹にある駐車場まで車を走らせ、夏の日差しのなかを汗をかき拭き天空の城へと歩を進める。ふたたび目にするパノラマ風景は、真夏の光の中で輝きを増し、実に素晴らしいものだった。それから一年、丹波から但馬方面の山城をめぐることに忙しく、竹田城に拠る機会がなかった。

takeda03 盛夏-キリッとした夏の陽射が眩しい


昨日、紅葉で知られる養父神社に出かけた。恐竜発掘で有名になった篠山川渓谷から谷川を抜けて、和田山に着くころには、雨が降り出すという生憎の天気となった。雨は想定内のことであり、ためらうことなく神社に直行する、陽光に照り輝く紅葉も素晴らしいが、神南備山にかかる霧と小雨にぬれる紅葉とのハーモニーは行く秋を惜しむかのような風情を醸し出していた。
おりからの霧を見て、相方のうさが三度目の竹田城行きを切り出す。雲海に浮かぶ竹田城址の情景も脳裏に思い描かれ、にわかに三度目の竹田城行きを決定する。今回は、竹田城址の石碑が建つ大手直前まで車を走らせる。城址に登り周囲を見回すと、遠くの山並みはもとより、城下町も霧と雲に包まれ、春と夏の訪問時には感じることのなかった晩秋の寂しさが迫ってくる。これも、戦国時代の城跡ならではといえようか。
takeda04 晩秋-折からの雨と霧に霞む城下町


次は雪の竹田城を!とも思うが、寒さと雪中のドライブは苦手なもので、四度目の登城は桜の季節にするか・・・などと考えながら帰途についた。なんだか登城スタイルが、回を重ねるごとにドンドン「ずぼら」になっているような気もする。来年の春に来るとすれば、初心に帰って歩きで天空の城址を目指したい。そのときは、表米神社からの道を利用したいものだが、台風で崩落したという登山道の修復工事がなかなか進んでいないようだし・・・悩ましいところだ。  by kuma

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