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2021年02月28日
一年ぶり。山名会の山城見学会に参加
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2019年04月27日
たつの古城から城山まで縦走
2018年12月24日
弥高山城跡登山で姫路に
2017年12月16日
置塩城、置塩古城、ダブル登山
今年の六月、同じメンバーで置塩古城(城の段)に登ったとき、置塩城への縦走を目論んだが、季節的に無理と判断、次の機会に譲ったのだった。いわゆる、今日がその次の機会ということで粟賀で集合、弁当を購入して置塩城登山口へと車を飛ばした。
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2017年06月03日
置塩古城(城の段)に登る
山道はやがて消失、GPSマップを見ながら城の段から伸びる尾根筋に取り付き、そこから一気に城址のある山上を目指した。途中、崩れやすい、かつ滑りやすい岩場を踏み越え、城の段こと置塩古城の南曲輪に攻め込んだ。
城址は倒木、杉の枝などが散乱しているが、土塁、切岸、井戸跡であろう水場など見どころは少なくない。段状に連なる曲輪を踏み越え、登りついた山上部は数段の曲輪に区画され、東端部は土塁が取り巻き、その先の尾根は岩場をガッツリ掘り割った堀切で防御されている。
城の段こと置塩古城は全体的に大味で古さを感じさせるところで、伝にもあるが山岳寺院を山城に転用、あるいは併存していたのかも知れない。ともあれ、いかにもダニの巣窟を思わせるところである。ネットの情報によれば、東尾根先より置塩城が見えるとのことだったが、生い茂る木々に遮られて眺望はほとんどなかった。
谷山集落から城の段まで約1時間40分の山登りであったことを思えば、置塩城からのルートが大手道と思われ、谷山側は搦め手であったのだろうか?。実際、城の段に登ってみて置塩城からも乗ってきてみたいものと思った。この秋ごろに実現したいと思うが、どうだろう。
2017年04月16日
木内さんらと感状山城に登る
さて、数回目となる感状山城跡攻め、前城の虎口から城域に入り、木内さんの解説を聞きながら曲輪を巡り、主郭のある後の城へと攻め登った。前の城は広い曲輪が特徴的なのに対して、後の城は石垣が見ものである。


2017年04月01日
訳あり企画に乗っかって中道子山城に登る
山城は電波設備を置くには最高の場所、ではありますが、列島改造論が日本をメチャメチャにしたことをを経験した今の時代に、このようなことをやる。しかも、いい加減なことを言って市民をダマし企業にすり寄る行政、納税者をナメるな、見るべき方向を誤るな!と言ってもお役人さん方は市民の声を盥廻しするだけで知らんぷりなんでしょうね (*´-`) 。
2016年04月24日
2015年04月04日
念願の播磨大山城を攻略
週間予報であ「雨時々曇り」とあった天気もまずまず!
丹波篠山から播磨神河町で約一時間の道をひた走った。
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2014年12月27日
播磨神河町の山城に登る
その弟さんで神河町在住のKTさんよりある日突然にメールをいただき、
かねてから登りたいと思っていた神河町内に残る山城、
柏尾山城と高峰城攻めにご一緒した。
先日登った高峰山城と名前が似ていることから粟賀高峰城と呼ばれ
伝承によれば赤松氏一族の伊豆氏(孫四郎祐国)の持ち城であったという。
高峰山城も伊豆氏(孫次郎則定)が城主と伝わっていて
赤松一族の系譜に関してはなんとも難儀するというしかない。
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2014年09月28日
三木城攻め付け城群を歩く
ターゲットは羽柴秀吉が三木城攻めに築いた付け城群。
プラス、ネットに上がっている情報に目を通して出陣。
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2014年01月18日
播磨宍粟、三方の山城を攻める
今日は、ディスカバーの土曜会、南山城の整備が予定されていたが
明日の宍粟城研見学会を見越して、田舎に泊めてもらうことにしたのだった。
せっかく播磨へ帰省をすることでもあり、途中、寄り道して
昨年の宍粟城研見学会で踏破できなかった宍粟一宮の御形城跡へ。
揖保川越しに城址のある山を見る
2013年07月07日
播磨の天空の城、利神城跡に登る
久しぶりの帰省、せっかく西播磨方面に行くことでもあり
佐用郡に残る天空の城―利神城に登ってきた。
事前に宍粟城研のタケネットさんと連絡をとりあい、ご一緒していただいた。
利神城は赤松氏一族の別所氏が南北朝時代に築いたもので
赤松氏の拠点城である白旗城の前衛として別所氏が代々の城主であった。
2013年03月31日
感状山城、たつの古城を攻める
今日は久しぶりの戦国倶楽部オフ会で山城攻め。
攻城先は播磨西部に位置する感状山城、たつの古城、
どちらも素晴らしい山城なのに参加者は
城郭ドットコムの三宅さんと播磨屋ことわたしとの二人っきり城攻め!
「いい山城揃いなのに、なんでや!」 と思わないでもないが
ともあれ三宅さんとディープな山城攻めに出陣した。
2013年01月13日
驚きの連続! 感状山城に登る(垣屋氏の紋)
今日の攻城先は、西播磨の相生市域にある感状山城。
感状山城は総石垣造りが特徴で、ネットの情報などを見ると
近世城郭に近い構造を呈し、国指定史跡も受けている。
かねてより『登りたい!』と思っていた戦国山城だ。

2012年12月09日
2012年01月15日
加西アルプスに築かれた善防山城に登る
善防山は加西市南部に位置する標高251メートルの低山、その姿は岩におおわれた峻嶮な姿で、西方の笠松山とともにミニアルプスを呈している。その中間部にある古法華山は、我が国最古の白鳳石仏(国の重要文化財)を本尊とする古刹であり、善防山から笠松山一帯は修験の場として多くの信者を集めたところであったと思われる。
東方より善防山を遠望、山上尾根筋に城跡が残る
また、善防山の南方には京都から篠山を経て姫路へ通じる国道372号線が走り、北、西、東方も地方主要道が走る交通の要衝である。それらの道は、かつて古法華に参拝する信者ら、京・丹波・播磨を往来する旅人たちで賑わったことと思われ、善防山城はそのような要衝の地を押さえる格好の位置に築かれている。
2012年01月09日
西脇界隈の山城攻めに出陣
なにやら正月気分が続く三連休の最終日となった今日、宍粟城郭研究会長藤原孝三さんの誘いを受けて西脇の山城探索に出陣した。
会長いわく、山城は臨時的な構築物という性格上、工事途中で作業を中止しているものも少なくいとのこと。以前、ご一緒した宍粟柏原城、先日行った佐用の長谷高山城なども築城途中で終わった城跡で、工事を終えたところを観察、その理由を考察することから山城、ひいては地域の歴史が見えてくるのだという。「なるほど!」と納得、西脇市内にある戦国時代の城跡を案内していただいた。
2011年12月10日
たつの北端に位置する香山城に登る
たつの市埋蔵文化財センター主催の香山城見学会に参加して、宍粟市に遠征した。
城跡のある香山はわたしの生家の川向う、我が家の血脈にも縁があり
高校時代の三年間、通学路として自転車で走った懐かしいところだ。
香山城は香山集落の西方にある山並みの麓に位置し、在地土豪香山氏が築いた城で
司馬遼太郎氏の「播磨灘物語」に悪党香山氏の城として書かれている。
黒田如水の父兵庫助職隆が出世の糸口をつかむ合戦で
悪党香山氏は兵庫助の計略によって討ち取られてしまうのだ。
しかし、香山氏、香山城の歴史を調べるほどに司馬氏の描く香山城の合戦は、
不自然なところが多く、いまではフィクションであったと確信している。
2011年11月23日
赤松まつり−白旗城登山会に参加
今年で十八回目を迎えたという赤松まつりに遠征してきた。
目的は、メーンエベントである白旗城跡登山会への参加である!
赤松は兵庫県の西部赤穂郡上郡町北部にあり、播磨守護に任じ、戦国大名に脱皮しきれなかった赤松氏発祥の地。
その赤松氏が歴史の表舞台に踊り出たのが南北朝の争乱であり、武名を不朽としたのが白旗城に拠って新田義貞が指揮する南朝軍の攻撃を防ぎ退けた戦いだ。
播磨赤松氏好きにとって白旗城は、いわゆる聖地の一つだ。
白旗城址−櫛橋丸より赤松方面を眺望
情報提供をいただいたタケネットさんと会場で待ち合わせ、無事に落ち合う。
参加者は老若男女合せて八十人くらい、聞けば岡山・神戸方面からの参加者も
戦国、山城ブームはまだまだ衰えていないようだ。
ともあれ、登山会は予定通り十時に出発!片道一時間の山登りとなった。