2017年06月03日

置塩古城(城の段)に登る

今日の天気は概ね晴。昨年来、神河町の友人と計画していた置塩古城(439.7pt 谷山三角点 香寺町側では「城の段(しろんだ)」と呼ばれているらしい)登山を決行。ルートは、年初に下見がてら訪れていた香寺町相坂の秘境ともいえる谷山集落よりチャレンジ。改めて地元の方に状況を聞くと山道はないとのこと。とはいえ、城の段のある山ははるかに見えている。まずはあそこを目指そうと山道を登りはじめた。

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置塩古城(城の段)が位置する山を見る、遠い〜

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道なき斜面を尾根へ

山道はやがて消失、GPSマップを見ながら城の段から伸びる尾根筋に取り付き、そこから一気に城址のある山上を目指した。途中、崩れやすい、かつ滑りやすい岩場を踏み越え、城の段こと置塩古城の南曲輪に攻め込んだ。

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城址は倒木、杉の枝などが散乱しているが、土塁、切岸、井戸跡であろう水場など見どころは少なくない。段状に連なる曲輪を踏み越え、登りついた山上部は数段の曲輪に区画され、東端部は土塁が取り巻き、その先の尾根は岩場をガッツリ掘り割った堀切で防御されている。

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戦国末期、恒屋城主の恒屋氏が置塩赤松氏を夜襲したが失敗討死したというが、恒屋氏を迎撃したのはこの城の段だったのではなかろうか。

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一部bに石積跡

城の段こと置塩古城は全体的に大味で古さを感じさせるところで、伝にもあるが山岳寺院を山城に転用、あるいは併存していたのかも知れない。ともあれ、いかにもダニの巣窟を思わせるところである。ネットの情報によれば、東尾根先より置塩城が見えるとのことだったが、生い茂る木々に遮られて眺望はほとんどなかった。
 
谷山集落から城の段まで約1時間40分の山登りであったことを思えば、置塩城からのルートが大手道と思われ、谷山側は搦め手であったのだろうか?。実際、城の段に登ってみて置塩城からも乗ってきてみたいものと思った。この秋ごろに実現したいと思うが、どうだろう。

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下山したのち、近くにある天台宗の古刹・八葉寺に立ち寄ることに。車幅いっぱいいっぱいの相坂トンネルを抜け、山道を登る、寂び寂びとした境内に到着。境内はシダ植物の宝庫ということて、植物に造形の深い友人にあれこれ教示をいただいた。いつも思うことだが、植物や樹木、野鳥などに詳しい人がうらやましい。

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2017年04月16日

木内さんらと感状山城に登る

先月、上月城登山にご一緒した木内さんからのお誘いを受けて、感状山城登山会に混ざってきた。集合場所の相生羅漢の郷に到着すると山名会のKさんら見知った顔が数人、なんといおうか山城好きの世界の狭さを感じたことだった。

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登山に先立って木内さんのミニ山城講座を拝聴、木内さ んのトークはみう名人の域に入っていると言っても過言ではないおもしろさ。もっとも、木内説に異論を挟む山城ファンも少なくないが、長年、自分の足と目で見た探ってこられた山城を独自のスタイルで描かれてきた木内さんの山城談は説得力があった。

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虎口の石段
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虎口横の井戸跡

さて、数回目となる感状山城跡攻め、前城の虎口から城域に入り、木内さんの解説を聞きながら曲輪を巡り、主郭のある後の城へと攻め登った。前の城は広い曲輪が特徴的なのに対して、後の城は石垣が見ものである。
感状山城はその規模の大きさと近世城郭を彷彿させる縄張りを有した山城だが、その歴史はといえば不明な点が多い。また、主郭に残る礎石群から屋形建築が存在していたこと、腰曲輪に残る石垣で組まれた埋み門遺構など、大名クラスの持ち城であったと思われる。伝承では赤松氏が南北朝時代に築いたといい、その通りであろうが、今に残る遺構は備前の戦国大名宇喜多氏が播磨矢野庄を押える拠点城郭として改修したものと思いたい。

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曲輪切岸
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矢野庄を眺望
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主郭部への石積
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見事な石積−埋門

主郭で昼ごはんをとったのち、木内さんの感状山城の発掘に係る解説を拝聴、主郭西方に構えられた土造りの帯曲輪群を下り、石積みを残す井戸曲輪を経て前の城曲輪群にユーターン。

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本丸で解説を聴く
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主郭部の礎石

そこから南尾根を下ったが、出曲輪であったともいう岩山部が宗教的機能を有していた(葬送の場であったかも)という解説は、チョッと受け入れ難かった。

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土の城部分の切岸
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井戸曲輪に残る石組

ともあれ、感状山城の前と後の二つの曲輪群は、前の城は兵糧や武具などの兵站区、後の城は主殿を中心とした居住区として機能し、番城として部将が守っていたのだろう。その歴史は分かりずらいものだが、城址遺構は並ではない歴史を語り続けるに違いない。

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0416_IMG_0081.jpg 空風輪がチョッと変

下山したのち羅漢の郷を散策、なかなか見ごたえのある石仏、五輪塔などが散在、それなりに楽しめた。このあと、二つめの山城・下土井城跡に登る予定だったが、相方が足の不調を訴えたこともあって、今日は感状山城だけで木内さんらと分けれて帰丹した。
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2017年04月01日

訳あり企画に乗っかって中道子山城に登る

中道子山城登山会に混ざって、登ってきました。素晴らしい城跡、それを史跡にも指定せず、災害用電波塔などといい加減なことを言って工事を強行するツクヅク阿呆な自治体やな??と思ったことです。ホントッ、もったいない !

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かつて、相方と次女と登ったときと、基本的に景色は変わっていない。と思って登っていくと、城址にたどり着いた途端、工事用の資材を運び上げる軌道が我が物顔に城址を横切っている。しかも切岸を踏み越え、曲輪を横断しているではないか。山城ファンとしてはチョッと受け入れがたい光景ではある。

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切岸、土塁などは破壊を逃れている。

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城址を進んでいくと、主郭の後方に建設されるらしい商業用(市は公共用と説明しているそうだが)電波塔の基礎部分がシッカリと造営されている。聞けば、仮に建設がノーとなったとしても、決められた契約期間、電波塔施設は城址に存在し続けるらしい。国指定史跡も視野に入った遺跡でありながら、この体たらく、言いたくないが加古川市の行政は文化度が低すぎると言われても返す言葉はないだろう。

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尤も、工事は電波塔建設はされるものの城址遺構に留意、遠慮をしながら進められているという。完成した暁には景観が相当そこなわれるだろう。しかし、主要な部分が残るのであれば、それはそれで救われたともいえそうだ。

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曲輪切岸もシッカリ残っている

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堀切もガッツリ残っている

アレヤコレヤ思いつつ、電波塔の建設が進む主郭部から離れれば、いまだ、当時の遺構がシッカリ残っている。残念なことになりつつある中道子山城だが、おおむね、中世山城としての存在は守られたといえそうだ。

山城は電波設備を置くには最高の場所、ではありますが、列島改造論が日本をメチャメチャにしたことをを経験した今の時代に、このようなことをやる。しかも、いい加減なことを言って市民をダマし企業にすり寄る行政、納税者をナメるな、見るべき方向を誤るな!と言ってもお役人さん方は市民の声を盥廻しするだけで知らんぷりなんでしょうね (*´-`) 。
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2015年04月04日

念願の播磨大山城を攻略

今日はかねてより予定していた通り
神河町在住のKさんと神河町内に残る山城、
長谷城跡と大山城跡を攻略。

週間予報であ「雨時々曇り」とあった天気もまずまず!
丹波篠山から播磨神河町で約一時間の道をひた走った。

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2014年12月27日

播磨神河町の山城に登る

篠山に引っ越して以来、なにかとお世話になっている綾部のKS氏
その弟さんで神河町在住のKTさんよりある日突然にメールをいただき、
かねてから登りたいと思っていた神河町内に残る山城、
柏尾山城と高峰城攻めにご一緒した。

まず、神河町粟賀の高峰城跡。
先日登った高峰山城と名前が似ていることから粟賀高峰城と呼ばれ
伝承によれば赤松氏一族の伊豆氏(孫四郎祐国)の持ち城であったという。
高峰山城も伊豆氏(孫次郎則定)が城主と伝わっていて
赤松一族の系譜に関してはなんとも難儀するというしかない。


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2014年09月28日

三木城攻め付け城群を歩く

天気もよし、城攻めに出陣
ターゲットは羽柴秀吉が三木城攻めに築いた付け城群。

出かける前に、付城群の縄張り図を用意し
国地院の二万五千分一の地図で城址の所在地を確認
プラス、ネットに上がっている情報に目を通して出陣。

まずは、三木城攻めの本陣となった平井山本陣跡を目指した。

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法界寺法界寺山ノ上付城跡から三木城跡を遠望

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2014年01月18日

播磨宍粟、三方の山城を攻める

今日は、ディスカバーの土曜会、南山城の整備が予定されていたが
明日の宍粟城研見学会を見越して、田舎に泊めてもらうことにしたのだった。

せっかく播磨へ帰省をすることでもあり、途中、寄り道して
昨年の宍粟城研見学会で踏破できなかった宍粟一宮の御形城跡へ。

三方_御形城04
揖保川越しに城址のある山を見る

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2013年07月07日

播磨の天空の城、利神城跡に登る

久しぶりの帰省、せっかく西播磨方面に行くことでもあり
佐用郡に残る天空の城―利神城に登ってきた。
事前に宍粟城研のタケネットさんと連絡をとりあい、ご一緒していただいた。


利神城は赤松氏一族の別所氏が南北朝時代に築いたもので
赤松氏の拠点城である白旗城の前衛として別所氏が代々の城主であった。

利神城_遠望

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2013年03月31日

感状山城、たつの古城を攻める

今日は久しぶりの戦国倶楽部オフ会で山城攻め。
攻城先は播磨西部に位置する感状山城、たつの古城、
どちらも素晴らしい山城なのに参加者は
城郭ドットコムの三宅さんと播磨屋ことわたしとの二人っきり城攻め!

「いい山城揃いなのに、なんでや!」 と思わないでもないが
ともあれ三宅さんとディープな山城攻めに出陣した。

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2013年01月13日

驚きの連続! 感状山城に登る(垣屋氏の紋)

先週に引き続いて、山城攻めに出陣。
今日の攻城先は、西播磨の相生市域にある感状山城。
感状山城は総石垣造りが特徴で、ネットの情報などを見ると
近世城郭に近い構造を呈し、国指定史跡も受けている。
かねてより『登りたい!』と思っていた戦国山城だ。

感状山_01
大手にあたる東南方面より城址を遠望

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2012年12月09日

播磨鶴居界隈に遠征

今日は、宍粟城研2012納めの城攻めとなる播磨谷城見学会であったが
先日、会長より中止の連絡をいただいた。
とはいうものの、出陣モードになっていたことでもあり、相方と二人で播磨に遠征した。
ターゲットは谷城をスルーして、その北方にある鶴居城に決定、
鶴居城は谷城とともに赤松一族永良氏が築いた城である。

鶴居-08
東方の飯盛山城から、鶴居城を見る

鶴居城、谷城ともに既に攻城済のところだが、
鶴居城は主郭部の石垣を見落としていたこともあって、再訪を期していたのだ。

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2012年01月15日

加西アルプスに築かれた善防山城に登る

善防山は加西市南部に位置する標高251メートルの低山、その姿は岩におおわれた峻嶮な姿で、西方の笠松山とともにミニアルプスを呈している。その中間部にある古法華山は、我が国最古の白鳳石仏(国の重要文化財)を本尊とする古刹であり、善防山から笠松山一帯は修験の場として多くの信者を集めたところであったと思われる。

善防_遠望
東方より善防山を遠望、山上尾根筋に城跡が残る

また、善防山の南方には京都から篠山を経て姫路へ通じる国道372号線が走り、北、西、東方も地方主要道が走る交通の要衝である。それらの道は、かつて古法華に参拝する信者ら、京・丹波・播磨を往来する旅人たちで賑わったことと思われ、善防山城はそのような要衝の地を押さえる格好の位置に築かれている。

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2012年01月09日

西脇界隈の山城攻めに出陣

なにやら正月気分が続く三連休の最終日となった今日、宍粟城郭研究会長藤原孝三さんの誘いを受けて西脇の山城探索に出陣した。

会長いわく、山城は臨時的な構築物という性格上、工事途中で作業を中止しているものも少なくいとのこと。以前、ご一緒した宍粟柏原城、先日行った佐用の長谷高山城なども築城途中で終わった城跡で、工事を終えたところを観察、その理由を考察することから山城、ひいては地域の歴史が見えてくるのだという。「なるほど!」と納得、西脇市内にある戦国時代の城跡を案内していただいた。

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2011年12月10日

たつの北端に位置する香山城に登る

たつの市埋蔵文化財センター主催の香山城見学会に参加して、宍粟市に遠征した。
城跡のある香山はわたしの生家の川向う、我が家の血脈にも縁があり
高校時代の三年間、通学路として自転車で走った懐かしいところだ。

香山_城跡へ

香山城は香山集落の西方にある山並みの麓に位置し、在地土豪香山氏が築いた城で
司馬遼太郎氏の「播磨灘物語」に悪党香山氏の城として書かれている。
黒田如水の父兵庫助職隆が出世の糸口をつかむ合戦で
悪党香山氏は兵庫助の計略によって討ち取られてしまうのだ。
しかし、香山氏、香山城の歴史を調べるほどに司馬氏の描く香山城の合戦は、
不自然なところが多く、いまではフィクションであったと確信している。

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2011年11月23日

赤松まつり−白旗城登山会に参加

今年で十八回目を迎えたという赤松まつりに遠征してきた。
目的は、メーンエベントである白旗城跡登山会への参加である!

赤松は兵庫県の西部赤穂郡上郡町北部にあり、播磨守護に任じ、戦国大名に脱皮しきれなかった赤松氏発祥の地。
その赤松氏が歴史の表舞台に踊り出たのが南北朝の争乱であり、武名を不朽としたのが白旗城に拠って新田義貞が指揮する南朝軍の攻撃を防ぎ退けた戦いだ。
播磨赤松氏好きにとって白旗城は、いわゆる聖地の一つだ。

赤松_眺望
白旗城址−櫛橋丸より赤松方面を眺望

情報提供をいただいたタケネットさんと会場で待ち合わせ、無事に落ち合う。
参加者は老若男女合せて八十人くらい、聞けば岡山・神戸方面からの参加者も
戦国、山城ブームはまだまだ衰えていないようだ。
ともあれ、登山会は予定通り十時に出発!片道一時間の山登りとなった。

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2011年07月09日

加西市の 「ふるさと再発見ハイキング」 で山下城跡登閣

梅雨明けの酷暑のなか、加西市観光まちづくり協会が主催された“ふるさと再発見ハイキング 「山下城跡登閣と古刹常行院」 ”に参加して加西の町を歩いてきた。

目当ては、当然というべき山下城跡への登城である。山下城跡の存在は、迂闊にも今回のイベント告知ではじめて知り、城主が浦上久松であったということも同様にはじめて知った。加西市のふるさと再発見ハイキングは今回で三度目の参加、昨年の赤松氏系の河内城、小谷城を含むハイキングは期待通りのもので楽しませていただいた。それに対して今回の山下城は、予備知識のまったくない、ほとんど白紙状態での山城行で、修験系の寺院に始まるという常行院にも惹かれて申し込んだのだった。

加西_駅
気動車に乗って播磨横田駅に移動する

ともあれ集合場所の北条鉄道北条町駅へ駆けつけ参加者名簿に記入、見れば参加者はウサクマ含めて十人、昔懐かしい一両仕立てのディーゼルカーに乗って一つ目の播磨横田駅まで移動する。

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2011年03月26日

神崎郡市川流域の要地を押える寺前城へ

昨晩、数ある韓国歴史ドラマのなかでも出色の出来だった「イサン」が、ついに最終回を迎えた。イサンの死を哀しんだわけでもなかろうが、今朝、起きて外を見たら積雪!昨年もこのころに積雪があり「雪の果て」となったが、今年も今朝の積雪が「雪の果て」となるのだろうか。

326の雪 今朝の雪とトトロと鬼太郎


この雪で、計画していた播磨方面の山城攻めを「行くべきかどうか」と迷ったが、朝ドラ「てっぱん」のこちらも最終回をみてのち出発した。今日の訪城は神崎郡を流れる市川沿いの山々に散在する城址群、なかでも大山城をメーンとして寺前城、柏尾山城を予定したが、予め入手していた縄張図を車中で見ているうちに寺前城に心惹かれてしまった。

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2010年11月21日

赤松一族永良氏の居城、谷城に登った。

回復しない病気で入院している旧友を見舞いに たつの へ出かけた。
せっかく播州方面に行くことでもあり、
市川の谷城にちょっと寄り道して行った。

谷城は先日、城郭ドットコムさんと登った鶴居城の南に位置し
城主は鶴居城と同じ赤松一族の永良氏であった。
谷城は主郭を中心に曲輪が取り巻く梯郭式の山城で
北に続く尾根をたどって行けば、鶴居城へと続いている。

谷城主郭
南腰曲輪から見た主郭と切岸

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2010年10月23日

赤松在田氏発祥の城、北播磨河内城に登る

加西市観光案内所が主催される 『ふるさと再発見ハイキング「戦国期の城址 河内城登閣」』 にウサクマも参加して河内城に登った。
河内城は室町時代から戦国時代にかけて加西市域を中心に北播磨を支配した赤松一族衆の領主在田氏が築いた城で、九月に登った段の城、野間城、光領寺城に続いて、ぜひにも攻略したいと思っていたところだけに、いい機会に恵まれた。

河内城登山口

集合場所である加西市北部公民館の東側駐車場に集まった参加者は20名くらい、九時半過ぎ、先達ともいうべき加西市歴史街道ボランティアガイドさんの引率でスタート。
途中、いまやゴルフ場の中に浮かぶ小島のような満久城を見つつ、登山口に鎮座する六処神社に参拝し、よく手入れされた登山道を河内城へと登り続ける。河内城一帯は「河内 ふれあいの森」として整備され、要所に道標が立てられ、河内城の出丸であろうか途中の小山には真新しい東屋も建っている。木立もいい感じに伐採されていて、のどかな山歩きも楽しめる登城路だが、本来の登城道は散策路の所々にあらわれる旧道であったかと思われる。

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2010年10月17日

播磨長水山城址、篠ノ丸城址に登る

昨日、亡父の七回忌の法要で田舎に帰り、久しぶりに会う叔父、叔母、従兄弟など懐かしい人々に会ってきた。
せっかく、播磨は宍粟市に行ったのだから田舎に一泊して
宇野氏が羽柴秀吉軍を迎え撃った長水山城址、篠ノ丸城址に登ってきた。

長水山城址は二度目の登城で、前回は五十波からの林道を行けるところまで車で行って、そこから登るショートカットコースだった。今回は城址から南に伸びる尾根筋先端に位置する生谷より取り付き本来の大手口になる伊水小学校へと下るコースをたどった。
長水山は宍粟50名山に選ばれたこともあってか登山道が整備され、生谷の登山口は「伊沢の里」として公園化されていた。公園からはラジオ体操の音楽が響き、見れば老人会のみなさんであろうか、ゲートボール前の柔軟体操をされていた。

生谷からのコースは広い林道が中腹まで延びているが、途中の新池より尾根筋の道に分け入った。
尾根先の下三津-四等三角点からは山崎の街並み、篠の丸城址が一望できる、尾根道は明確で、三津への分岐など、ところどころに標識もあり迷うことはない。やがて、植林地帯に入ると林道の終点があらわれ、中ほど412mピークの五十波-四等三角点に到着。下三津の三角点のところでも感じたが、いずれも出曲輪を思わせる地形だ。五十波の三角点が尾根道のほぼ中間点あたりになる。ほふどなく尾根道は展望台を過ぎ、下町への分岐あたりからのどかな雑木林となり、前方に水剣山、右手の山麓に五十波が見えるエッジのような尾根へと続いていく。

長水山城から山崎を見る
尾根先端の三角点より山崎の街並みを見る

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