2025年04月18日

地平さんと播磨大山城跡を再訪。

2015年の4月、ちょうど10年前に登った播磨大山城跡。
大山城跡は播磨と但馬の境目に位置して、赤松氏の但馬山名氏に対する最前線の山城だ。築城者は南北朝のはじめ、山名氏の南進に備えた赤松直頼と伝えられるが、その後、直頼の子孫が城主を受け継いで在地領主化したということもない。つまるところ臨時的なもので、事があれば、その度に改修された山城と理解されよう。

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南より城址を見上げる
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さて、かつて一緒に登ったKGさんより、その大山城跡が地元の力で整備され、新たに登山道も開かれているとの情報が届いた。「それは登らないと!」と返事を返し、今日を実施日に設定、10年前と同じメンバーで再登山した。

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2024年05月04日

播磨、深山経由で高峰山城へ

今日も好天。

先日来、予定していた播磨高峰山城跡登山に出張った。

メンバーは相方と久しぶりにご一緒するKGさんの三人。

高峰山城跡登山は、10年前、登って以来の再訪。

初回は北播磨城研会長Fさんの案内で西方福崎の日光寺より

会長の熱い解説を聞きながら薮々道を登って行った。

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高峰山城跡は、浦上村宗が守護赤松義村を謀殺したのちに

出来した「播磨擾乱」で、赤松浪人衆が浦上村宗と対峙した城跡。

赤松浪人衆を加西郡の有力国衆在田氏が支援、

対する浦上勢の先方は宇喜多能家だったと伝わる。

次号のサーラで在田氏を取り上げたことから、もう一度、

登ってみたいと思ったのだった。F会長と登った時、

高峰山合戦の解説を聞いていたが理解が及んでいなかった。


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2024年04月25日

加東市で運動不足解消を目的に山城攻め

定年退職をしてのち、家でボーッと過ごすことが多い。

ゴロンと横になって、テレビの録画、YouTube閲覧など

頭も身体も弛緩状態の日が続いている。

「これでは、いかん!」

運動不足を解消し、脳に喝をいれようと加東市へ外出。


目的地に選んだのは、天神山城と掎鹿寺、念仏城。

天神山城と念仏城は城史など不明、三木城主別所氏に

従った土豪が築いた三木城の出城であろう山城だ。


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2024年02月24日

先日に続き、在田氏からみで多可町に遠征

先日、在田氏が本城とした野間城と光竜寺城に登った。
外を見ると薄曇り、急に思い立って貝野城跡攻めに出かけた。
貝野城へは谷川から岩尾城を見ながら丹波と播磨の
国境になる小野尻峠を通過すれば約四十分の行程だ。

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十三年前に登って以来のことになる貝野城、当時は
ちょうど手入れをされたばかりで、見事な佇まいであった。

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13年前の状態

昨年、城友から貝野城は藪藪との情報をいただいたこと
サーラの次号に在田氏を取り上げようと思ったことでもあり
野間城に続いて貝野城にも登らねば!と目論んでいたのだ。

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荒田神社の参道
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荒田神社の拝殿

かねて、二度目の登山は西方の荒田神社からと
思っていたこともあって今日は荒田神社よりアプローチした。
一説には、荒田神社側が大手口であったともいわれ
城道が残っているのでは?と期待していたのだが、
結果として山上の城址へと続く道はなく、登山は断念した。

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2024年02月12日

在田氏の取材で多可町に遠征

次号のSalaに取り上げようと思っている在田氏。
拙HPの武家家伝に取り上げて久しく、アップしたころの
記憶も淡いものになっている。改めて在田氏の歴史を感じようと、
多可町に残る野間山城跡と光竜寺城跡に登った。
両城とも十年以上前に登って以来のことになる。

まず野間山城。
前に登った時は、大手道であろう極楽寺からのルートを選んだ。
今日は東の野間川口からのルートを登って行った。
超ひっさしぶりの山城攻め。のっけから急斜面に続く擬木の階段は
めちゃくちゃキツカッタ!途中で音を上げそうになった。

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2023年10月16日

東条で依藤氏の城砦群をウォーキング。

今週末、長男が帰省するとの連絡があり、
チョッと早いが「猪鍋」で持て成そうということになった。
ということで、歴友でもある西脇の「猪屋」さんに
猪肉を購入しようと超久しぶりに出かけて行った。
ずっと手元にあった渡すものも渡し、雑談に時間を過ごした。
今日も過分な心遣いをいただき、有り難いことだった。

さて、猪屋さんで肉をゲットしたあとは、東条市域に南下
国衆・依藤氏にゆかりの城砦群を訪ね歩いた。
まず、遺構がほぼそっくり残っている屋口城跡。
以前に来たときに比べると手が入っているように感じたのは
大河ドラマ「軍師官兵衛」の影響であろうと思われた。
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2023年10月05日

播磨国旧明石郡の戦国城砦をめぐる

今日は、八月末に踏破しようとトライしたものの、参考にした
ネットの地図情報が間違っていて失敗した前畑城跡攻めに出陣。
(実は二日の月曜日に行こうと思ったのだが、諸般の事情で見送った)
前畑城は播磨国旧明石郡に割拠した国衆明石氏の居城跡といい
伊川谷の太山寺北方にあることから伊川城とも呼ばれる。
国衆明石氏の歴史を調べるうえで踏破しておきたい山城だ。
相方の運転で篠山から目指す城址登り口まで、約一時間半。

今回のリトライは地図を確認し、概略図を持っての城攻め。
最初は端谷城側から「太陽と緑の道」を歩こうかと思ったが
ほとんど山歩き、一番近い「法光の泉」登り口から踏み込んだ。

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城址へ踏み出す
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藪が前途を阻む
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城址へ至る太陽と緑の道

藪漕ぎ、斜面の急登を強いられたが、「太陽と緑の道」に合流できた。
とはいえ、蜘蛛の巣だらけ、しかも道が薮に消えたり、小雨が降ったり
なんじゃこりゃ!という状態だったが、なんとか城跡までたどり着けた。

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2022年11月27日

播磨山崎に遠征、長水城に登る

かねて予定していたタケネットさんガイドによる
長水城跡登山と最上山紅葉狩に遠征した。

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朝7時40分に丹波を出発、いつもの372号で
滝野社インターから中国道に乗り山崎まで
約1時間とチョッと、集合場所の市役所に
定刻5分前に到着した。市役所の目の前には篠の丸城跡
北方に長水山城跡に続く山並みが見えている

タケネットさんとは一年ぶり、山城登山を
一緒するのは何年ぶりだろう? まずは久闊を叙した後
タケネットさんの提案で林道を登り車を一台デポ、
その後、長水山城の登り口になる伊水小学校へと移動した。

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下山予定地 0936

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2022年07月17日

東播磨の国衆、渡瀬氏、淡河氏の城を訪ねた

ここ数日、梅雨の戻りと思しく天気が悪しい。
昨日から相方が実家に帰っていない。
今朝の天気予報では午前中は「晴れ」とのこと、
それならと播磨の国衆、渡瀬氏と淡河氏の城跡を巡った。

渡瀬氏の渡瀬城跡がある三木市吉川町渡瀬まで
丹波から約三十分ほどの距離、意外と近かった。
城跡に着いたところで天気は予報通りに快晴となった。

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2022年07月11日

残念連発! 明石・神戸西方面で史跡めぐり

かねてより、相方に明石の卵焼き(いわゆるたこ焼)を
食いに明石に行こうと言いながら、コロナ騒動もあって
ズーっと「やめとこ」といなされ続けていたのだった。

やっと今日、明石方面に出かけることになった。
せっかく行くことでもあり、明石城のお城カードゲット、
播磨東部の国衆・明石氏と衣笠氏の居城跡、神戸唯一の
国宝が現存する太山寺などなども予定に入れた。

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丹波から明石までは車でも電車でも約一時間半、意外と遠い。
まずは明石氏が築き城下町を形成したという枝吉城から。

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2021年08月29日

酷暑のなか、 勢いで佐用高倉山城に遠征

今日、いつものメンバーで利神城跡に登る予定だったが
新型コロナウイルスの影響で中止の已む無きとなった。

とはいえ、久しぶりの山城攻めであっただけに
気持ちが山城行きを欲しており、その勢いで
気の進まぬ風の相方を誘って佐用に出張った。

本来の予定は、利神城→平福の町→佐用の山城攻め
というものであったが、高倉山城と目高の築地を
ターゲットにして、午前八時過ぎ丹波篠山を出発した。

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2019年04月27日

たつの古城から城山まで縦走

今日はかねてよりの念願だった、たつの古城から
的場山経由で城山城までを縦走せんと、たつの市に遠征した。

城山城東麓の船渡交差点角のローソンに9時待合せ
1時間と少しで行けると踏んでいたが、10連休の初日!
いつもガラガラの国道も、中国道も、ローソンへの道も
交通量の多いこと、集合時間ギリギリにローソンに到着。

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今日のトレッキングルートとなる山並み

今日の参加者は、いつものTさん、Sさん、タケさん、
そして相方と自分を含めた気心の知れた小グループである.

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2018年12月24日

弥高山城跡登山で姫路に

今日は快晴。
かねて気になっていた弥高山城跡登山で姫路に出掛けていった。
同行者は家内、宍粟城研のタケネットさん、城友のTAKASHIMAさんの三人。

弥高山城跡は広峯神社から北方の香寺町須加院へと通じる尾根道に
位置している山城跡で寺院を転用したものといわれている。

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2017年12月16日

置塩城、置塩古城、ダブル登山

今日は、神河町の歴友KGさんと相方の三人で置塩城跡に登山。
今年の六月、同じメンバーで置塩古城(城の段)に登ったとき、置塩城への縦走を目論んだが、季節的に無理と判断、次の機会に譲ったのだった。いわゆる、今日がその次の機会ということで粟賀で集合、弁当を購入して置塩城登山口へと車を飛ばした。

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2017年06月03日

置塩古城(城の段)に登る

今日の天気は概ね晴。昨年来、神河町の友人と計画していた置塩古城(439.7pt 谷山三角点 香寺町側では「城の段(しろんだ)」と呼ばれているらしい)登山を決行。ルートは、年初に下見がてら訪れていた香寺町相坂の秘境ともいえる谷山集落よりチャレンジ。改めて地元の方に状況を聞くと山道はないとのこと。とはいえ、城の段のある山ははるかに見えている。まずはあそこを目指そうと山道を登りはじめた。

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置塩古城(城の段)が位置する山を見る、遠い〜

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道なき斜面を尾根へ

山道はやがて消失、GPSマップを見ながら城の段から伸びる尾根筋に取り付き、そこから一気に城址のある山上を目指した。途中、崩れやすい、かつ滑りやすい岩場を踏み越え、城の段こと置塩古城の南曲輪に攻め込んだ。

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城址は倒木、杉の枝などが散乱しているが、土塁、切岸、井戸跡であろう水場など見どころは少なくない。段状に連なる曲輪を踏み越え、登りついた山上部は数段の曲輪に区画され、東端部は土塁が取り巻き、その先の尾根は岩場をガッツリ掘り割った堀切で防御されている。

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戦国末期、恒屋城主の恒屋氏が置塩赤松氏を夜襲したが失敗討死したというが、恒屋氏を迎撃したのはこの城の段だったのではなかろうか。

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一部bに石積跡

城の段こと置塩古城は全体的に大味で古さを感じさせるところで、伝にもあるが山岳寺院を山城に転用、あるいは併存していたのかも知れない。ともあれ、いかにもダニの巣窟を思わせるところである。ネットの情報によれば、東尾根先より置塩城が見えるとのことだったが、生い茂る木々に遮られて眺望はほとんどなかった。
 
谷山集落から城の段まで約1時間40分の山登りであったことを思えば、置塩城からのルートが大手道と思われ、谷山側は搦め手であったのだろうか?。実際、城の段に登ってみて置塩城からも乗ってきてみたいものと思った。この秋ごろに実現したいと思うが、どうだろう。

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下山したのち、近くにある天台宗の古刹・八葉寺に立ち寄ることに。車幅いっぱいいっぱいの相坂トンネルを抜け、山道を登る、寂び寂びとした境内に到着。境内はシダ植物の宝庫ということて、植物に造形の深い友人にあれこれ教示をいただいた。いつも思うことだが、植物や樹木、野鳥などに詳しい人がうらやましい。

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2017年04月16日

木内さんらと感状山城に登る

先月、上月城登山にご一緒した木内さんからのお誘いを受けて、感状山城登山会に混ざってきた。集合場所の相生羅漢の郷に到着すると山名会のKさんら見知った顔が数人、なんといおうか山城好きの世界の狭さを感じたことだった。

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登山に先立って木内さんのミニ山城講座を拝聴、木内さ んのトークはみう名人の域に入っていると言っても過言ではないおもしろさ。もっとも、木内説に異論を挟む山城ファンも少なくないが、長年、自分の足と目で見た探ってこられた山城を独自のスタイルで描かれてきた木内さんの山城談は説得力があった。

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虎口の石段
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虎口横の井戸跡

さて、数回目となる感状山城跡攻め、前城の虎口から城域に入り、木内さんの解説を聞きながら曲輪を巡り、主郭のある後の城へと攻め登った。前の城は広い曲輪が特徴的なのに対して、後の城は石垣が見ものである。
感状山城はその規模の大きさと近世城郭を彷彿させる縄張りを有した山城だが、その歴史はといえば不明な点が多い。また、主郭に残る礎石群から屋形建築が存在していたこと、腰曲輪に残る石垣で組まれた埋み門遺構など、大名クラスの持ち城であったと思われる。伝承では赤松氏が南北朝時代に築いたといい、その通りであろうが、今に残る遺構は備前の戦国大名宇喜多氏が播磨矢野庄を押える拠点城郭として改修したものと思いたい。

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曲輪切岸
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矢野庄を眺望
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主郭部への石積
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見事な石積−埋門

主郭で昼ごはんをとったのち、木内さんの感状山城の発掘に係る解説を拝聴、主郭西方に構えられた土造りの帯曲輪群を下り、石積みを残す井戸曲輪を経て前の城曲輪群にユーターン。

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本丸で解説を聴く
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主郭部の礎石

そこから南尾根を下ったが、出曲輪であったともいう岩山部が宗教的機能を有していた(葬送の場であったかも)という解説は、チョッと受け入れ難かった。

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土の城部分の切岸
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井戸曲輪に残る石組

ともあれ、感状山城の前と後の二つの曲輪群は、前の城は兵糧や武具などの兵站区、後の城は主殿を中心とした居住区として機能し、番城として部将が守っていたのだろう。その歴史は分かりずらいものだが、城址遺構は並ではない歴史を語り続けるに違いない。

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0416_IMG_0081.jpg 空風輪がチョッと変

下山したのち羅漢の郷を散策、なかなか見ごたえのある石仏、五輪塔などが散在、それなりに楽しめた。このあと、二つめの山城・下土井城跡に登る予定だったが、相方が足の不調を訴えたこともあって、今日は感状山城だけで木内さんらと分けれて帰丹した。
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2017年04月01日

訳あり企画に乗っかって中道子山城に登る

中道子山城登山会に混ざって、登ってきました。素晴らしい城跡、それを史跡にも指定せず、災害用電波塔などといい加減なことを言って工事を強行するツクヅク阿呆な自治体やな??と思ったことです。ホントッ、もったいない !

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かつて、相方と次女と登ったときと、基本的に景色は変わっていない。と思って登っていくと、城址にたどり着いた途端、工事用の資材を運び上げる軌道が我が物顔に城址を横切っている。しかも切岸を踏み越え、曲輪を横断しているではないか。山城ファンとしてはチョッと受け入れがたい光景ではある。

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切岸、土塁などは破壊を逃れている。

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城址を進んでいくと、主郭の後方に建設されるらしい商業用(市は公共用と説明しているそうだが)電波塔の基礎部分がシッカリと造営されている。聞けば、仮に建設がノーとなったとしても、決められた契約期間、電波塔施設は城址に存在し続けるらしい。国指定史跡も視野に入った遺跡でありながら、この体たらく、言いたくないが加古川市の行政は文化度が低すぎると言われても返す言葉はないだろう。

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尤も、工事は電波塔建設はされるものの城址遺構に留意、遠慮をしながら進められているという。完成した暁には景観が相当そこなわれるだろう。しかし、主要な部分が残るのであれば、それはそれで救われたともいえそうだ。

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曲輪切岸もシッカリ残っている

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堀切もガッツリ残っている

アレヤコレヤ思いつつ、電波塔の建設が進む主郭部から離れれば、いまだ、当時の遺構がシッカリ残っている。残念なことになりつつある中道子山城だが、おおむね、中世山城としての存在は守られたといえそうだ。

山城は電波設備を置くには最高の場所、ではありますが、列島改造論が日本をメチャメチャにしたことをを経験した今の時代に、このようなことをやる。しかも、いい加減なことを言って市民をダマし企業にすり寄る行政、納税者をナメるな、見るべき方向を誤るな!と言ってもお役人さん方は市民の声を盥廻しするだけで知らんぷりなんでしょうね (*´-`) 。
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2016年04月24日

北播磨城郭研究会30周年記念講演会

北播磨城郭研究会30周年記念講演会、

相変わらぬ藤原会長の熱い山城話を聴く。

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会長の前座で、家紋の話をさせていただいた


昼からは三草山城に登山、黄砂で遠くが霞んでいたものの天気も好く、いい山&城歩きができた。

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畑口から登る、緑が爽やかだ

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会長の熱い城説

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切岸に残る土留の石積

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曲輪切岸と虎口状地形

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頂上から清水寺を遠望

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三草山頂上の主郭、正月に登った時にはなかった施設が無粋に鎮座していた


・翌日の朝刊にイベント記事

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2015年04月04日

念願の播磨大山城を攻略

今日はかねてより予定していた通り
神河町在住のKさんと神河町内に残る山城、
長谷城跡と大山城跡を攻略。

週間予報であ「雨時々曇り」とあった天気もまずまず!
丹波篠山から播磨神河町で約一時間の道をひた走った。

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2014年12月27日

播磨神河町の山城に登る

篠山に引っ越して以来、なにかとお世話になっている綾部のKS氏
その弟さんで神河町在住のKTさんよりある日突然にメールをいただき、
かねてから登りたいと思っていた神河町内に残る山城、
柏尾山城と高峰城攻めにご一緒した。

まず、神河町粟賀の高峰城跡。
先日登った高峰山城と名前が似ていることから粟賀高峰城と呼ばれ
伝承によれば赤松氏一族の伊豆氏(孫四郎祐国)の持ち城であったという。
高峰山城も伊豆氏(孫次郎則定)が城主と伝わっていて
赤松一族の系譜に関してはなんとも難儀するというしかない。


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