2017年10月09日

綾部、甲ヶ峰城跡&山家陣屋跡を歩く

三連休も三日目。

今日は、来月のはじめに予定されている綾部の山城見学会の案内役下見で山家に遠征。

目的の山城は和久氏が拠ったという甲ヶ峰城跡、七年前に登って以来の再訪。もっとも、山家地域には色んなご縁があり何度も訪問、登山口にあたる山家陣屋へは折々に訪ねている。山家陣屋は、江戸時代を通じて山家一万石を領した谷氏の政治の中心であり、現在は谷氏を祀る谷霊神社が鎮座している。陣屋跡の隅に車を停め、山麓の式内社・伊也神社の石段がそのまま甲ヶ峰城跡へと続いて行く。

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明確な尾根筋の山道を登っていくと(途中、倒木を払いながら)、城址西方を防御する八の字型に掘られた堀切に到達する。
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2016年12月03日

城友M氏と夜久野の山城攻め

夜久野の山城攻め、午前は直見城跡西山城跡秋葉城跡の三城を踏破。

昼からは、鳴岩城跡、千原城跡。今日は五城跡攻略で終わった。

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2016年08月20日

戦国同人M氏と綾部の山城をめぐる

戦国同人のM氏の発案で、炎天が予想されるなか綾部の山城攻めを強行。
M氏がリストアップされた攻城先は、小西城・小畑城・丸山城・大畠城・物部城・木坂城・八田城・沼ケ谷城・瀬尾谷城・姥ケ城の十城、すべてを制覇できるかどうか?
ともあれ、小西城を皮切りに城攻めを開始、小畑城・丸山城・大畠城・物部城・木坂城と転戦した。午前中の城攻めは夜明け前に降った雨で湿気がすごく、昼前からはガンガン照り付ける陽射しに難儀したが、なんとか、無事、ダニの攻撃や熱中症にやあれることもなく六城を攻略して今日の城攻めを終えた。


山城をマッピング 

小西城・主郭部西端の堀切

主郭部土塁と虎口

主郭切岸と南側腰曲輪

東腰曲輪と切岸

北尾根の出曲輪

小畑城南曲輪のお稲荷さん(後方、主郭切岸)

北尾根の堀切

堀切とさらに土塁

丸山城(単郭の館城)・竹藪の向こうに切岸が見えた

主郭北側の土塁

北尾根の大堀切

大畠城(二郭一城)・西側曲輪東端の土橋を伴った堀切

西側曲輪を東西に区画する堀切

東曲輪の切岸、灌木がすごい

東端の土橋付堀切

物部城・大竪堀

主郭の櫓台の木々が伐採されていた(放送施設を設置したようで、その他の部分は木々、竹の生い茂った状態のままだった)

主郭切岸と西の腰曲輪

西の腰曲輪北端の土塁(竹やぶがすごくて分かりにくい)

北西端に設けられた堀切状遺構

木坂城 道なき尾根を登ると出曲輪の切岸

主郭南西部切岸

折れをもった主郭虎口

主郭北端の横堀で囲繞された櫓台(とはいうものの何とも謎の遺構だ)

北曲輪から主郭切岸を見る

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2016年07月31日

ガイド役で三尾山城に登る

今日は予定通り、6人の方をガイドするかたちで三尾山城に登山。朝方に雨が降ったらしく湿気が高く、休み休み二時間(主郭まで)の登山は予想以上にばてました。夏(しかも酷暑)の山城攻めはキツかった〜 ( ̄▽ ̄)


二年前に撮影した三尾山城です

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2016年07月02日

綾部上林谷の山城を巡る

丹波は夏日。綾部上林谷の家紋ウオッチと山城攻めに行ってきた。

比丘尼城→弓削城→折山城・折山西城→梨子ケ岡城→沼ケ谷城をめぐりながら、道中にあるお寺、墓地を訪ね家紋を採取、汗だくで熱中症寸前状態になったが、山城と家紋を同時に楽めた実りの多い綾部行となった。



比丘尼城


比丘尼城を見る。山城というより館城

曲輪を区画する段構え

いくつかの古墳が櫓台・土塁に転用されている

主郭の土塁虎口

昨年来、気にかかっていた古和田家の古墓も城址に。墓に彫られた家紋は「松皮菱」



弓削城跡


綾部上林谷、二つ目の山城は弓削城跡。道なき斜面を汗みずくになって直登、素晴らしい遺構が待っていた。


城跡を遠望


堀切


堀切を曲輪から見下ろす


曲輪を区画する段構え


主郭部と東曲輪部を二分する堀切


東曲輪部中央の箱堀


東曲輪部東端の切岸と曲輪


箱濠を別角度から





折山城・折山西城


三つ目は折山城・折山西城。堀切跡を拡張したと思われる切通し道を挟んで二つの曲輪群で一城を構成する二郭一城構造。東曲輪群は竪堀、西曲輪群は曲輪を区画する堀切が特徴的。おそらく東曲輪群が主郭で、西曲輪群がのちに造成されたものに見えたがどうだろうか?
帰った途端に家族から汗臭いからシャワーを浴びろ!とドヤサレ、汗だらけの服を脱ぎ捨て体重を測ると2sちょいの体重減。夏の山城攻めはダイエット効果もバッチリです。


城址を遠望


東曲輪群・とっかかりの曲輪


山上曲輪群の切岸と横堀


明確に造成された曲輪が連なる


主郭の虎口


北斜面を防御する大竪堀


東尾根を遮断する堀切


東曲輪群と西曲輪群を区画する堀切(切通し道)


土橋を伴った堀切


稲荷社が祀られた西曲輪群の中核となる曲輪


祠後方の堀切


さらに西に連なる曲輪の堀切


堀切を西尾根曲輪より見る


祠のある土壇は櫓台跡であろうか?


二重堀切、チョッと分かりにくい


城址近くの村墓地、「株柏(古木柏)」紋を発見。名字は八木さん






梨子ケ岡城跡


綾部上林谷の山城、四つ目は梨子ケ岡城跡。仕入れた情報(山城賛歌のTAKUさん)によれば丹波には珍しい畝状竪堀群で防御した遺構であるとのこと。ややばて気味の身体を叱咤して登った山城は、山上の曲輪を囲繞するハリネズミのごとき畝状竪堀、城跡から伸びる尾根筋を遮断する二重堀切、三重堀切がしっかり造成されている。灌木が繁茂しているものの曲輪は削平も丁寧、切岸もしっかりしている。まことに小さな山城ではあったが、登った甲斐は十分なものであった。


登り口の玉泉寺、臨済宗の古刹だが無住


竪堀から続く堀切


曲輪に至る虎口状地形


切岸も削平もキッチリ造成されている


西尾根の二重堀切


南尾根の大堀切


堀切は斜面を三重に防御する


畝状竪堀群





沼ケ谷城跡


綾部上林谷の山城、五つ目は沼ケ谷城跡。伝承によれば渡辺隠岐守が築いたといい、山城というよりは居館であったろうというものだ。背後を大土塁(一部に櫓台状地形)と尾根筋を遮断した大堀切で防御した主郭を主体に、街道筋に伸びる斜面に削平地(後世の畑地か?)が連なり、すべてを城址とすればなかなの規模である。しかし、城址一帯は竹藪と化し、足元はぐずぐず、こりゃ〜ダニの巣窟だなと思わせるデンジャラスな状態であった。削平地の一角に古い墓地があり、お邪魔すると渡辺家の墓所であった。そういえば、登り口近くにも渡辺家が、おそらく城主にゆかりの渡辺さんと思われたが・・・。


遅まきながらですが、上林界隈を探索して帰って二日ほどたったころ、痒くなってきてダニに噛まれていることが発覚。うまく取れず病院にいってきました。夏の山城歩きはダニ攻撃、必至です (_;)


竹藪と化した削平地(畑跡かも・・・)


虎口を登った左手、これは曲輪だろう


主郭部後方を防御する大土塁


大土塁から堀切を見下ろす


堀切、でかい!


改めて堀切


曲輪の一角に残る古墓地

家紋を見ると「渡辺星」


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2016年06月26日

丹波園部の小さな山城に登る

午前中ディスカバーガイドで篠山城から武家屋敷を歩いたのち、昨日、生憎の雨で断念した園部大村田中城とメディアを忘れてうまく撮影できなかった天神山城を探索。
まず、天神山城。丘陵上にある遺構は主郭と腰曲輪、北斜面の曲輪に天神さんの祠を祀り、その先の尾根に小曲輪を二段。西尾根側は浅い堀切(武者隠しらしい)で防御している。主郭北西山腹に二の曲輪と呼ばれる居館跡であろう平地があり、その山側に城主後裔という足立家の墓地、その傍らに水場跡と思しき小さな水たまりが残されていた。
つぎの大村城は園部城の南西に位置する小山上にあり、東側山麓の青松寺に城主後裔という田中一族の墓所が祀られている。城址へは墓所から取りつき、道なき斜面を登り雑木をかき分けていくと尾根を遮断する堀切にたどり着く。明瞭な土橋を渡ると土塁と横堀(武者隠しとか)で防御した主郭、そこから北方尾根に二の曲輪、三の曲輪を連ねた単純な構造だが、城そのものは削平、切岸などの普請はしっかりと造成されている。また、要所に竪堀?と思われる遺構が見て取れた。城址を下山したあと城山を撮影しようと北側に移動したところで、立派な門構えの住宅を発見。「ヒョッとして!」と思って近づいてみると、はたして田中家であった。人の気配がなかったためお話を聞くことはできなかったが、屋根の妻や瓦、土蔵の白壁などに「五本骨扇に上向き三日月」紋が確認できた。
さて、つぎは・・・?と思案したところで、またもや無情の雨。先週来、連チャン続きの園部をあとにした。なんというか、園部に勢力を張った中世土豪の歴史の一端がなんとなく見えてきた気がしてきたりして、まずまずの収穫であった。

天神山城跡のある丘

北尾根の小曲輪

城山天神さんの祠

主郭部切岸と腰曲輪

主郭虎口

横堀を主郭から

水場跡の小池


大村田中城のある小山

雑木の向こうに城址が見えた

堀切

明瞭な土橋

主郭堀切側の土塁

主郭東部を防御する横堀

主郭切岸と二の曲輪

二の曲輪切岸。登り土塁と三の曲輪

城址切岸を西斜面より見る

北斜面の竪堀状地形

二の曲輪から主郭への登り土塁

北山麓で見つけた田中家の家紋

土蔵の壁、屋根瓦にも家紋

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2016年05月15日

蜷川氏にゆかりの山城をめぐる

南丹市園部に館跡と詰めの城跡とがセットで残る大戸片山城、中世において桐野河内と呼ばれていた一帯を治めていた蜷川氏の被官・片山氏が拠った城という。蜷川氏といえば「一休さん」に登場する新右衛門さん、その居城は蟠根寺城で大戸片山城の北方に遺構が残っている。天気も好いこととて京都丹波の家紋探索に出かけたついでに大戸片山城と、蟠根寺城跡登り口にあたる山麓の谷筋に残る蟠根寺跡を訪ねてきた。
大戸片山城も蟠根寺跡も荒れ放題の状態、とくに蟠根寺跡は倒れた竹木と湧水でグチャグチャではあったが、段状の削平地がよく残っていて石垣や石列も確認できた。往時、新右衛門さんもこの寺に参拝したであろうことを思えば、もう少し手入れをしてもよいのでは?
一方の大戸片山城、山麓の館跡は荒れているが削平、切岸など明確である。また、切岸を石垣で固め、石積の井戸跡が残っているなど、江戸時代のはじめごろまで使用されていたように見えた。館跡へ詰めの城から落ちてきた竪堀に沿って登っていくとアッサリと山上曲輪にたどり着く。城跡は南と北の曲輪群で構成され、中央部を堀切で区画し、南に伸びる尾根も堀切で遮断している。小ぶりな城だが、堀切側を土塁で防御し、曲輪の削平も悪くない。整備の手は入っていないが、見通しもよくまずまずの残存状態であった。
蛇足ながら、家紋探索の方は思っていた成果はあったのだが、家紋の図柄そのものは「田舎ぶり」というのだろうオーソドックスなものが多かった。

蟠根寺城 を見る

蟠根寺跡に残る石垣

蟠根寺 本堂跡の石列


大戸片山城を東北方から見る

山麓館跡

館跡の切岸石垣と井戸跡

竪堀を登る

南の堀切

南曲輪の土塁

南曲輪切岸と帯曲輪

南曲輪と北曲輪を区画する中央堀切

北曲輪の土塁

段状に続く北曲輪切岸

ふたたび南堀切

竪堀を下る

大戸片山城址近くの寺に片山家の墓所があり「三つ柏」紋、城主の後裔か?

同じく寺の墓地で見つけた高屋家の「揚羽蝶」紋、こちらも蜷川氏被官の後裔か?

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2016年05月14日

綾部、木坂城跡に登る

先日、「綾部の七百石町にある木坂城跡という山城は、遺構と歴史が素晴らしい」という情報をいただき、早速、登ってきた。城跡は道なき山の頂にあり、中腹から山上までの斜面には曲輪跡を思わせる地形が連続していた。雑木を掻き分け、倒木を乗り越えてたどりついた山頂の主郭部は、雑木が生い茂るものの意外と広い。城跡は主郭であろう広い山頂曲輪を主体として、南側と北側に腰曲輪を配し、主郭部から北西と北東に伸びる尾根筋を堀切で遮断している。
ざっと見た印象ではオーソドックスな山城であり、取り立てて「お〜っ!」と驚くほどのものでもなかった。が、主郭北の櫓台を思わせる土壇とそれを囲繞する横堀、南側の腰曲輪から主郭の切岸を経て主郭に入る虎口、そして、主郭と北腰曲輪を結ぶ登り土塁は見どころであった。とはいえ、木坂城の素晴らしさをどこに求めていいのか頭を捻っているところで、この山城に関する歴史(文書があるとのこと)を聞かなければなるまい。
木坂城跡登山で拾いものだったのが、白波瀬家の墓所と出会い、そこに彫られていた「古木柏(株柏)」紋に出会ったことだった。ほんと、綾部は古木柏紋が多い。

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2016年01月11日

丹波美山、今宮城に登った。

今日は城友Mさんの誘いを受けて、
城郭談話会の皆さんに混ざって美山の今宮城に登ってきた。
美山といえば茅葺古民家集落で注目を集めているところだが
中世山城もいい感じの城址が残っているのだ。

今日のターゲット今宮城は、戦国時代において美山一帯を領した
国人領主川勝氏(下田氏)の北備えの支城として築かれた山城。
川勝氏は美山町の中心部である島に本城を構え
今宮城、中村城、殿城などを築いて戦国時代を生き抜いた。

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*城跡概略図は「京都府中世城館跡調査報告書」から転載しました。

十年前、島城に登って以来、
おりおりに美山を訪ねることがあり、今宮城は
いつかは登りたいと思っていた山城の一つだった。
今日、にわかに登城が実現、Mさんの車で美山に向った。

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posted by うさくま at 11:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2015年12月23日

京丹波は須知に残る上野北城に登った

先日、城友のMさんと経巡ってきた丹波山城のうち、
上野城の詰めの城にあたる上野南城に登ってきた
。今日の主目的は、紋友さんから情報を得た
大円寺墓地にあるという須知氏の家紋採取であった。

須知氏の墓で家紋をゲットしたのち、
墓地後方の尾根にある城址にアッサリと攻め込んだ。

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「京都府中世城館跡調査報告書」に掲載されている概略図

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2015年01月19日

亀岡の山城行。笑路城に登る。

今日は25日に行われる「市民センターまつり」の振替休日、
性懲りもなく、またまた亀岡に残る山城跡の踏査に出かけた。
メーンの目的地は中澤氏が拠ったとされる笑路城跡だが、
笑路城の前に支城という犬甘野城跡にも立ち寄った。

笑路城跡は別名松尾城ともよばれ、先週登った法貴山城の南方にあり
丹波と摂津を結ぶ摂丹街道が城址の西方を通っている。
また、城の北方を源満仲が京に上るときに利用したことで
満仲越がなまって万寿越とよばれる旧道が通り、
さらに、犬甘野から杉原を経て能勢に抜ける道も眼下に抑える
格好の位置を占めている。

戦国時代末期、信長の命で丹波平定を進めた明智光秀に対して
笑路城主中澤重綱は屈さず、光秀は笑路城攻めの軍を法貴坂に進めた。
ときに中澤氏の一族で法貴山城主の酒井氏が仲を取りなし、
重綱は光秀に帰伏した。そして、光秀が軍を返した法貴坂の大岩が
「明智の戻り岩」と呼ばれるようになった(異説あり)と伝えられている。


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2015年01月18日

亀岡の山城行。数掛山城に登る。

先週に続いて、亀岡の山城を攻めるオフ会の下見に。
今日のターゲットは数掛山城、
昨日、降った雪が気がかりだったが
亀岡は篠山ほどではなく、城攻めを強行した。

数掛山城へは北東山麓に鎮座する広峰神社から
山道が通じているが、今回は、南西の谷筋に残る
虎渓谷千軒跡から水場を経て城址に至るコースにチャレンジした。


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2015年01月11日

亀岡の山城行。法貴山城に登る。

昨日に続いて亀岡の山城攻めに出陣、
今日のターゲットは丹波と摂津の境目に位置する法貴山城跡。

法貴山城跡への明確な山道はなく、登山ルートをどこにするか?
前回は、明智の戻り岩から急斜面を直登したのだが
あまりにも危険過ぎるものであった。

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2015年01月10日

亀岡の山城行。滝ケ峰城跡から法貴へ。

今日から三連休
滝ケ峰城址の登山ルートの踏査に出かけた
五年ぶりの再訪で、
前回に登った桂林寺からのルートをトレースした。

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東方から滝ケ峰城址を遠望(右側の山上)

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2014年11月15日

丹波鬼ヶ城を再訪

福知山市の北方に位置する鬼ケ城の山頂にある戦国山城-鬼ケ城

先月、登山したとき雨にやられて無念の撤退を余儀なくされ

紅葉のころを期して、リトライを企てていた。


今日、綾部市で綾部史談会の歴史講座があるとの情報をいただき

舞鶴の山城の話ということでもあり参加させていただくことにした。

講座は午後からであり、午前中のうちに鬼ケ城登山にひと登りしたのだ。



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2014年10月20日

鬼ケ城登山

今日は神戸ミュージアムフェアに出動した振替休日。
残念ながら天気予報は「曇りのち雨」だったが
予定通りに福知山の鬼ヶ城跡へ遠征した。

鬼ケ城は福知山市の北方にそびえる標高544メートルの山で
大江山酒呑童子の仲間であった茨木童子が拠ったことで
鬼ケ城と名付けられたのだという。かれらが京に出かけるとき
氷上郡と多紀郡の境目にある鐘が坂を通ったといわれ
その伝説が「鬼の架け橋」として語り継がれている。

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福地山に入ると雨が・・・

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2014年04月14日

奥丹波―桐村城跡を踏破

福知山市北西部に位置する大呂谷、
中世、常陸から西遷してきた関東武士大中臣金山氏が支配したところ。
大呂には金山氏が建立した古刹天寧寺、金山氏が築いた山城跡が散在する。
禅宗寺院らしい稟とした空気が快い天寧寺、
金山氏の本城たる金山城跡、いずれもなかなかなかのものだ。

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2014年04月05日

綾部小西城跡・福知山高蓮寺城跡を攻める

来週末の南山城跡登山会の資料づくりのため、
綾部波々伯部氏の拠った山城―小西城に遠征。
小西城は先に物部城などを攻略したとき攻める予定だったが
時間切れで登り口を確認したにとどまったところだ。

綾部小西城_04

この前、見極めた登り口に車を停め
尾根筋に踏み入る、はじめは道があったが途中から道は消え
行く手を遮る雑木を掻き分けながらピークまで一気に登る。

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2014年03月02日

福知山遠征、山城 & 講座 を満喫する

今日は福知山市民会館で開催される
ガイドマップ「ガラシャ・光秀街道戦国物語」発刊記念フォーラム
「京都の城館とその魅力」を聴講に遠征。

福知山フォーラム

フォーラムは昼からでもあり、早めに出て
福知山方面の山城に登ることにした。ターゲットは中村城跡、報恩寺城跡、
そして、高蓮寺城跡の三つに狙いを定めたのだった。

一番目の中村城跡は、由良川と土師川の合流点北側に位置し
以前に登った猪埼城跡の北西方すぐの小山に遺構が残っている。
戦国時代、福知山一帯に勢力を有した国人領主塩見氏の居城といい
猪埼城の北方を固める支城的存在であったようだ。

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2014年02月23日

綾部、物部界隈の山城群を攻める

今日は、綾部から福知山の山城探索に出陣。
ターゲットとして
綾部の天王山城跡、浅根山城跡、上原城跡、小畑城跡、小西城跡、石原城跡、
福知山の報恩寺城跡、高蓮寺城跡を欲張りにピックアップ。

『京都府中世城館跡調査報告書』に収録された調査報告と
かねてよりお世話になっている『山城賛歌』さんの山城情報を手元資料として
いまだ雪の残る丹波路を綾部を目指して北上していったのだった。

綾部_物部地図

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