2018年10月12日

もう一本の「高城山合戦図」を拝見

十一月に予定されている波多野秀治ゆかりの地ウォーキング。
その目玉として、波多野秀治の菩提寺・誓願寺さんにある軸装の
秀治画像と高城山合戦図と歴史美術館蔵の軸装・秀治画像二本を
併せて四本を展示することになった。おそらく初めての試みとなる。

ということで、先月の某日、誓願寺さんにお邪魔して、
秀治画像と高城山合戦図を拝見、借用できることになった。
ところが、その後、
「高城山合戦図」はもう一本あることが判明した。

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2018年09月22日

曽地内藤家にお邪魔して眼福にあずかる

同僚のNさんの手をわずらわせて、おもゼミの下調べとお願い事で、曽地の内藤家にお邪魔した。
曽地内藤氏は『太平記』にも登場する丹波武士、内藤三郎左衛門入道道勝の後裔といい、かねてより心にかかっていた家だ。以前にも家紋の調査で周辺を歩き、内藤氏が拠ったという曽地城にも登った。今日、訪問した内藤家は本家にあたるといい、喜び勇んで御訪問したのだった。

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2018年09月12日

綾部から篠山、そして大阪へ

今日は丹波国何鹿郡は綾部市の歴史勉強会に参加。
篠山から会場になる山家城址史料館まで一時間ちょいの行程、
早く着いてしまったので、会場になる山家城跡をウォーキング。

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北の横堀・石垣から西の横堀と二段の石垣、
城址遺構の残存具合は悪くない。しかし、草は茫々、竹が茂り、
倒木が横たわり、天気が悪いこともあって湿気がすごい。

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2018年09月06日

大河をにらんだ戦国ウォーキングツアーの準備

再来年の大河ドラマが明智光秀を主人公とした
「麒麟が来る」に決まって久しい。篠山も大河ドラマを受けて
光秀と戦った八上城主 波多野秀治を核とするPR作戦を
ボチボチというか、遅速というか、何となく進めつつある。

その一環として篠山市役所からの委託を受けて企画、運営する
『ささやまの「日本遺産」を周知するツアー』のコースに
「波多野秀治ゆかりの地歩き」を実施することになった。

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2018年07月16日

黒井城界隈の墓めぐりに汗を流す

かんかん照りの暑さに身の危険を感じて黒井城跡を上り下りしたあと、
赤井氏の菩提寺であった千丈寺に再訪、室町時代のものという
伝赤井一族の宝篋印塔、一石五輪塔、石仏などを拝見した。
千丈寺は千丈寺山砦の西南麓にあり、参道傍らの廃屋、
無住から来る寂寥感などが相まってやや荒廃した空気を漂わせていた。

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平主神社より黒井城を見る
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長谷山千丈寺、赤井家の菩提寺という曹洞宗寺院
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赤井家墓所

聞けば、かつて墓所にあった姿のいい宝篋印塔二基は
赤井直正夫妻のものとして下屋形跡という興禅寺に移設されたという
もっとも、のちの調査で時代があわないことが判明したとのこと。
かつて一帯を支配した赤井氏ゆかりの寺院、石造物群でこれである
戦国時代がブームといっても実態はこのようなものなのかも知れない。

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2018年07月01日

旧船井郡は南八田で史跡巡り

朝、相方の要請を入れて畑作業の手伝い。
たった一畝とチョッとのところに綿をメーンに、トウモロコシ、トマト、キュウリ
などを植えている。黒マルチをかけ、イボ支柱を立てる作業だけだったが
その作業のしんどい事、農業の大変さを実感した。
作業を終えた後、すぐ近くのうどん屋さん“風輪里”で早めの昼ごはん
昨日の晩御飯もカレーだったが、カレーうどんを注文、おいしくいただいた。

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腹を満たした後は、南丹市南八田方面に移動
先日、知人から得た明智光秀と波多野秀治の戦跡めぐり。
多紀郡を出た船井郡で両軍の激戦があったとは!

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2018年05月03日

相生からたつので歴史探索

後期連休の初日、矢野庄地頭・海老名氏と下揖保庄地頭・島津氏の家紋と史料採取に西播磨に遠征。
まず、先日、電話で相生の海老名氏の資料についてあれこれ教示を乞うた相生図書館を目指した。いつものデカンショ街道から山陽道三木小野インターチェンジ、龍野西インターチェンジで降りて図書館のある相生中央公園まで二時間半。丹波篠山から播磨南西部の相生までの道のりは遠い。

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山陽道龍野西インターチェンジを下りる。標識は「たつの」ではない。

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2018年02月12日

大山に西尾武陵の史料を訪ねる

昨年、綾部の歴友KGさんより、丹波を代表する俳人・西尾武陵の後裔にあたる西尾家を訪問したいというリクエストがあった。年末、持病が再発したため要望に応えられないまま年明け、1月も過ぎ去ってしまった。
先日、西尾さんに電話をさせていただいたところ快諾をいただき、今日、KGさんと待ち合わせて訪問が実現した。


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2017年12月24日

淡路島、家紋講座の調査行

きょうの丹波は曇り。あと一か月を切った淡路島での家紋講座取材のため、淡路島に遠征。目的は、文化会館までの時間を量る、田村氏、舩越氏、安宅氏、賀集氏ら国人衆の家紋探索。

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相方と次女・孫のウーさんの四人で寒さが沁みる早朝、篠山を出発。淡路文化会館まで約一時間の行程、淡路島も近くなったものだ。
あらかじめ、インターネットで調べておいた国人の名字が残る、城址・寺・墓地を順番に訪ねていった。

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2017年12月17日

佐用郡平福バスツアーに参加

今日は、篠山で楽しく暮らし隊・Mさんのお誘いを受けて、佐用郡平福まで日帰りバスツアー。
ちょうど、利神城跡国指定を受けたシンポジウムも予定に入っていて、ありがたく参加させていただいた。

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2017年11月28日

綾部の歴史歩きに参加

今日は、綾部市のKさんからのお誘いを受けて年休を取得、古刹・施福寺の史跡探索に混ざって山歩き&寺跡探しに参加した。事前情報では城跡もあるとのこと、天気も快晴、弾む心で出かけたことだった。

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2017年11月03日

綾部市山家で山城 & 家紋 歩き

快晴の朝、綾部市山家に遠征。かねてより綾部在住のKG氏からのお誘いを受けていたイベント「和久氏の山城登山会」への参加だ。
山家一万石の藩主・谷家の陣屋跡にある山家歴史資料館の新しい看板設置セレモニーにかかるイベントとして、甲ケ峰城跡登山と陣屋跡見学会が催されたのだ。

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2017年09月27日

篠山に残る土豪館「土居の内」を訪問

多紀郡(現篠山市)の戦国時代、八上城主・波多野秀治に属し、八百里城で明智勢を迎え撃った畑一族が知られる。畑氏の存在は前から気にかかっていて、折々に畑家の歴史を調べ、ホームページなどで紹介してきた。いまも、篠山に畑姓は少なくなく、八百里城主の後裔という畑家も続いている。

今日、訪ねた畑家もその一家で、住まいは土塁と堀に囲まれ「土居ノ内」 あるいは「大渕館」と称されて中世の武家屋形の景色をよく残している。貴重な文化財として、県の文化財指定も受けている。

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お宅からは八上城跡が真っ正面に見える
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2017年09月20日

辻集落・池田家再訪

今月のはじめ、市役所の方と訪問して、伝来の甲冑・古文書などを拝見させていただいた池田家。先日、ガイド先輩Tさんから「池田家に行くけど、いかが」とお誘いを受け二つ返事で一緒させていただくことになった。
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2017年09月02日

丹波大山庄の故地を訪ね歩く

8月20日、おもしろゼミナールの下調べで、かつての大山庄・地頭職にあった中澤氏ゆかりの地を訪ねた。地元の歴史に詳しい小林氏に貴重な時間を割いていただき、あちらこちらを案内いただいた。
京都東寺の荘園であった大山庄は、荘園主である東寺と地頭中澤氏との間で相論が繰り返され、そのほとんどを中澤地頭が支配、東寺は一印谷とわずかの地を支配するばかりとなった。
ジックリ歩くと、中世と変わらぬという一印谷の風景、中澤地頭の館跡、城跡、さらに路傍の五輪塔・石仏など、長閑な中にも平穏ではなかった中世の歴史が実感されたのであった。

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・8月27日
先週に続いて、大山庄を訪ねる。眼目は一印谷に散在する中世の館跡と墓地紋の調査。館跡は谷の山麓に位置し、おそらく荘園政所、谷の有力農民(土豪)のものであろう。墓地はむかしながら株ごとに営まれ、霊園や新たに造成された村墓地にはない濃密な空気があふれていた。

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・9月2日
先日、もらしていた大山庄の墓地紋ウォッチに町の田から一印谷を歩く。
中澤・長澤さんが多いのは大山らしいが、一印谷は中澤地頭と争って最後まで東寺の荘園として残ったところ。中澤姓以外の名字が大勢を占めるのでは?という予想があったのだが、そういうことはなかった。名字から見る限りの乱暴な書き様だが、大山庄は中澤地頭が治めるところであったといえそうだ。

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2017年07月17日

栗栖野で丹波酒井氏の歴史を調べる

まだ篠山に出戻る前、酒井一族の山城・栗栖野城に登ろうと栗栖野集落を訪ねた。そのとき、市議・酒井さんという方と出会い、地元に関する歴史をうかがった。それから十年ばかり経った今年の春、突然、酒井さんがいまの職場に訪ねてこられ、ライフワークにされているという篠山城の石垣についての話をうかがった。

酒井さんが住まれている栗栖野は、篠山城石垣の切り出し場の一つで、いまも山中に当時の矢穴や刻印が残る残念石が残っている。酒井さんはそれらの石調査をされ自費をはたいて残念石を利用した公園も作られている方だ。せっかくの訪問を受けながら、酒井さんがもたれている課題にお役立ちできなかった。

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今回、改めて丹波酒井氏の歴史を調べるにあたって、頼みの綱としていたガイド先輩の酒井さんが怪我をされどうしたものか?と思っていたとき栗栖野の酒井さんを思いだした。あつかましく、酒井氏の歴史についてあれこれお話を伺いたいと申し込んだところ、了承をいただき今日の訪問となった。酒井さんの知人で丹波荒木氏の小説執筆を進められているというHさんも同席され、丹波酒井氏の歴史についておおいに語り合った。

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夕暮れも近くなったころ話をきりあげ、フィールドに出て行った。まず、栗栖野酒井氏にゆかりの若林寺を訪ね境内の墓地にお邪魔すると酒井家の墓石があり、丹波酒井家では初見の「剣花菱」紋が刻まれていた。ついで、酒井さんのお宅の隣に鎮座する大歳神社を訪ね、栗栖野の村墓地に案内してくださった。

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この墓地はこれまで見落とししていたところで、踏み込むと酒井家の墓石が並び立ち「三つ巴」と「剣カタバミ」紋との二つの流れに分かれていた。この栗栖野墓地踏査で、ほぼ丹波酒井家の家紋調査はは終えたといえそうだ。

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ところで、福住の籾井城山麓にある禅昌寺にあった旧山門が新築され、旧山門に刻まれていた桐紋が行方知れずとなっていた。おそらく焼却されたのであろうと思っていたが、なんと家紋の彫られた部材が酒井さんのお宅に保存されていたのだった。思いもかけず、何年ぶりかに出会った桐紋は当時のままであった。

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最後に酒井一統の氏寺とされる高仙寺に伝来しているであろう、『酒井四家連署寄進状』の実物を拝見したいのですが、とあつかましいお願いをした。骨を折ってみますとの回答をいただき、長時間の取材にお礼を述べ酒井さんたちとお別れした。寄進状の実物拝見が現実化すれば文字通りに欣喜雀躍と言うしかない。楽しみである。
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2017年07月16日

本郷でおもゼミ・国人編の下調べ

昨年、「篠山おもしろゼミナール」の講師依頼を受け「篠山の国人−東部編」を務めさせていただいた。ありがたいことに好評だったそうで、今年は「篠山の国人−西部編」を努めることになった。
篠山の戦国時代は八上城主波多野氏を盟主として国人衆が割拠する状況にあり、西部では関東御家人の系譜をひく中澤氏、酒井氏をはじめ、有力武家として細見氏、山名氏、久下氏らが知られる。そして、それら武家たちが拠った山城が残り、後裔である家々がいまも在所に続いている。

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篠山に住み暮らしてより、もともと好きだった戦国史と武家の歴史を家紋探索と併せて訪ね歩き、ホームページなどで発信してきた。それらの成果をベースとして西部編のたたき台を作成、改めて国人・土豪ゆかりの地を訪ね、後裔にあたる家に取材を重ねることにした。

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今日は、篠山の北西に位置する本郷一帯に勢力を張った細見氏の歴史探索に出かけた。まず、細見氏の菩提寺という松隣寺を訪ねたが、生憎、住職さんが不在でご母堂さんより地元の歴史に詳しい細見さんを教えていただいた。ちょうど在宅されていた細見さんにいろいろとお話をうかがい、さらに、細見氏の居館跡、かつての城域を示す地名、細見株の墓地などなどを案内していただいた。

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篠山の歴史をつづった「多紀郷土史考」に記述された細見氏の部分に「細見将監館跡」の石碑の写真が紹介され、できれば実見したいと思っていた。ところが、
細見さんの若かかりし昭和三十年代のはじめには確かに存在していたが、圃場整備によって行方不明になってしまったとのこと。三十年代は全国的に土地改革、宅地造成のラッシュ時代で多くの史跡、遺跡が調査や保護の手が入ることもなく無残に破壊された。ここもその例外ではなかったわけで、残念なことというしかない。もっとも、圃場整備された田圃のどこかに埋まっていることは確からしいが・・・。

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本郷にはかつて庄屋だったという細見家があり、そのお宅も教えてくださった。しかし、ちょうど昼時になっていたことでもあり次の機会に伺うことにして細見さんと別れた。思いがけず願ってもない方との出会いで、多くの収穫をえることができた。やはり、現地に足を運べば、運んだだけの収穫があるということだ。
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2017年07月03日

北海道の旅最終目・チャシを攻める

最終日。朝、せっかくなので札幌定山渓を散策。

定山渓は緑豊かな渓谷の湯で、支笏洞爺国立公園内に位置しているところ。そもそも慶応2年(1866年)修験僧・美泉定山がアイヌの人々の案内で泉源と出会った時に始まり、温泉の礎を築いた定山の功績から、「定山渓」と命名されたという。北海道の名づけ親とされる幕末の探検家・松浦武四郎も立ち寄ったといわれている。
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この旅の前半、道南に散らばる本土より蝦夷に渡ってきた渡り党と呼ばれた和人たちの館群を巡ってきた。が、北海道といえば先住民のアイヌが築いた城砦跡とも祭祀跡ともいうチャシを一つぐらい踏破したい。昨晩、ネットでチャシをチェックしたところ、開発で消失、雑木の繁茂などでこれはというところがない。そのようななかで、遺構が見られる数少ないチャシ・桜丘チャシを発見。札幌からはチョッと遠いところではあるが、この旅最後のドライブがてら訪問してきた。

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たずね当てた桜丘チャシは、堀切、切岸、腰曲輪など本州の山城を彷彿させるもので、それなりに見ごたえはあった。しかし、道南の館はともかく、本州の山城群と比べると、やは、り小さな城砦遺構というしかないものであった。でも、三泊4日の北海道の旅は十分に満足のいくものであった。孝行息子に感謝である。

かくして、北海道の旅はここまで。5日ぶりに関西に飛行帰り、思えば今日は64回目の誕生日。心に残るいい旅ができた。
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2017年07月01日

3日目・館、町、ドライブ、湖を堪能

三日目。昨晩の民宿、立地は海が目の前でまずまずだったが、寿司屋さんというネットのコピーから御飯もバッチリであろうと思っていた。ところが、いっちゃお終いだが、チョッと期待はずれだったな〜 (次は行かない、きっと)。

朝霧の中、昨日行きそびれた勝山館跡ガイダンス施設を訪ねたが未だ開館前。城跡北方に展開する中世墓群を見る、その多さに驚かされるとともに、勝山館一帯は城を中核とした中世都市といえる存在であったことを実感した。勝山館のシンボル医王山に登る、山頂には松前氏の祖・武田信広を祀る医王山神社が鎮座している。晴れていれば勝山館から海までが一望間違いないところだが、霧のため無念の下山となった。

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今日の最初の館は、和人が蝦夷に築いた最初の拠点という花沢館。コシャマインの乱当時の館主は蠣崎季繁で、客人として滞在していた武田信広とともにアイヌの攻撃から堅守した館である。宿の情報では草茫々とのことだったが、登山口も山道も明確、城址は下草が目立つものの遺構探索に困るようなことはない。先の勝山館と比べると小規模ではあるが、天ノ川を自然の濠として、曲輪の削平も丁寧、切岸も高く、後方尾根を遮断する堀切も深い。なかなか、見ごたえのある館であった。

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つづいて、天ノ川を隔てた北方に位置する洲崎館。コシャマインの乱に活躍した信広が、季繁の娘を娶り花沢館の出城として築いた館という。主郭に砂館神社が鎮座し、その後方に横堀が切られ、周囲を曲輪群がとりまき、なかなか規模の大きな館だ。全体的に雑木藪化が進み、遺構探索が躊躇われたが武田信広が蝦夷の覇者になっていく最初の拠点となっただけの館跡であった。

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上ノ国で北海道の城館巡りはひとまず一段落、あとは今日の宿泊地である苫小牧に向かいつつ観光地を経巡った。まずは江差のまち、ここも二度目の訪問になる。まず横山家住宅を訪ね、ついで旧中村家住宅、姥神大神宮、そして、横山家住宅で蕎麦に舌鼓を打つ。むかし来たときに比べて、まちがずい分手入れされているように見受けられたのは、北海道で初の「日本遺産」認定のまちになったことも大いに関係しているのだろう。

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江差をあとに、雲石国道を抜けて八雲インターチェンジから虻田洞爺湖インターチェンジまで道央自動車道を突っ走り洞爺湖見物。展望台近くに墓地を発見、早速家紋をウォッチしたのち洞爺湖の眺望を楽しむ。観光客を見ると中国人、韓国人が多い、なるほどインバウンドの大勢を占めるのは彼らなのだな〜と思わざるをえない。洞爺湖からは230号線→276号線を突っ走って支笏湖で一休み。その間、北海道の道路標識に「クマ注意」が登場、なるほど北の大地である。

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0701_IMG_3106.jpg クマ注意の道路標識

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夕方、ホテル近くの居酒屋で夕食がてら呑み。ふとFBを見ると、かつての同僚・杉本さんが亡くなったようなコメントを発見、これも旧同僚・重田に電話するも出ず、則ちゃんに電話したら昨日亡くなりはって家族葬で送られたとのことだった。享年68歳、膵臓癌だったらしい。呆気ない死に、なんともやりきれない。同年輩の知人が鬼籍に入る歳になったのだな〜と切ないことである。
夜、東京から移動してきた長男と合流、居酒屋で呑みを始めたところ大きな揺れ。ネットでチェックすると苫小牧周辺を震源とする地震だった。これは!と身構えたが続く揺れはなく、家族三人ワイワイと飲みかつ食い、酔っぱらってホテルに帰投したのであった。

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2017年06月30日

2日目・館、城三昧

二日目は、蝦夷管領とも蝦夷守護ともいわれた安東氏の一族・下国氏が拠った茂別館からスタート。茂辺地川を外堀にした小丘にあり、主郭部には矢不来天満宮が鎮座している。周囲は土塁が取り巻き、城粋の東部から北部は自然の切岸が要害性を高めている。コシャマインの乱では、館が相次いで落ちる中でよく落城をまぬかれた。

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素晴らしい好天の下、白神岬経由で松前町へと移動。最初の目的地は、武田信広の孫・義広が拠ったという松前大館。のちに松前城を築くまで、武田蠣崎氏の本拠として機能した。『図説中世城郭事典』の縄張り図によれば土塁・空堀などおおいに興味をそそられていた。が、実際に来てみると生い茂る雑木林、そばにあった郷土資料館で状況をうかがうと、熊も生息していることでもあり入山禁止とのことであった。山麓に鎮座する徳山大神宮の傍らにはゴローニンの幽閉された牢跡があるらしいが割愛した。

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徳山大神宮、左手の山が大館

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ということで、松前城に移動、松前城は二度目の訪問、以前にはなかった城門や城壁などが復元され面目を一新していた。復興天主は相変わらずだが、以前には見落としていた土塁や空堀など見所も多い。ぶらぶらと松前城北方の寺町に足を伸ばし、松前藩士のものと思われる墓石をウォッチ、松前藩主家の墓所も訪ねる。古い墓地は荒れ気味の感はあるが、下国家、蠣崎家の墓石などなど総じてよく残っているなと思われた。小林家の歴史を尋ねた資料館の学芸員の方が、うれしいことにみずから案内をしてくださり、思いがけず松前城下の墓石ウォッチを堪能できたことだった。

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重職松前家の家紋              重職下国家の家紋

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松前藩主家の墓所              重職蠣崎家の墓所

松前の次は今日の宿泊地である上ノ国に残る勝山館。公園として整備されていることは知っていたが、実際に訪ねてみるとまるで分譲地のように往時の武家屋敷の区画が連なり、説明板もアカデミックな内容である。城域は南北を谷川に囲まれた高地を占有し、海側に二重の堀切、北側も竪堀を伴った堀切で遮断している。勝山館で特徴的なのは、城域の北方斜面にアイヌの人々、松前氏やその一族らのものも含む中世募跡が広がっていることだ。言ってみればひとつの町がそのまま営まれていたところ、それが勝山館の印象であった。
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下山したころには夕暮れが迫っていたが、登山口の上国寺・境内墓地をウォッチ。これという珍しい家紋はなかったが、墓石に屋号を彫っているのが印象に残った。

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