昨日、一昨日と京の三十三観音めぐりで若干だが運動不足を解消した。
今日はこれも予てから目論んでいた大和郡山で秀長の史跡歩き。
JRで大和郡山まで移動して、JRの駅から大納言塚まで徒歩移動、
この二日間の京歩きの疲労がじわっと効いて、前途は多難であった。
目的地の大納言塚までは昔懐かしい柳商店街、近鉄郡山駅を過ぎ
坂道を登る。これがなかなかにキツカッタ〜!
大納言塚は大昔に大和小泉に住んでいたころに来て以来の再訪、
45年ぶり以来のことで、記憶は五輪塔があったくらいのことだ。
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昨日、一昨日と京の三十三観音めぐりで若干だが運動不足を解消した。
今日はこれも予てから目論んでいた大和郡山で秀長の史跡歩き。
JRで大和郡山まで移動して、JRの駅から大納言塚まで徒歩移動、
この二日間の京歩きの疲労がじわっと効いて、前途は多難であった。
目的地の大納言塚までは昔懐かしい柳商店街、近鉄郡山駅を過ぎ
坂道を登る。これがなかなかにキツカッタ〜!
大納言塚は大昔に大和小泉に住んでいたころに来て以来の再訪、
45年ぶり以来のことで、記憶は五輪塔があったくらいのことだ。
正月も九日目、初詣に出かけた以外は引き籠りが続いている。
今日の天気は好し、三木から小野方面に出かけてきた。
目的地は下冷泉家が領主だった三木市内にあった荘園・細川庄と
三木別所氏と東播磨の覇権を争った依藤氏の城砦群めぐり。
旧建部家一万石が治めた姫路市林田を訪ねた。
丹波からは小野社インターから中国道の夢前インター、
そこから地道で安富の安志まで、29号線に合流して姫路方面に南下
林田の目的地まで約一時間半、78kmのドライブだ。
林田大庄屋三木家は、2013年、播磨城研の見学会のあとに訪問して以来
実に12年ぶりの再訪。サーラのコラム「三木氏」取材が目的だった。
三木家は戦国時代の英賀に一勢力を有していたという国衆三木家の
流れを汲むと伝える家で、その家紋は「折敷に揺れ三文字」だ。
今日の人形展のことは、サーラ編集部のYSDさんからの情報で
『公開15周年特別企画 渡辺うめ農民人形展「あぜみちの詩(うた)」』
の鑑賞が主目的、YSDさんがいらっしゃれば挨拶もしたかった。
明後日、戦国山城講座の第一回「丹波篠山の戦国史」が開催される。
レジュメやパワポなどは既に作成して事務局に送っているが、
足利尊氏と丹波との関係がズーッと心に引っ掛かっている。
あれこれ調べてはいるが、現地へ行こう!と思い立った。
尊氏と丹波といえば、旗揚げをした篠村八幡宮、綾部の安国寺が思い浮かぶ。
とくに綾部の安国寺には尊氏出生伝説があり、尊氏と母、妻の墓所もある。
そして、尊氏の母上杉清子の実家「上杉」氏の名字発祥の地は
安国寺からすぐのところにある上杉町、中世には上杉庄があり、
上杉氏が館(政所か)を構えた弾正屋敷跡、山城跡も残っている。
相方を誘って、久しぶりに綾部方面へとドライブした。
家内の野暮用に同伴して上洛。
目的地は北野天満宮近くにある稲垣機科さん、依頼していた糸繰車が出来上がったそうで引き取りに出かけたのだ。デカンショ街道を東へ、京都市内は混むのでは?と思っていたが、意外とアッサリ目的地に到着できた。
稲垣さんは、京都西陣の古い道具屋さんらしい店構え、職人工房という佇まいだった。出来上がった糸車を車に積み、何気に店向かいを見ると千本釈迦堂だった。これは寄らずばなるまい!とお参りさせていただいた。釈迦堂は鎌倉時代の1220年に創建されたもので国宝、どっしりとした印象で、幾多の戦乱に焼かれることなく現代にまでその姿を伝えている。境内には将軍義満に不満を抱き「明徳の乱」を起こして討たれた山名氏清を祀る御堂もあり、思いがけず京の歴史にふれることができた。
京都の町、とんでもなく暑い。釈迦堂を早ばやとあとにして、帰路は、亀岡往復よりも涼しいであろう京北町経由で帰ることにした。千本釈迦堂からは金閣寺・龍安寺・仁和寺、高雄を経て周山街道を北上、走るほどに山が深くなり想定通りにいい感じのドライブとなった。金閣寺あたり外人さんが多かろう!と思っていたが、それほどでもなかったのは暑さのせいだろう、きっと。
先日、お世話になっている歴史研究会の会長よりメールをいただいた。
家紋Worldのコンテンツの一つである「武家家伝」のコンテンツの確認と、その中の「古市氏」に関しての問い合わせであった。
内容は、
「古市氏という大和の古市城や駒鼻城の城主だった一族について、《西坊家に伝わる系図》の掲載があり、その解説に「丹波赤井氏との関係なども記されている」とあるが、西坊家やその元である古市氏について、系図以外にも何か情報をお持ちでしょうか」
というものであった。それに対して、
「お問合せの古市氏にかかる西坊家についてですが、十年以上の昔、家紋のことでメールをやり取りするようになりましたが2017年を最後に音信不通となっております。西坊さんよりいただいた資料を保管していましたHDDが壊れてしまい、西坊さんからいただいた系図や家伝などの資料も消えてしまいました。出力したものがあると思うのですが・・・」
と返信した。会長からの問い合わせをきっかけに、古市氏のこと、西坊家のことなどを改めて調べてみると、あれこれと面白い歴史が出てきた。さらに、探すのに骨が折れるかと思っていた資料がすぐに発見され、調べたことと系図の記述を照会してみると、なかなか興味深い歴史も見えてきた。ともあれ、見つかった資料に調べたことをメモ書きにつけて、会長あて送らせていただいた。
歯医者からの帰路、おりからの好天に誘われ
中世に存在した宮田庄の故地(西紀町宮田)を訪ね、
山名氏、垣屋氏の名残りを探してみた。
南北朝時代の一時期丹波守護職に任
宮田庄内の板井に守護所を構えたと目される。
山名氏が築いたという板井城(宮田城か)跡も残っている。
『多紀郷土史考』などには波多野氏の三高家の一つに数えられた
山名小太郎(豊恒か)が宮田城の城主だったという。山名小太郎は
内場山城などの支城も構えて宮田庄一帯の領主だったようだ。
先日、Facebook仲間が青垣町にあるという浄丸神社に行った記事をアップした。
その写真を見ると、山中に神韻をまとった寂び寂びとした雰囲気の神社「え〜とこや!」と心に響いた。相方にこれこれという神社があるから行こう!と声をかけ、好天の今日、現地へ出かけて行った。
先日(4日の夕方)赤松氏の一族といわれる別所氏に掛かる調べ物をしていて、兵庫県博のサイトに紹介されている赤松氏系図にアクセスした。改めて系図を見てみると、赤松円心の諱が「範村」になっている。「則村」ではなかったか?「余計なことをする」とは思ったが、取り急ぎ、県博サイト内の問い合わせフォームに以下のようにメールをした。
先日、元同僚の藤井さんから情報をいただき
さらに文化顕彰会の例会で世話人の土佐さんも紹介された
南丹市立文化博物館で開催されている「文字権左衛門と丹波志」。
丹波の歴史研究に必須である『丹波志』を取り上げた展示会
「これは行かねば!」と、やっと今日、南丹文博に出張った。
丹波志は江戸時代に編纂された地誌だが、丹波全域を
網羅するものではなく、多紀・氷上・天田の三郡にとどまっている。
残る何鹿・船井・桑田の三郡はのちに編まれたというが
その編纂物は目にしていない(先の土佐さんからDVDをいただき
チョッと開いてみたが知りたい情報はなかったようだった)
昨年、ある歴史勉強会に参加したとき、丹波志の船井郡の一部を
目にした。会の方に聞くと京都の資料館に蔵されたものとのことだった。
毎年節分における我が家恒例の「一陽来復」のお札神事。
例年なら、もうとっくにお札をいただいているのだが
今年は妙にバタバタとして節分当日の車折神社参拝となった。
もう通い慣れた車折神社までのルート、
ところが神社への曲がり角を通り過ぎてしまい迷走した。
相方にナビが悪しい!と怒られたが、何度も来ているし
と言いたいところだが、そこはそれとして油断であった。
正月から来てはった義姉を川西に送る途次、多田神社に初詣。
多田神社は清和源氏の祖、多田満仲が自らの所領に開いた多田院が
その始まりで、源家四代を祀る、いわゆる源氏の聖地
すぐ近くの大型分譲団地は、その名も「清和台」である。
鎌倉幕府を開いた頼朝、室町幕府を開いた尊氏、
江戸幕府を開いた家康、さらに武田・佐竹など数多の武家の祖神
神文は「笹竜胆に三つ葉葵」異論はあるが「なるほど」な組み合わせ。
境内をぐるっと散策したのち、源氏の菩提寺万願寺へ
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