2026年01月20日

大納言塚を再訪、郡山城を歩く。

昨日、一昨日と京の三十三観音めぐりで若干だが運動不足を解消した。

今日はこれも予てから目論んでいた大和郡山で秀長の史跡歩き。

JRで大和郡山まで移動して、JRの駅から大納言塚まで徒歩移動、

この二日間の京歩きの疲労がじわっと効いて、前途は多難であった。


目的地の大納言塚までは昔懐かしい柳商店街、近鉄郡山駅を過ぎ

坂道を登る。これがなかなかにキツカッタ〜!

大納言塚は大昔に大和小泉に住んでいたころに来て以来の再訪、

45年ぶり以来のことで、記憶は五輪塔があったくらいのことだ。


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2026年01月09日

好天に誘われて、三木・小野方面に取材行。

正月も九日目、初詣に出かけた以外は引き籠りが続いている。

今日の天気は好し、三木から小野方面に出かけてきた。

目的地は下冷泉家が領主だった三木市内にあった荘園・細川庄と

三木別所氏と東播磨の覇権を争った依藤氏の城砦群めぐり。


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2025年10月07日

林田三木家住宅で開催中の人形展を見に遠征

旧建部家一万石が治めた姫路市林田を訪ねた。

丹波からは小野社インターから中国道の夢前インター、

そこから地道で安富の安志まで、29号線に合流して姫路方面に南下

林田の目的地まで約一時間半、78kmのドライブだ。


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林田大庄屋三木家は、2013年、播磨城研の見学会のあとに訪問して以来

実に12年ぶりの再訪。サーラのコラム「三木氏」取材が目的だった。

三木家は戦国時代の英賀に一勢力を有していたという国衆三木家の

流れを汲むと伝える家で、その家紋は「折敷に揺れ三文字」だ。


今日の人形展のことは、サーラ編集部のYSDさんからの情報で

『公開15周年特別企画 渡辺うめ農民人形展「あぜみちの詩(うた)」』

の鑑賞が主目的、YSDさんがいらっしゃれば挨拶もしたかった。


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2025年09月12日

綾部に遠征。安国寺〜上杉町をめぐる

明後日、戦国山城講座の第一回「丹波篠山の戦国史」が開催される。

レジュメやパワポなどは既に作成して事務局に送っているが、

足利尊氏と丹波との関係がズーッと心に引っ掛かっている。

あれこれ調べてはいるが、現地へ行こう!と思い立った。

尊氏と丹波といえば、旗揚げをした篠村八幡宮、綾部の安国寺が思い浮かぶ。


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とくに綾部の安国寺には尊氏出生伝説があり、尊氏と母、妻の墓所もある。

そして、尊氏の母上杉清子の実家「上杉」氏の名字発祥の地は

安国寺からすぐのところにある上杉町、中世には上杉庄があり、

上杉氏が館(政所か)を構えた弾正屋敷跡、山城跡も残っている。

相方を誘って、久しぶりに綾部方面へとドライブした。


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2025年08月25日

酷暑の中上洛、京北経由で帰る

家内の野暮用に同伴して上洛。

目的地は北野天満宮近くにある稲垣機科さん、依頼していた糸繰車が出来上がったそうで引き取りに出かけたのだ。デカンショ街道を東へ、京都市内は混むのでは?と思っていたが、意外とアッサリ目的地に到着できた。


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稲垣さんは、京都西陣の古い道具屋さんらしい店構え、職人工房という佇まいだった。出来上がった糸車を車に積み、何気に店向かいを見ると千本釈迦堂だった。これは寄らずばなるまい!とお参りさせていただいた。釈迦堂は鎌倉時代の1220年に創建されたもので国宝、どっしりとした印象で、幾多の戦乱に焼かれることなく現代にまでその姿を伝えている。境内には将軍義満に不満を抱き「明徳の乱」を起こして討たれた山名氏清を祀る御堂もあり、思いがけず京の歴史にふれることができた。


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京都の町、とんでもなく暑い。釈迦堂を早ばやとあとにして、帰路は、亀岡往復よりも涼しいであろう京北町経由で帰ることにした。千本釈迦堂からは金閣寺・龍安寺・仁和寺、高雄を経て周山街道を北上、走るほどに山が深くなり想定通りにいい感じのドライブとなった。金閣寺あたり外人さんが多かろう!と思っていたが、それほどでもなかったのは暑さのせいだろう、きっと。


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2025年07月17日

改めて、大和古市氏と西坊家を調べてみた

先日、お世話になっている歴史研究会の会長よりメールをいただいた。

家紋Worldのコンテンツの一つである「武家家伝」のコンテンツの確認と、その中の「古市氏」に関しての問い合わせであった。


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内容は、

「古市氏という大和の古市城や駒鼻城の城主だった一族について、《西坊家に伝わる系図》の掲載があり、その解説に「丹波赤井氏との関係なども記されている」とあるが、西坊家やその元である古市氏について、系図以外にも何か情報をお持ちでしょうか」

というものであった。それに対して、

お問合せの古市氏にかかる西坊家についてですが、十年以上の昔、家紋のことでメールをやり取りするようになりましたが2017年を最後に音信不通となっております。西坊さんよりいただいた資料を保管していましたHDDが壊れてしまい、西坊さんからいただいた系図や家伝などの資料も消えてしまいました。出力したものがあると思うのですが・・・」


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と返信した。会長からの問い合わせをきっかけに、古市氏のこと、西坊家のことなどを改めて調べてみると、あれこれと面白い歴史が出てきた。さらに、探すのに骨が折れるかと思っていた資料がすぐに発見され、調べたことと系図の記述を照会してみると、なかなか興味深い歴史も見えてきた。ともあれ、見つかった資料に調べたことをメモ書きにつけて、会長あて送らせていただいた。


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2025年05月13日

宮田に守護山名氏、被官垣屋氏の名残を探った

歯医者からの帰路、おりからの好天に誘われ

中世に存在した宮田庄の故地(西紀町宮田)を訪ね、

山名氏、垣屋氏の名残りを探してみた。


南北朝時代の一時期丹波守護職に任じた山名氏は

宮田庄内の板井に守護所を構えたと目される。板井には

山名氏が築いたという板井城(宮田城か)跡も残っている。


『多紀郷土史考』などには波多野氏の三高家の一つに数えられた

山名小太郎(豊恒か)が宮田城の城主だったという。山名小太郎は

内場山城などの支城も構えて宮田庄一帯の領主だったようだ。


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2025年05月02日

青垣で寺社めぐり & 若楓ウォッチ

先日、Facebook仲間が青垣町にあるという浄丸神社に行った記事をアップした。
その写真を見ると、山中に神韻をまとった寂び寂びとした雰囲気の神社「え〜とこや!」と心に響いた。相方にこれこれという神社があるから行こう!と声をかけ、好天の今日、現地へ出かけて行った。


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2025年04月19日

市川町川辺地区に内藤氏の歴史を訪ねる

昨日、大山城跡と大山南小城跡を攻略したあと、KGさんにお願いして市川町の西川辺地区に移動、西川辺に足跡を刻む内藤氏の歴史を訪ね歩いた。
残された記録などから、川辺の内藤氏は加西満久城主内藤氏の分かれといい、十五世紀末に内藤右馬三郎盛行が井船山城を築き川辺一帯を治めたらしい。赤松氏に属し、尼子氏の播磨侵攻に抵抗、落城したそうだ。以前より、川辺の内藤氏のことが気にかかっていて、やっと現地歩きができた。

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2025年04月09日

赤松円心は、則村ではないの?

先日(4日の夕方)赤松氏の一族といわれる別所氏に掛かる調べ物をしていて、兵庫県博のサイトに紹介されている赤松氏系図にアクセスした。改めて系図を見てみると、赤松円心の諱が「範村」になっている。「則村」ではなかったか?「余計なことをする」とは思ったが、取り急ぎ、県博サイト内の問い合わせフォームに以下のようにメールをした。


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お問い合わせ内容
失礼します。いつも閲覧させていただいております。
赤松氏系図 
https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/digital_museum/akamatsu/genealogy/
円心が範村になってます。

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2025年02月21日

南丹市文化博物展の企画展を観に行った

先日、元同僚の藤井さんから情報をいただき

さらに文化顕彰会の例会で世話人の土佐さんも紹介された

南丹市立文化博物館で開催されている「文字権左衛門と丹波志」。
丹波の歴史研究に必須である『丹波志』を取り上げた展示会

「これは行かねば!」と、やっと今日、南丹文博に出張った。


丹波志は江戸時代に編纂された地誌だが、丹波全域を

網羅するものではなく、多紀・氷上・天田の三郡にとどまっている。

残る何鹿・船井・桑田の三郡はのちに編まれたというが

その編纂物は目にしていない(先の土佐さんからDVDをいただき

チョッと開いてみたが知りたい情報はなかったようだった)

昨年、ある歴史勉強会に参加したとき、丹波志の船井郡の一部を

目にした。会の方に聞くと京都の資料館に蔵されたものとのことだった。


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2025年02月02日

一陽来復をいただきに京都に出張った

毎年節分における我が家恒例の「一陽来復」のお札神事。

例年なら、もうとっくにお札をいただいているのだが

今年は妙にバタバタとして節分当日の車折神社参拝となった。


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もう通い慣れた車折神社までのルート、

ところが神社への曲がり角を通り過ぎてしまい迷走した。

相方にナビが悪しい!と怒られたが、何度も来ているし

と言いたいところだが、そこはそれとして油断であった。


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2025年01月04日

川西で清和源氏の故地を散策

正月から来てはった義姉を川西に送る途次、多田神社に初詣。

多田神社は清和源氏の祖、多田満仲が自らの所領に開いた多田院が

その始まりで、源家四代を祀る、いわゆる源氏の聖地

すぐ近くの大型分譲団地は、その名も「清和台」である。


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鎌倉幕府を開いた頼朝、室町幕府を開いた尊氏、

江戸幕府を開いた家康、さらに武田・佐竹など数多の武家の祖神

神文は「笹竜胆に三つ葉葵」異論はあるが「なるほど」な組み合わせ。


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境内をぐるっと散策したのち、源氏の菩提寺万願寺へ


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2024年12月20日

光秀の敗走ルートをたどる講座に参加

京丹波町がやってはる歴史講座のフィールドワークに
混ぜてもらって、黒井城から光秀が敗走したルートをめぐった。
バスでの移動だったが、寒かった〜

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集合場所の京丹波町役場までは約30kmの行程
173号線から板坂峠を越えて9号線ルートを行った。

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昨日の雪が心配で早めに家を出たら、
あまりにも早くに着きそうな気配なので
休み休みしながら、京丹波町役場に九時半過ぎに到着。

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事務局に挨拶をし、高橋さん、知り合いの方と挨拶
十時、チャーターされたバスに乗り込んで出発。

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2024年12月12日

但馬に遠征、山名展を見て蕎麦を食す

かねて予定していた豊岡歴史博物館に出張った。いま、豊歴博では
「但馬山名氏と山名四天王」と題した企画展が開催されており、
山名会事務局の川見さんを誘って、ご一緒することになっていたのだ。

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車窓から竹田城跡を遠望
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相方ね運転で豊歴博まで1時間とちょっと。早めに着いて豊歴博のN谷さんとI原さんにご挨拶、雑談を交わした。
ほどなく川見さんと合流、互いの近況と山名会の話に盛り上がった。が、今日の目的は企画展の鑑賞だったと展示室に移動した。

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2024年11月08日

熊野旅最終日、松阪の町を歩く

4泊5日、紀州・熊野の旅も最終日。天気は晴れ。
この五日間、薄曇りの日こそあったが、天気に恵まれた。
今日のメーンは松坂(松阪)城攻め。
城址そばの市役所の駐車場に車を停め、表門から踏み込んだ。

松坂城は蒲生氏郷が築いたことに始まり、氏郷の転封後
秀吉家臣の服部氏、ついで古田氏、そして紀州藩の支城となった。
氏郷十二万石の居城だけに城域は広大、石垣群も立派だ。
表門から入ると正面に高石垣、左右にも石垣、枡形を呈している。
立てられた幟には、歴代城主の家紋が描かれている。

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2024年11月07日

熊野四日目、赤木城から田丸城へ

肌寒い朝、天気は快晴。
今日の最初の目的地は、念願だった熊野赤木城跡。
以前よりFBで「行く行く詐欺」と待ちくたびれ気味だった
かつての同僚外園君と待ち合わせ。10年振りの邂逅だ。

赤木城は、藤堂高虎の縄張りになる総石垣の山城。
熊野を制圧した豊臣秀吉に抵抗した北山一揆を鎮めるために
築いた城で、周囲を山に囲まれたすり鉢の底に位置している。
目の当たりにした印象は小粒で、平山城といった風情だ。

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2024年11月06日

熊野三日目、三重県南部をめぐる

快晴。民宿すぐ近くの水野家の墓所に参拝。
小さな山が墓域となって、歴代の墓石が祀られている。
若干、荒れた印象はあるが、大名墓として貴重なものとあった。

次は神倉神社、熊野狼が最初に降臨されたところといい
殿舎を囲い込むように聳えるゴトビき岩が奇観を呈している
急な石段500余段は源頼朝が寄進したという鎌倉積みとのこと
見上げる角度の石段を登って参拝、神社から太平洋を眺望。
我々に続く感じで多くの参拝者の方が登って来られる。
新宮に来たら、まずは立ち寄りたいスポット。下りは女坂を選んだ

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2024年11月05日

熊野三山をめぐり、新宮城を攻める

朝、旅館の人と立ち話をしたのち新宮方面に移動。
新宮までは熊野川沿いの国道を南下するが本当に山また山だ
まずは熊野本宮大社に参拝。熊野といえば八咫烏、

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境内のあちこちに八咫烏、本殿に参拝したあと、お土産に御守りを購入
相方は八咫烏が描かれた手拭いを購入、熊野本宮らしいお土産
昔の鎮座地だった大斎原に参拝、日本一という大鳥居、でかい!

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熊野本宮の次は、熊野速玉大社に参拝。

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こちらは熊野本宮より境内は小さい感じだが、朱の殿舎がキレイ
境内の梛木の大樹にも参拝。11時過ぎの電車で大阪に移動する
遠いう長男を新宮駅まで送り、以後、相方との二人旅となった。

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2024年10月31日

サーラの取材で神戸の北部に出張

旧播磨国淡河界隈(今は神戸市北区)でコラム記事の取材歩き。
淡河城跡 →天正寺城跡 →萩原城跡 → 石峯寺をめぐった。
天気がイマイチだったのが残念だったが、久しぶりの山城、
そして古刹、ちょっぴり墓地も、地味ながらも楽しかった〜

最初の淡河城
本丸近くに車を停め、本来の大手と言われる山道を下った
昔整備されていたようで道は明確、木製の朽ちかけた段々もあった
降り切ったところは淡河川、天然の外堀、城の道案内板も立っていた。
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