2017年09月20日

辻集落・池田家再訪

今月のはじめ、市役所の方と訪問して、伝来の甲冑・古文書などを拝見させていただいた池田家。先日、ガイド先輩Tさんから「池田家に行くけど、いかが」とお誘いを受け二つ返事で一緒させていただくことになった。そして今日、昼から休みをとって池田家を再訪、Tさんとその友達で歴史好きのOさんの三人。

21617587_1365202846911624_3960286914503581627_n.jpg 彼岸花が満開

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池田家の屋根瓦の家紋(元の持ち主の定紋)

再訪のあつかましさに恐縮しながら、ふたたび甲冑、文書・典籍を拝見、当主の池田氏より家にかかわる様々な歴史話を拝聴。今日もあれこれ歴史の勉強をさせていただいた。

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文書・典籍類を拝見
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池田長政が関が原合戦にしようした具足
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本居宣長に掛かる文書
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江戸中期、飾り用に作られたという甲冑

ところで、ご一緒したO氏は篠山城石垣の刻印について研究されているとおっしゃり、こRまでの研究成果をプレゼンしていただいた。篠山城石垣の刻印についての話は池田家のご先祖も築城に関わったものであり、O氏の視点、探求の深さなどなど大変興味深く、実に面白かった。こういう出会いがあると、もっと精進せねばと思い知らされるのである。
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2017年09月02日

丹波大山庄の故地を訪ね歩く

8月20日、おもしろゼミナールの下調べで、かつての大山庄・地頭職にあった中澤氏ゆかりの地を訪ねた。地元の歴史に詳しい小林氏に貴重な時間を割いていただき、あちらこちらを案内いただいた。
京都東寺の荘園であった大山庄は、荘園主である東寺と地頭中澤氏との間で相論が繰り返され、そのほとんどを中澤地頭が支配、東寺は一印谷とわずかの地を支配するばかりとなった。
ジックリ歩くと、中世と変わらぬという一印谷の風景、中澤地頭の館跡、城跡、さらに路傍の五輪塔・石仏など、長閑な中にも平穏ではなかった中世の歴史が実感されたのであった。

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・8月27日
先週に続いて、大山庄を訪ねる。眼目は一印谷に散在する中世の館跡と墓地紋の調査。館跡は谷の山麓に位置し、おそらく荘園政所、谷の有力農民(土豪)のものであろう。墓地はむかしながら株ごとに営まれ、霊園や新たに造成された村墓地にはない濃密な空気があふれていた。

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・9月2日
先日、もらしていた大山庄の墓地紋ウォッチに町の田から一印谷を歩く。
中澤・長澤さんが多いのは大山らしいが、一印谷は中澤地頭と争って最後まで東寺の荘園として残ったところ。中澤姓以外の名字が大勢を占めるのでは?という予想があったのだが、そういうことはなかった。名字から見る限りの乱暴な書き様だが、大山庄は中澤地頭が治めるところであったといえそうだ。

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2017年07月03日

北海道の旅最終目・チャシを攻める

最終日。朝、せっかくなので札幌定山渓を散策。

定山渓は緑豊かな渓谷の湯で、支笏洞爺国立公園内に位置しているところ。そもそも慶応2年(1866年)修験僧・美泉定山がアイヌの人々の案内で泉源と出会った時に始まり、温泉の礎を築いた定山の功績から、「定山渓」と命名されたという。北海道の名づけ親とされる幕末の探検家・松浦武四郎も立ち寄ったといわれている。
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この旅の前半、道南に散らばる本土より蝦夷に渡ってきた渡り党と呼ばれた和人たちの館群を巡ってきた。が、北海道といえば先住民のアイヌが築いた城砦跡とも祭祀跡ともいうチャシを一つぐらい踏破したい。昨晩、ネットでチャシをチェックしたところ、開発で消失、雑木の繁茂などでこれはというところがない。そのようななかで、遺構が見られる数少ないチャシ・桜丘チャシを発見。札幌からはチョッと遠いところではあるが、この旅最後のドライブがてら訪問してきた。

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たずね当てた桜丘チャシは、堀切、切岸、腰曲輪など本州の山城を彷彿させるもので、それなりに見ごたえはあった。しかし、道南の館はともかく、本州の山城群と比べると、やは、り小さな城砦遺構というしかないものであった。でも、三泊4日の北海道の旅は十分に満足のいくものであった。孝行息子に感謝である。

かくして、北海道の旅はここまで。5日ぶりに関西に飛行帰り、思えば今日は64回目の誕生日。心に残るいい旅ができた。
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2017年07月01日

3日目・館、町、ドライブ、湖を堪能

三日目。昨晩の民宿、立地は海が目の前でまずまずだったが、寿司屋さんというネットのコピーから御飯もバッチリであろうと思っていた。ところが、いっちゃお終いだが、チョッと期待はずれだったな〜 (次は行かない、きっと)。

朝霧の中、昨日行きそびれた勝山館跡ガイダンス施設を訪ねたが未だ開館前。城跡北方に展開する中世墓群を見る、その多さに驚かされるとともに、勝山館一帯は城を中核とした中世都市といえる存在であったことを実感した。勝山館のシンボル医王山に登る、山頂には松前氏の祖・武田信広を祀る医王山神社が鎮座している。晴れていれば勝山館から海までが一望間違いないところだが、霧のため無念の下山となった。

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今日の最初の館は、和人が蝦夷に築いた最初の拠点という花沢館。コシャマインの乱当時の館主は蠣崎季繁で、客人として滞在していた武田信広とともにアイヌの攻撃から堅守した館である。宿の情報では草茫々とのことだったが、登山口も山道も明確、城址は下草が目立つものの遺構探索に困るようなことはない。先の勝山館と比べると小規模ではあるが、天ノ川を自然の濠として、曲輪の削平も丁寧、切岸も高く、後方尾根を遮断する堀切も深い。なかなか、見ごたえのある館であった。

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つづいて、天ノ川を隔てた北方に位置する洲崎館。コシャマインの乱に活躍した信広が、季繁の娘を娶り花沢館の出城として築いた館という。主郭に砂館神社が鎮座し、その後方に横堀が切られ、周囲を曲輪群がとりまき、なかなか規模の大きな館だ。全体的に雑木藪化が進み、遺構探索が躊躇われたが武田信広が蝦夷の覇者になっていく最初の拠点となっただけの館跡であった。

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上ノ国で北海道の城館巡りはひとまず一段落、あとは今日の宿泊地である苫小牧に向かいつつ観光地を経巡った。まずは江差のまち、ここも二度目の訪問になる。まず横山家住宅を訪ね、ついで旧中村家住宅、姥神大神宮、そして、横山家住宅で蕎麦に舌鼓を打つ。むかし来たときに比べて、まちがずい分手入れされているように見受けられたのは、北海道で初の「日本遺産」認定のまちになったことも大いに関係しているのだろう。

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江差をあとに、雲石国道を抜けて八雲インターチェンジから虻田洞爺湖インターチェンジまで道央自動車道を突っ走り洞爺湖見物。展望台近くに墓地を発見、早速家紋をウォッチしたのち洞爺湖の眺望を楽しむ。観光客を見ると中国人、韓国人が多い、なるほどインバウンドの大勢を占めるのは彼らなのだな〜と思わざるをえない。洞爺湖からは230号線→276号線を突っ走って支笏湖で一休み。その間、北海道の道路標識に「クマ注意」が登場、なるほど北の大地である。

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0701_IMG_3106.jpg クマ注意の道路標識

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夕方、ホテル近くの居酒屋で夕食がてら呑み。ふとFBを見ると、かつての同僚・杉本さんが亡くなったようなコメントを発見、これも旧同僚・重田に電話するも出ず、則ちゃんに電話したら昨日亡くなりはって家族葬で送られたとのことだった。享年68歳、膵臓癌だったらしい。呆気ない死に、なんともやりきれない。同年輩の知人が鬼籍に入る歳になったのだな〜と切ないことである。
夜、東京から移動してきた長男と合流、居酒屋で呑みを始めたところ大きな揺れ。ネットでチェックすると苫小牧周辺を震源とする地震だった。これは!と身構えたが続く揺れはなく、家族三人ワイワイと飲みかつ食い、酔っぱらってホテルに帰投したのであった。

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2017年06月30日

2日目・館、城三昧

二日目は、蝦夷管領とも蝦夷守護ともいわれた安東氏の一族・下国氏が拠った茂別館からスタート。茂辺地川を外堀にした小丘にあり、主郭部には矢不来天満宮が鎮座している。周囲は土塁が取り巻き、城粋の東部から北部は自然の切岸が要害性を高めている。コシャマインの乱では、館が相次いで落ちる中でよく落城をまぬかれた。

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素晴らしい好天の下、白神岬経由で松前町へと移動。最初の目的地は、武田信広の孫・義広が拠ったという松前大館。のちに松前城を築くまで、武田蠣崎氏の本拠として機能した。『図説中世城郭事典』の縄張り図によれば土塁・空堀などおおいに興味をそそられていた。が、実際に来てみると生い茂る雑木林、そばにあった郷土資料館で状況をうかがうと、熊も生息していることでもあり入山禁止とのことであった。山麓に鎮座する徳山大神宮の傍らにはゴローニンの幽閉された牢跡があるらしいが割愛した。

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徳山大神宮、左手の山が大館

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ということで、松前城に移動、松前城は二度目の訪問、以前にはなかった城門や城壁などが復元され面目を一新していた。復興天主は相変わらずだが、以前には見落としていた土塁や空堀など見所も多い。ぶらぶらと松前城北方の寺町に足を伸ばし、松前藩士のものと思われる墓石をウォッチ、松前藩主家の墓所も訪ねる。古い墓地は荒れ気味の感はあるが、下国家、蠣崎家の墓石などなど総じてよく残っているなと思われた。小林家の歴史を尋ねた資料館の学芸員の方が、うれしいことにみずから案内をしてくださり、思いがけず松前城下の墓石ウォッチを堪能できたことだった。

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重職松前家の家紋              重職下国家の家紋

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松前藩主家の墓所              重職蠣崎家の墓所

松前の次は今日の宿泊地である上ノ国に残る勝山館。公園として整備されていることは知っていたが、実際に訪ねてみるとまるで分譲地のように往時の武家屋敷の区画が連なり、説明板もアカデミックな内容である。城域は南北を谷川に囲まれた高地を占有し、海側に二重の堀切、北側も竪堀を伴った堀切で遮断している。勝山館で特徴的なのは、城域の北方斜面にアイヌの人々、松前氏やその一族らのものも含む中世募跡が広がっていることだ。言ってみればひとつの町がそのまま営まれていたところ、それが勝山館の印象であった。
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下山したころには夕暮れが迫っていたが、登山口の上国寺・境内墓地をウォッチ。これという珍しい家紋はなかったが、墓石に屋号を彫っているのが印象に残った。

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2017年06月29日

北海道の旅、まずは函館から

孝行息子の心尽しで四泊五日北海道の旅、大阪空港より函館空港へ出発。

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初日は、函館空港で車をレンタル。最初の訪問地は空港すぐ近くにある志苔館。道南十二館の一つで小林良景が拠ったといい、コシャマインの乱で陥落したという館。土塁で囲繞された主郭を主体として、二重堀切が特徴的。南側には津軽海峡の海、その向こうに函館山が見える立地は、要害性はともかくよい景色であった。
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昼食は函館朝市で海鮮三色丼を喰らい、すぐ近くにある青函連絡船記念館摩周丸を見学。いまは鉄路で繋がった北海道と本州だが、かつては連絡船が数々の歴史を刻んできたのであった。

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チョッと感傷的になったあとは五稜郭へ移動、ずっと昔、仕事の延長で訪れて以来の再訪である。当時は仕事絡みだったこともありショボかった記憶があったが、今回、ジックリ歩いてみて、外堀、内堀、石垣、土塁、空堀などなど実に面白かった。もっとも、城塞としての評価は低いが、城郭遺構としてはガッツリ堪能できたことだった。

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最後は、お約束の函館山登山。自動車道を利用すれば、アッサリと登りつける。頂上からの展望は素晴らしいもので、眼下に函館の街並み、津軽海峡越しに本州北端の町大町が見える。本来ならば夜景を楽しむところなのだろうが、太陽の下の眺望も十分に満足できるものだった。

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2017年05月16日

赤松氏の紋を訪ねて書写山円教寺に登る

戦国末期、龍野城主・赤松下野守政秀が書写山円教寺開山堂の傍に寄進した護法堂の蟇股に刻まれた「二つ引両」と「三つ巴」を見に書写山円教寺に参拝した。

書写山円教寺は三十余年前、当時、勤めていた会社の社員研修というか研修ティストの社員旅行で来て以来のこと。改めて来てみると見どころがいっぱいあるではないか。

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せっかくなので鐘楼の「慈悲の鐘」を一突き

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書写算ホームページ : http://www.shosha.or.jp/ より

まずはロープウェーを降りてから山内の寺院をめぐる山道の寂び寂びとした佇まい、播磨征討戦に際して羽柴秀吉が本陣を置いたという歴史を語る曲輪跡であろう土塁を伴う平坦地、なによりも西の比叡山といわれるだけに豪壮な堂塔伽藍の数々。

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秀吉時代の曲輪跡か

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若干、荒れた空気も無きにしも非ずだが、よく整備されていて飽きることがない。円教寺の中核をなす大講堂・常行堂、食堂は映画やテレビ時代劇撮影のロケ地にも利用されたところだけに、中世のままといっても過言ではない佇まいと空気を漂わしている。

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さて、今日の目的である赤松下野守政秀の家紋に関する聞き取りをしたが、どなたもご存じないのであった。ともあれ、開山・性空上人を祀る開山堂を目指した。なるほど、開山堂の傍らに護法堂がある、


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0516_syosya05.jpg 赤松氏の家紋

逸る心で蟇股の裏側を覗いてみると「二つ引両」「桐」「三つ巴」紋が彫られているではないか。やっと赤松氏の唯一ともいわれる家紋の遺物と邂逅できた!のであった。

0516_syosya07.jpg クリンソウの花

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今日の目的を達し、ぶらぶらと書写山を歩いていると、沢のあたりに鹿の食害のなすものともいうべきクリンソウが咲いている。書写山中に営まれている松平家、本多家、まつだいら榊原家など姫路藩主であった大名墓、重要文化財指定を受けている建造物などを見ているとあっという間に時間が経ってしまった。
書写山円教寺、昼ごはんに食べた山菜うどんも含めて思いがけず堪能してしまった。
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2017年01月07日

粟賀から香寺へ、赤松氏ゆかりの史跡を巡る

今日は神河町にお住まいの Sala 同人で歴友のTKさんと播磨の山城 & 史跡めぐり。
粟賀のいつもの場所で待ち合わせて、まずは法楽寺近くに残る古い五輪塔、応仁の乱において山名氏と赤松氏が干戈を交えた「赤松、山名氏激戦の地」を案内いただく。
粟賀の地は播磨と但馬を結ぶ街道の宿場町にあたり、北上すれば播磨と但馬の国境をなす生野(真弓)峠であり、この峠も赤松氏と山名氏が激戦を演じたところである。以前、TKさんと登った大山城跡も赤松氏が山名氏に備えて構えた山城であった。

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法楽寺近く

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今日のメーンの目的地である矢田部城跡は、例えれば真弓峠を突破した山名勢が粟賀を越え、市川、福崎を経て姫路になだれ込んだルートに沿う香寺町の西方山上に遺構が残っている。後期赤松氏の本拠・置塩城の当方、恒屋城の南方に位置する山城だ。
矢田部集落の昔ながらの狭い道を走りぬけ、かつて、TKさんが矢田部城跡の場所を確認されたというお年寄りのお宅で、改めて城址への登り道を教示いただき山道へ分け入った。

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いい感じの尾根を登る

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曲輪が緩やかに続く

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東尾根曲輪の切岸

城址は山頂の主郭と数段の曲輪で構成された小さな山城で、後方尾根と南に延びる尾根先を遮断する堀切が見所であった。昆虫の研究をされているTKさんは、ダニの行動を研究されるらしくダニの採取に余念がない。一月の第一週だというのに、少なからぬダニが徘徊していることに驚いた。

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主郭、陽射しが柔らかい

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北の堀切

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二重になっている

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南端の堀切

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城址を下山したのち、後藤又兵衛の先祖にゆかりのものも含まれるという郷倉(ごむら)の五輪塔群を観察、ついで赤松氏の家老であったという喜多野氏が拠った伊勢山城跡の遺構があるという神明神社を訪ねる。
山上にあるという城跡に登ってみたが遺構らしいものはない。どうやら神社の境内一帯が居館跡であったようで山上は見張砦程度のものが営まれていたのだろう。神社の説明板を見ると喜多野氏の居館跡があり、早速、訪ねてみたが場所を特定できなかった。

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郷倉の五輪塔

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伊勢山城跡の神社

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須賀院構居跡か?

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親王塚

なんとなく不完全燃焼の気分を抱えつつ「城の段(しろんだ)」と呼ばれる赤松氏系の古城跡があるという相坂集落に向かう。途中、須加院構居跡、赤松則祐に奉じられた赤松宮陸良親王を葬ったという親王塚を経巡ったが肝心の城跡は見つからない。

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遠くに見える山上に「城の段」があるらしい

結局、相坂集落まで行き着いたところで村の方に城の段のことを聞くと、相坂集落より遥か西方に見える山上に城址遺構が残っているとのこと。むかしは道もあったそうだが、いまは殆んど登る人もないそう。すでに夕暮れが迫る時間、今日の歴史歩きはここまでとして、後日、城の段へのチャレンジを帰して帰途に着いた。

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2016年01月16日

おもゼミ 下調べ行

今秋に予定されている「丹波篠山おもしろゼミナール」の
「多紀郡の中世武将と家紋」。その下調べに篠山市東部を歩いてきた。

淀山城・東山城に拠った波々伯部氏、
安田(籾井)城・安口城に拠った籾井氏、
細工所城・本庄市谷城・栃梨城に拠った荒木氏、
八百里城・奥畑城に拠った畑氏の史跡と家紋を訪ねてきた。

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2015年09月26日

信濃遠征、最終日

この旅の最終日となる六日目。
朝の天気予報では、雨も徐々に上がっていくとのことで
まず、小笠原一族であった二木土佐館を訪ねる。

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折からいらっしゃった二木家のご婦人からいろいろな話を聞かせていただいた。
ご婦人が教えてくださった二木家墓地を訪ねると、
丸に木の字・三階菱に千切・丸に二つ引の家紋を確認できた。
本家は丸に木の字とのことだが、三階菱に千切紋も用いられていることに感動!

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2015年09月25日

信濃遠征、五日目は雨だった

いよいよ五日目、朝からず?ーーーっと雨。
スカッとしないが、毎度、お馴染みとなったホテルの朝食を食べ
今日も今日とて、信濃の史跡めぐりをスタート。

まず、最初の横田城跡はあっさりと発見、
ついで、すぐ近くの(伝)大塔砦跡に立ちよる予定たっだが
ナビがどう間違えたのか、道を間違えてしまった。
ともあれ、塩崎城跡山麓の長谷寺を訪ね、大塔合戦が行われた
横田川原方面を遠望、なるほど広い平野だ。

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集落の中にポツンと取り残された横田城跡

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大塔古砦跡といわれるところは、アッケラカンとした田園のなか

 
長谷寺からふたたび、(伝)大塔砦跡を探し求め、
たどり着いた(伝)大塔砦跡は何もない。ともあれ
大塔合戦の説明看板のある公民館に車を停め
周囲を歩いてみたが、なんとも殺風景なところであった。

公民館となりの墓地にあった渡辺家の墓所の紋は
やはりというべき「三つ星に一文字」。
渡辺家はどこでも変わらぬ家紋、こういうのはホッとするかもん。

 
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2015年09月24日

四日目。真田氏を含む北信諸将の山城・史跡をめぐる。

まず今日の皮切りは、十何年振りかとなる上田城跡攻め。
真田昌幸が徳川の軍勢を二度にわたって撃退した城
以前に来た時よりも整備の手が行き届き、
大河ドラマを意識した幟や作り物が目立った、来年はすごいことになるのだろう。

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2015年09月23日

信濃三日目。今日も天気は晴れ。

朝一番、諏訪高島城を訪問。
城内に入ると、諏訪氏の家紋「梶葉」紋があちらこちらに据えられている。
城そのものは明治維新のときに取りこわされ、いまあるものは再建されたものだ。

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かつては、諏訪湖に面して「浮き城」と称されたが、
その面影は堀にうつる天守と堀からわずかに感じられるばかりだ。

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2015年09月22日

信濃遠征、二日目

二日目日は、天気は快晴、
早起きして、元善光寺からスタート。

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快晴のもと、元善光寺さんにお参りする

IMG_9445_motozen.JPG 善光寺同様「立ち葵」紋


ついで、元善光寺北すぐにある座光寺氏が拠った座光寺北城へ
主郭部の耕雲寺に車を停めると寺の山門前は横堀跡、
そこから南方に位置する小学校の先までが城跡になっている。

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耕雲寺山門前は横堀

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要所に説明版があり、分かりやすい南城跡

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広い主郭部、曲輪を囲む土塁も見事だ


北城からすぐ南西のところに座光寺南城がある
城跡入口部に説明カンバンが立てられ、踏み込んだ城跡にも
要所に縄張図入りのカンバンが立てられている。
城跡は、横堀を多用した複雑なもので、大味な北城に比べて
戦国末期に出城を回収したもののように見受けられた。

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2015年09月21日

信濃遠征、スタート

ずーっと書き進めている「信濃武家伝」、
一度は、信濃を訪ねて武将たちの故地を歩きたいものと思っていた。
シルバーウィークに行こう!と決め、訪問地、ルート
ホテルなどを下調べ、段取りして、いよいよ信濃遠征に取り掛かった。


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信濃遠征のお供は「長野の山城50選」

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2015年05月09日

隠れキリシタンの里を訪ねる

茨木市北方の山中にある隠れキリシタンの里、
千提寺、下音羽を訪ねた。
あの有名な「フランシスコザビエルの像」は、
大正八年、この地の旧家から発見されたもの。
いい感じの風景のところなのだが ・・・

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戦国時代、一帯を治めた高山右近の像

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キリシタン資料館


集落を分断するように第二名神の工事が進行中、
道路が完成すれば多くの遺跡が消滅するらしい
いまの政権政党は、力と金でなんでもやってしまう。
若者!恰好を付けて選挙に行かないでいると「騙されて、
えらいことになるぞ〜!」って言いたい残念な光景であった。

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のどかなキリシタンの里を破壊しようとする道路工事

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下音羽・高雲寺のキリシタン墓  

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さわやかな緑が心地よい

キリシタンの里は、なんとものどかなところであった
しかし、しなくてもよい、
工事のための工事が進められ、遺跡が消滅する
消え去ったものは戻らない、残念至極というしかない。
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2015年05月05日

大成廃村リベンジ成る

先日、久後弟さんと山歩きの末に挫折した大成廃村踏破。
この前の失敗を検証すべくリトライ、先日駐車した立木駅から通じる
林道奥にふたたび駐車。
そこから歩くこと三十分ばかりで、あっさりと大成廃村に到着、
なんとも前回の迷走が嘘のような・・・あっけなさであった。

集落跡は荒れているが、
観音堂、屋敷跡の石垣、段々畑の跡などが見事に残っている。
ポツンとあったお堂は、いまもどなたかが整備されているように見受けた。

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民家跡の石垣

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大成から大原へ通じる峠道

どこで迷ったのかを確認するため
大成廃村から大原神社へ抜けるという峠道を越えていくと
これまた、あっさりと、先日迷ったところに到着。
広い方の道を選んだのが失敗だったことが判明
あのとき、久後弟さんの意見を採用していれば、
さくさくっと大成廃村を踏破できていたのだった。

分岐にあった祠の前の細道を経ていけば大成の峠へと到着。
行程タイムは実に10分ばかり!文字通り、痛恨のミスだった”
ともあれ、前回のミスルートも分かったし、
今日のリトライは気分のよい山歩き&廃村探索となった

posted by うさくま at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2015年02月14日

丹波猿楽の源流梅若家の故地を訪ねる

今日も、外はウッスラと雪景色
篠山の週末は、雪というのが定番になったような。

そんな朝、ディスカバーガイドの先輩Tさんから電話
「急な話やけど、明日、八ケ尾山をガイドして欲しい」というもの。
そして、月曜日に観光案内所の女性陣を案内されるとのことだった。
取り立てて予定もなく、「OKです」と言いたいところだが
外の積雪を見れば危険と判断、「無理をされない方が「よいのでは」と返事。
三月の良い日に仕切り直ししましょう、と言うことになった。

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ともあれ、月に一回のディスカバーささやまグループの
連絡会である「土曜会」への出席で城下町に外出。


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posted by うさくま at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2014年12月14日

個展、中世城郭、加古川散歩

播磨の中世城郭研究家であり、
山城の復原図をこつこつと描きつづけおられる
木内内則さんの個展「播磨の城 復原図展」に出かけた。

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会場は加古川市役所のすぐ隣のギャラリー、
せっかくなので加古川市域に残る中世城郭
志方城と神吉城に再訪することにした。

木内さんの個展が「黒田官兵衛の時代」と副題があるように
播磨は大河人気であちらもこちらも官兵衛だらけである。
志方城も官兵衛の妻の実家櫛橋氏の居城であり
一方の神吉城は三木合戦で秀吉相手に有名を馳せた神吉民部大輔の居城である。

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posted by うさくま at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2014年12月03日

今日は京都に研修行。

京都へ篠山市四文化施設スタッフのガイド研修で出張。
好天の下、総勢九人が二台の車に分乗して丹波を出発した。

京都西京の桂から引っ越して五年と少し、沓掛インターの完成、
京都縦貫道の開通など、来るたびに京都はいつも変貌を遂げている。
今回も、九号線のカツラ付近でズッと行われていた道路工事が完成、
地下道路部分として開通していたのであった。

まず、角屋へ。

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posted by うさくま at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索