2009年12月03日

多紀連山、西ヶ嶽に登る!

御嶽・小金ヶ嶽の登山に続いて、多紀連山の西に聳える西ヶ嶽に登った。
多紀連山(アルプス)は三岳とも別称されるが、
御嶽・小金ヶ嶽、そして西ヶ嶽を総称して三岳と呼ばれるそうだ。
多紀連山は修験の山であり、中世、御嶽には新金峰山大岳寺、
小金ヶ嶽には宝塔山福泉寺が並び立ち、入山する行者は後を断たず、
山々には法螺の響き、錫杖の音、念誦の声が谷から里にこだましたという。

西嶽-霧の三岳
盃ヶ岳から見た雲海に浮かぶ三岳(左端が西ヶ嶽):2009-11/22

修験道は密教から生じたもので金剛界と胎蔵界の両部があり、三岳修験では
筱見の四十八滝で水垢離ののち、東の覗、小金ヶ嶽山頂、福泉寺、
大タワから御嶽山上の行者堂、そして、大岳寺へと至る行を「金剛界」廻り、
大岳寺から御嶽山上の行者堂、西方に続く尾根道を経て西の覗から愛染窟
栗柄の養福寺、不動の滝で水垢離して不動明王に参拝する行を「胎蔵界」廻り
として、この両行を合わせて全行成就となった。
 

 To Be Continued
posted by うさくま at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年12月01日

ふたたび、多紀連山を歩く!

一年ぶりに、多紀連山の御嶽と小金ヶ嶽に登った。
今年は大岳寺址、福泉寺址(福泉寺城址)の探索が目的で
登山行程は昨年とは逆回りになる火打岩から三岳寺址経由御嶽、
御嶽から大タワに下り、小金ヶ嶽→福泉寺址(福泉寺城址)と歩いた。
 
多紀連山の紅葉は盛りを過ぎているものの、
雑木林の道は軽快で、木の間越しに見える小金ヶ嶽を眺めながら
水飲み場、大岳寺址へとたどり着く。

多紀-水飲み場

見たところ、一帯は昨年より手入れが行き届いており
礎石や平坦地など寺院址であることを語る遺構もわかりやすい。
さらに、大岳寺比定地上方の尾根にも寺院址を思わせる平坦地があり
丹波修験道の中心地であったことが、よ〜く実感された。

 To Be Continued
posted by うさくま at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年11月26日

深山に登った!

先日、図書館で「低山趣味」という本を借りた。
京都の北から丹波篠山あたりの低い山を中心とした山登りの記録本だが
あっちから、こっちからと舐めつくすような山歩きを淡々とした筆致で叙述されている。
なかでも大阪府と京都府の境に位置する深山の登山記は、
読むほどに、いますぐ登りたい!と思わせるもので、ウサも「え〜やん」という。
で、早速登ってきた。 

ささやまの森公園に車を停め、公園事務所の登山ノートに名前を記入し
公園から深山へいたる大手道ともいうべき登山道より深山を目指す。
隠し田の址、猪除けの石垣、モリアオガエルの池などを見ながら
やがて登山道は峠へと続いていく。

深山-公園事務所

登山道は、かつて篠山から摂津へと続く古道だったとのことで、
便利さに慣れた現代人には想像もできない当時の生活の厳しさが実感される。

 To Be Continued
posted by うさくま at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年11月15日

湖北縦走!

十一月一日、旧友H君夫妻と計画していた湖北の山歩きが、
生憎の空模様で、無念の二週間延期となった。
今日は天気はまずまず、待ち合わせ場所である河毛駅まで車を飛ばした。

行程は余呉湖側を出発点とし、山本山山麓の朝日山神社をゴールに決定、
朝日山神社にわれわれの車を停め、H君の車で余呉駅に移動する。
駅前の駐車場(うれしい無料!)に車を停め、いざ出発!

賤ヶ岳、古保利古墳群を経て山本山まで約13メートルの長丁場だ。

湖北-出発
縦走路はよく整備され、要所に標識が設置されている。

湖北-山道 黄葉・紅葉が素晴らしい

湖北-余呉湖

木の間越しに余呉湖が見える

To Be Continued
posted by うさくま at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年09月16日

初秋の白髪岳に登る

篠山北方に屹立する多紀連山、それに相対するかのように篠山西方に聳えるのが白髪岳である。白髪岳の東方にある松尾山には山城と寺址の探索で二度ばかり登っていたが、白髪岳まで足を伸ばすことはなかった。ウサ的には松尾山もいいが、白髪岳の方がより魅力だったそうで、今回、初登りをしてきた。

白髪岳へのルートはいろいろあるが、酒井氏の城址を巡りながら行こうということで南矢代から取り付くことにした。登り口は犬飼集落の墓地が目印で、JR篠山口駅から南矢代方面へとぶらぶらと歩いていく。かつて一帯の庄屋であったという上田家住宅(国登録文化財)を見たのち、集落の西方にある墓地から分け入る。やや荒れ気味の急坂を尾根に登りきると、山上へと続く登山道がはっきりと確認できた。 

白髪-上田家碑 由緒が漲る上田家の碑 

To Be Continued
posted by うさくま at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年08月19日

鷺草を見に西光寺山に登る

篠山市の最西端、丹波と播磨の国境に聳える西光寺山は、鷺草の自生群落と姥目樫(ウバメガシ)の自生北限地として知られる山だ。また、かつて山腹には金鶏山西光寺があって、修験者が往来するところであったという。金鶏山西光寺には「金の鶏」の伝説があり、山号はそれにちなんだものである。かねてより気になっていた山で、鷺草の咲くころを見計らってウサクマ一行の登山とあいなった。

西光-遠望
登り口から西光寺山を見る

西光寺山への登山口は、篠山市の今田側と西脇市の中畑側にあり、いずれも整備された登山道が山頂まで続いている。鷺草は今田側に自生群落があり、見頃を迎えた可憐な鷺草の花を見学したのち、寺屋敷方面との分岐点に設けられた東屋を横目に頂上を目指した。

西光-鷺草
鷺草の群落

To Be Continued
posted by うさくま at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年05月10日

多紀と氷上の国境に屹立する三尾山へ

かつての多紀郡西紀町(篠山市)と氷上郡春日町(丹波市)の境界にある三尾山、西多紀アルプスとも呼ばれるその山容は見上げるような高さだ。そして、その山上には戦国時代の丹波に勇名を馳せた赤井直正の弟である刑部大輔幸家が築いた山城が残っている。初夏を思わせる晴天の下、三尾城址を攻略しつつ、西多紀アルプスを縦走してきた。
 
三尾-遠望
 
三尾山は手頃な山登りのコースとしても人気の山で、登山道は春日町方面から、篠山の西紀方面などから設けられているが、ウサクマは春日側中山の三尾山登山口から山上を目指し、三尾山から鏡峠に至る尾根を上り下りしながら、登り口である中山へ戻るコースを選んだ。
 
三尾-標識 三尾-やれやれ地蔵 三尾-標識2
 
登山道はよく踏み固められ、標識も要所に立てられ迷うことはないが、そのひたすら続く急坂には流石にきつかった。やがて、山上の尾根に到着、そこは既に三尾城址の一部だ。標識に展望台と書かれた西出曲輪にたどり着くと、そこからは見事なパノラマが展開していた。文字通り、春日町一帯が眼下に広がり、三尾城の本城にあたる黒井城も遠くに望むことができる。しかし、曲輪というにはあまりに貧弱で、おそらく見張り台的な砦が設けられていたものであろう。東出曲輪途中に祀られている『やれやれ』地蔵に、登山の無事を祈って三尾山上へと登っていく。
 
三尾-春日眺望
 
やがて、三尾城址の東曲輪群に到着する。土塁が設けられ、腰曲輪、ひな段状の曲輪が設けられている。一帯は東出曲輪群の西を固める曲輪群であり、そこから、さらに三尾山上へと階段状に曲輪が築かれている。それぞれの削平地の比高差は4m前後で、決して広くはないが見事な切岸である。やっと山上にたどり着くと、腰曲輪をめぐらした天守台を思わせる高台が築かれ、そこに三尾城址の石碑が立っている。若干、木々によって阻まれているが、展望は悪くない。南方面には夏栗山、黒壺山が聳え、東方には滝連山が聳えている。たしかに眺望は素晴らしいが、この峻険な山上に築かれた城では臨機応変の戦いを展開することは難しかったのではないか。三尾城は明智光秀の丹波攻略の前に落城したが、攻める明智方も、守る赤井方も戦闘の前に上り下りだけで疲労困憊になったのではなかろうか。
 
三尾-土塁 三尾-切岸 三尾-石碑
 
三尾-主郭腰曲輪 三尾-三尾山 三尾-鏡峠
 
山上の城址で休憩をとってのち、鏡峠を経て登り口を目指して下山を開始する。三尾山からの下山コースは急坂で、尾根の途中には覗き岩があり上ってみると肝の縮む景色が展開する。多紀連山とともに修験者が駆け回っていた山であったことが、実感されるところだ。とはいえ、山道は軽快で佐仲からの登山道を横目に鏡峠へ、そこからひたすら山道を下っていく。鏡峠までの風趣に富んだコースに比べると、山陰ということもあってただ歩くばかりというコースである。やがて、林道に出ると、さらに大味なコースとなり、疲れた足がさらに疲れを増す心持がしてくる。見尾山は軽快な山歩き、戦国山城の探訪などなど一様でない楽しさが味わえる。コースを替え、季節を替えて登れば、それぞれ違った味わいが感じられる山とみた。つぎは篠山市西紀側の鏡峠への道から登ってみようかなどと考えている。 by kuma
posted by うさくま at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年04月12日

蹴上から大文字、東山へ

むかしからの親友であるH夫妻と、われらウサクマの四人、蹴上から如意ヶ嶽城址→大文字火床を経て法然院、哲学の道を東山まで歩いてきた。

東山-如意遠望
平安神宮鳥居前の橋上より、如意ヶ嶽城址方向を遠望

朝十時に蹴上駅に集合、まず日向大神宮の内宮、外宮、奥の院の天の岩戸を見ながら東山トレイルコースへ。桜は満開を過ぎて散り初めといったところ、天気は快晴、初夏を思わせる気候だが山道は爽快そのものであった。

東山-日向鳥居 東山-外宮 東山-岩戸
蹴上駅すぐ左手に日向大神宮の鳥居  外宮社殿へ  天岩戸から外界を見る

日向大神宮は京都最古の宮といわれ、第23代顕宗天皇(485〜487:古墳時代)の御代に筑紫日向の高千穂の峰の神蹟を移して創建されたと伝えられる。内宮と外宮を中心に多くの境内末社が祀られ、なかなか荘厳な雰囲気が充ちている。奥の院にある天岩戸はくぐり抜けると開運・厄除けのご利益があるが、心邪なるものは通ることが叶わないといわれる。心清らかな一行四人が、難なく通り抜けたことは言うまでもないだろう。

東山-トレイルに 東山-山ツツジ 東山-山科遠望
天の岩戸うらのトレイルコース分岐  山ツツジが見事に満開  モヤに霞む山科市街を遠望

東山-堀切道 東山-土橋道 東山-城址に
堀切のような道  土橋を思わせる  如意ヶ嶽城址東端下の四つ辻に到着
 
日向大神宮をあとに山上を目指す。トレイルコースは標識が要所に立てられ、道もよく踏み固められていて迷うことはない。おりからの晴天と桜・ツツジも満開、山登りには絶好の休日だけに、トレイルコースは老若男女の登山グループで一杯だ。
 
東山-城址東土橋 東山-城址東横堀 東山-東土塁木戸
如意ヶ嶽城址東尾根を穿つ三重堀切(左・中)  主郭東端と東曲輪群を隔つ土塁跡

東山-三角点 東山-北面横堀 東山-北面曲輪群
山頂の三角点(466m)  主郭北東部の山麓を取り巻く堀切  北面の曲輪群の切岸

三月のはじめ、鹿ケ谷から登るコースで如意ヶ嶽城址から中尾城址をめぐったが、のちに資料を見直すと如意ヶ嶽城址最大の見どころは城址東端に穿たれた三重の堀切と土塁であることを知った。今回は城址に着くや、まず三重の堀切と土塁を探索する。土塁も明確で堀切群の保存状態も良好、文字通り見事な遺構で、よくぞ残ったものだ!と大満足だ。時間を見るとちょうど昼時、昼食場所を探しがてら主郭へ。主郭一帯は弁当を広げた家族連れ、登山グループで満員状態だ。北面の曲輪群に格好の場所を発見、往時の武士たちの気分を味わいながら弁当タイムと洒落込む。で、今回のサプライズは「冷えた缶ビール」。保冷バッグにウサがためていた保冷剤を詰め込んで担いできたのだ。その美味さたるや、これまで飲んだビールのなかで最高!だった。食後は、Hくんと城址探索だ。土塁、堀切、曲輪などなど、その規模の大きさは、さすが、将軍の拠った城址だ!と改めて実感させられる。

東山-大文字火床 東山-大文字下山 東山-法然院山門
火床から京都市街を見る  細い階段道を大文字から下山  法然院山門に到着

城址をあとに尾根道を大文字火床へ下って行く。すれ違う火床方面からの登山客は、なにやら普段着のような格好だ。おそらく、銀閣寺を見物してのち、大文字山にも登ろう!といった気軽な思い立ちで登ってきたものだろうが、山はそんなに甘いもんではおまへんで!火床にいたオジサン(と言ってもクマよりは若い!)から頂戴した大文字の歴史に関するパンフレットを見ながら、オジサンの説明を拝聴する。何といっても、火床から見る京都市街の風景は一大パノラマで、今月末に京都から引っ越して行くウサクマにとって感慨無量のものであった。
火床からは大文字の左跳ねに沿って続く石段を直射日光に晒されながらトコトコと下っていく。降り立ったところの分岐は、右が銀閣寺、真っ直ぐが法然院へと続く道で、ウサクマ一行は法然院へと直進した。法然院には15時に到着、蹴上を出発してより五時間の山歩きであった。三年に満たない京都暮らしであったが、その最期において、忘れられない東山トレイルコース踏破とあいなった。 by kuma
posted by うさくま at 08:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年03月17日

石鳥居から一本杉を経て穴太へ

一乗寺山城址を探索したのち、天気も良好、予定通りもう一つの一乗寺山城址(仮に比叡一乗城址)を探りながら一本杉へ、そして、壺笠山城址を攻略して穴太へと下ることにした。まず、城址から石鳥居まで歩き、そこでウサ手作りのオニギリで腹ごしらえを済ます。

一本杉-石鳥居
石鳥居、鳥居右手の山道を登る

石鳥居から山道に取り付く、よく踏み固められた道は快調そのものだ。途中、城址のような地形が現われるが、規模からみて比叡一乗城址の前線基地であろうか。山城は恒久的に造られた近代の城と違って、合戦のたびに構えられた・・・いわゆるキャンプ地のようなものだ。それゆえに、戦いが終われば壊されるか、捨て去られることになり、遺構は風化にさらされ城址と判断するのがまことに難しいことになる。

一本杉-山道 space_w 一本杉-砦跡 space_w 一本杉-分岐
一本杉へ  砦跡の遺構か?  比叡アルプスとの分かれ道

ともあれ尾根道を歩くこと約二十分、一本杉と比叡アルプスの分岐点に到着。一本杉方面にしばらく歩くと、曲輪跡と思わせる削平地が連続する地形が現われる。さらに尾根方向に巻いて行くと、堀切、曲輪が連なっている。高い切岸、連続する帯曲輪、さらに一本杉方向の尾根を穿つ堀切など、相当な規模の山城のあとだ。比叡一乗寺城址は浅井・朝倉連合軍が比叡山と協調して、織田信長と対峙したときに構えた山城である。城址と思われる一帯は、比叡山も間近に見え、相当の兵員が収容できる広さである。一本杉と一乗寺山方向とを結ぶ道を扼する立地といい、断言はできないが限りなく比叡一乗寺城の遺構と思われた。

一本杉-城址1 space_w 一本杉-城址2 space_w 一本杉-城址3
比叡一乗城址か? 堀切、帯曲輪、切岸が見事に残る遺構群

一本杉-比叡遠望 space_w 一本杉-展望台 space_w 一本杉-東海道
途中の道から比叡山を望む  一本杉に到着  東海自然歩道に進む

比叡一乗城址より一本杉へ続く尾根からは左手に比叡山、右手には遠く比叡平が見え隠れする。やがて、一本杉に到着、展望台からは京都市街、大津市街、琵琶湖を一望できる。一息いれて、比叡山ドライブウェイから分岐する東海自然歩道へ。自然歩道もよく踏み固められた快適な道だ。やがて、絶壁のような急坂に設けられた段々が続き、慎重に降り立ったところが穴太方面と滋賀里方面との分岐となる。迷うことなく穴太方面の道をたどったが、道は谷筋の広い林道となり、めざす壺笠山に行くとは思われない。途中で発見した山道に分け入ると、尾根のところで東海自然歩道と合流した。が、右か?左か?どちらに行けば壺笠山に通じるのか分からない。直感をたよりに右方向をたどると、なんと比叡山ドライブウェイが目の前に・・・、先の分かれ道から上がったところへと逆戻りをしてしまったのだ。気を取り直して、いま登ってきた道を引き返す。先の合流点を通り過ぎ、手元の地図で地形図を頭に描きながら、ひたすら山道を上り下りする。やがて、壺笠山と穴太の分岐を示す看板が現われ、細尾根を登っていくとやっと目指す壺笠山城址に到着だ。
主郭を取り巻く帯曲輪に足を踏み入れると、足元には石が散乱、切岸の一部には石垣が残っている。主郭は雑木と藪に覆われ、まったく眺望はきかない。往時は、比叡山はもとより、琵琶湖対岸の草津から西南山麓の大津一帯が手にとるように見えたことであろう。城址は思った以上に小ぶりで、この程度の城を山麓からかなり隔たった山上に築く必要があったのかと首をひねるところだ。あとで調べてみると浅井・朝倉勢は、比叡山上に陣取ったとき比叡山の各所に城砦を構えた。壺笠山城は山麓に陣取る織田勢の動きを察知し、各城砦に通報する任を担っていたようだ。浅井・朝倉勢が引き払ったのち、壺笠山城は明智光秀の支配するところとなり、現在残る石垣は光秀によって修築されたものだ。

一本杉-大津遠望 space_w 一本杉-分岐2 space_w 一本杉-壺笠1
山の切れ目から琵琶湖が  壺笠山への道  壺笠山城址に到着、石垣が…

一本杉-壺笠2 space_w 一本杉-壺笠遠望 space_w 一本杉-滋賀里駅
主郭の高い切岸  穴太から壺笠城址を振り返る  滋賀里駅に到着

城址から穴太方面に下ると林道へ、ところが、道は行止りになっている。それならと尾根に見える山道へ分け入ったが、こちらも途中で行止りだ。さらに道を引き返すと、穴太方面へと通じるらしい広い道があった。ところが、その道も進むにつれ倒木が増え、湿気も強くなり、何やら忘れ去られた道のように思えてくる。「引き返すか?」と一抹の不安が胸にきざしたが、もう進むしかないと下っていくと堀切道のような道となり、どうにか山麓にたどり着くことができた。一時は、狐につままれたような気になったが、京都から滋賀までの山歩き、なんとか目的達成だ。
ここのところ京都方面の手入れが行き届き、案内標識も充実した道を歩いてきただけに、滋賀方面の山にはいささか泣かされた(丹波の山城探索に比べれば、山道はしっかりしているが)。とあるブログによれば、壺笠山界隈はダニが多いという、たしかに湿気の多い下り道を歩いてきた身としては実感するところだ。山城探索は木々の葉っぱが落ち、下草が枯れ、蛇や虫なども冬眠している晩秋から晩冬までがシーズンだ。そろそろ、蛇や虫が這い出してくる春がくる・・・が、許す限り山城探索を続けんとするクマです。ただ、ウサは嫌がるだろうな・・・間違いなく。 By kuma

 *付記:あとで調べたところ、比叡一乗寺城ではなかろか?と推測したところが城址であった。
posted by うさくま at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年03月09日

四条発、東山から粟田口を経て四条へ戻る

土曜日に続いて、山城&山歩きを楽しんできた。ウサは昨日の疲労と花粉症のため「行かへん」とのことで、一人行だ。今回の山城攻略は将軍足利義輝が八坂の塔の東方、霊山の尾根に構えた霊山城址だ。ものの本によれば墓地の造成によって城址は消滅したというが、資料館でゲットした簡単な縄張り図を手に城址探しに出発した。

霊山-遠望
八坂の塔後方の山上に霊山城址がある

四条大橋を渡って、建仁寺境内を経て八坂の塔へ、人手で賑わう二年坂から高台寺、右手に見え隠れする山が霊山だ。地図を見ると城址へは護国神社にある坂本竜馬の墓所後方に登り口らしきものがあり、まずは竜馬の墓に詣でてから城址を目指そうとした。ところが、なんと入場料三百円とあり「え〜っ」という感じだ。けち臭い話だが竜馬の墓所参拝は取りやめて、もう一つの登り口である正法寺の墓地を目指す。墓地の外れの崖を強引に攀じ登ると、よく踏み固められた山道を発見。ちなみに、竜馬の墓地方面に下ってみると、ガッチリと金網でバリケードされ「立ち入り禁止、ここから先有料」のカンバンが付けられていた。さすがに京都の神社・仏閣はしっかりしてはるな〜。

霊山-建仁寺 space_w 霊山-八坂の塔 space_w 霊山-愛宕山遠望
建仁寺の楼門  橙の木越しに八坂の塔  正法寺境内から愛宕山を遠望

で、城址をめざして山上へ。と伊藤博文の碑というどでかい石碑が現われ、振り返ると木立が邪魔しているものの京都市街から愛宕山までが一望できる。縄張り図と見比べてみると、どうやら石碑のある削平地が主郭のようだ。主郭から南西側の山腹を木々越しに見透かすと、なにやらヒナ壇状の削平地が見える。印象としては風化と藪化が進んでいるが、幾重にも設けられた腰曲輪、崩れかけているが切岸も残っている。主郭の東直下には、その先の尾根とを穿つ堀切が設けられ、さらにその先には土橋をもった竪堀状の遺構も確認できた。城址を振り返ると主郭の高い切岸と堀切、左手尾根に連なる曲輪群が確認でき、なかなかどうして立派な城址だ。

霊山-城址01 space_w 霊山-城址02 space_w 霊山-城址堀切
霊山城址を探索 - 主郭下の曲輪  曲輪の切岸  主郭東の堀切

霊山-城址主郭 space_w 霊山-清水分岐 space_w 霊山-将軍塚へ
城址主郭を振り返る  清水との分岐  将軍塚に続く尾根道

霊山-将軍塚 space_w 霊山-粟田口へ space_w 霊山-円山分岐
将軍塚  将軍塚から粟田口へ  円山公園への分岐

霊山城址をあとに、将軍塚へと向かう。山道は快適で、ほどなく清水寺方面との分岐へ到着。一帯は土橋と竪堀?、虎口の跡?といった地形で、まるで城址のような雰囲気だ。清水寺から登ってきた場合、ここから霊山城址へと進むところだが、城址方面は「この先行止り」の標識が立てられている。護国神社方面からの登りと東山トレイルからの分岐が、ともに「行止り」となった時点で霊山城址は幻の城址になってしまったようだ。さて、将軍塚に続く尾根に取り付き、山道をしばらく歩くと唐突に将軍塚駐車場へと到着だ。そもそも将軍塚とは平安遷都にあたって桓武天皇が、都の鎮めの意味を込めて武将の像を埋めた塚を築かせたのが始まりといわれる。その後、国家に異変が生じようとしたとき、塚が鳴動したという。いま大日堂が建立され、その庭園に設けられた展望台から見る京都市街の眺めは素晴らしいパノラマだ(入園料:五百円)。トレイルコースは大日寺山門の手前の標識から山道に分け入り、大日寺に沿って北方へと続く。円山公園の分岐を通り越し、都ホテルの敷地をかすめつつ、粟田口へと下っていく。粟田口に到着すると、府立図書館に向かい借りていた本を返却。あとは、南禅寺→知恩院→八坂神社とブラブラ歩きで、ウサが一緒なら許されない菊正宗パック(一合)を片手に四条河原町を目指す。ほどよい疲れにアルコールがよく滲み通る、つまみに買ったたこ焼き(六個三百円)も美味い、これはこれで癖になりそうだ。

霊山-下山 space_w 霊山-八坂の梅 space_w 霊山-八坂楼門
踏み固められた山道が続く  八坂神社の紅梅  八坂神社の楼門

これまで、嵐山方面の西山トレイルコース、鹿ケ谷から大文字山、北白川の白鳥越えから雲母坂、そして、今回の将軍塚から粟田口への東山トレイルコースを断片的に歩いてきた。いずれも道がまことにきれいで標識も要所に立てられていて、快適な山歩きが楽しめる。とくに東山トレイルコースは、中世以来の道がそのままコースになっており、城址、寺院跡などなど、知らず身をもってそれぞれの時代史が体感できるところである。いつまで京に住み続けるのかは分からないが、可能な限り、京周辺の山城攻略&山歩きを楽しもうと思っている。by kuma

posted by うさくま at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年03月08日

北白川から白鳥越えを経て修学院へ

昨日、ウサと一緒に北白川から白鳥越えを経て石鳥居、雲母坂から修学院までを歩いてきた。四条烏丸より市バス3系統に乗り三十分、終点北白川仕伏町で下車、トレイルのルートでもある「北白川史跡と自然の道」の標識が見える。以前、生山山上の北白川城址を訪ねたとき、山上から下ってきた道だ。今回は、北白川城の南端に位置し志賀越えの道を押さえる南城址への登り道から取り付いた。

北縦走-登り口
旧来の登り口にはマンションが建っていて登れない

山上に展開する北白川城址群は、瓜生山山上のものを本城(勝軍地蔵山城)に、東尾根上に白鳥越えと地蔵谷からの道を押える東山新城群、そして、南尾根城址がある。本城と東山新城は城址ファンにも知られているが、南城址はいささかカゲが薄いようだ。しかし、実際に登ってみると、堀切、曲輪、帯曲輪が配され、主郭などの切岸も見事に残っている。なかなか、見応えのある城址である。城址の北端は「北白川史跡と自然の道」に接し、踏み固められた山道が白鳥越えへと続いている。尾根に取り付き、東山新城で昼食を摂り、新城の北側に残る北城址群を経て、比叡山方面へとトレイルルートをテクテクと登り続ける。天気はいいし、ほどよい温かさで快適そのもだ。

北縦走-南堀切 space_w 北縦走-南切岸 space_w 北縦走-東新城
北白川南城址の堀切  南城址主郭の切岸  山上尾根の東新城へ

北縦走-大岩 space_w 北縦走-一乗寺城 space_w 北縦走-大鳥居
堀切を思わせる大岩  一乗寺城址を分断する白鳥越道  石鳥居に到着

北縦走-水飲対陣 space_w 北縦走-千種卿碑 space_w 北縦走-細尾根
水飲対陣の跡碑  千種忠顕卿戦死の碑  雲母坂に通じる土橋状の細尾根

北縦走-雲母坂城 space_w 北縦走-雲母坂 space_w 北縦走-石碑 
雲母城址の遺構か? 狭い雲母坂をひた下りる  雲母寺跡の碑 

城址、旧跡を巡りながら雲母坂の堀切道を下りきり、修学院バス停についたときは夕闇が広がりつつあった。全行程、テクテク上り下りすること、約6時間の山歩きであった。 by kuma
posted by うさくま at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年03月01日

大文字山から中尾山を縦走する

ウサと娘のポチとHYさんの四人で、大文字山から中尾山を縦走した。大文字山には如意ヶ嶽城址があり、北は銀閣寺より、南は蹴上より、東は大津の三井寺より、そして西は鹿ケ谷よりと様々な登りコースがある。ウサクマ一行が選んだのは、如意ヶ嶽の呼び名のもととなった如意寺跡をたどりながら大文字山・如意ヶ嶽へと登っていく鹿ケ谷コースだ。四条烏丸駅で203路線バスに乗り換え、真如堂前停で下車、登り口の目印である谷の御所・霊鑑寺を目指す。霊鑑寺すぐ右手の道に「此奥 俊寛山荘地」の石碑を確認、霊鑑寺の白壁に沿って坂道を登っていくと、道は円重寺、波切不動尊へと続き、やがて人家は途切れて談合谷へと入っていく。

大文字-菱形基線測点
目指す大文字山頂上にある菱形基線測点

コースは東山トレイルの一部だけに要所には案内板が立てられ、路面もよく踏み固められていて歩きやすい。とはいえ、渓流沿いの急坂であり油断は禁物だ。しばらく登り続けると、石垣や石段など僧坊跡と思われる遺構があらわれ、かつて寺院が存在していたことが実感される。一方、渓流には大小の滝が見られ、寺院跡の遺構とあいまって飽きさせない。さらに登っていくと、岩の上に「俊寛僧都忠誠之碑」が現われる。俊寛は後白河法皇の側近で、平家転覆の陰謀に加わり、鹿ケ谷の山荘で密議を凝らした。企ては多田行綱の裏切りで破れ、俊寛は遠く鬼界ヶ島に流された。世に名高い「鹿ケ谷の陰謀」事件で、談合谷と呼ばれるようになった故事でもある。石碑のある場所からは京都市街が眼下に広がり、俊寛らは京の町を見下ろしながら気勢をあげていたのではなかろうか。さらに登っていくと、ひな壇のような削平地、土塁などが現われ、一部の削平地には庭園跡と見えるところもある。ものの本によれば如意寺は、大津の園城寺を東門とし、鹿ヶ谷楼門の滝を西門とする広大な山域に堂舎が点在していたというが、それが誇張でないことが実感される。

大文字-登り口 space_w 大文字-西楼門跡 space_w 大文字-堀切道
霊鑑寺から山上へ出発  西の楼門跡といわれる遺構  山上へ続く堀切道

山道はよく踏み固められ、まるで堀切道のように山上へと続いていく。やがて、竪堀があらわれ、鹿ケ谷から登ってきた道と蹴上から上がってきた道、そして大津如意ヶ嶽方面からの道が合流する大文字四辻にたどり着く。そこからすぐ上が如意ヶ嶽から大文字山へ続く尾根で、見上げると竪堀が穿たれ見事な土橋が尾根をつないでいる。そこから三等三角点のある大文字山山頂まではあと一息だ。大文字山といえば五山送り火の大文字山を思い描くが、送り火が行われるところは三角点のある頂上から西方へと下っていった山腹にある。大文字山山上一帯には、応仁・文明の乱のころに城砦が築かれ、以後、乱が起こると城砦が築かれた。管領細川氏、近江守護六角氏、さらには将軍足利義輝らが京の争乱に際して大文字山山上の城砦を利用した。この山上を本丸とする城址は、如意ヶ嶽城と呼ばれたことから、大文字山、如意ヶ嶽の使い分けがいささか混乱する。

大文字-四辻 space_w 大文字-竪堀 space_w 大文字-木戸跡
大津から山科から…大文字四辻  尾根を穿つ竪堀  かつての木戸跡と思しき土塁

大文字-パノラマ space_w 大文字-横堀 space_w 大文字-土塁
山頂からの一大展望  城址には見事な横堀跡が残る  山上西側の土塁跡

大文字-西の岩 space_w 大文字-西の竪堀 space_w 大文字-火床から
西の門跡か?大石が  その先の尾根を穿つ竪堀と土橋  火床から市街を遠望

おりからの快晴もあって山上からの眺めは抜群、遠く大阪方面の高層ビルから奈良県の金剛山まで一大パノラマだ。山頂北側の尾根には如意ヶ嶽城址の曲輪がひな壇状に連なり、堀切、横堀、土塁も見事に残っている。頂上で昼食をとったのち、大文字焼きの火床に下って京都市街を展望、一度、尾根に戻って中尾山を目指した。中尾山には将軍足利義晴が築き、義輝が拠った中尾城址が残っている。そして、中尾城址をたどりながら尾根道は急坂となり、銀閣寺横の大文字山登山道へと降り立つ。行者の森石仏、八神社を経て浄土寺を左折すると、そこは銀閣寺の総門前だ。八神社鳥居のそばには由緒ありげな萱葺の門があり、表札を見ると「世継」とある。世継家は足利将軍に仕え、銀閣寺裏の砦を守ったという古い家で、上山春平氏の著作にも中尾城址発見の逸話として紹介されていた。実際に世継家の表札を見て、日本という国の歴史の古さというか、「ものもち」の良さというかが思われてなにやら可笑しかった。

中尾-堀切 space_w 中尾-主郭土塁 space_w 中尾-世継門
中尾城址最南端の堀切と曲輪  主郭南部の土塁  八神社鳥居横の世継家萱葺門

霊鑑寺から銀閣寺まで約四時間の山歩きは、鹿ケ谷一帯に散在する寺院跡、山上からの展望、そして山上一帯に残る城址探索と、まことに盛りだくさんな山歩きが楽しめるところだ。つぎは、蹴上方面から山上、火床を経て銀閣寺、いやいや銀閣寺横から千人塚を経て大津方面への縦走・・・などと、夢が広がっている。 by kuma
posted by うさくま at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2009年02月26日

嵐山城址から苔寺へ下る

先日、嵐山城址を攻略したあと鳥ヶ岳方面へ登っていくか、それとも引き返して苔寺に下山していくか悩んだ結果、苔寺を目指すことにした。嵐山駅方面への道と苔寺方面に通じる道との分岐点まで下山、そこから苔寺方向に面舵全開とあいなった。コースは松尾大社裏の尾根を南下し、苔寺へと通じるトレイルコースだ。よく踏み固められた快適な山道で、要所に標識も設けられ、まことに軽快な山歩きが楽しめた。
 
嵐山-案内図
分岐点の案内図
嵐山-分岐 space_w 嵐山-分岐点 space_w 嵐山-下山 
登り道から見た分岐点  案内板でコースを確かめる  堀切のような山道を下る  
嵐山-山道 space_w 嵐山-古墳1 space_w 嵐山-古墳2
まるで土橋のような道  途中には石室がむき出しになった古墳が散在している 
嵐山-羊歯の道 space_w 嵐山-雑木の道 space_w 嵐山-桂を見る
羊歯の生い茂った道   雑木林のなかの道  途中の尾根で桂方面のパノラマを楽しむ 
嵐山-篠の道 space_w 嵐山-竹林 space_w 嵐山-苔寺そば
軽快な山道が続く  竹林が現われると麓はすぐそこだ  苔寺を左手に見ながら上桂駅へ

京都には「京都一周トレイルコース」が整備され、それなりにハードな山歩きが手軽に楽しめるようになっている。今回歩いた松尾大社裏山のコースは、松尾大社を創祀した秦氏のものといわれる松尾山古墳群の存在でも知られたところで、歴史好きには嬉しいハイキングコースだ。途中には、松尾大社の磐座に通じるのではと思われる道もあった。こころ動かされるところであったが、酒好きのkumaとしては松尾の神様への冒涜になるようなこともならず、ズンズンと先を歩いていくウサを追っかけるカタチで苔寺へと下っていった。
ところで、西山の間逆に位置する東山にも「東山トレイルコース」が整備され、コースには北白川城、如意ヶ嶽城などの戦国山城が散在している。嵐山をたずねた翌日、さっそく北白川城址を攻略してきたが、東山のコースもまことに快適で、壮大な山城探索と併せて満足度十分なものだった。京都一周トレイルコースは、山歩きと山城(歴史)探索がセットとなっている。中世の道路の多くが尾根道であったことを思えば、山城がコースに存在していることは当然であり、将軍や戦国武将らが往来した道でもある。中世の道と山城がセットとなった山歩きコース、これは戦国ファンにとっては「まことに堪らん」ところではないか。  by kuma
posted by うさくま at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き

2008年12月21日

多紀アルプスに登る

篠山市の北方に聳える修験道の山、多紀アルプスに初めて登ってきた。多紀アルプスへの登山コースは、北の川坂方面から、西の栗柄方面から、東の筱見四十八滝から、南の火打岩方面からなどがある。今回の登山の目的は、中世に栄えた三岳修験道の足跡を訪ねることにあったため、小金口から登って福泉寺跡→小金ヶ嶽→大タワ→三岳・行者堂→大岳寺跡、そして火打岩へと辿るコースを歩いてきた。

小金口から登り始めてしばらく行くと谷川沿いの道となり、かつてお堂があったのではと思わせる古い石積みが現われ、登山道はそこを迂回するように谷川からそれ尾根方向へと登っていく。ガイドブックによれば谷川沿いの道をしばらく登るとあったが、他に道は見当たらないため、ためらわずその道を登っていった。ところが、これが大間違いで、三十分ほど登ったところで山道は途絶えてしまった。あらためて石積みのところまで戻り、谷川沿いに登り道を探すと、倒木の向うにそれらしき道がある…!やはり、谷川沿いに登山道があったのだ。一時間のロスタイムは冬の山登りには痛い、一本の標識さえあれば…といささか恨めしい。気を取り直して谷川沿いの道をひたすら登ること四十分、かつて修験道の道場として栄えた福泉寺跡へ到着。相当な大きさの建物があったとことを実感させる礎石群、大峰山との戦いを意識して作られたという堀切、馬駆場、さらに土塁と思しき遺構が残っている。しかし、寺跡は復興されることもなく、緩やかに野に返りつつあるようだ。

taki07 space_w taki08
谷川沿いの道                      福泉寺跡の礎石群

福泉寺跡から小金ヶ嶽頂上への道は、しばらく緩やかな上りが続くが、樹林の間から見える小金ヶ嶽は見上げるような高さである。果たして、整備された階段が現われた所から急坂となり、やがて階段が途切れると岩にしがみ付くようにしての登りが続く。高所恐怖症気味の身としては、へっぴり腰で岩を攀じるしかないわけだが、谷筋を隔てた三岳の雄大な山容、遥か遠くに連なる山並みなど折々に見える素晴らしい景色にしばし恐怖を忘れる。攀じ登ること二十分で頂上へ、そこから広がる展望は文字通り三百六十度、その大パノラマを楽しみながら昼食のおにぎりを頬張る。
腹ごしらえをすまし、しばしの休憩をとり、西方に聳える三岳を目指して大タワへと向かう。直角に下るかのような急坂を木や岩をつかんで下ると、そそり立った岩稜上を縫うように続く細い道を辿って行く。油断のできない岩稜を越え、緩やかな尾根道に出ると思わずホッとする。後方を振り返れば、いま攀じってきた岩稜の向こうに小金ヶ嶽がそそり立っている。その光景は異様な迫力で、修験の山に身を置いていることが実感させられる。のんびりと落葉樹の林を過ぎ、苔むした針葉樹林の中に続く道を下りきると大タワへと到着。一時間のロスタイムはあったが、小金口から大タワまで三時間四十分の行程であった。

taki01 space_w taki02
space_w
taki03 space_w taki04
小金ヶ嶽方面から三岳を見る   小金ヶ嶽頂上
大タワへの岩稜の道          岩稜から遥か下方の町を見る

しばし休憩を取ったのち、疲れた身体に気合を入れて三岳頂上を目指す。
大タワから三岳への登山道は階段が整備されていて迷うことはないが、何やら神社に参拝すような気分である。たしかに小金ヶ嶽のような怖さはないものの、いつ果てるともなく山頂へと伸びる階段を、前方にどーんと見える三岳に向かって登り続けるのは単調で辛いものがあった。階段を登りきると鎖場が現われ、やっとの思いでそこを過ぎると平坦な尾根道に出る。後方を振り変えると、谷を隔てて小金ヶ嶽の厳めしい姿が見える。やがて、三岳の頂上手前にある行者堂に到着。行者堂には三岳を開いたといわれる役の行者が祀られており、なんともいえない鬼気迫る雰囲気が漂っている。まったく霊感のない相方のウサ公が「この堂は怖い」などという。おそらく、かつて三岳で行を積んだ多くの修験者たちの祈りが、いまも行者堂には充満しているのだろう。
とまれ役の行者像に参拝し、三岳頂上で小休止をとったのち、火打岩集落を目指して山をひたすら下りていく。途中、東側には谷を隔てて小金ヶ嶽がそそり立ち、西側には西ヶ嶽の雄姿が望める。三岳の登山道は小金ヶ嶽に比べると、勾配はあるもののまことに穏やかなもので、大岳寺跡を経て鳥居堂の旧跡まで、落ち葉の道を修験者になったかのように駆け下りてゆく。やがて、馬の背と呼ばれる土橋のような痩せ尾根が現われ、火打岩と丸山との分岐点へと到着。この時点で、冬の太陽は西方の山際に沈もうとしている。冬の日暮れは早い、さらに足を早めて火打岩へとひたすら下りていく。火打岩の登山口に着いたころには、すでに夕闇が包みはじめていた。大タワを出発してから二時間十分、小金口から火打岩まで一時間のロスタイムを含めて全行程五時間五十分の山歩きであった。 振り返ってみると、小金ヶ嶽は厳しい山で、三岳は優しい山であったような・・・。 

taki05 space_w taki06
小金ヶ嶽を遠望              三岳の行者堂

ところで、三岳修験の行は表と裏の二道に分かれており、表は金剛界廻りといってまず筱見四十八滝から峰々を経て三岳頂上の行者堂へ。裏は胎蔵界廻りといい、三岳頂上から西に向かい、西ヶ嶽を通って里の養福寺に入って滝の宮で水行をして終わるとある。今回、小金口から火打岩を経めぐったわけだが、次は火打ち岩から三岳を経て栗柄へのコースを目論んでいる。さらに、筱見四十八滝から大タワへのコースをたどることで、変則的ではあるが金剛界廻りと胎蔵界廻りを成し遂げたいと思い描いている。  by kuma
posted by うさくま at 21:29| Comment(1) | TrackBack(0) | 山歩き