ひさしぶりに多紀連山に登ろうということになった。
ルートは、かねてより登りたいと思っていた川阪コースをチョイス。
川阪コースは修験道のひとつで岩門、聖窟があり、
戦国時代の山城ー川阪砦跡もある、見所の多いルートだ。
とはいえ、明確な山道はなさそうなのが気になったが
尾根筋にさえのれれば問題なかろうとたかをくくって出発した。
三連休の中日、計画では青春十八切符を利用して岐阜城に登るはずだった。しかし、クマのチョッとした勘違いで中止となり、それならと相方の意見をいれて西光寺山に登ることにした。西光寺山は二度目の登山となる。前回は篠山側の今田より鷺草見物を兼ねて登ったので、今日は西方の西脇市側よりアタックすることにした。
西脇側からの登り道はいくつかあるようだが、もっともオーソドックスな双葉小学校からのコースを選んだ。小学校のかたわらより山に入っていくと、野外活動センター「中畑林間ファミリー園」 があり広い駐車場も完備されている。篠山市今田側の野趣に富んだコースと違って整備が行き届いているが、今田側には鷺草の群落を保存するという観点からも自然のままであってほしいと願う。
篠山から登り口にむかう道すがらに西光寺山を見る−高い!
ファミリー園からの登り口に立てられた登山案内板を見ると、双葉小からのコースは 「金鶏伝説の道」 と記されている。かつて西光寺山の山頂には山岳寺院があり、金鶏伝説にちなんで金鶏山西光寺とよばれていた。いまも、篠山今田側の中腹に寺院跡が残っており、往時の繁栄ぶりを偲ぶことができる。
広い登山道(林道) に踏み出すと、周囲は公園整備が進行中のようにも、計画が頓挫したようにも見え、いささか荒れた風情を醸し出している。林道を歩いて行くと、やがてコースは右回りと左回りに分岐する。標識を見れば左回りの方が200mほど短いが、まだまだ体力もあることだし右回りコースを登ることにした。
登り口の道標、頂上まで2kmだ 林道終点から山道に入る
今日は朝から快晴、伸び放題になっていた生垣の刈り込みをした。
先日、相方が半分ばかり刈り込みしてくれていた残りを刈り込んだわけだが、時間とともにいやます暑さのなかでの作業、全身汗びっしょりとなった。生垣がスッキリしたあとはシャワーを浴びて汗を流しビールを呑む。「実に美味い!」、この一杯を楽しめためだけでも刈り込み作業をした甲斐はあったというものだ。
スッキリとした生垣、これで秋までは大丈夫だろう
しばらくマッタリしたのち、多紀連山に登ろうということになった。
かねてより、筱見四十八滝を起点として小金ケ嶽・三嶽・西ケ嶽を巡り栗柄に下る多紀連山の縦走を企図していて、これまで断続的に多紀連山登山を続けてきた。今日は、まだ未踏の小倉タワより小金ケ嶽までのルートを歩くことにした。もっとも暑さの厳しい正午に出発するのだから、ウサクマも酔狂な族である。
真夏の陽射の下、小倉タワを目指してスタート!
昨日、八上城東方にある曽地砦に登った。曽地砦は野々垣と曽地に挟まれた山稜にあり、曽地砦を中心として北方尾根先に曽地城、南に延びる尾根先に曽地奥砦が連なる城砦群を形成している。曽地は内藤氏が領したところで、東方にある弥十郎ケ嶽の西山麓には四十九院址、曽地の谷を南に越えていくと摂津三田へと通じる要地である。明智光秀の八上城兵糧攻めに際して、曽地の領民、四十九院の僧侶たちは波多野氏に味方して食糧を密かに運びいれたという。しかし、それを発見した光秀により僧侶たちは撫で斬りされ、曽地城砦群は明智方の八上城包囲網の一端をになう向い城となったのである。
曽地砦はこれまでに二度ほど城攻めを行ったがいずれも失敗、その後、おりおりに資料を集めて今回のチャレンジとなった。「篠山町遺跡地図及び地名表」 所収の地図に記されていた山道は途中で消えてなくなり、斜面を激登りした先の尾根筋は雑木と倒木が行く手を塞いでいて、当然ながら展望は全くなし。たどり着いた砦址はと言えば、生い茂る矢竹とわずかに曲輪切岸が残るばかりのところであった。せっかくなので、北方にある曽地城址再訪を目指したところ、尾根筋に見事な堀切状の地形があった。しかし、はたして城址遺構であったのかどうか…。
曽地方面より城址を遠望
城址の矢竹 尾根筋の堀切跡?
なんとも不完全燃焼状態で下山したこともあって、八上城の野々垣登り口を探してみたが見つからない。それならと主膳屋敷址を探訪したところ、思いのほかに素晴らしい城址遺構であった。おりから雑木や夏草が茂っていたが、切岸、登り土塁、虎口などの残存状態は良好で、城道・、竪堀もよく残っている。遺構のほとんどが篠山城を築くときに資材として転用されたというが、一部に石垣も残っている。山上の山城部分の整備と併せて手を入れれば、立派な城館遺跡として再生すること間違いなしと思われるが、おそらくこのままなのであろう…惜しいことである。
今日は、昨日来篠した姉と相方が今田に焼き物を捏ねに出かけるというので同行、二人を送り届けた後は別行動をとって和田寺山に登ることにした。
兵庫丹波の旧氷上郡にある独鈷の瀧から市島町方面に抜ける美和峠経由で、鷹取山→五台山を縦走、下山の途中、林道経由で香良城跡を攻めてきた。香良城攻めは二度チャレンジしたが、いずれも天候に恵まれず途中で撤収という苦い思いをしたところだ。今日も午前中は曇り空であったが天気予報の「曇りのち晴れ」を信じて、三度目のチャレンジとあいなった。
計画では香良城に登ってのち五台山を目指そうとしたが、山麓の岩瀧寺の尼さんの「香良城へは林道からが安全」とのアドバイスをいれて、五台山→香良城にコースを変更。五台山へは独鈷の滝から不動堂を経て、そのまま谷川沿いの道をひたすら五台山に登るコースと、美和峠を経て鷹取山から小野寺山、そして五台山へと至る健脚コースとがある。
五台山頂から山麓を眺望、手前に伸びる尾根先に香良城址がある
この夏に踏破した篠山三角点のうちの清滝山に再訪してきた。
以前は大手道ともいうべき観音堂経由のコースで登り
国土地理院の地図にみえる県守からのコースで下山しようとしたが
荒れた尾根に不安を覚えて、下りを断念した。
下ったのち、県守コースの登り口を確認したところキレイな山道で、
いつか、こちらの方から再登山したいものだと、気にかかっていた。
で、今日県守ノースで清滝山三角点に登ってきたのだ。
コースは悪くないが、登るほどに荒れてきて
ついには道を見失って尾根道を直登し、ピークを越える結果となった。
今朝、これまで登った篠山三角点の写真や地図、
国土地理院の「点の記」などを調べていたら、なんと!
もう一箇所、三等三角点があることを発見してしまった。
真南条にある古刹大平山龍蔵寺の山号の由来となった
大平三山の一つ、中尾ノ峰の三等三角点で。
迂闊にも三田市に位置するものと勘違いしていたのだった。
達成感にひたっていただけに、なんとも悔しい限りである!
おりから天気は快晴、「よし行こう!」と思い立ち
地図を検討すると、龍蔵寺から愛宕山に登るコースがよさそうだ。
ウサを誘ったが 「行かない」という、
「暑いで、死ぬで〜!」 というウサの声を無視して龍蔵寺めざして飛び出した!
龍蔵寺からのコースは所々に道標やテープがあり、急坂を登っていくと
愛宕山と中尾ノ峰の分岐となる植林帯のタワに到着。
ここで道は木立の中に消えてしまったかのように失せ、
沢筋に発見した鉄のポールを目印に登っていくと尾根にのることができた。
分岐となるタワ手前のガレ場と標識
中口山は丹波と播磨の境界上に聳える西光寺山の北方に位置する山で、
南西山麓にはジャパンビバレッジゴルフ場が味気なく広がっている。
登り口としては丹波の境をなす比延峠から、
あるいは黒石ダムなどから登り道があるそうだ。
西脇方面より中口山を遠望する
今回は、もっとも最短コースと思われる二万五千分の一地図の
西脇方面に記された破線のコースを選んだが
道はすぐに植林地帯に入ると消えてなくなってしまった。
植林帯を通り抜け、急斜面の尾根筋を激登りして尾根筋へ、
尾根は見晴らしのない雑木林だが、踏み跡もハッキリしていていい感じのところだ。 尾根筋を歩く
一昨日、痛恨の初歩的ミスを犯したうえに夕立にやられ
無念の下山をした中山の三角点を踏破した。
雨にうたれながら下山した曽地奥より分け入り
一昨日とは逆行するかたちで山道を登る。
改めて登ると、むかしから利用されたものであろう
よく踏み固められた分かりやすい道が尾根筋に続いている。
急な尾根道ではあるが、途中からは曽地方面の見晴ポイントもある。
473mのピークに登りつめると、緩傾斜の尾根道が続く。
日置集落を見る、正面は剛山
やがて、夕立に遭って登山を断念したポイントに到着。
そこから急斜面を登り尾根道をたどったが、
何のことはない尾根を下ると先の山道と合流だ。
その先の広い沢から登り切ったピークが中山で、目指す三角点がない。
一昨日、大山上の高畑山の三角点をサクッと踏破、
その勢いに任せて、昨日は五日連続の三角点めぐりとあいなった。
高畑山の三角点、見晴らしはまったくなし、残念!
目的地は後川と曽地奥の境にある中山で、
二万五千分の一の地図を見て入念に登山ルートを見極め
やや疲れ気味のウサと一緒にスタートした。
曽地中の八幡さんを取り付き地点として
曽地中砦を探索しつつ、尾根筋を登るコースをたどることにした。
途中、篠山の絶景ポイントがあり、しばし休憩。
日置方面から多紀連山までのパノラマ風景を見る
さらに尾根筋を登ることしばし、山仕事の方々か、
あるいはハンターのみなさんの宴のあとか…ビール缶だらけのピークに到着。
ところが、このピークの先にあるはずの尾根筋がない??
一昨日、大期山の三角点に登った。
しばらく天気が悪かったこともあって、一週間ぶりの三角点登りだ。
大期山は標高470.93 m、桂文珍師匠が卒業した篠山鳳鳴高校の後方
昨年、登った笛吹山城の東方に連なる山である。
大熊集落内の某所に車を停め
かつて寺院のあったという谷より頂上を目指した。
はじめは明確だった道も次第に荒れ気味となり
ついにはまったくの谷川となってしまった。
それではと、山腹を攀じり、悪戦苦闘の末に尾根筋に登りつく。
尾根道の途中に大きな崩落、慎重に尾根をトレースしその先の尾根へ。
松の生い茂った尾根道の向うに三角点はあった。
山頂からは木の間越しに篠山の町、多紀連山が垣間見えるばかりで
ほとんど眺望はない。小休止をしたのち、東方の谷筋を目指して下山する。 四隅が欠けた柱石
大期山に続いて、昨日は篠山の北方大芋集落にあるモロケ谷の頭の三角点へ。
今日も快晴、虚空蔵山登りで火がついた山歩き
新緑と花々に誘われて、二年ぶりに筱見四十八滝を巡った。
姫路に通じるデカンショ街道(国道362号線)と、
池田から綾部に抜ける国道173号線が交わるする小野新交差点。
そこから北へしばらく走ると、
東多紀アルプスの主峰ともいうべき八ヶ尾山が厳つい姿を見せる。
筱見四十八滝は八ヶ尾山の西方に位置し、
岩稜が巍巍と連なる多紀アルプスの水が断崖層に多くの滝をつくり出したもので、
その落差は約130メートル、始終(しじゅう)滝の水が流れていることから
「四十八滝」と呼ばれるようになったという。
長滝とターキーブリッジ
岩場より筱見方面を見る
今年にはいって摂津三田方面の山城こそ登っていたが、
気合の入った山歩きからはひさしく遠ざかっていた。
気候もよくなったこととて、ウサと相談した結果
篠山市と三田市の境をなす標高596mの山…虚空蔵山に登ろうということになった。
虚空蔵山はむかしは岩辻山と呼ばれていたそうで、
推古天皇の時代、聖徳太子が夢のお告げによって三田市側の中腹に
虚空蔵堂を建立したことから虚空蔵堂山と呼ばれるようになったのだと伝えられる。
虚空蔵山へはJR藍本駅から酒垂神社を経て虚空蔵堂に至る表参道と、
藍本駅の北側より登る裏参道がある。
さらに、東北方の草のから登る道、西方の今田から登る道などもある。
今回の初登山は藍本側の表参道をたどって虚空蔵堂から山頂を目指した。
表参道は往時の石畳や石段、参拝者が手を清めたという石舟などが残り、
案内板や道標も整備された歩きやすい道である。
中腹の虚空蔵堂には、桜が咲き、遠く三田市外が見える
盛時は本堂の他に毘沙門堂、薬師堂、仁王門などの七堂伽藍があったというが、
現在ではわずかに虚空蔵堂が残るばかりである。
とはいえ、境内に残る姫路の書写山円教寺、彦根城のものと同型という
鯱(しゃちほこ)瓦、役の行者堂、本堂後方の山腹にある平坦地などに
かつての名残を感じることができる。 表参道の長閑な山道
重厚な佇まいの虚空蔵堂
昨年の暮れ、岩谷山に登って以来、なにやらマッタリと過ごしてきた。
某テレビ局のバラエティのネタによれば
運動をしないとカルシウムが無駄に体外へ流出してしまうという。
それはイカン!惚けっとしている場合ではないと久しぶりに山らしい山に登った。
ターゲットは、篠山北方の修験の山-多紀連山の東方に位置する八ヶ尾山で
山上には明智光秀の築かせた山城址があり、登山と山城探索、
文字通り一石二鳥の山登りとなった。
弁天様に祠より、岩だらけの尾根道をひたすら山上へ
山麓に祀られた弁天さまの祠横から取り付き雑木の山道を登る、
やがて道は不明瞭となるが、木々に付けられた赤いテープと
兵庫県警の文字の入った黄色いテープを道標に岩だらけの尾根を登り続ける。
天気は上々で要所で広がる眺望は抜群、
一月だというのに汗が噴き出してくる…
やがて思案岩を越え急斜面を登りきると山上に到着、
きれいに木々が伐採された山上には不思議な標識と二等三角点、
真新しい祠が祀られて、眺望は360度のパノラマ風景で、文字通り絶景だ。
何故か四隅が削られた三角点越しに多紀連山を遠望
山上から小原方面を見下ろすように立つ祠越しに毘沙門山より櫃ヶ嶽の連山を遠望
遠く兵庫と大阪の県境をなす山々が遥かに見える
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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