2011年10月14日

山科けいすけの 「SENGOKU」 は、お奨め!

先日、久しぶりに一杯やった友人が、山科けいすけ描く
『SENGOKU 上・下巻 (新潮文庫)』 を 「おもろいで」 といってプレゼントしてくれた。

山科けいすけといえば、ビッグコミックに連載されていた
「C級さらりーまん講座」が大好きで、かねてより、
めっちゃ贔屓にしている漫画家の一人だ。
酔眼をこすりながら帰りの電車の中で読みはじめると 「めっちゃおもしろい」
神戸から丹波までアッという間に着いてしまった。


山科けいすけ SENGOKU
表紙キャラクタの変化は、読んでのちのお楽しみ…、です。


さてさて、内容はといえば、
信長、家康、秀吉をはじめ光秀、勝家ら織田陣営の武将たちを軸として
それに武田信玄・上杉謙信・小田原北条一族、足利義昭、松永久秀がからみ
さらに服部半蔵、果心居士、飛び加藤、風間一族らの忍者、千利休らの文化人が
縦横無尽に登場してくる、一大戦国ギャグ叙事詩というべき代物である。

戦国時代好きの人であればあるほど、ギャグの切れ味の良さに
思わず二ヤリ!いやいや抱腹絶倒をすること請け合いだ。
ここまで戦国武将をギャグってしまった山科けいすけは 「スゴイ!」 漫画家だ。
すでに四回も読み返してしまった『SENGOKU』、いまや座右の書となってしまった。

・・・・・・・・・・
『SENGOKU』 
山科けいすけ著
新潮文庫 上・下巻 各500円

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2010年10月27日

「となりのツキノワグマ」 を読んで

あんなに暑かった夏が過ぎ去って、いまでは、朝夕、肌寒さを感じるようになった。
木々が葉を落とす晩秋は、山城探索シーズンの幕開け、
樹木に隠されていた山城の遺構群が姿を現す絶交の季節である。ところが、今年は盛夏の影響で山の木の実が不作とかで、クマたちが人里に出没、すでに昨年をうわまわる被害者が出ているようだ

動物学者にいわせれば、クマは山の荒廃で、年々、減少傾向にある希少動物とのことだが、宮崎学氏の 「となりのツキノワグマ」 を読むと、実は増加傾向にあるのだという。
宮崎氏は長野在住の動物写真家で、クマが減少しているという説に疑問をもたれ、2005より集中的にツキノワグマを撮影されている。宮崎氏のクマは増加しているという話は、フィールドワークに裏打ちされた撮影成果によるものだけに説得力がある。
また、宮崎氏が撮影したツキノワグマたちの写真はなんとも可愛らしく愉快なものが多い。
「となりのツキノワグマ」 の写真を見ていると、クマとヒトがうまく共存できる道は必ずある!と思えてくる。

となりのツキノワグマ
「となりのツキノワグマ」より、なんとも可愛らしいクマのアクション

とはいえ、里山の崩壊、植林地の荒廃などによってクマとヒトの境界線が曖昧になり、クマにとって
唯一の天敵であるハンターが銃規制の強化による減少一方ということも相俟って、これからもクマの個体は増加、ヒトがクマと遭遇する機会は、さらに増えていくことになりそうだ。加えて、今年は山の不作による栄養摂取不足で冬眠しないクマも出るらしい。

この晩秋から来年の初春にかけて、丹波・但馬から播磨北西部の山城群への登城を計画していたが、京都府のクマ目撃情報マップを見ると丹後はクマだらけで、京丹波も相当数のクマが出没しているようだ。但馬、兵庫丹波、北播磨もレッドゾーンにあるとみて間違いないと思われる。城址でクマと遭遇、乱闘のすえに討死というのは避けたいところだ。
さて、どうするか !?
思い切ってクマとの合戦を想定して、甲冑を着て登るというのもありかな…。
by kuma
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2010年09月13日

宮部みゆきの百物語シリーズ 二作目を読む

宮部みゆきの新刊 「あんじゅう」 を読む。
「おそろしや」 に続く三島屋変調百物語シリーズの二作目だ。

今作のなかでは「逃げ水」と「暗獣」 が切ない
それぞれ、あの世のものとも、この世のものとも判じかねる存在が
人間と関わり、それぞれお互いを思いやる物語だ。
とくに暗獣の 「くろすけ」 は、なんとも愛らしく切ない。

人の住まなくなって久しい空き家に湧いたような物の怪 「くろすけ」  は
トトロに出てきた「真っ黒くろすけ」と非常に似ている。
人の住まなくなった家のシンとした暗闇は、物の怪を生みだす絶好の環境なのだろう。

「くろすけ」 の棲家となっている空き家に老夫婦が住み着くようになる。
やがて、 「くろすけ」 は老夫婦に懐くようになるが
もともとこの世のものではない、人のいない暗闇に湧いてできたものだけに
人との関わりを深めることは、自らの存在を無へと帰することになる。
「くろすけ」 は老夫婦ともっと仲良くしたいのに、人と共存することは決して許されない…、
この二律背反するキャラクタが、切なく、いじらしい物の怪 「くろすけ」 なのであった。

kurosuke.jpg
人気者になること間違いなし!なんともキュートな 「くろすけ」

今作は本としての作りも面白いもので
各ページをめくるたびに南伸坊さんの書いた挿絵がページの下方にチンマリと 
まるでパラパラマンガのようにレイアウトされているのだ。
電子書籍を意識した装丁だろうが、南伸坊さんの可愛らしい絵が
物語とうまくマッチして、なにやら絵本を読んでいるような感じだ。

今作で登場人物もふえ、物語の世界もさらに膨らんでいきそうな気配がする 
三島屋変調百物語シリーズ。まだ、残りは90話もある。
なんとか、100の物語すべてを読み終えたいものだ。
by kuma
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2010年09月05日

水木先生の傑作名言集を読む

朝の連ドラ 「げげげの女房」 が視聴率20%近くを記録する人気で
ゲゲゲ現象を起こしつつ、物語もいよいよ大詰めになってきた。
話そのものは、貧乏暮らしの時のほうが断然面白かったが
独特の笑いとペーソスは変わらず、見ずにはいられない。

ドラマに引っ張られたわけでもないが、図書館から
『水木さんの幸福論』 『本日の水木さん -思わず心がゆるむ名言366日』 を
借りてきてジワジワと読んでいる。
「幸福論」 の方はこれまでにも何度か出版されている自伝の別バージョン
というべきものだが、水木先生の人生は、なんど読んでも面白い。
一方の 「本日の水木さん」 は、

 人生におけるけたはずれの経験値
 または普通の人としての水木しげる

と、編者の大泉実成氏も あとがき に書かれているが、
怪人、妖怪のようにもみえながら偉大なる普通人である水木先生の
波乱万丈の人生のなかで生まれた名言・金言・迷言・妄言がテンコ盛りの 
「フハッ」 と、心がゆるんでしまう一冊である。

水木さんの名言

来年、米寿を迎えられる水木先生、その人生の軌跡は真似るべくもないが
間違いなく老人になっていく我々にとって学ぶべきところは多い。

「本日の水木さん」 は 2005年 に出版されたもので、読んだのは今回がはじめて
歳を重ねたいまだからこそ、その内容 (人生) の素晴らしさに気付かされたような・・・。
これから、みずからの老人化がドンドン加速していくなかで、
少しづつでもいいから水木先生の境地に近づいていきたいものだ。
by kuma
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2010年03月18日

「日本の神様」を読む!

二月のなかごろより、
朝、起きるとパソコンを立ち上げ
ひたすらホームページの更新をつづけているせいか
頭の中はスッカリHTML一色状態である。
 
そのようななかで、久しぶりに図書館に行くと
新刊コー尚に真っ白な装丁の本、
これは「何じゃ?」と手にとってみたら
畑中章宏さんの「日本の神様」という本だった。

日本の神様01
光の角度で誌名が分かる

装丁も面白かったが中身をなかなか面白い!
畑中さんはデザイナーとのことで
 写真は不思議な造形的神像がメーンとなっている
 狂言まわしの親子キャラクタのテイスト
 タイプフェースへのこだわり などなど
全体にビジュアルな仕上がりになっている。
自分の好きな世界を軽く流したようでありながら
神像の在りかたの解釈などタダモノではない一冊だ!

日本の神様02
ヘタウマな親子キャラがいい感じだ

ガリガリとサイト更新を続けては「日本の神様」をパラパラと読む。
写真主体で文章量も多くない、すぐに読了といきそうだが
読むというより、写真、文章、親子キャラをジックリ味わっている。
HTML一色になった頭をほぐすには格好の一冊である。
by kuma
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2009年11月08日

戦国ヘルム を読む

過日、コアマガジン社さまから「戦国ヘルム」が届いた。
家紋の監修をさせていただいたことで、送ってこられたものだ。
 
早速、表紙を見ると、美形の真田幸村のイラストが描かれ、帯には、
 
戦国武将を「超」解釈!
現代絵師が強力デフォルメと大胆アレンジで描き顕す
実在武将のビジュアルブック
戦国ヘルム
とある。なるほど、いま世の中に横行する「歴女」なる一群を
ターゲットにした一冊なのだな〜、と読んでみたところ
イラストは措くとして、それぞれの武将の記述は
なかなか要領よくコンパクトにまとめられている。
なによりも、「名言」と題された、
それぞれの武将の生き様を切り取った言葉がいい!
 
ただ、体裁が若者(とくに女性?)向けのイラスト集となっていることが
本来の歴史ファンに顧みられることがないのでは、と思われる。 
それはそれで「よし!」とされているのだろうが、
歴史的な記述(家紋も含めて)が面白いだけに、惜しい!
とはいえ、読みごたえのある一冊なので、売れるといいな〜。 by kuma
 
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2009年10月09日

一揆と戦国大名 を読む

読書の秋、到来!
久留島典子氏の「一揆と戦国大名(講談社学術文庫)」を読んだ。

これまで、「戦国時代」といえば「下剋上」が合言葉のように頭に浮かび
合戦に明け暮れる武士、戦乱に脅え逃げまどう庶民たち

というイメージがちらついた。
しかし、戦国時代が
そのように
単純な時代とも思えなかった。

1980年代の終わりごろから多くの研究者の実証的な研究によって
たとえば、
北条早雲の素性、武田信玄像の本当の像主、
長篠合戦における織田信長の鉄砲三段撃ちの実態など
これまで語られていた戦国史の通説が大きく塗り替えられつつある。

久留島氏はそれら多くの研究成果を踏まえながら
明応の政変をスタートに、織田信長が上洛するまでの約百年間の時代を
大名・領主から百姓・町人らがいかに新時代にむかって生きたか
「帰属の一元化」をキーワードとして丁寧に叙述されている。


久留島氏文庫

これまでの戦国史に対するモヤモヤした気持がスッキリする
いま、もっとも新しい戦国時代史を読める
一押しの一冊である。

2001年に世に出た本で、その存在も知っていたのだが
迂闊にも、今回、学術文庫化されるまで読まずに過ごしていた。
なんとも、わが目の節穴ぶりに嘆いている。  by kuma

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2009年07月13日

サンデーとマガジン

いまから五十年前の昭和三十四年(1959)、少年サンデーと少年マガジンが創刊された。それは、のんびりとした月刊誌時代に幕をひき、日本の経済成長とあいまって少年雑誌の世界を大きく変革させる事件であった。そして、何よりも現代につづくマンガ時代を開くものとなった。そのころクマはまだ田舎に住む小学生で、毎週毎週発刊される雑誌を買えるような身分ではなかった。月、一回、買ってもらった「少年」が何よりのマンガ雑誌であった。
当時の田舎はまことにのんびりしたところで、車やテレビの普及率も低く、本を買うといっても自転車で三十分!もかかる遠い町の本屋さんまで行かねばならなかった。そんなド田舎に暮らすガキにとって、毎週発刊される雑誌を購入するなど夢のような話だった。それでもサンデーとマガジンが発刊されたことは、後付けの記憶かも知れないが、おぼろげに覚えている。
やがて、村にできた散髪屋さんにサンデー・マガジンが置かれたものを見たり、年上のだれかれが買ってもらったものを見せてもらったりしてサンデー・マガジンが身近な存在となっていった。で、おそまつ君、伊賀の影丸、おばけのQ太郎といった連載マンガの面白さに霧中になった。おばけのQ太郎では似顔絵を描いて編集部に送り、絵葉書をもらったこともあったりして、マンガ家になりたいという野望をかきたてられた。なかでも、水木しげる先生の「墓場の鬼太郎」には、一大衝撃を受け大ファンとなった。以後、いまに至るまで変わらぬ水木さんの大ファンである。
今回、「サンデーとマガジン」を読んで、サンデーとマガジンの発刊が、日本のマンガ史において画期的なものであったことが改めてよく分かった。当時、人気マンガ家であった手塚治虫をはじめ、寺田ヒロオ、石森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫といった「トキワ荘」組の新人マンガ家たちの登場、さらに、水木しげる、白土三平、斎藤たかおなど貸本マンガ界で活躍していた劇画家たちのメジャー進出など、いま振り返ってみてマンガがドンドン世の中に溢れ出した時代であった。サンデーとマガジンに連載されたマンガは、自分の青春とそのままかぶっていて、「あしたのジョー」「巨人の星」「天才バカボン」「アシュラ」「サイボーグ009」などなどなどなどなど、忘れられないものばかりだ。
 
 
サンデーとマガジン続きを読む
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2009年06月18日

四方田犬彦氏の「白土三平論」を読んだ

白土三平氏のマンガとはじめて接したのは、月刊誌『少年』に連載された「サスケ」である。小学校低学年のころで、当時、「隠密剣士」とか「風のフジマル」などの「忍者物」がヒットしていた。忍者の駆使する不思議な技、黒づくめの衣装に七つ道具、多くの少年が忍者に憧れた。「サスケ」に魅かれたのは、マンガの中で使われる忍術の技が科学的な視点で解説されていたことだ。ひょっとして、図解どおりにやれば自分にもできるのではないか?と真剣に考えたことを思い出す。
今回、マンガ評論家四方田犬彦氏が著した『白土三平論』を図書館で発見、借りて帰って読んだ。四方田氏も白土三平のマンガに接し、忍術の解説を実行しようとしたという。プロフィールを見ると、やはりクマと同い年であった。なにやら親近感も湧いてきて、読んでいったが、「面白かった」というものでもなかった。なにやら学術書を読んでいるようで、頭が休憩タイムを求めてくる。
 
白土本
 
貸本時代における超ヒット作「忍者武芸帳」から始まり、「シートン動物記」「サスケ」「ワタリ」「真田剣流」「カムイ外伝」などの雑誌連載もの、そして『ガロ』に連載されて一世を風靡した「カムイ伝」などの作品が生み出された時代、白土マンガの軌跡が丁寧に叙述される。「忍者武芸帳」を除けば、ほぼ白土マンガに接してきたクマとしては、読んだ当時のことが思い出され、非常に懐かしかった。しかし、読み物としては、なんというか面白くないのだ!
白土三平氏のマンガは、初期の作品はすごく面白かったのだが、次第にエンターティメントな部分がカゲを薄め、「カムイ伝」の最後の方は歴史的な面が前面に出てきてすごく重い物語になっていった。それが、当時の学生運動というか政治運動(安保)と相俟って、妙な方向でもてはやされたことが、単にマンガ好きな読者に戸惑いを与えたのではなかろうか。どこかの大学の先生は、「カムイ伝」を教材として使用されているという。そのことは、別の見方をすれば白土マンガに教材たりえる「何か」があるということだろうが、それはマンガそのものとしての面白さとは違うような気もする。
『白土三平論』は、クマにとって子供のころより接してきた「好きなマンガ家白土三平氏とそのマンガ群」を、同年齢の四方田氏が論じられたもので、自分史をふりかえる格好の一冊であった。面白い、面白くないは個人の主観であって、読後感は十人十色であろう。いずれにしろ、白土三平氏を語る書物として最高の一冊であることは間違いない。 by kuma
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2009年06月07日

水木さんの本、二冊

少年マガジンで『墓場の鬼太郎』が衝撃の掲載をされて以来、ほぼ半世紀近く水木さんの大ファンだ。水木さんのマンガ、エッセイはもれなく読んできたつもりだったが、図書館で水木しげる大先生の未読本を発見!水木さん本人のエッセイである『生まれたときから「妖怪」だった』と、水木さんをとりまく人々が水木さんの秘密を解き明かそうとする『水木しげる80の秘密』の二冊だ。
早速、借りて帰って一気読みした。

水木本 

「妖怪だった」 は、これまでのエッセイと重なるところがあるとはいえ、『くう、ねる、だいべんきょう』 『千円札のありがたさ』 などなど水木さんの人生に裏打ちされた 「ユカイな人生訓」 が満載されている。一方の「80の秘密」は、荒俣宏氏や京極夏彦氏など錚々たるメンバーによる水木さん「画業50年記念」ものだ。二冊の内容を比べることはできないが、水木さん本人のエッセイの方が当然のことながら断然おもしろい。
もちろん、「80の秘密」も水木さんワールドへのよき案内書となっていて、面白く読めた。とくに末尾を飾る水木夫人布枝さんへのインタビュー記事が出色だ。偉人(怪人?)には、偉人たらしめる伴侶が添われていることがよく分かった。
昨年、園部歴史博物館(南丹市立文化博物館)で開催された企画展「妖怪が大集合!」において水木さんの原画を初めて実見、その印刷かと見紛う精緻な仕上がりに圧倒された。いまも「遠野物語」を連載されているが、その一コマ一コマがすばらしい!米寿を目前にされているという水木さん、願わくば本物の妖怪となって常しえに妖気(マンガやエッセイを通じて)を振り撒きつづけて欲しいと念じている。 by kuma

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2009年05月20日

途中から一気読み、のぼうの城

和田竜氏の書かれた『のぼうの城』を読んだ。以前より雑誌の広告で見知ってはいたが、手にとって読むには至っていなかった。今回、図書館で借りてきて読み始めると、これが素晴らしく面白かった。舞台は武蔵国(埼玉県)にあった忍城で、戦国大名成田氏の居城だ。主人公は成田家当主氏長の従兄弟長親で、その馬鹿かと思わせるキャラクタから「でくのぼう」の「でく」をとった「のぼう」と呼ばれた。そんなのぼう様長親をとりまく成田家の人々、忍城を攻める石田三成をはじめとした大谷吉継らの人間劇がまことによく描かれていた。
主人公の「のぼう」こと長親と幼馴染で成田家重臣でもある正木丹波守、何やらのぼう長親に思いを寄せているらしい氏長の娘甲斐姫、その甲斐姫に恋する酒巻靭負、丹波守をライバル視する柴崎和泉守、さらに領内の百姓たち。一方、忍城を攻める側の大将石田三成と大谷吉継の友情、仕事はできるが人間性がなっていない長束正家の小役人ぶり、などなどまことによく書けている。石田三成の忍城攻めは見事な失敗で終わったことは歴史に残るとおりで、そのきっかけをなしたのは長親であり、成田家を嫌って領内を出奔した百姓であったことも面白く読めた。
こんな面白い物語とは知らず、いままで見過ごしていたとは・・・!どうしても新人の作品を軽くみてしまう悪しき感性は改めないと、人生、おおいなる損をすることになるな〜、と痛感した次第だ!

のぼう本

クマの場合、歴史小説は海音寺潮五郎氏から司馬遼太郎氏らを愛好したせいか、ややもすれば後進の方々の歴史小説を軽視するきらいがある。「改めなくてはいかん!」と思うのだが、染み付いたものを払拭するのは難しい。しかし、海音寺氏にしても司馬氏にしてもすでに鬼籍の人であり、面白い歴史小説家を待望する気持は強い!が「これは!」といった小説にめぐり合えずにいた。今回、読んだ「のぼうの城」は面白さは抜群ではあったが、和田竜氏の他の小説には食指が動かないのはなぜだろうか?やはり、まだまだ頭の柔らかさが足りないのであろう。
ところで、小説にも書かれている通り、豊臣秀吉の小田原攻めによって後北条氏の支城群はほとんど落城あるいは開城するなかで、忍城は小田原落城まで持ちこたえた唯一の城であった。戦後、成田氏は改易となり氏長をはじめ一族は蒲生家にお預けとなった。長親も忍城を去ったのち氏長と行動をともにしたようだ。氏長は娘の甲斐姫が秀吉の側妾にあがったことで大名に復活したが、のちに御家騒動が起こり成田家は改易、没落となり一族は四散した。そのようななかで、長親の子孫は尾州徳川家、酒井氏、阿倍氏などの大名に仕えたことが系図から知られる。長親の実像が小説のようであったか否かは分からないが、なかなかの福をもった人物であったことは間違いないようだ。 by kuma

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2009年04月10日

天文法華の乱

 

十六世紀はじめの戦国時代、一向一揆と法華一揆が全面対立した。その事件に当時の政治状況を踏まえた、今谷明氏の『天文法華の乱-武装する町衆』を読んだ。比叡山の学僧と日蓮宗の信者との間で行われた「松本問答」のところは、とくに面白かった。
 一向一揆のことは織田信長との関係などで語られるところが多いが、法華一揆に関して言えば畿内に限られたこともあって知られるところは少ない。とはいえ、戦国時代のはじめにおける法華一揆の存在は、政治的な観点からも避けて通れないものだ。すなわち、日本の中世における市民運動としての熱気がそこにはあるからだ。結果は、法華一揆の散々な敗北に終わったが、それはいまも祇園祭などの行事において京都町衆(市民)のなかに脈々と受け継がれている。京都町衆(市民)の人々がみずからの誇りとする原点、言い換えれば他国の人を馬鹿にする根本となっているのではないか。

天文法華

ところで、人生・・・十年にして、はじめてハローワークに行った。むかしでいえば、職業安定所だ。昨今の不景気はとんでもない様相を呈しているが、馬鹿な政治をするしか能のない政治家、かれらを支えるべき官僚の我田引水的な施策に物申す一揆は起こらないものか!江戸時代三百年による民俗矮小化を払拭して戦国時代のような熱気溢れる民族に立ち返るには、やはり道遠しなのだろうな〜。 by kuma
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2009年03月21日

石森章太郎の最高傑作は「マンガ家入門」 

人気漫画家だった石森章太郎(のちに石ノ森章太郎)さんが亡くなって久しい。
こどものころ、病弱でマンガ好きだったクマは「少年」という月刊誌を買ってもらっていた。週間マンガ誌の登場前で、少年画報、少年ブック、冒険王といった月刊誌が全盛時代だった。やがて、週刊マンガ誌の登場で月刊マンガ誌は廃刊に追い込まれたが、少年には「鉄腕アトム」「鉄人28号」をはじめ「シルバークロス」「少年同盟」「ストップにいちゃん」などの名作(クマ選)が連載されていた。当時は現代に続くマンガの勃興期で、手塚治虫に憧れてマンガ家になった石森章太郎・藤子不二雄・赤塚不二夫らが活躍をはじめたころで、多くの少年少女がマンガ家になることを夢みた。そのようなマンガ少年少女を狂喜させたのが、石森章太郎さんが著した「マンガ家入門」だ。クマもマンガ家に憧れた少年少女の一人で、なんとか親に頼み込んで「マンガ家入門」を買ってもらうことになったが、それが一大事であった。
いまなら、欲しい本はインターネットで簡単に購入できるが、はるか四十年前、兵庫県西部の山奥に住む身にとって「マンガ家入門」は遥かに遠い存在であった。近くの町(といっても四キロ以上離れている)に行けば本屋さんはあるが、田舎町の小さな本屋に「マンガ家入門」があるはずもなかった。で、いまは亡き姉に頼み込んで、郵便為替で申しこんでもらい、待つこと数週間、「マンガ家入門」が届いたときの喜びはいまも昨日のことのように思い出すことができる。

「マンガ家入門」は画期的な本で、マンガを描くための道具から、描き方、心構えなどが丁寧に記されていた。圧巻は、自作の『龍神沼』を題材として、一つのマンガを構成するあらゆることを、余すところなく説明されていたことだ。それは、まるで映画撮影そのものの解説であった。取り上げられた『龍神沼』は素晴らしいマンガで、まったくムダなコマなどなく、精緻に紡ぎだされた珠玉のファンタジーとよぶにふさわしい傑作だ。その傑作を筆者みずからが、マンガ家志望の少年少女を対象として徹底的に解剖するのだから、読んでいてこれ以上の面白さがあろうはずがない!「マンガ家入門」を書いたとき石森章太郎さんは二十代後半という若さで、同書は『マンガを描く』という技術的な入門書にとどまらず、マンガ家という職業に『就く』という面での入門書ともなっていた。「マンガ家入門」は、「天才マンガ家」と讃えられた石森章太郎さんの若き才能が随所に煌めきを発する一冊だ。
マンガ家入門
続マンガ家入門もいいけれど、断然、マンガ家入門の方が傑作だ!

やがて、さいとうたかお、園田光慶、南波健二といった資本マンガでしか読めない(当時)劇画に魅了され、丸い線タッチの石森章太郎(いわゆる手塚治虫氏の流れ)さんのマンガ(とくに仮面ライダー系)に魅力を感じなくなっていった。そして、「マンガ家入門」は、友達に誕生祝としてプレゼントしてしまった。
その後、マンガののんびりした時代は過ぎ去り、七十年安保のころになると文字通り百花繚乱の様相を呈し、なにやら田舎の少年がマンガ家を夢見る時代は終わっていた。思えば、七十年安保のころは岡林信康・五つの赤い風船らのフォークソング、寺山修司・唐十郎らのアングラ演劇が登場し、振り返ってみてもまことに熱い時代であった。いまも、マンガは好きでよく読んでいるが、すでに面白い読み物として惰性で読んでいるに過ぎない。その間、文庫版で出された「マンガ家入門」を購入したが、それは再編集されたものであってまったく別物だった。
先日、古本市に行ったところ、「マンガ家入門」と「続マンガ家入門」がセットで売られていた。これは買わずばなるまいと、ためらわず購入した。あらためて読んでみて、遠い昔、待ちに待って届いたときの感動がよみがえってきた。石森章太郎さんの「マンガ家入門」は、かつてのマンガ少年少女が抱いた熱い夢の道標となったものであった。石森さんらのマンガに熱中し、マンガ家をめざした少年少女時代を過ごした人にとって、「マンガ家入門」は当時の日々を懐かしく思い出させてくれる一冊であろう。今回、「マンガ家入門」を読みかえしてみて、これこそ石森さんの最高傑作のひとつだ!と確信したのは思い込みがきつ過ぎるだろうか。 by kuma
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2009年02月24日

本箱の片隅からお宝本を発見

先日、ズッと以前に古本屋で購入していた『城と国家』という本を本箱の隅で発見した。哲学者で京都大学名誉教授の上山春平氏の著書で、副題が「戦国時代の探索」というものだ。「城」「戦国」という言葉に惹かれて買ったものだろうが、ザッと流し読みしただけで忘れてしまっていた一冊だ。
ここ二〜三年、関西の戦国山城を経巡っているが、城址探索において縄張り図の有無がいかに重要かということを実感。そして、みずから輪張り図作成を試みてみて、その作成がいかに難しく、独自の才能が必要なものであるかということを痛感した。ちなみに、むかしの刊行物はさておき、城址探索資料のエポックメーキングな出版物となった『日本城郭大系(新人物往来社:1980刊行)』の縄張り図と、それからのちに発刊された『図説中世城郭事典(新人物往来社:1987刊行)』に収録された縄張り図を見比べると、その仕上がりの飛躍的な進歩に驚かされる。以後、自治体による遺構調査など戦国山城の研究が進むにつれ、さまざまな城址の縄張り図が作成され、手軽に入手できるようになった。山城ファンにとっては、まことに嬉しくありがたい状況である。

城と国家

『城と国家』を改めて読み直してみると、上山春平氏が現在に通じる山城研究の先駆者の一人で、1981年当時において縄張り図の重要性を指摘されていることを知った。まことに迂闊なことだが、山城の探求方法というか楽しみ方というかがよく理解でき、山城への嵌り方も通じるところがあって面白く読めた。なかでも「京都の山城を探索する」と括られた嵐山、如意ヶ嶽、北白川など京都周辺にある山城の話は、実際に登るうえでも非常に参考になった。また、中世山城研究の第一人者というべき村田修三氏、滋賀県の中世城館悉皆調査にあたられた中井均氏との出会いなど、山城ファンは上山氏が敷かれた中世城郭研究の道筋を歩いていることを思わせるに十分な一冊だ。
ヒトというものは、すぐ近くに素晴らしいものがありながら気づかない・・・いい加減というか間の抜けたことだ。いま、『城と国家』を繰り返し読んでいるが、山城探索における歴史的視点の重要性、雑木に埋もれた城址から往時の城の姿を再現するうえでの縄張り図の重要性を教えられている。山城に嵌っているいまにおける『城と国家』との再会は、まるで何かに導かれたのではないかとすら思わせる。表紙のイラストが北白川城址の縄張り図であることに気づいたのは、実際に登った翌日の昨晩であった。
屋根裏部屋の段ボール箱に放り込んだままの本、本箱の隅に追いやっている本の中に、お宝本が埋もれているのでは?と思われ、一度、じっくり虫干しをしてみようかなどと考えている。でも、ホコリがすごいだろうし、ウサは嫌がるだろうな・・・きっと。  by kuma
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2008年12月09日

しゃばけ の日々

畠中恵さん作の「しゃばけ」に嵌った!!!!!。
先日、娘が持っていた「ゆめつげ」を、時間つぶしに読み始めたところ
神社を舞台にし、幕末の歴史もまぶした作品ということもあって、一気読みをしてしまった。本来、妖し系が好きなだけに、面白かった!つづきは出ないのかと思っていたが、シリーズ物でないと知り残念に思っていた。
先日、テレビドラマで畠山恵さん原作の「うそうそ」が放映され、面白く見た。しゃばけシリーズの一つで、ドラマとしては「しゃばけ」に続く二作目だという。
しゃばけシリーズは、すでに何冊もの単行本・文庫本が出ていることは本屋の店頭などで見知っていたが、なんとなく買うまでには至らなかった。それが急に・・・なんだか、しゃばけ に恋する時期がきていたような・・・。加えて、先月来、嵌っていた「伊右衛門 焙じ茶」のおまけ付の商品が店頭から消えたことで、持ち前の収集癖を持て余しつつあった。そんなこんなで、いま出ているシリーズの文庫本を買って帰って、おもむろに読み始めた・・・。

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中トビラにあしらわれた柴田ゆうさん描かれるイラストの可愛らしさもあいまって、
すっかり、畠中恵さんの妖し「しゃばけシリーズ」にドップリと首まで漬かってしまった。

syabake02なんともキュウトなイラスト

こうなると、しゃばけシリーズをもっと知ってやれ、と、ネットで検索してみたところ「しゃばけ倶楽部」なるサイトを発見。早速、アクセスすると、こちらにも嵌ってしまった。さらに、デスクトップツールというページに壁紙が提供されているのを発見。即、ダウンロードして、わがパソコンのデスクトップの背景とした!

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いま二冊目の「ぬしさまへ」、まだ、先は長い!
しゃばけ の 妖 に憑かれた日々が、これから続いていく! by Kuma

*画像は「しゃべけ倶楽部」さんのページから転載させていただきました。問題あれば削除いたします。
posted by うさくま at 18:36| Comment(0) | TrackBack(1) | 読書

2008年11月29日

蟲師、十巻を買った。

漆原友紀さんの描くマンガ『蟲師』、待望の第十巻がやっと出た。 即買って、即読んだ!
蟲師は、「万物の生と死」というか、「生命の連鎖」というか・・・を感じさせてくれる作品だ。蟲師の紡ぎだす世界は『遠野物語』に通じるようでもあり、超常現象を紐解く一つの見方を示しているようにも思われるが、実のところ漆原友紀さんが生み出した独創的フィクションの世界だ。トーンとしてはもの悲しい話が多いが、決して暗い世界ではない、癒しにも通じる安堵感が読後にはある。なんとも、不可思議なマンガだ。

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十巻に収録された短編は、「光の緒」「常の樹」「香る闇」「鈴の滴(上下)」の四話、五編である。これまれの短編でもそうだったが、それぞれの題名として選ばれ作り出された日本語群が素晴らしい。そして、それらの言葉は読み終えたのちに、物語の中身を見事に言い表しているのだ。漆原友紀さんの作品としては「蟲師」しか読んでいないが、漆原友紀さんの物語を生み出す根底にある精神世界は、どのような生い立ちによってもらたされたものなのか・・・。その答えのひとつとして、単行本の合間に挿入された「おまけまんが」に、漆原友紀さんがおばあさんから聞いた不思議な話のことどもを書かれている。妖怪漫画の大家である水木しげる大先生が、「ののんばあ」に妖怪話を聞いて育ったという話と通じるものがあって面白い。年寄りは子供が喜ぶ話をするもので、漆原友紀さんにしても、水木大先生にしても、年寄りに好かれる性質の子供だったのだろう。そして、お年寄りから聞いた不思議な話の数々をみずからの養分となし、独自の作品世界へと昇華できる天才に恵まれていたのであろう。

ところで、蟲師はオダギリジョーの主演で映画化された。オダギリジョーを主人公の蟲師「ギンコ」にもってきたのは、いい演出だと思ったが映画は見ていない。蟲師の不可思議な世界は特撮である程度は表現できただろうが、原作に流れるユッタリとした時間と、懐かしくも不可思議な情景描写は、漆原友紀さんのペンに優るとは思えない。人気を得たマンガを原作として、気軽に映画化、ドラマ化などが行われるが、それらは原作とはまったく別物の作品とみるべきではなかろうか。

さて、蟲師は今回の十巻で「降幕」になった。現代、濫造されるマンガのなかで、独自の世界を紡ぎだした傑作の一つだっただけに残念だ。いつの日か、蟲師の新たな物語が「開幕」されることを待望している。 by kuma
posted by うさくま at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書