2018年02月11日

城下町の古刹に篠山藩士の家紋を探る

今週末に迫った家紋研究会の丹波集会、
その下準備のため篠山城下町のお寺を訪ね歩いてきた。
まず、中世土豪・小林氏が開基した小林寺さん、
お寺の後方の山は小林氏が拠った澤田城だ。

つぎは、波多野晴秀(秀治か)が開基したという観音寺さん、
ここの寺紋は曹洞宗の「桐」と「竜胆車」、そして
波多野氏の女紋という「丸に竪二つ引」である。

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境内墓地に篠山藩士・佐治家の墓所

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2018年02月04日

出石の古刹、宗鏡寺を訪ねる

今日は出石の古刹・宗鏡寺さんを訪問。
宗鏡寺さんは山名氏清の開基に始まり、但馬山名氏の没落後、
小出氏の招きを受けた沢庵禅師が再興したお寺だ。

昨年、有子山城跡が続百名城に指定されたとき、
山名城跡会の方が幟作成を企画、そこに描く家紋について
協力をさせていただいた。それがきっかけとなって、
山名氏、小出氏、そして仙石氏とゆかりのある
宗鏡寺さんを訪ねて出石ゆかりの大名家の位牌、そこに打たれた
家紋を拝見させていただこうということになったのである。

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2018年01月21日

東播磨の有力国人・依藤氏の家紋を探る

昨日に引き続いて、播磨の中世武家にゆかりの名字と家紋探索に出動。同行者は昨日と同じく相方、次女と孫ウーである。
今日のターゲットは、中世、依藤が勢力を張った小野市小田をメーンに、西脇にある墓地を歩き依藤さんの家紋を採取すること。小野一帯は依藤氏の城跡が散在し、本流であろう依藤さんの家紋に出会える可能性が高いところだ。

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2018年01月20日

東播磨、中村氏・安積氏の家紋探索

東播磨で家紋探索。
家紋コラムを連載中の「歴史民俗誌Sala」63号は、中世を生きた播磨武士の家紋と歴史を探ってみた。取り上げたのは、宍粟北部に勢力を張った中村・安積・田路の三氏。原稿はすでに校了しているが、東播磨に散在する中村家、安積家の家紋が心に引っかかっていた。そこで、あらかじめチェックした加西の牛居・両月の中村家、加西の安積家、小野の中村家の家紋探索、併せて、加東の依藤家の家紋採取に駆け回ったのだ。

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2018年01月12日

淡路文化会館で家紋講座を務める

今日は「いざなぎ学園講演会」で淡路文化会館に遠征。
話をいただいてから一年、まだまだ先の事と思っていたが本番当日!
時の経つのは、ホント?に早い ( ̄▽ ̄)
同行するという相方と次女&孫ウーの四人で篠山を出発
先月、下見したコースをたどって淡路文化会館に九時過ぎに到着。

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2018年01月07日

丹波船越氏の家紋を探る

昨年末、淡路の船越氏の家紋探索に出かけてきた。
船越氏の場合、丹波、とくに日吉町域にも多く、家紋は三つ巴が多いようだ。ネットで日吉町域における船越姓の分布を探ると、志和賀、生畑方面に集中している。そういえば、日吉の船越姓にゆかりのある篠山住の方より、お寺に「九曜巴」を彫った墓所があり、地名と同じ神社、城跡も残っていると聞いた。目前に迫った淡路での家紋講座の調査も兼ねて日吉方面へと出かけた。

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2017年12月09日

亡母の一周忌で帰省、ついでに家紋調査

一年、経つのが本当に早い。母が鬼籍に入ったのが昨年の十二月七日、一周忌はどうするのか?と確認したところ七日にお参りしてもらうという。一周忌ならばキッチリと法要するものと思い、土曜日あたりかな?と思っていたが平日の七日とは! 流石に兄といおうか堅すぎるへんか〜、しかも田舎だけですますとは!
ともあれ、一周忌を放っておくわけにもいかない、アマの姉と連絡を取り合って参りに帰ろうということになったのだ。

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2017年12月04日

孫をむかえに亀岡へ、ついでに家紋ウォッチ

先月、帰日した次女と孫、昨日から城陽市にある相方の実家に帰省。
ちょうど通院日だったこともあって、福住の山鳥病院によって亀岡駅まで移動。
約束の時間まで間があったので、どうしたものかと思っていると
道端に墓地を発見、早速家紋をウォッチ。

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2017年11月23日

Sala 取材、但馬から播磨をめぐる

ずーっと連載を続けている歴史民俗誌「Sala」の新しい原稿は「播磨の中世武家と家紋」、ということで、宍粟郡の中世武家、安積氏、田路氏、中村氏にゆかりがあるであろう家々の墓地を訪ねて但馬から播磨北部で家紋探索。まずは但馬朝来で安積家の家紋を採取。

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和田山町桑原、和田山の安積家

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和田山町桑原、和田山の安積家

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朝来市老波の安積家

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2017年11月19日

いまや恒例、青垣に家紋探索行

予定されていた「山名氏城跡保存会」のオフ会が中止になった。
時間がぽっかり空いたので、先週に引き続いて
青垣町の墓地をめぐって家紋探索に出かけた。

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2017年11月13日

青垣から福知山を家紋探索ドライブ

今月に入ってから、青垣町の家紋ウォッチに勤しんでいる。

かつて西遷御家人として佐治荘に入部した足立氏、信濃から移住してきた芦田氏が拠った芦田荘を中心にお墓を訪ね歩いている。

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足立、芦田ともに旧氷上郡の北部に集中する名字であり、青垣町から峠を越えた福知山市側にも足立姓と芦田姓が分布している。自動車のなかったむかしは、峠を挟んで人・ものが往来、婚姻も多かったことに由来するのだろう。また、両氏とも戦国期の負け組みに属しながら、よく名字が残っているのは一種、壮観ではある。

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2017年11月12日

青垣町で家紋ウォッチ

先達役を終え、一旦帰宅、墓ウォッチに出動。今日は、日本海の塩が運ばれてきたことが由来するという「塩久」地区の墓を訪ねて紋をウォッチした。先日訪ねた東芦田地区とは、小室城跡が残る山をはさんだ西方の谷筋の集落だ。

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2017年11月05日

氷上へ家紋探索行

今日は、ついにダウンした洗濯機を買い換えるため、
丹波国氷上郡へでかけた。せっかくの氷上行きなので
早目に出て青垣町南部の墓地を訪ねて家紋ウォッチ。

氷上郡に越える手前、鐘が坂峠手前の大山に鎮座する追手神社に道草。

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2017年05月13日

丹波一宮・出雲大神宮の祭祀を担う七苗の家紋を探索

丹波国の一宮・出雲大神宮は、亀岡盆地の東部に立つ御影山の山麓に鎮座する古社。和銅二年(708)創建といい、旧称は『出雲神社』で「元出雲」とも称されている。明治維新まで出雲国の出雲大社は「杵築大社」を称し、「出雲の神」といえば丹波の出雲大神宮を指したといわれる。

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この古い神社の祭祀に関わったのは、出雲村の松崎・広瀬・谷尻、中村の谷尻・山田・西田・野々村・広瀬、小口村の名倉、江島里村の広瀬・野々村であったと資料で知った。それぞれ江戸時代には「四ヶ村侍惣中」と称されたという由緒を伝える古い名字である。とくに出雲村の松崎、広瀬は「両苗」と称され別格に扱われていたようだ。

さて、先日に続いて亀岡での家紋探索。今日はあらかじめ検索、チェックした出雲大神宮の南北に散在する氏子集落の寺院、村墓地を訪ね歩いた。
まず資料の出雲村にあたる出雲区の村墓地からスタート。「三つ鱗」の廣瀬家、「隅切角」の谷尻家、「横木瓜」の杉崎家をチェック。つづいて出雲区の極楽寺墓地、ここでも「三つ鱗」の廣瀬家、「隅切角」の谷尻家、「横木瓜」の杉崎家の墓石群。

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中村にあたる中区の村墓地では、「梅鉢」の野々村家、「九曜」の谷尻家、「横木瓜」の山田家。同じく中区の金光寺墓地では「梅鉢」の野々村家、「五三桐」の山田家、西田家「立葵」。

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江島里村にあたる江島里の蔵宝寺では、「梅鉢」の野々村家、「三つ巴」の廣瀬家を採取。そして、小口村にあたる小口の古刹・東光寺墓地で名倉家の墓石を発見、家紋は「月に立浪(大潮か)」というのだろうか初見のものであった。

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こうして、出雲大神宮の氏子という村々を訪ね歩くと、古い名字がよく残っていることに感動した。これまで馬路の両苗と三苗、保津の五苗、河原尻の五苗、そして、今日の出雲大神宮の祭祀に関わってきた名字群、亀岡の保津川北東部一帯は実に名字の歴史博物館ともえいるところだ。
ところで実際に足を運んでみると、資料に記された出雲区の松崎姓は見当たらなかった。杉崎姓が分布していることから、資料の記述は間違いで「杉崎・廣瀬・谷尻・山田・西田・野々村・名倉」の七つの姓(苗)が祭祀に関わっていたのであろう。

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また、真継「二つ巴」・川勝「立ち葵」・森川「三つ巴」・矢田「蔦」などの名字と家紋の組み合わせにも目を引かれた。

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余談ながら、出雲大神宮の神体山とされた御影山の中腹には、戦国期の山城・御影山城の遺構が残っている。
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2017年05月10日

丹波河原林、河原尻集落の五苗を探索

河原林町河原尻に鎮座する日吉神社は、嘉吉三年(1443)に近江国坂本から再勧請したとの記録があり、室町時代より宮座(宮の 党・長桟)が存し、かつては中世郷士の家柄である「五苗」が当番制で祭礼を行なっていたという。

五苗とは、資料によれば「茨木、湯浅、遠山、山田、八木」と言われる。そのなかの遠山家は美濃国の出身で、観応三年八月日「中津河秀家軍忠状写」で知られる中津川氏の子孫で遠山に改めた。そして、江戸期には旗本領の大庄屋や代官を勤めた旧家とのこと。今日は年休を取っていることだし、「家紋が気になる!」と止まらない。早速、遠山家を主体に河原林五苗の家紋を調べに出かけてきた。

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河原尻は亀岡駅の北方、中川・人見の両苗の家紋調査に訪れた馬路の南に位置した集落。まず、日吉神社を訪ね神社の駐車場に車を駐車、日吉神社は小さな神域だが、よく手入れされていていい雰囲気だ。河原尻集落もいい感じの佇まいで、古い家並もしっとりとして好ましいところだ。

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まず、超願寺の境内墓地にお邪魔すると、「隅切鉄砲角に算木」を刻んだ「山木」姓の墓石が林立し「剣唐花」の「八木」姓も。つぎの寶光禅寺の墓地では「茨木」姓が「州浜」、「遠山」姓が「二つ引両」、そして丹波ではおなじみ「湯浅」姓が「九曜」をそれぞれ刻んだ古い墓石が並び、彫られた家紋もほどよく風化してゆかしい。
さて、国の重要文化財にも指定されている遠山家住宅は?とネットで地図を検索すると、河原尻集落から離れた位置にあるらしい。で、移動したのだが見当たらない、で改めて検索すると先に訪れた超願寺すぐのところだった。

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訪ねあてた遠山家住宅は、長屋門、寂び寂びとした母屋など立派なもので、屋根の破風・瓦屋根を見ると「二つ引両」が打たれている。遠山家は美濃土岐氏の流れを汲むと伝えられているが、家紋を見る限り美濃東部から信濃北部に勢力を有した遠山家の流れであろう。

遠山家の家紋を確認したあと、さらに五姓の家紋を調べるため河原尻墓地をチェックし、勢いあまって保津村墓地まで足を伸ばした。
実際に現地を訪ねてみて、資料にあるところの茨木・湯浅・遠山・八木の四姓は発見できたのだが、山田姓は見当たらなかった。おそらく山木姓の間違いではないだろうかと思われたのだが、どうだろう? 

五苗の家紋

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茨木家・遠山家・湯浅家

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山木家・八木家

また、保津村墓地では河原尻の五苗と思しき名字の墓石はなかったが、保津五苗といわれる「桂」「長尾」「村上」などの墓石が多数派を占めていたの「然もありなん」であった。 

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2017年04月24日

関ヶ原家紋豆皿をプロデュース

かつての篠山藩主・青山家がおこした藩窯である丹波青磁王地山焼、関ケ原合戦で活躍した西軍武将の家紋を描いた豆皿の試作品ができました (^_^)まずは、石田三成と島津義弘です。

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着手するに際して、SNSで「関ヶ原の合戦」に参戦した武将の家紋といえば、誰の家紋を思い浮かべますか? 石田三成? 徳川家康? ・・・ それとも・・・??と尋ねてみた。
いただいた結果は、島津義弘、石田三成、宇喜多秀家が三強で、それに大谷吉継、井伊直政が続きました。敗れた西軍側諸将に人気が集まったカタチとなりました。選ばれた武将たちは、三成憎しで家康に加担した豊臣子飼いの武将たちや本心を隠して戦場に身を置いた武将たちと違い、自分の思うところをズバッと戦場であらわした面々、それが選ばれた要因だと思いました。人間、進退は潔くありたいですね。 ちなみに、徳川に味方した大名のうち選ばれたのは先の井伊直政、小早川あたり、小早川はともかくとして直政は奮戦中に被った鉄砲傷がもとでのちに死去しました。やはり、武将は戦う姿にこそ真骨頂があるっちゅうことでしょうか。徳川家康は人気なかったが、それは勝ち残ったもののしたたかさといおうか、しぶとさがやはり重いのでしょうか。戦は勝ってナンボなのですが、人気というのは不思議なところで左右されるのですね ( ´ ▽ ` )

追記
その後、宇喜多秀家の「児の字」、青山家にちなむ「無文銭」もリリース。まずは「関ヶ原合戦家紋豆皿」3点セット(箱付)として篠山城大書院などで販売。売れると嬉しいのだが…。

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2017年03月25日

城下町で家紋講座を務める

職場の理事I氏の依頼を受けて、城下町地区の歴史勉強会の講師を頼まれた。 お題は「戦国時代を家紋からひもとく」二年続いて国人領主を主人公にした大河ドラマの影響か 、戦国時代のブームはまだ衰えをみせない。

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ともあれ、レジュメを作り、パワーポイントを作成。篠山城北堀端の城下町会館で本番に臨んだ。武家家紋の起こりから篠山の中世武家、近世篠山藩主であった大名諸家の話をさせていただいた。

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聴講者は知った顔も交えた地元の皆さま方が三十名ほど、、果たして受けたのか受けなかったのか・・・。いつも講義のあとに思うことだが、今日も受けは微妙であった。


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2017年03月21日

紆余曲折の末に「定紋の研究」なる本が届いた

いま、以来されて進めている家紋原稿。あれこれ資料調べが面倒とだが、なんとなく楽しい。たまたま「定紋の研究」という本が気になり、ネットで調べてみると、超廉価な古本が出ている。早速、購入したところ、なんと表紙は「定紋の研究」だが中身はまったくの別物!
これは騙されたと思って、連絡をとったところ、どうも古本屋さんも一山いくらで買ったもののようで、中身をチェックしないまま市場に出したらしい。ともあれ、お金は返金してもらったが、「定紋の研究」なんとか入手したいと検索したところ、先の古本屋さんに一冊あるような。

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騙されてもともとと購入手続きをすませ、やっと紆余曲折の末に「定紋の研究」なる本が届いた。届いた本には表紙がない、ひょっとして先日届いたものに表紙が転用されていたのでは?と見てみるドンピシャであった。古本を売ろうとする人も手の込んだ偽装をするものだ。ひょっとして「グラムいくら?」だったのか。
ともあれ、Amazonでは10,000円以上のプレミアムがついているものが 300 円 ! 価格納得のボロボロの本。ザッと中身に目を通すと、大正時代の空気(明治人の気骨?)が感じられる、なかなかの珍本、図版もなかなかキレイに書けていた。資料としては疑問のおいものではあるが、手にとって見ることができて大満足? ( ^ω^ ) とはいえ、改めて『日本紋章学』の偉大さを認識したことです。

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2017年03月04日

上洛、「戦国時代展」と洛北佐竹家の家紋探索

京都で開催されている「戦国時代展」を見に久々の上洛をした。
残念ながら・・・、目玉の洛中洛外図は人だかりがスゴくてジックリ見ることが出来なかったのは残念だった。それなりに面白かったが、チョッと期待過多だったかも。図録はズッシリとした重さで2500円の価格、これはお得だったかな!

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ついで、前から気に掛かっていた高野の佐竹家の家紋探索へ、どちらかといえば今日の上洛はこちらがメーンだったかな。
戦国時代の洛北において、一勢力のあった佐竹氏。岩倉の山本氏、田中の渡辺氏らとともに乱世を生きた国人である。その後裔といわれる佐竹さんが比叡山西麓、高野川のあたりにいらっしゃると聞き、ポツポツと城跡や事跡、家紋などを調べ、まずは、やっと家紋探索に出かけることができた。佐竹家が散在する上高野にある宝幢寺近くにある墓地を訪ねると、ありました佐竹の墓所、彫られた家紋は「五本骨扇に月丸」でした。

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せっかくなので佐竹家以外の墓地に林立する墓石を見ると。田上家:三つ追い鶴・二股家:剣カタバミ・井口家:三つ鱗・細川家:抱き柊・菅原家:梅鉢・宮野家:花菱・渡邉家:三つ星一文字が多かった。

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目を引かれたのは、三好家の三階菱、井上家の頭合せ三つ雁くらいで、むかしながら界隈に続いてきた家々のお墓が祀られる村墓地であった。
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2016年12月18日

京都家紋研究会 墓地調査&忘年会

今朝の丹波は朝霧、それほど寒くもない穏やかさ。
京都家紋研究会の家紋調査&忘年会 に参加せんとて、大阪四天王に遠出。

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天王寺で降りてブラブラと待ち合わせ場所の四天王寺の亀池へ。なんとなくハルカスを見てみると、その隣に見慣れた高層マンションがニョッキリ。元祖竹本議義太夫誕生地の石標の前を過ぎ、堀越神社近くの信号を渡りると竹本議義太夫の墓所がある超願寺。義太夫のお墓をウォッチして寺を出てを左折すると目の前が四天王寺の南門である。

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何度来ても四天王寺は豪壮なたたずまいを見せている。亀池は名の通りに亀がいっぱい泳いだり、甲羅を干したりしている。待つことしばし、会長をはじめメンバーが三々五々に集合、久闊を叙したあと、先ずは四天王寺境内の四天王寺霊園苑で家紋探索。

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墓地内にお邪魔しているとガードマンに咎められ探索を中断、四天王寺境内をぶらつきながら一心寺境内墓地、一帯は大河「真田丸」で語られる真田信繁が徳川勢を迎え撃ったという「真田丸」ゆかりの地ともいい、墓&ドラマの話に花が咲いたのだった。

天王寺駅方面に移動して、ころあいの喫茶店でランチを取り、つぎの目的地となる市設南霊園にタクシー移動。立派な市立葬祭場と阪神高速に囲まれたかたちで新旧の墓石が林立する霊園で、思い思いに家紋探索を開始。昼前の家紋探索もそうだったが。総じて「おぉ!」と驚くような家紋は少ないが、南霊園では「雨竜」紋の実物をはじめて見られた。また香宗我部家の墓地と出会い、彫られた家紋を見ると「割菱」紋。おそらく、戦国時代の土佐で一勢力を有した香宗我部家ゆかりの家と思われ今日最大の収穫であった。

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このころの日暮れは早い、南霊園での家紋探索を切り上げ、忘年会会場となる飛田新地の「百番」は霊園から目と鼻の先。かつて関西有数の遊郭として知られた飛田新地、いまでも組合組織で管理され昔ながらの遊郭が存続しているという。実際、飛田新地の通りに入ると顔見世というのだろうか、着飾った女性たちが道行く男性たちを艶な姿で誘っている。店先の
暖簾には店ごとに家紋が打たれているが、当然、撮影禁止である。

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会場の「百番」はおおむかし、かつての仕事仲間と忘年会をやって以来の再訪、何年ぶりになるだろう。そもそもは遊郭であった建物を料理屋として使用したといい、たたずまいはむかしのままでだといい、なかなかの雰囲気を醸し出している。さて、遊郭にあがった客の気分を味わいながら、飲みかつ食べ、家紋の話、歴史の話などなどに盛り上がった。
宴たけたあと、飛田新地をそぞろ歩きしつつ天王寺駅に向かったが、顔見世の女性たちは文字通り夜の蝶のようで幻のごときはかなさがただよっていた(もっとも、現実的にはそのような柔な人生を送っているとは思われないが)
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