2017年11月13日

青垣から福知山を家紋探索ドライブ

今月に入ってから、青垣町の家紋ウォッチに勤しんでいる。

かつて西遷御家人として佐治荘に入部した足立氏、信濃から移住してきた芦田氏が拠った芦田荘を中心にお墓を訪ね歩いている。

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足立、芦田ともに旧氷上郡の北部に集中する名字であり、青垣町から峠を越えた福知山市側にも足立姓と芦田姓が分布している。自動車のなかったむかしは、峠を挟んで人・ものが往来、婚姻も多かったことに由来するのだろう。また、両氏とも戦国期の負け組みに属しながら、よく名字が残っているのは一種、壮観ではある。

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2017年11月12日

青垣町で家紋ウォッチ

先達役を終え、一旦帰宅、墓ウォッチに出動。今日は、日本海の塩が運ばれてきたことが由来するという「塩久」地区の墓を訪ねて紋をウォッチした。先日訪ねた東芦田地区とは、小室城跡が残る山をはさんだ西方の谷筋の集落だ。

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2017年11月05日

氷上へ家紋探索行

今日は、ついにダウンした洗濯機を買い換えるため、
丹波国氷上郡へでかけた。せっかくの氷上行きなので
早目に出て青垣町南部の墓地を訪ねて家紋ウォッチ。

氷上郡に越える手前、鐘が坂峠手前の大山に鎮座する追手神社に道草。

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2017年05月13日

丹波一宮・出雲大神宮の祭祀を担う七苗の家紋を探索

丹波国の一宮・出雲大神宮は、亀岡盆地の東部に立つ御影山の山麓に鎮座する古社。和銅二年(708)創建といい、旧称は『出雲神社』で「元出雲」とも称されている。明治維新まで出雲国の出雲大社は「杵築大社」を称し、「出雲の神」といえば丹波の出雲大神宮を指したといわれる。

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この古い神社の祭祀に関わったのは、出雲村の松崎・広瀬・谷尻、中村の谷尻・山田・西田・野々村・広瀬、小口村の名倉、江島里村の広瀬・野々村であったと資料で知った。それぞれ江戸時代には「四ヶ村侍惣中」と称されたという由緒を伝える古い名字である。とくに出雲村の松崎、広瀬は「両苗」と称され別格に扱われていたようだ。

さて、先日に続いて亀岡での家紋探索。今日はあらかじめ検索、チェックした出雲大神宮の南北に散在する氏子集落の寺院、村墓地を訪ね歩いた。
まず資料の出雲村にあたる出雲区の村墓地からスタート。「三つ鱗」の廣瀬家、「隅切角」の谷尻家、「横木瓜」の杉崎家をチェック。つづいて出雲区の極楽寺墓地、ここでも「三つ鱗」の廣瀬家、「隅切角」の谷尻家、「横木瓜」の杉崎家の墓石群。

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中村にあたる中区の村墓地では、「梅鉢」の野々村家、「九曜」の谷尻家、「横木瓜」の山田家。同じく中区の金光寺墓地では「梅鉢」の野々村家、「五三桐」の山田家、西田家「立葵」。

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江島里村にあたる江島里の蔵宝寺では、「梅鉢」の野々村家、「三つ巴」の廣瀬家を採取。そして、小口村にあたる小口の古刹・東光寺墓地で名倉家の墓石を発見、家紋は「月に立浪(大潮か)」というのだろうか初見のものであった。

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こうして、出雲大神宮の氏子という村々を訪ね歩くと、古い名字がよく残っていることに感動した。これまで馬路の両苗と三苗、保津の五苗、河原尻の五苗、そして、今日の出雲大神宮の祭祀に関わってきた名字群、亀岡の保津川北東部一帯は実に名字の歴史博物館ともえいるところだ。
ところで実際に足を運んでみると、資料に記された出雲区の松崎姓は見当たらなかった。杉崎姓が分布していることから、資料の記述は間違いで「杉崎・廣瀬・谷尻・山田・西田・野々村・名倉」の七つの姓(苗)が祭祀に関わっていたのであろう。

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また、真継「二つ巴」・川勝「立ち葵」・森川「三つ巴」・矢田「蔦」などの名字と家紋の組み合わせにも目を引かれた。

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余談ながら、出雲大神宮の神体山とされた御影山の中腹には、戦国期の山城・御影山城の遺構が残っている。
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2017年05月10日

丹波河原林、河原尻集落の五苗を探索

河原林町河原尻に鎮座する日吉神社は、嘉吉三年(1443)に近江国坂本から再勧請したとの記録があり、室町時代より宮座(宮の 党・長桟)が存し、かつては中世郷士の家柄である「五苗」が当番制で祭礼を行なっていたという。

五苗とは、資料によれば「茨木、湯浅、遠山、山田、八木」と言われる。そのなかの遠山家は美濃国の出身で、観応三年八月日「中津河秀家軍忠状写」で知られる中津川氏の子孫で遠山に改めた。そして、江戸期には旗本領の大庄屋や代官を勤めた旧家とのこと。今日は年休を取っていることだし、「家紋が気になる!」と止まらない。早速、遠山家を主体に河原林五苗の家紋を調べに出かけてきた。

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河原尻は亀岡駅の北方、中川・人見の両苗の家紋調査に訪れた馬路の南に位置した集落。まず、日吉神社を訪ね神社の駐車場に車を駐車、日吉神社は小さな神域だが、よく手入れされていていい雰囲気だ。河原尻集落もいい感じの佇まいで、古い家並もしっとりとして好ましいところだ。

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まず、超願寺の境内墓地にお邪魔すると、「隅切鉄砲角に算木」を刻んだ「山木」姓の墓石が林立し「剣唐花」の「八木」姓も。つぎの寶光禅寺の墓地では「茨木」姓が「州浜」、「遠山」姓が「二つ引両」、そして丹波ではおなじみ「湯浅」姓が「九曜」をそれぞれ刻んだ古い墓石が並び、彫られた家紋もほどよく風化してゆかしい。
さて、国の重要文化財にも指定されている遠山家住宅は?とネットで地図を検索すると、河原尻集落から離れた位置にあるらしい。で、移動したのだが見当たらない、で改めて検索すると先に訪れた超願寺すぐのところだった。

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訪ねあてた遠山家住宅は、長屋門、寂び寂びとした母屋など立派なもので、屋根の破風・瓦屋根を見ると「二つ引両」が打たれている。遠山家は美濃土岐氏の流れを汲むと伝えられているが、家紋を見る限り美濃東部から信濃北部に勢力を有した遠山家の流れであろう。

遠山家の家紋を確認したあと、さらに五姓の家紋を調べるため河原尻墓地をチェックし、勢いあまって保津村墓地まで足を伸ばした。
実際に現地を訪ねてみて、資料にあるところの茨木・湯浅・遠山・八木の四姓は発見できたのだが、山田姓は見当たらなかった。おそらく山木姓の間違いではないだろうかと思われたのだが、どうだろう? 

五苗の家紋

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茨木家・遠山家・湯浅家

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山木家・八木家

また、保津村墓地では河原尻の五苗と思しき名字の墓石はなかったが、保津五苗といわれる「桂」「長尾」「村上」などの墓石が多数派を占めていたの「然もありなん」であった。 

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2017年04月24日

関ヶ原家紋豆皿をプロデュース

かつての篠山藩主・青山家がおこした藩窯である丹波青磁王地山焼、関ケ原合戦で活躍した西軍武将の家紋を描いた豆皿の試作品ができました (^_^)まずは、石田三成と島津義弘です。

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着手するに際して、SNSで「関ヶ原の合戦」に参戦した武将の家紋といえば、誰の家紋を思い浮かべますか? 石田三成? 徳川家康? ・・・ それとも・・・??と尋ねてみた。
いただいた結果は、島津義弘、石田三成、宇喜多秀家が三強で、それに大谷吉継、井伊直政が続きました。敗れた西軍側諸将に人気が集まったカタチとなりました。選ばれた武将たちは、三成憎しで家康に加担した豊臣子飼いの武将たちや本心を隠して戦場に身を置いた武将たちと違い、自分の思うところをズバッと戦場であらわした面々、それが選ばれた要因だと思いました。人間、進退は潔くありたいですね。 ちなみに、徳川に味方した大名のうち選ばれたのは先の井伊直政、小早川あたり、小早川はともかくとして直政は奮戦中に被った鉄砲傷がもとでのちに死去しました。やはり、武将は戦う姿にこそ真骨頂があるっちゅうことでしょうか。徳川家康は人気なかったが、それは勝ち残ったもののしたたかさといおうか、しぶとさがやはり重いのでしょうか。戦は勝ってナンボなのですが、人気というのは不思議なところで左右されるのですね ( ´ ▽ ` )

追記
その後、宇喜多秀家の「児の字」、青山家にちなむ「無文銭」もリリース。まずは「関ヶ原合戦家紋豆皿」3点セット(箱付)として篠山城大書院などで販売。売れると嬉しいのだが…。

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2017年03月25日

城下町で家紋講座を務める

職場の理事I氏の依頼を受けて、城下町地区の歴史勉強会の講師を頼まれた。 お題は「戦国時代を家紋からひもとく」二年続いて国人領主を主人公にした大河ドラマの影響か 、戦国時代のブームはまだ衰えをみせない。

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ともあれ、レジュメを作り、パワーポイントを作成。篠山城北堀端の城下町会館で本番に臨んだ。武家家紋の起こりから篠山の中世武家、近世篠山藩主であった大名諸家の話をさせていただいた。

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聴講者は知った顔も交えた地元の皆さま方が三十名ほど、、果たして受けたのか受けなかったのか・・・。いつも講義のあとに思うことだが、今日も受けは微妙であった。


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2017年03月21日

紆余曲折の末に「定紋の研究」なる本が届いた

いま、以来されて進めている家紋原稿。あれこれ資料調べが面倒とだが、なんとなく楽しい。たまたま「定紋の研究」という本が気になり、ネットで調べてみると、超廉価な古本が出ている。早速、購入したところ、なんと表紙は「定紋の研究」だが中身はまったくの別物!
これは騙されたと思って、連絡をとったところ、どうも古本屋さんも一山いくらで買ったもののようで、中身をチェックしないまま市場に出したらしい。ともあれ、お金は返金してもらったが、「定紋の研究」なんとか入手したいと検索したところ、先の古本屋さんに一冊あるような。

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騙されてもともとと購入手続きをすませ、やっと紆余曲折の末に「定紋の研究」なる本が届いた。届いた本には表紙がない、ひょっとして先日届いたものに表紙が転用されていたのでは?と見てみるドンピシャであった。古本を売ろうとする人も手の込んだ偽装をするものだ。ひょっとして「グラムいくら?」だったのか。
ともあれ、Amazonでは10,000円以上のプレミアムがついているものが 300 円 ! 価格納得のボロボロの本。ザッと中身に目を通すと、大正時代の空気(明治人の気骨?)が感じられる、なかなかの珍本、図版もなかなかキレイに書けていた。資料としては疑問のおいものではあるが、手にとって見ることができて大満足? ( ^ω^ ) とはいえ、改めて『日本紋章学』の偉大さを認識したことです。

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2017年03月04日

上洛、「戦国時代展」と洛北佐竹家の家紋探索

京都で開催されている「戦国時代展」を見に久々の上洛をした。
残念ながら・・・、目玉の洛中洛外図は人だかりがスゴくてジックリ見ることが出来なかったのは残念だった。それなりに面白かったが、チョッと期待過多だったかも。図録はズッシリとした重さで2500円の価格、これはお得だったかな!

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ついで、前から気に掛かっていた高野の佐竹家の家紋探索へ、どちらかといえば今日の上洛はこちらがメーンだったかな。
戦国時代の洛北において、一勢力のあった佐竹氏。岩倉の山本氏、田中の渡辺氏らとともに乱世を生きた国人である。その後裔といわれる佐竹さんが比叡山西麓、高野川のあたりにいらっしゃると聞き、ポツポツと城跡や事跡、家紋などを調べ、まずは、やっと家紋探索に出かけることができた。佐竹家が散在する上高野にある宝幢寺近くにある墓地を訪ねると、ありました佐竹の墓所、彫られた家紋は「五本骨扇に月丸」でした。

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せっかくなので佐竹家以外の墓地に林立する墓石を見ると。田上家:三つ追い鶴・二股家:剣カタバミ・井口家:三つ鱗・細川家:抱き柊・菅原家:梅鉢・宮野家:花菱・渡邉家:三つ星一文字が多かった。

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目を引かれたのは、三好家の三階菱、井上家の頭合せ三つ雁くらいで、むかしながら界隈に続いてきた家々のお墓が祀られる村墓地であった。
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2016年12月18日

京都家紋研究会 墓地調査&忘年会

今朝の丹波は朝霧、それほど寒くもない穏やかさ。
京都家紋研究会の家紋調査&忘年会 に参加せんとて、大阪四天王に遠出。

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天王寺で降りてブラブラと待ち合わせ場所の四天王寺の亀池へ。なんとなくハルカスを見てみると、その隣に見慣れた高層マンションがニョッキリ。元祖竹本議義太夫誕生地の石標の前を過ぎ、堀越神社近くの信号を渡りると竹本議義太夫の墓所がある超願寺。義太夫のお墓をウォッチして寺を出てを左折すると目の前が四天王寺の南門である。

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何度来ても四天王寺は豪壮なたたずまいを見せている。亀池は名の通りに亀がいっぱい泳いだり、甲羅を干したりしている。待つことしばし、会長をはじめメンバーが三々五々に集合、久闊を叙したあと、先ずは四天王寺境内の四天王寺霊園苑で家紋探索。

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墓地内にお邪魔しているとガードマンに咎められ探索を中断、四天王寺境内をぶらつきながら一心寺境内墓地、一帯は大河「真田丸」で語られる真田信繁が徳川勢を迎え撃ったという「真田丸」ゆかりの地ともいい、墓&ドラマの話に花が咲いたのだった。

天王寺駅方面に移動して、ころあいの喫茶店でランチを取り、つぎの目的地となる市設南霊園にタクシー移動。立派な市立葬祭場と阪神高速に囲まれたかたちで新旧の墓石が林立する霊園で、思い思いに家紋探索を開始。昼前の家紋探索もそうだったが。総じて「おぉ!」と驚くような家紋は少ないが、南霊園では「雨竜」紋の実物をはじめて見られた。また香宗我部家の墓地と出会い、彫られた家紋を見ると「割菱」紋。おそらく、戦国時代の土佐で一勢力を有した香宗我部家ゆかりの家と思われ今日最大の収穫であった。

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このころの日暮れは早い、南霊園での家紋探索を切り上げ、忘年会会場となる飛田新地の「百番」は霊園から目と鼻の先。かつて関西有数の遊郭として知られた飛田新地、いまでも組合組織で管理され昔ながらの遊郭が存続しているという。実際、飛田新地の通りに入ると顔見世というのだろうか、着飾った女性たちが道行く男性たちを艶な姿で誘っている。店先の
暖簾には店ごとに家紋が打たれているが、当然、撮影禁止である。

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会場の「百番」はおおむかし、かつての仕事仲間と忘年会をやって以来の再訪、何年ぶりになるだろう。そもそもは遊郭であった建物を料理屋として使用したといい、たたずまいはむかしのままでだといい、なかなかの雰囲気を醸し出している。さて、遊郭にあがった客の気分を味わいながら、飲みかつ食べ、家紋の話、歴史の話などなどに盛り上がった。
宴たけたあと、飛田新地をそぞろ歩きしつつ天王寺駅に向かったが、顔見世の女性たちは文字通り夜の蝶のようで幻のごときはかなさがただよっていた(もっとも、現実的にはそのような柔な人生を送っているとは思われないが)
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2016年11月26日

ヒョンなことから、丹波柏原から氷上で家紋ウォッチ

今日は 講座丹波学 の四講。「丹波柏原の織田家から見る信長評価」と題して柏原藩織田家19代当主・信孝氏によるお話であった。

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講座の前に、ひさしぶりに丹波柏原界隈の家紋ウォッチに行った。墓紋巡りを終え、昼食を摂りに家に帰ったところでトラブル出来!なんと!ガラ携を落としてしまったのだった。

今朝、歩いたルートを頭の中に描きながら、あそこか?こちらか?と歩き回った。そして、明願寺の墓地で呼び出しに応える我がガラ携の受信音をキャッチ。無事、回収できたのだった。
これで、ガラ掲を落とすこと三回、そのたびに肝を冷やしたがすべて回収に成功。回収の鍵は音!携帯電話はマナーモードにすべきではない!と心に決めた。
は解決したものの、今日の講座丹波学は無念の欠席となってしまった。

それなら!と、墓紋採取に切り替えて春日町多田方面から市島あたりまでの墓地めぐりに精を出した。多田界隈は黒井城跡の北山麓に位置しているからであろうか黒井城主・赤井氏と同族ともいわれる荻野姓が多かった。また、荻野氏と結んで赤井一族と香良で戦ったとされる足立姓の墓も多く、荻野氏は「二つ引両」、足立は「五本骨扇に日の丸」が刻まれていたのだった。

この夏にお思い立って以来、おりおりに氷上郡(現丹波市)の墓地を訪ねて家紋採取を続けている。山南町からはじめ、氷上、柏原、そして市島へと足を伸ばしてきた。歩き回った採取結果としては、中世以来であろうと思われる名字が多く、総じて変わった家紋は少ないが在所は違えても家紋が共通している。それが、田舎ぶりというのだろう。
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2016年10月23日

池上本門寺の墓地をそぞろ歩き

東京に連泊して三日目。

相方は長女のところにしばらくスティすることになり、

とりあえず蒲田駅で別れて、池上本門寺の墓地を訪ねた。

東京にいたころ、一度、来て以来のことで何年ぶりのことだろう。


さて、池上駅から本門寺までそぞろ歩き、

文字通り門前町のたたずまいである。おりからイベントが催され

祭りのようなたたずまい、なんとも都会だな〜。


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本門寺は日蓮の終焉地であり、日蓮宗の大本山の一つだけに

その結構は豪壮なもので、見上げる石段を登ると伽藍に圧倒される。


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宝塔

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紀州徳川家の墓所

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能勢家の墓所

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能勢家の切竹十字紋

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狩野家の墓石

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狩野家の丸に三つ矢羽紋


お寺の境内は四方が墓地、まずは日蓮の遺灰が祀られている宝塔の周辺から

そこは、古い墓が多く、幕府絵師・狩野家の墓所、紀州徳川家の墓所、

能勢家のものと思われる墓所に出会えた。


さらに、周囲の墓地を歩き回ったわけだが、その広いこと

暑さも暑し、あっちへぶらぶら、こっちへぶらぶらしながら墓地を彷徨、

家紋ウォッチに時間を過ごした。


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2016年10月01日

旧丹波国氷上郡船木庄で家紋ウォッチ

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旧丹波国氷上郡の船木荘域の家紋。特長としては「二つ引き両」「五本骨扇」紋が多いのは、井原庄・栗作庄から沼貫庄が久下氏の影響であろう「鷹羽」紋がダントツに多数派だったのと同様、氷上郡中から北部に勢力を有した荻野・足立氏の影響によるものであろう。
この地域らしい名字としては荻野・足立はおくとして、「竹知(桔梗)」「河津(庵木瓜)」「瀧本(桔梗)」「岸部(九曜)」が挙げられそうだ。戦国時代、船木荘一帯を所領とした「赤井」を名乗る家が意外と少なかったのは、赤井氏の歴史背景を考えさせる何かがありそうに思われたのは考え過ぎか。
ここも家紋の意匠は変わったものが少ないなかで、「平岩」家の「丸に弓」、原家の「枝柏」、久下家の「一番の角字」、井上家の「小文字」が目を引いた。また、黒井城を攻めた明智の家紋「桔梗」が妙に多かったのも印象的だった、かも。そして、巴紋・菱紋・亀甲紋・藤紋など他地域で見かける家紋が極めて少数派だったのもこの荘域の特徴といえそうだ。

井上家の「小文字」紋、古い墓石のなかには「矢車」紋も

意外と多い近藤さんは挙って「抱き鹿角」紋

丹波の川勝さんは氷上郡でも「立ち葵」紋

赤井家ゆかりの宝篋印塔、ゆかりを調べたいのだが・・・

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2016年09月25日

春日町で家紋探索

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夏以来、ず〜っと続けている旧丹波国氷上郡(現丹波市)に存在した荘園ごとの家紋ウォッチ。柏原町域の一部を残しながら、春日町域に踏み込んだ。
まずは、春日町の西部に位置する船木荘。船木荘は戦国時代の丹波に勢力を張った荻野赤井直正が拠った黒井城の西方に広がる地域で、赤松春日部流が所領とした春日部荘に包含されたともされるところ。
山南町域・氷上町域に多かった「鷹羽」「酢漿草」紋に代わって、「五本骨扇」「二つ引き両」が多数派となっている。これは青垣町の足立氏、春日町の荻野氏の残滓といえば失礼か・・・。ともあれ、黒井城下には足立さんと荻野さんが多いのである。加えて、毎度のごとく「おおお、お〜〜っ」と目を見張るような家紋に出会わないのも田舎ぶりというものだろう。


新才集落の荻野氏も「二つ引両」

近藤氏の墓石にはお約束の「抱き鹿角」

丹波に多い善積(吉住)さんは「九曜」


荻野氏が拠った朝日城跡近くの「二つ引両」で統一された荻野株の墓地。引両の丸に付く、離れるは、深い意味はなく恣意的なものというのがよく分かる墓石群だった。

朝日城跡北側の少林寺墓地は岸部氏の「九曜」一色! お参りしている人に聞くと、そもそもは荻野氏と同族関係だったとか。そう言われると古い墓石には荻野何某と彫られているものも。

船木荘北西の牛河内集落の足立株、「五本骨と酢漿草」の組み合わせがズラリ。が、古墓には酢漿草、剣酢漿草が彫られているということは・・・。

墓石の傍らの霊標を見ると、中世の代々のものであろう名前が彫られていた。なにやらここ荻野株の墓地が本家のものであるような?
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2016年09月11日

旧氷上郡南部の墓地をさすらう

今日も勢いで旧氷上郡の山南町から柏原町にかけての墓地探索を決行。遮るもののない墓地は暑さは一入だが、彼岸花が咲きはじめるなど秋の気配も感じられる頃となった。
最近の傾向として、古い墓地は整理されて新しい霊園化が進み、彫られた家紋は概ねオーソドックスなものがほとんどで、サンプル通りに機械で仕上げられた家紋はなにやら素っ気ない。そのようななかでピラミッド状に集められた古い墓石に彫られた家紋の、手作り感たっぷりで稚拙さを漂わせる味わい深さは格別だ。


この夏、地味に調査を続けてきた旧氷上郡の山南町と氷上町の荘園ごとの家紋分布図を作ってみた。「違い鷹羽」と「矢(違い矢・並び矢)」が群を抜いて多く分布も広い。ついで「五本骨扇」と「二つ引」が多いのは中世の勢力分布を伝えているようだ。
名字と家紋が一体化しているものとしては、氷上町全体的には足立家の「扇」、葛野荘域の三方家の「三つ引両」本庄家の「揚羽蝶」、御油荘域の芦田家の「三つ雁」、由良荘域の由良家の「地紙」、沼貫荘域の山本家の「三つ星」田野家の「並び矢」、石生荘域の吉住家の「九曜」と岡林家の「鎧蝶」、そして栗作荘の久下家の「一文字に鷹羽」永井家の「唐梨」があげられようか。


総じて「おっ」と目を見張るような変った紋は少なく、菱紋・桔梗紋・曜星紋・巴紋が少数派というのもこの地域の特徴といえそうだ。引き続いて、柏原町、市島町、青垣町の調査を続ける予定だが・・、さて。

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2016年08月13日

旧丹波国葛野庄に家紋を訪ねる

盆前の暑い中、懲りもせず11日に引き続いて旧丹波国葛野庄域の家紋ウォッチ。葛野庄の総社であったという古社・内尾神社近くの墓地には、久下家の「違い鷹羽」と本庄家の「揚羽蝶」、赤對家の「橘」、十倉家の「違い鷹羽」。

久下氏は栗作庄の地頭、本庄氏は葛野庄の領家方・下司であったことが知られ、それぞれゆかりの家であろう。本庄氏が本拠にしたという上新庄の墓地には本庄氏の祖という平右馬頭忠正・平治正家・平三正景の立派な宝篋印塔が祀られ本庄家の墓石が林立、そのいずれにも「揚羽蝶」が刻まれていた。そして、本庄氏と争ったという地頭・荻野氏の流れをくむのであろう荻野家の墓には「二引両」。


葛野庄内の古刹で「丹波の正倉院」ともよばれる達身寺の墓地には、足立家の「五本骨扇」、長久家の「細井に鷹羽」、大前家の「大文字」、寶子家の「違い鷹羽」。成松の古い墓地では田中家の「角違い」、荻野家の「二引両」、久下家の「並び扇」。

となりの柿柴墓地では足立家のさまざまな「扇(五本骨扇・三つ扇・上り藤に扇)」、安孫子家が「三つ扇」。その西方の古い墓地では、采女家の「抱き鷹羽に一文字」。高山寺西方の賀茂の墓地では、足立家の「五本骨扇」、藪内家・谷水家の「違い鷹羽」、九合家の「五本骨扇」などの名字と家紋が目についた。
総じて平凡な家紋が多かったが、足立家と久下家の分布、平家を称する本庄家の家紋、荻野家、芦田(蘆田・葦田)家、稲継(稲次)家など古そうな名字と家紋が一帯に伝来している。そして山南町の栗作庄から氷上町南部の沼貫庄と同様に「鷹の羽」の多さ、丹波氷上郡の内・氷上町は鷹羽が代表紋といえそうだ。


久下家の鷹羽紋、同じ墓地内の土倉家・道本家・堂本家・石倉家も鷹羽紋

本庄家の祖を祀る宝篋印塔

本庄家の丸に揚羽蝶

五瓜に揚羽蝶

六角に揚羽蝶、庄域の他地区でも本庄家の家紋は揚羽蝶

達身寺の蓮花

大前家の大文字、大胆かつ微妙に書体が違う

長久家の細井に鷹羽

かつて仁木氏、本庄氏らが城塞を構え、中腹に高山寺跡が残る弘浪山

足立家の三つ扇、もちろん多数派は五本骨扇

上り藤に扇

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2016年08月06日

かつての丹波国沼貫荘域で家紋ウォッチ

山南町北西部に接する氷上町域は、中世、沼貫荘域で久下時重が足利尊氏から充行われたところ。戦国時代、久下氏が衰退の色を見せると、北から赤井氏、南から和田氏が勢力を及ぼした。「矢」紋が突出して多かったのは、隣接する山南町域(かつての井原荘)ど同様に久下氏の「鷹羽」から転じたものであろうか、と妄想したことだった。また、古い墓石が多く残っていて、むかしながらの家紋に出会えたのは炎天下ながら何となく癒されたかも。

地域独特のものと思われる名字は、廣瀬・横谷・梅津・戸倉・本庄・田野さんで、横谷・梅津・廣瀬・田野さんは「矢」紋を主体に「抱き沢瀉」、「鷹羽」など、戸倉さんは「五本骨扇に「抱き沢瀉」」、そして、本庄さんは「三つ菱」で統一されていた。山南町に多かった「カタバミ」はわずか一例、「木瓜」「巴」「藤」紋は皆無であった。

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炎天下の山南町で家紋ウォッチ、二日目

凝りもせず、炎天下の旧氷上郡山南町域で家紋ウォッチ。家紋そのものは、いわゆる田舎ぶりというのだろうオーソドックスなものがほとんどだった。が、村墓地には同姓同紋が多く、丹波地方で「株」と呼ばれる同族結合の名残が感じられるのであった。また、一昔前は株ごとに営んでいた墓所を、集落単位の村墓地化するところが増えたという。結果、古い墓石は処分されることになり、何やら懐かしくも個性的な彫りの紋(手掘り感に癒されます)は姿を消しつつある(なんとも惜しい)。さらに新しい墓苑が造成され、分譲もされるようになると都市部からの流入もあったりして、地域独特の家紋や名字の風味も薄れていっているようである。

今回、歩いた山南町域の家紋分布を見ると、総じて「違い鷹羽」紋と「カタバミ」紋が多かったが、谷川を境として西部では「違い鷹羽」「違い矢」を併せると122で調査地区の37%、東部では「違い鷹羽」についで「カタバミ」が多かった。それぞれ、地域を領した中世領主の家紋が影響しているように思われ、家紋には家の歴史と地域の歴史が封印されていることを改めて感じたことだった。

墓地にお邪魔して思ったことはさまざまにあるが、「違い鷹羽」と「違い矢」は同姓の家がそれぞれ用いている例が多いのはやはり「同紋」という扱いなのだろうか?「カタバミ」では「剣カタバミ」が多数派、名字と地区との関係では「抱き茗荷」が林さん、「檜扇」が前川さん、森田さんが「剣カタバミ」、酒井さんと若林さんが「三つ巴」というのが目に付いた。篠山との境目の地区に多い永井さんが、集落によって「梨の切り口(唐梨)」と「違い鷹羽」に大別されていたこと、ぽつぽつとある藤原さんのほとんどが「藤(わずかに一件だけ)」紋を用いていないことなどもなにやら気に掛かった。


古い墓石に彫られた、手作り感あふれる家紋には癒されます〜

新しい墓石では見ることのできない、モッチャリ感 立ちおもだか

横もっこう

これは楽だったろうな、と思えるのにバランスの悪いこと 三つ引き

なんともいえない、ザックリ感がグーです 鷹羽

二引きに覗き菊

ほとんど手抜き? それでも「上げ上」は守られています

古いカタバミ紋。見れば、それぞれ笑っているよう、怒っているよう、などなど微妙な表情があらわれてくるような。

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山南町で家紋探索

夏休み二日目、炎天下の中を丹波市山南町域の墓地で家紋ウォッチ。山南町といえば「一番」紋で有名な久下氏が中世を通じて、勢力を有したところである。以前、調査した山南地区に多い久下家の本家と思われる家の紋は「一文字に逆さ鷹羽」と「違い鷹羽」であった。

今日、汗だらけになって歩き回った山南町域の家紋は「鷹羽」と「矢羽」が群を抜いて多かった。南中地区で見つけた久下家が「一本矢羽」、廣内家が「並び矢羽」、奥地区では山南町の多姓笹倉(篠倉)家が「違い鷹羽」を多数派として笹にちなんだ「九枚笹」「笹竜胆」、応地地区では、岸本・堂本・板野・荒川・北田・田中・村中・中野・松浪・山下家が「違い矢羽」、堂本・東田家が「並び矢羽」、そして、岸本・板野・田中・山下家が「違い鷹羽」を用いていた。

按ずるに山南町域(とくに久下氏が所領とした地区)で「鷹羽」と「矢羽」紋が多いのは、久下氏に由来したものであろうと思われたが、どうだろう。また、片切(片桐)氏の家紋を調べたとき、篠山市内今田町で家紋をウォッチしたときにも感じたことだが、おそらく「鷹羽」と「矢羽」は同じものという意識で用いられているのであろう・・・。元をたどれば当たり前、といえば当たり前、だが。


笹倉家、篠倉家 の代表紋といえそうだ

丹波山南地域の石塚氏の代表紋であろう

廣内家はすべて「並び矢」紋であった

久下家 鷹羽からの転化か?

堂本家 もともと矢羽根だったものから転化したものか?

堂本家、墓石に初代と彫られていたことから創作紋の可能性が高い。

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2016年08月04日

備中松山で家紋ウォッチ

備中松山城、城下町の一角を占める寺町界隈で家紋ウォッチ。炎天下の中、三村氏墓所のある古刹・頼久寺を皮切りに、龍徳院、巨福寺、寿覚院、道源寺をめぐり、水谷家墓所のある定林寺、最後に板倉家菩提寺である安正禅寺の境内墓地をめぐった。

文字通りの汗みずくになっての墓地歩きだったが、総じてオーソドックスなものが多く、

「おお〜!」という家紋には出会えなかった。


三村家親・元親の墓

打たれた家紋は「根笹」???

羽場家 傘

金子家 三つ追い蝶


菊楽家 三つ目

巨福寺 雨森家、今日一番の出会い!

水谷家墓所のある定林寺

右:初代水谷勝隆 左:三代勝美 の五輪塔 

板倉家菩提寺の安正禅寺

屋根瓦に九曜紋

古瓦の供養紋

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