2017年01月31日

猿田彦神社、そして車折神社へ

正月明けの18日に帰省してきたマゴゲンと長女を京都駅まで搬送。夫婦二人の暮らしにガチャガチャと彩を添えてくれた、孫のいる暮らしも今日でおしまい (〃ω〃)


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マゴゲン送り届けた帰り道、我が家の年中行事となっている「一陽来復」の御札をゲットするため、予定通り嵯峨の車折神社に移動。その途中、ふと路傍に珍しい神紋を発見、車を寄せて立ち寄って見ると「猿田彦神社」。

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変わった家紋に見えたのは「くくり猿」紋であった。まことに小さな神社だが解説版を見ると、別名を「山ノ内庚申」といい京都三庚申の一つとして数えられる神社で、その創建は比叡山を開いた伝教大師最澄がその座禅石の傍らに猿田彦大神を祀ったことに始まるとあった。なかなか由緒もゆかしい猿田彦神社であった。

思わぬ寄り道で眼福と京都の歴史にふれたのち、目的地・車折神社に参拝して古い御札を返し、新たに今年の「一陽来復」の御札を買い求めた。

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境内をぶらつくと早咲きの桜がチラホラと咲いている。まさに一陽来復、春はもうすぐそこまで来ているようだ。
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2008年12月23日

嵯峨野から太秦、神社めぐり

嵯峨野の野宮神社、車折神社、そして、蚕の社の異名で有名な太秦の木島神社を経巡ってきた。

野宮神社は斎宮に選ばれた皇女が潔斎のために一年間籠ったところで、嵯峨野の竹林をそぞろ歩いていくと、黒木の鳥居と小柴垣がぽっかりとあらわれる。まことに清清しい雰囲気で、縁結び、子宝安産の神様というだけに、女性とアベックの姿が多い。境内にある神石「お亀石」は、撫でながら祈ると一年以内に願い事が成就するとあり、思い切り「なでなで」させていただいた。昨年の春、野宮神社を訪れたとき、境内に奉納された絵馬の一つにゴージャス姉妹の妹さんのものがあった。その後、ご結婚されたとも、子宝に恵まれたとも聞いていない。神様は人を見て相応なご利益を与えられるのだろうか?、それとも・・・??。

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阪急嵐山駅から渡月橋を渡ったところの左手にある車折神社頓宮、かねてより車折(くるまざきと読む)という社名の奇妙さもあって気になっていた。頓宮はいわゆる出店であり、車折神社の本社は嵐電「車折駅」南方すぐのところにあり、祭神は平安時代末期の学者清原頼業とのこと。本来、頼業の菩提寺であったが、社前を通りかかられた後嵯峨天皇の御車のながえ(轅)が折れ、車が前に進まなくなった。社僧に尋ねて頼業が祀られていることを知った天皇は、「車折大明神」の神号を賜り神社になったという。境内を歩いていると、なにやら玄人っぽい派手な男女・・・が、チラホラ見られる。境内摂社として祀られている芸能神社への参拝客と知って、なるほどと納得。芸能神社の玉垣には人気タレントのものもあり、好きなタレントの玉垣を探すのも楽しいかもね〜。

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車折から蚕の社へは嵐電で約十分、二百円。蚕の社駅を下りると前方左手に石の鳥居が見える。蚕の社は木島坐天照御魂神社(木島神社)境内に祀られた摂社養蚕神社のことで、主体は木島神社である。むかし、この地を治めていた秦氏が、水の神、結びの神を祀ったのがはじめという。秦氏は養蚕、機織、染色の技術に優れた渡来氏族で、秦川勝は聖徳太子のブレーンとして知られる。蚕の社西方にある広隆寺は川勝が太子のために造営した寺院と伝えられ、一帯の地名太秦も秦氏にちなんだものである。木島神社本殿の左方に元糺(もとただす)の池があり、下鴨神社の糺の森はこの地から遷されたのだという。池には水がないものの、中央に有名な三本柱の鳥居がある。伏見稲荷、松尾大社など京都に鎮座する古社は秦氏との関係を有しており、さきの糺の森のことなど、蚕の社を中心とした太秦にはなにやら不可思議な力が秘められているような?。そう思って蚕の社=木島神社を改めて見直すと、鳥居のある南側を除いて境内が高い塀で囲まれているのも、なにかを封じこめる結界のようで妖しい。

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京都は、遷都に際して桓武天皇が風水をもって白虎・朱雀・青龍・玄武の「四神相応」の都づくりをなされたという。おそらく、大和の飛鳥京にしても、平城京にしても、都づくりに際しては風水を拠り所にしたことであろう。しかし、古代のおおらかさを感じさせる大和の飛鳥京や平城京に比べて、近代まで都であり続けた京都は、なにやら生臭さを纏っているように思えるのはクマだけだろうか・・・。 by kuma

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2008年11月23日

老の坂を超えて、丹波篠山へ

二週間ぶりに篠山に行く。 篠山に行くときは、いつも京都縦貫道を利用するのだが、今日は国道九号線を利用する。老の坂トンネル近くの山中にある首塚大明神、老の坂を亀岡側に降りてすぐのところにある篠八幡宮を訪ねるためだ。首塚大明神は大江山の酒呑童子の首を葬った所といい、篠八幡宮は足利尊氏が鎌倉幕府に叛旗を翻した神社として知られているところだ。酒呑童子が棲家にしたという大江山は丹波大江町とされているが、首塚大明神の鎮座する大枝が本来の大江ではないかともいわれ、すぐ近くに大江山も存在している。
さて、首塚大明神は由来によれば、童子を退治した源頼光と一行が討ち取った首を都に持って帰ろうとする途中、老の坂で休息した。すると道端の子安地蔵が「不浄な首を都へ持ってはいることはならん」と云われ、坂田金時がいくら頑張っても首はまったく持ち上がらなくなくなった。 そこで、一行はやむを得ず首を埋めて首塚をつくった、それが大明神の始まりだと伝えられている。鬼の首を埋めたというだけに一帯は妖しい雰囲気が漂い、鳥居前の廃墟群がさらに不気味さを増幅する。大明神と周辺一帯が心霊スポットとしても有名な場所であることが実感できる。
鳥居をくぐり、木の根が剥き出しになった参道を登って社殿に参拝、本殿の背後に廻ると「童子の首塚」と思しき石積みの塚が祀られている。・・・突然、湿気を含んだ神社周囲の森から奇声が響き渡り、ざわざわと木々の揺れる音がする。思わず「ゾッ」として森を凝視すると、猿の集団が木々を伝わりながら森の中を移動している。なにやらホッとしたものの、肩透かしをくらったようでもある。とはいえ、この状況が夜であれば半端じゃない恐怖感に鷲攫みされることは疑いない。

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木漏れ日も不気味な首塚大明神 (真ん中:首塚? 右端:柿の木の猿軍団)

篠八幡宮は、関東から関西に移ってすぐの秋に、ちょっと立ち寄ったことがある。そのときは、八幡宮の神紋である「鳩紋」を確認することが目的だった。その後、丹波武士の歴史を調べるようになり、改めて篠八幡を訪ねたいものと思っていた。篠山に行くことが多いだけに、「すぐに行けるし、そのうち・・・」と思っているうちに二年が経っていた。前回にも思ったが、中世における重要な場所ながら「意外に小さな神社だな」と改めて感じる。しかし、矢塚・旗挙げの楊などを見ていると、丹波武士がみずからの将来を掛けて篠八幡に馳せ集ったとき、誰がその後に続く歴史の動乱を見通していただろう。
いま、世界的不況にさらされる日本の指導者とその与党は、屋台骨の揺らいだ鎌倉幕府に見えなくもない。誰か、倒幕の旗を篠八幡に掲げれば、時代の変革を求める多くの武士が馳せ集うのではなかろうか。

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篠八幡の鳥居と、倒幕を決意した足利尊氏が旗を立てたという楊の木
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最近、続けている二十二社めぐりの官弊神社群に比べれば、両神社ともまことにちっぽけな存在だ。しかし、、丹波と京都との関わり、歴史における伝奇性など、いずれも面白い神社だ。 by kuma
posted by うさくま at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社紀行

2008年11月22日

大和の古社を訪ねる

今日、二十二社「中七社」うちの龍田大社に行った。先週に続いての二十二所めぐりで、今回は相方のうさも一緒だ。

京都から枚方を経て磐船街道を南下、奈良県平群郡三郷へと車を走らせる。
龍田大社の祭神は天御柱命・国御柱命で、天地間の大気・生気・気・風力を司る神様で「風神」と呼ばれている。古来より皇室の厚い崇敬を受け、国家の重大事には特別にお祭りが行われた古社だ。
大社は紅葉の名所としても有名で、見事に色付いた紅葉の境内は七五三の家族連れで賑わっている。紅葉の大社を写真におさめたかったが、お祝いモード一杯の家族連れが、そこかしこで記念撮影をしている(いわゆる傍若無人に)・・・。秋晴れと紅葉、写真撮影には絶好のコンディションだが、人出の少ない時期に出直す事にして、さらっと境内、周囲を散策、大社をあとにする。ところで、龍田大社といえば小倉百人一首などに詠まれる龍田川の歌などから、大社境内の紅葉が龍田川に映えている情景を想像していた。実際に足を運んでみると、大社と竜田川とが随分離れていることが意外であり、歌の情景に接することができなかったことは残念だったかも・・・。

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七五三で賑わう龍田大社社殿、境内の楓は見事な紅葉。

予定では、龍田大社を訪問したあとは、篠山方面へ行くことになっていた。しかし、せっかくの好天でもあり、うさの同意を得て二十二社の一社でもある春日大社へ足を伸ばすことにした。春日大社へは、●●十年前に小学校の修学旅行で初めてきて以来、何度も訪問している。とくに昨年は、大和武士の歴史と足跡を訪ね歩いたとき、若宮おん祭りを見物したときなどに訪ねたが、春日大社そのものをじっくりと見学することはなかった。それもあって、今日は本殿拝観券も購入して拝殿、回廊、末社群を隅々まで見て回ってきた。建造物の多くは朱で塗られ、その華やかさと造形の確かさはまことに見事なものだ。本殿を堪能したあとは、境内に散在する摂社・末社、石灯籠などなどを見て歩く、石灯籠の刻銘には天文・永禄など戦国時代のものもあり思わず見入ってしまった。大社一帯は、黄や赤に染まった紅葉、小春日和の陽射しも加わって、一年のうちでも最高の状態だったのではないか。

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南門前に何気なくある「神石」、人出の多さに巫女さんたちは大忙し。

春日大社が鎮座する奈良公園一帯は世界文化遺産に登録されているが、見るほどに知るほどに新たな発見がある…長い歴史に磨かれた多様な美が凝縮された玉手箱といえそうだ。あっと言う間に陽は西に傾き、相方のうさは疲労と退屈さを隠さない。つぎは、十二月のおん祭り、あるいはお水取りのときに…などと夢想しながら、夕暮れに包まれた奈良をあとに帰路についた。結局、当初予定していた篠山行きは明日に延期となったが、秋の大和は本当に素晴らしかった。 by kuma
posted by うさくま at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社紀行

2008年11月17日

西宮、廣田神社を訪ねる

昨日、15日に続いて、連チャンで二十二社めぐりに行って来ました。朝起きると天気予報通りの雨、家にいるしかないかと思っていたところ、昼前、ぱらついていた雨があがる。それでは「行くで!」と、呆れる家族を後目に家を出発!目的地は二十二社のうち、もっとも西にある廣田神社。
阪急電車 →西宮北口駅 →甲東園行バス →廣田神社前 
廣田神社に着いたころには、すっかり雨も上がり、他社にはない風変わりな鳥居をくぐって境内へ。 

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西宮の地名は、廣田神社が西宮と呼ばれていたことに由来したもので、中世、その社域は、ほぼ現在の西宮市域に匹敵する広さだったとのこと。廣田神社は天照大神の荒御魂を祀り、その社格は兵庫県で一番の高さを誇っている。神社の『パンフレット』によれば、廣田大神は神功皇后の三韓征伐を先導して勝利をもたらし、イザナギ・イザナミの第一子に生まれながら流されてしまった蛭子命を助け、戎大神となすなど、その神徳はあまねく世の中を照らしているという。廣田神社において蛭子命を祀ったのが、西宮のエベッサンとして親しまれている西宮戎神社であり、もともとは廣田神社の末社であった。明治維新ののち、明治七年に境内地を割譲されて独立したのだそうだ。 

阪神タイガースは廣田神社の神徳にあやからんとして、毎年、開幕時に戦勝を祈願の参拝をしていることは有名だ。しかし、今年前半の快進撃と、何ともいえない結果を見ると、その神徳のほどはどのように理解すればいいのだろう・・・。おそらく、快進撃は廣田神社の神徳で、結果はタイガースの実力?だったのかも・・・。
hirota_1116  神主さんのお祓いを受ける家族連れ

あいにくの天気ではあったが、境内は七五三の親子連れが行き交い、お参り受け付けのためのテントが張られ、社殿の内陣では七五三の親子連れが神妙に神主さんの祝詞とお祓いを受けている。世代が変わっても、むかしからの行事が粛々と行われるさまは、改めて日本という国の面白さを感じさせる。また、神社の境内は「菊紋」だらけで、廣田神社の神紋という「四つ菱紋」、公式ホームページに用いられている「九曜紋」はどこにも見当たらない。本来の神紋は、「四つ菱」あるいは「九曜」と思われるだけに、この目で見ることができなかったのは、まことに残念であった。

廣田神社をあとにしてバス停でバスを待っていると、太陽が顔を出し、みるみる周囲は陽射に包まれた。晴天となれば、行き先を西宮北口から阪神西宮駅行きに変えて西宮戎神社に向かうことにする。阪神西宮駅から徒歩で五分、こちらの境内も七五三の親子連れで溢れ、かつての本社であった廣田神社をはるかに凌ぐ賑わいだ。いかに神格が優れ、長い歴史を有していても、立地と人気には勝てないといったところだろうか・・・。現代の世相にも通じるところであり、生き残るということの難しさを感じさせる。これも神社参詣がもたらしてくれる処世のための厳かな御教示なのか・・・な。   by kuma

ebisu_1116 勢ぞろいしてお祓いを受ける家族たち
posted by うさくま at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社紀行

2008年11月16日

葵つながり

いま、機会をみつけては二十二社めぐりを楽しんでいる。
二十二社とは、数ある神社のなかから、特に朝廷より崇敬を寄せられた二十二の神社で、伊勢神宮を筆頭として近畿地方に散在している。昨日、その一つである賀茂神社のうち賀茂別雷神社、いわゆる上賀茂神社に行ってきた。

テレビの天気予報は、「曇り、ところによって昼頃より雨」とのことだったため、雨が降り出す前に神社を散策しようと気が逸り、朝七時、まだ眠る家族を横目にして家を出発する。
上賀茂神社へは四条大宮駅で京都市バス46系統に乗り替え約30分、途中の車内から見上げる空は雲に覆われ、神社に着く頃には小雨が…。
少々の雨は止むなしと、やや落胆しながら上賀茂神社の境内へ。
世界文化遺産に登録されている上賀茂神社には、国宝の本殿をはじめ、重要文化財の指定を受けた建造物が所狭しと並び立ち、御物忌川、御手洗川、そして、ならの小川の清冽な流れと相俟って、なんともいえない神寂びた空間が広がっている。
境内を巡るうちに、いつしか雨は止み、太陽が顔を出し、青空が広がる素晴らしい秋晴れとなった。早朝に訪れたこともあって観光客の姿も少なく、のんびり、ゆったりと境内の散策を堪能できた。諺にいう『早起きは三文の「徳」』を享受できたってところかな…。
kamigamo1115  社務所の屋根瓦の葵紋

せっかくの秋晴れになったことでもあり、賀茂神社と並び二十二社の一社である大津坂本にある日吉大社行きを思い立った。賀茂神社から日吉大社へは、地下鉄北山駅→京阪浜大津駅→坂本駅と約一時間の行程だ。
日吉大社は山王権現とも呼ばれ、歴史的に比叡山と深い関わりを持ってきた。それが、災いして織田信長の比叡山焼き討ちに際して、堂社ことごとく灰儘に帰した。その後、豊臣秀吉、徳川家康らによって再建され、江戸時代を通じて幕府の保護を受けた。
国宝の東本宮、西本宮をはじめ、宇佐宮、樹下宮、白川宮などの社殿が重要文化財の指定を受け、八王子山には「金大巌」と称される磐座が存在している。また、大宮川にかかる石造の日吉三橋、比叡山の僧兵たちが強訴するときに担ぎ出した山王神輿も見逃せない。さらに、日光東照宮のヒナ型になったという日吉東照宮、穴太積の石垣が美しい里坊など、日吉大社境内から坂本一円は見どころが一杯だ。
今回、ひとつ残念だったのは「日吉の紅葉」として知られる紅葉が、まだ色付きはじめたばかりであったことだ。神職の方に聞くと、今年は月末がみごろだという。
 hiyosi1115  東本宮賽銭箱の葵紋

上賀茂神社と日吉大社とは、比叡山をはさんで西と東という真逆の場所に鎮座しており、行先としてはちょっとありえない組み合わせかもしれないが、京都地下鉄から京阪電車を乗り継いでの小さな電車旅は意外に楽しかった。なによりも、両社の神紋「葵」の図柄をそれぞれ実見できたことが、くまには一番嬉しかったかも…。   by kuma
posted by うさくま at 04:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社紀行