2018年03月23日
佐用郡本郷谷に遠征
2015年10月25日
丹波篠山の山城攻めガイド
八上城をメーンとした丹波篠山の城めぐりをアテンド。
篠山にいらっしゃった参加者は五人。
野間砦からスタートして、国人畑氏が拠った大渕館、
篠山では特異な縄張りの大上西ノ山城、
そしてメーンデッシュである八上城に登山。
盛りだくさんな内容となり、
参加メンバーの方々の満足度は高かったようで
ガイド役としては、ホッ!としたことでした。
2015年04月12日
2015年02月08日
今年初!宍粟城研の見学会に参陣
善防山城と小谷城であった。それに後藤又兵衛の菩提寺
多聞寺訪問をプラスしていただいた。
その結果、弁当を購入することができず
初動においてF会長以下のみなさんに迷惑をかけてしまった。
2014年12月09日
宍粟城研、高峰山城調査行
2014年11月23日
篠ノ丸城跡 ボランティアガイド 二日目
二日目の城研からの出動者はF会長とFさんの三人。
今日も好天、宍粟市役所の駐車場でF会長と合流。
問われるままに昨日のガイド状況をお話しすると、
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2014年11月22日
篠ノ丸城跡 ボランティアガイド 初日
今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」ゆかりの地として
地元のみなさん方によって整備され、人気のスポットとなっている。
また、城址を含む一帯は最上山公園とも呼ばれ
小学校のピクニック、友だちとの気楽な山登りなどの思い出があるところだ。
数年前から「もみじまつり」が開催されている。
まつりを盛り上げるイベントの一つとして篠ノ丸城跡ガイドが企画され
宍粟城研がボランティアでガイド役を引き受けたのだった。
微力ながら会員の一人として城跡ガイドに一役かわせていただいた。
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2014年10月19日
相生 光明山城を踏破。
今日は快晴。
ひさしぶりの宍粟城郭研究会の城址見学会。今日のターゲットは西播磨の相生にある光明山城、
かねてより登りたかった山城だが、ネットの情報によれば
整備はされてないようだ・・・、果たして実状は?
ともあれ、好天の下、相生へと出陣したのだった。
2014年05月25日
北西播磨、田路氏の「天空の城」に登る
2014年03月30日
宍粟城研の加西の山城見学会、雨天決行
朝、起きると外は雨。宍粟城研の加西の山城見学会、中止か?
と思い悩んでいたところ、F会長より雨天決行の連絡が入る。
「流石!会長…」 バタバタと準備をして、待ち合わせ場所となる
山下城跡を目指して雨の降りしきる中国道をひた走った!
2014年01月19日
2013年12月15日
播磨に田路氏の山城群を訪ねた
宍粟城跡研究会の第20回城跡見学会に参加するべく
朝まだ暗い丹波篠山を出発、中国縦貫道を疾走!
予定通りに集合場所の宍粟市役所へたどり着いたのだった。
参加者は藤原会長以下、七人。今日の訪城地は、
宍粟一帯を領した宇野氏に属した土豪田路氏ゆかりの山城群ー
御形(三方)城跡、草木城跡、そして、
波賀城主中村氏の庶子家が拠ったという古城山跡の三つ。
まず、御形城跡である。
ガイド役の参加者が来られず、連絡もつかないため、配布資料の
古い縄張図を睨みつつ城跡があるだろうと思しき山へと踏み込んだ。
2013年10月27日
2013年07月28日
ディープな西播磨遠征を楽しむ
例会への参加は、正月以来、スケジュールが合わず今年はじめてとなった。
ガイド役は会長の藤原孝三氏で、まず、日常の居館跡であったという
山崎八幡神社を訪ね、宍粟宇野氏の菩提寺という寺院跡を探索する。
日常の館、菩提寺の跡は、藤原氏が字限図などから提唱されたものだ。
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2012年04月22日
悪天候を突いて、若桜鬼ケ城攻め
宍粟城研の第十二回例会「因幡国若桜鬼ケ城に登る」に参加。
天気は風混じりの雨、ともかく集合場所の宍粟市役所へ。
悪天候の中集まったメンバーは五人、酔狂といおうか、律義といおうかー。
中止か決行かはおいて、会長が用意された資料を見ながらのミニ講演会を拝聴。
宍粟長水城から逃れた宇野一族は美作大原の新免氏を頼ったというのが定説だが
実は、若桜鬼ケ城を目指そうとしたのではないか、という説には 「なるほど!そうだったのかも」と思われた。今回の若桜城遠征は、それも踏まえて計画されたのだそうだ。
ミニ講演会ののち、雨も小降りになったことだしダメ元で「若桜まで行こう!」と決定
総勢四人のメンバーは二十九号線を若桜目指して北上した。
29号線をひた走る、やがて前方に若桜城址が見えてきた
2012年03月11日
十年ぶり、置塩城に再訪
播磨守護職赤松氏の居城であった置塩城に
実に十年ぶりに再訪した。
播磨赤松氏の場合、嘉吉の乱で滅亡した前期赤松氏と
応仁の乱をきっかけに再興がなった後期赤松氏とに分類される。
置塩城は後期赤松氏が本拠とした戦国山城だ。
東方より城址を遠望(2009/08)
2012年01月22日
美作大原に新免氏の居城群を訪ねる
竹山城は播磨姫路から揖保•佐用から美作を経て因幡に通じる因幡街道の宿であった美作国大原にあり、一帯を支配した国人新免氏の居城として知られる。新免氏の出自は諸説あるが、赤松氏の一族とみなされる。新免氏を有名にしているのは、宮本武蔵の父無二斎が仕えていたという伝説であろう。
そして、大原は武蔵生誕の地ともいわれ、かつて武蔵を主人公とした大河ドラマでは大原を武蔵の故郷として描いていた。武蔵の故郷であるか否かはともかくとして、宮本武蔵駅があり、大原の地は武蔵で村おこしをせんとした痛ましい傷跡が無残に残っている…ように感じたのはわたしだけではないだろう。
大原には、かつて大河ドラマで「宮本武蔵」が放映されたときに訪ねて以来、何度か往来したが素通りがほとんどで、竹山城に登ったのも今回のオフ会が初めてである。
2011年12月18日
安積城跡見学会に参加して西播磨に遠征
今日は、宍粟城郭研究会の
安積城見学会に参加して、宍粟に遠征。
安積城跡は中世の武家、安積氏の詰め城だったところで
かねてより登山を目論んでいた城跡だ。
丹波の朝霜
集合時間は、宍粟市役所前に午前八時半!
朝霜で真っ白な装いの丹波を出発、中国道山崎インターへとひた走った。
天気は快晴、いい山城登りを楽しめた。
2011年10月09日
念願の播磨柏原城攻めを堪能する
昨年、その存在を知った播磨柏原城跡。何度か登山を計画しながら実現には至らなかった。今回、宍粟城跡研究会のタケネットさんのお誘いであっさりと実現、しかもガイド役は播磨地方史・城郭研究家として知られた研究会会長の藤原孝三氏、願ってもない城攻めとなった。
柏原城址は、わが生家より揖保川を隔てた西方にそびえる国見山(現在、国見の森公園と化した)左側に見える山上に遺構が残っている。国見の森公園の登り口が、そのまま柏原城址への登山道となっていて、先年、山歩きコースの一つとして整備されたとのことだ。
国見の森公園登山口より城跡方向を遠望、…遠い!
前日より満を持して実家に宿泊、今日の待ち合わせ場所である宍粟市役所へ。参加メンバーはウサクマを入れて六人、みなさん初対面の方ばかり、タケネットさんは思っていた以上に若くてびっくり!まずはみなさんと挨拶を交わしてのち、藤原会長から縄張り図をもらい柏原城に関する歴史をレクチャいただく。かくして四駆車二台に分乗して、登り口となる国見の森公園へ出発した。