2014年04月14日

奥丹波―桐村城跡を踏破

福知山市北西部に位置する大呂谷、
中世、常陸から西遷してきた関東武士大中臣金山氏が支配したところ。
大呂には金山氏が建立した古刹天寧寺、金山氏が築いた山城跡が散在する。
禅宗寺院らしい稟とした空気が快い天寧寺、
金山氏の本城たる金山城跡、いずれもなかなかなかのものだ。

大呂谷は何回か足を運び、金山氏の史跡を訪ね、大呂城跡、天寧寺城跡を踏破した。
金山氏は足利将軍に仕え京都で活躍したため丹波の所領は有力一族桐村氏が本家金山氏に代わって経営した。やがて乱世になると金山氏は没落、在地の桐村氏は国人領主に成長、大呂谷を支配下においた。戦国期、丹波守護細川氏、但馬山名氏、若狭武田氏らが桐村氏に宛てた文書が伝来している。
その桐村氏が拠ったのが桐村城跡で、天寧寺の西方、金山城跡と相対して大呂谷を丹後に抜ける街道を押さえている。より正確に言えば街道から少し距離をおく金山城跡に比べると、桐村城跡は街道を直下に睨む位置にあり戦国を感じさせる。

福-桐村城01
天寧寺参道より城址を遠望

調べてみると藪コギしながら登った金山城跡と同様に城址への道は既に存在せず、国土地理院の地図よりルートを探り、南山麓の谷に伸びる尾根を登ることにした。農作業をしている方に聞けば、かつて尾根筋に道があったが今はないとの返事だった。
ということで前進を阻む雑木、竹笹をかき分け、切り払いながら登って行くと尾根を遮断する堀切があらわれた。その先の急斜面を登りきると、生い茂る雑木と散在する倒木が邪魔するものの曲輪らしき地形である。さらに曲輪であろう尾根を進むと竪堀を伴った堀切、見上げる切岸が前進を阻む。切岸をよじ登ると山上曲輪群の東曲輪、ここも木々が繁茂しているが遺構はよく残っている。中央部の登り土塁状の曲輪を登ると堀切、曲輪が続き、主郭の絶壁状切岸が立ちはだかるのだった。

福-桐村城02 福-桐村城03 
城址東方の尾根−曲輪跡か?     城址東端の堀切
福-桐村城10
桐村城跡 縄張図(「京都府中世城館跡調査報告書」から転載)

当時は登りルートがあったのだろうが、見る限り直登するしかなさそうた。ルートを探しつつ北斜面を巻いて行くと腰曲輪、竪堀、そして主郭西方を防御する堀切へとたどり着いた。堀切の両端はは竪堀となり、すぐ西方にも堀切を構えた二重堀切であった。縄張図を見るとさらに曲輪、そして二重堀切で防御されている。気合いの入った土木工事に西方への強い警戒心が感じられた。それは、但馬の山名氏、あるいは丹後の一色氏を意識したものか。

福-桐村城04 福-桐村城05
東曲輪群                      主郭東尾根を断つ堀切

主郭は西方も見上げる高さの切岸、諦めて斜面を直登、主郭はきれいに削平され櫓台跡らしき広い土塁も残っているが、城址で一番の雑木藪!探索は諦めて南斜面の畝状竪堀、横堀を探索、繁茂する雑木には難儀させられたが城址の規模は大きく、遺構の残存度もは高く、なかなか見応えのある山城だった。気がつけば三時間が経過していたのだった。

福-桐村城06 福-桐村城07
主郭北側斜面の腰曲輪          主郭西直下の堀切
福-桐村城08 福-桐村城09
潅木に覆われた主郭                主郭から見た西尾根の二重堀切

桐村城跡を堪能したのち天寧寺で遅くなった弁当を食す、満開の桜がいい感じだった。

福-桐村01
桜が見ごろ−天寧寺

桐村城跡のあとは金山城跡を再訪する予定だったが、桐村氏の家紋探索を優先して今日の城攻めは切り上げ、中世文書が伝わる桐村家を探して瘤木集落を目指した。瘤木集落はひっそりとした山村という雰囲気のところだったが、かつては丹後加悦方面に至る街道が通じ、いまも古道として集落の中央を貫通しているのだった。さらに、天寧寺への道もあり、桐村城主の子孫が居を構えたのもうなづける場所であった。

福-桐村02
瘤木集落のはずれに佇む道標

集落をあちらこちらと歩きまわったが、目当ての墓所は発見できなかった。実は天寧寺は金山氏が建立した寺院であり、境内の一角に金山氏のものとおぼしき古い五輪塔が祀られている。しかし、参道の傍らにある墓地には金山氏、桐村氏ともに墓石は見当たらないのであった。
見聞諸家紋には金山氏の一文字に二つ巴が収録され、桐村家にも同紋の旗標が伝来しているそうで想定では巴紋であろうと。

結果は、現代風家屋に桐村と書かれた表札を見つけ、瓦、土蔵などに家紋を探したが空振りに終わった。話を聞こうにも歩く人はもとより人影もない、またまた無念の撤退となった。諦めきれないまま・・にある文化財指定を受けた桐村家住宅を訪ねた。

福-桐村03
桐村家住宅の瓦に見える家紋

こちらは旧家ではあるが、桐村城主直系ではなさそうだ。桐村家住宅は立派な佇まいを見せ、住宅の各所に据えられた家紋は「剣カタバミ」であった。さらに近くにあった墓地に行くと、桐村家の墓石が林立し家紋はこぞって「剣カタバミ」。かくして、期待した成果は得られず福知山をあとにした。
いつか、金山城跡の再訪と合わせて桐村氏の家紋発見すべく大呂谷遠征を期したのだった。

posted by うさくま at 14:06| Comment(3) | TrackBack(0) | 丹波の山城
この記事へのコメント
こんにちは。今更のコメントで申し訳ないです。
桐村家のも墓石はもう少し山手の、登った所にありますよ。家紋は一文字に並び巴です。
Posted by 柚月 at 2015年05月31日 20:11
こんばんは。

いま、書き込みを拝見しました。
少し山手のの乗ったところ とは、
瘤木集落の細い道を
もう少し登ればよかったのでしょうか?

近いうちに時間を見つけて
ぜひ、墓所を訪ねたいと思っています。
Posted by うさくま at 2015年11月23日 22:23
桐村家のものです。桐村城跡がしりたいです。
Posted by きりむら at 2017年12月12日 15:57
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