2013年09月22日

戦国トリップ第一日目、細工所城、籾井城を攻める

今月のはじめ、「兵庫・ブロガー100人戦国トリップ」に応募、
「たびたび城たびブロガー」の一人に、めでたく選んでいただいた。
丹波エリアの山城をターゲットにした戦国トリップのプランは、
14日(土)・15日(日)の一泊二日で
題して「丹波篠山、三大戦国山城をめぐる」 というもの。

丹波篠山の城といえば藤堂高虎の縄張りになる篠山城が
あまりにも有名に過ぎるが、波多野氏の拠った八上城を筆頭として
市域には六十以上の戦国城砦群が残っている。
そのなかから、手前勝手に八上城・籾井城・細工所城の三城を
「丹波篠山―三大戦国山城」と銘うってディープな山城攻めに汗を流した。

まず初日の14(土)は、細工所城跡と籾井城跡を踏破。
いずれも、波多野氏が拠る八上城の東の備えとして明智軍を迎撃
落城の悲運に見舞われた山城だ。とくに「丹波の青鬼」と恐れられた
籾井城主籾井綱利の奮戦は篠山戦国史における語り草の一つとなっている。

細工所城_01
細工所城を見る

細工所城、籾井城ともに山頂に主郭を置き、主郭より伸びる尾根筋に曲輪群を配した
縄張りで築かれている。城跡を歩けば丁寧に削平された曲輪、明確な切岸、
尾根を遮断する堀切、出曲輪などの山城パーツが揃っているところだ。

一番目の細工所城は平時の居館跡と思われる山麓の「細工所砦」と、
山上に構えられた詰めの城である「細工所城」で構成される。
細工所砦は広い平坦地を主体に尾根側を大堀切を遮断し
山上に続く大手道を固める(あるいは封鎖する)格好の地を占めている。

細工所城_02 細工所城_03
細工所砦尾根側の大堀切       山腹を防御する出曲輪の切岸

山上の城跡までは大堀切の北端より、明確な登山道があり迷うことはない。
大手尾根筋に築かれた曲輪群、ロープが設けられた急斜面を踏破しながら
たどり着いた主郭は木々がほどよく伐採され、尾根筋に連なる曲輪群も
藪こぎをするということもなく、まずまずの城跡探索を楽しめる。

細工所城_04
曲輪が連なる細工所城主郭部
細工所城_05 細工所城_06
東尾根曲輪の土橋と横堀    最南端部の見事な竪堀

細工所城跡を構成する曲輪の切岸は明確で、土橋、堀切、帯曲輪、竪堀なども見応え十分。
とくに主郭部と南尾根曲輪群を遮断する土橋を伴った横堀、
その先に連なる曲輪群の南端部に落とされた竪堀はいつ見ても飽きることはない。
ついで主郭部北を防御する二段の腰曲輪の切岸の高さは
「あー、これぞ山城だ!」 と実感させられる遺構だ。


山城登山は主郭で弁当を食べるというのが定番だが、
今日は細工所城から北すぐのところにある「うどんー風輪里」でカレーうどんを食す。
チョッと待たされることが多いものの、ここのカレーうどんは篠山で一番の味かも。

風輪里
お腹も空いていたので「ヒマツブシ」という小ライスをプラスした


腹ごしらえをしたあとは、細工所城南部に位置する籾井城攻めだ。
籾井城は京都府と兵庫県の境をなす天引峠を越えてすぐのところに位置する
古い宿場町福住の町を見下ろす白尾山上に築かれている。
福住は古くは山陰道、江戸期は京街道と呼ばれる街道が通じ、
京と篠山はもとより、摂津、播磨方面とも結ばれた交通の要所で
その古い町並みは、今春、国から重要伝統的建造物群に指定され、
新たな町おこしに動きだそうとしているところだ。

その福住の町を領し、白尾山に城を築き拠点としたのが籾井氏で、
白尾山に築かれたことから、白尾城、安田城などとも呼ばれた。
城跡への登り口は、南山麓にある禅昌寺の西側にあり、
よく踏み固められた山道が山上へと続いている。
本来の大手は山上から西方の安田方面に伸びた尾根筋にあったといい、
東方の本明谷側には居館跡という本休禅寺があり、そこが搦手だったらしい。

籾井城_01
籾井城主郭部西方尾根筋を遮断する大堀切

ともあれ、ルートの明確な禅昌寺側の南尾根に取り付き、山上の主郭部を目指した。
南尾根筋の中腹に構えられた出曲輪を経て、登りついた南尾根曲輪群の
南端部は堀切で遮断され、そこから主郭部本丸まで腰曲輪が連なる。

籾井城_02 籾井城_03
南尾根筋の曲輪切岸             主郭切岸と北尾根曲輪
    
曲輪は大きくないが、それぞれ明確に切岸で区画され、削平も悪くない。
主郭部本丸には籾城公園と刻まれた石碑が、取り残されたように立っている。
聞けば、かつて公園として整備され地元のハイキングコースになっていたとのこと。
公園化に際して変に改修されることなく、城跡遺構がよく残っているのは
籾井城に対する地元の地元の方々の思い入れ浅くないことを感じさせ
山城ファンの一人として、なんとも心嬉しいことであった。

主郭部本丸から東方を見れば樹木越しに天引峠方面が見え、
峠を越えて多紀郡に攻め込んだ明智軍を迎撃した籾井一族の戦意が伝わってくる。
広い主郭の西方を固める腰曲輪の先には尾根を断ち切る大堀切、
その先の尾根にも曲輪が築かれ、堀切で尾根先を遮断している。
北尾根にも曲輪群が連なり、中央部を土橋を伴った横堀で区画し、
北端の曲輪は西尾根筋に虎口を構え、それを防御する横矢掛けと堀切が確認できる。

籾井城_04 籾井城_05
北尾根曲輪を横掘と土橋           東尾根曲輪先端部の堀切

東尾根曲輪群は主郭部と比べると削平が甘く切岸も不明瞭だが、
尾根筋を堀切、横堀を設け、主郭部とは竪堀で動きを封じた土橋で結ばれている。
おそらく、明智軍の丹波攻めに際して新たに築かれたものと誰何された。
籾井城は、主郭部と各尾根筋に築かれた曲輪群との連携を保ちながら
微妙に遮断しているように見受けられる縄張だ。その規模は細工所城には劣るが、
なかなかの技巧と戦闘力を有した戦国山城であることが実感できた。

典型的な戦国山城といえる細工所城、籾井城を堪能したのちは
今晩の宿になる「ささやま荘」に投宿。
部屋から外を見れば、明日攻め登る八上城跡が一望だ。

ささやま荘
宿となるささやま荘、なにやら城に登っていくような・・・


丹波篠山といえば「ぼたん鍋」が名物だが、未だシーズン前でもあり、
夕食は、冷えたビールでのどを潤し、丹波牛のすき焼御膳に舌鼓を打った。
ややほぐれた今日の疲れを 「まけきらいの湯(天然温泉!)」で癒し、
明日の八上城攻めに思いを馳せつつ早々と眠りについたのだった。

→ 篠山の城攻め、二日目に続く

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