2013年08月08日

岳父を送る

八月六日、明治生まれの岳父が世を去ったのである。享年102歳だった。
先週、何となく実家に帰ってきた相方によれば。今年の暑さが堪えたのか、
先月末より食欲がなくなり、食事は主治医の先生の処方による
栄養ドリンクが主体になった。今年の夏を越せるかな〜?というものだった。

そういうことなら、お盆休みに帰省してくる子どもたちと見舞いに行こうと
話していた矢先の訃報だった。その最期はと聞けば、
自宅でいつも座っていた座椅子の上で眠るかのようにこと切れていたそうだ。

岳父を送る


岳父が生まれたのは明治四十五年四月、紀伊国の大河−紀ノ川沿いにある
根来寺の近くの村であった。三男一女の二番目の男子だった。
少年期に親戚にあたる衆議院議員中村啓次郎のもとに上京、
書生として未来の栄達を目指したが、ゆえあって中村議員のもとを去り、
書生の間に身につけた車の運転技術をもって東京での暮らしを立てたという。
本人いわく、当時流行のカフェをエンジョイ、夜の湘南海岸に車を走らせ
青山墓地で幽霊騒ぎを起こすなど、ヤンチャな青春を満喫していたらしい。
日本が軍国主義に走り出したころに起こった二二六事件の目撃者でもあった。
 
戦争が始まると兵役に従事し、身に付けた運転技術で輜重隊に配属され
終戦は台湾で迎えたという。兄弟二人が戦死し、焼野原になっていると聞く
日本に帰るのが怖かったというが故郷の根来に引き上げた。
間もなく結婚、戦後の激動を生き抜き、三人の子どもを育て上げた。
ここ数年は、記憶や行動に老齢からくる怪しさがあったが
惚けたということもなく、病院で終末医療を受けるという
苦しみを味わうこともなく、家族との日常生活の中で天寿を全うした。
 
わたしが婿となったとき、すでに六十の半ばを越える年齢であった。
歴史が好きで、むかしの話を始めると長かった。
晩年は同じ話を繰り返し繰り返し話し、「またか」 と思わぬこともなかった。
いまとなっては、その話が聞けなくなったのだな〜と思うと
岳父の死が実感として心に染み入ってくることである。
 
火葬場での骨上げの最中、突然、緊急地震速報が鳴り響き、
みんな「おっ!」と驚かされたが何事もなく、あとで誤報であったことが分かると
ヤンチャだった 「岳父の悪戯だったんとちゃう」 とみんなで笑いあった。
さらに、誤報の原因となった和歌山県の弱震の震源地が
岳父の出身地である根来の近くであったことが分かると、
「やはり!そうだったんだ〜」 と不思議の感に打たれたのだった。

posted by うさくま at 08:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
102歳ですか。大往生ですね。お悔やみ申し上げます。
実はうちの母もこの4月に85歳で旅立ってしまいました。昨年秋から心臓を患い手術の甲斐もなく逝ってしまったのです。しばらくは城めぐりもできませんでしたが、ようやく落ち着いてきましたので、そろそろ出陣しようかという気になってきたこの頃です。それが郷土史の好きだった母への供養にもなろうかと…
Posted by 堅城一兵 at 2013年08月12日 08:26
堅城一兵さん

ご無沙汰です。

102歳の大往生、家族だけの葬儀でしたが
岳父も喜んでくれているかと…

まだまだ暑い日が続きそうですが、
25日の竹田城攻めは参加の予定です。
Posted by kuma at 2013年08月21日 15:41
この度は、ご尊父様永眠の訃報に接し、心からお悔やみ申し上げます。

謹んで哀悼の意を表します。


Posted by 三宅 勝 at 2013年08月30日 05:57
三宅さん

ありがとうございます。
苦しむこともなく、天寿を全うした
わたしもあやかりたいものです。

また、山城攻め、ご一緒しましょう!
Posted by 播磨屋 at 2013年09月06日 18:17
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