2013年06月28日

エルマガジン社の取材をアテンドして大山界隈を歩く

職場でお付き合いのあるTさんより
「篠山」の取材を進めているエルマガジン社さんをガイドして
金山から大山界隈を歩いてほしいという依頼を受ける。
はじめに予定していた21日が雨で流れたため
あらためて今日、仕切りなおして金山を中心に大山を歩いてきた。

エルマガさんのスタッフは編集者さん、ライターさん、カメラマンさんの三人
市内の某所で待ち合わせをして金山の登り口へ、途中で弁当を仕入れて
金山の大手というべき追入口近くの追入神社に車を停めて取材スタート!

登り始めてすぐのところにある大木を皮切りとして、赤坂の観音堂、
篠山の伝説「負けきらい稲荷」ゆかりの金山源吾稲荷の故地、
そして、笠木が真ん中から二つに折れた石の鳥居をガイド。驚くことに
かつてなかった獣除けの金網柵が新設され、いい感じの尾根道が台無し!
丹波の山といえば獣除け柵というのがお馴染みの光景となっている、
金山もそれに漏れずということであり、跋扈する獣対策としては
仕方のないことだが、なんとも残念な光景ではある。

獣柵を開けたあとは大乗寺との分岐になる尾根筋までひた登る
分岐で小休止をしたのち、山腹の寺院跡までふたたび登り続けることになる。

寺院は日蓮宗の寺で、昭和三十年代のはじめまでは尼さんが守っていらっしゃたというが、いつのころか山麓に移され、いまは荒れるに任されている。さきの石の鳥居はここに祀られていたという妙見さんの鳥居であるようだ。
寺院跡はすでに金山城の城域で、本堂跡の石垣を捲いて登る山道をたどれば、土塁、虎口、馬駈け場と称される長い平坦地へと続く。金山城のガイド、山城の面白さなどを話しながら主郭部へ。主郭からは南に篠山盆地が見え、その中央に多紀郡を治めた波多野氏が拠った八上城があった高城山が浮かんでいる。北を見れば重なる山並みの向こうに、こちらは氷上郡を押さえた赤井荻野氏が拠った黒井城が見える。

エルマガ_01

明智光秀の築城意図である多紀郡と氷上郡の分断を実感したのち、主郭部に残る石垣群を撮影、ついで安藤広重も描いた名勝「鬼の架橋」を案内する。前にきたとき、木々の繁っていた氷上側がスッキリと伐採され、柏原方面の展望も見事なものとなっている。もっとも、その分氷上側の絶壁の怖さも弥増したのであった。鬼の架橋ではお約束の持ち上げポーズを決め、側の大岩に登る。高所恐怖症の身には岩の上で立ち上がる勇気はなかったが、カメラマンさんいわく素晴らしい絶景とのことであった。

金山城では、さらにかつての住職さんの墓所、金山城の水場の一つであり、かつて多紀郡と氷上郡を結ぶ街道を行く旅人の喉を潤したであろう石組の水場案内、そのあとは大乗寺をさして下山となった。
大乗寺は多紀郡では数少ない真言宗の寺で、かつて金山中腹に伽藍を有していた天台宗の山岳寺院であったが明智光秀の丹波攻めで廃山となり、江戸時代になって旅の僧が再建に尽力、真言宗の寺として現在地に生まれ変わったのだという。また、追手神社の神宮寺でもあったようだが、明治の廃仏毀釈によってふたたび寂びれることになったのだと住職は屈託なく語られた。大乗寺の参道をブラブラ歩きながら、つぎの目的地追手神社へ。

エルマガ_02

金山のあたりは昔話の宝庫で、さきの「鬼の架橋」、金山を越える峠「鐘ケ坂の由来」「和泉式部の話」などが語り継がれている。丹後に旅をする途中で妊娠した和泉式部は大山で子を生したが、その後、その子と別れることになった。その和泉式部親子が涙の別れをしたのが「わかれじの橋」といい、追手神社すぐ北を流れる小川に架かる橋で、なんとも風情のないものである。
鐘が坂の由来となった神様の追っかけっこの追っかけ役となった神様を祀るのが追手神社で、境内には日本一といわれる千年モミの大木があり、その傍らに秋ともなれば境内を黄色の絨毯に敷き詰める夫婦銀杏の木が聳えたっている。また、境内一帯は貴重な山野草の群落地であり、自然を体感できるところとなっている。追手神社で昼食を摂り、おりから千年モミを調べておられる方々から色んなお話しをお聞きすることができた。追手神社の本堂の北側に、かつて金山城への登り口にあった金山源吾稲荷が遷して祀られている。思うのは、むかし山の上に祀られたり、造営されていた寺社が参るのに不便ということで、どんどん里へと移動されている。それも世の趨勢といえばそれまでだが、これも寂しいことではある。

さて、最後の訪問地となったのが「鐘ケ坂隧道」、鐘ケ坂はむかし峠越えをしたいくつかの道があり、明治のはじめに彫られた煉瓦造りの隧道、昭和のトンネル、そして現在活躍している平成のトンネルなどが時代ごとの様子をいまに伝えている。今日はそのなかの明治のトンネルである「隧道」を案内する。一時、心霊スポットなどとして知る人ぞ知るところであったが、いまは観光スポットの一つとして手入れされていてオドロオドロしい雰囲気は払拭されている。とはいえ、隧道のなかはヒンヤリとして異空間を感じさせてくれる。いまは、廃道となってその役割を終えているが、かつて隧道を往来した人々の息遣いが残っているようでもあり、その気配がヒトに何事かを感じさせるのかも知れない。
ということで、金山を主体とした大山界隈の取材行は、雨も降らず、怪我をすることもなく、無事に終了することができた。聞けば「丹波篠山」を照会するムック本として八月ごろに発売されるのだという。そのスピード感には驚かされたが、ともあれ仕上がりが楽しみである。

posted by うさくま at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山歩き
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