2013年06月23日

播磨福崎に三木家の歴史を探る

中世、播磨国飾磨郡の西部を領し、
英賀城に拠って戦国時代を生きた武家に三木氏がいる。
英賀城主の三木氏は、播磨西部において播磨守護赤松氏と並ぶ二大名門とされ、
いまも子孫を名乗って系図や古文書を伝える家が少なくない。

英賀三木氏は伊予の名族河野氏の一族といい、伝えられる系図などによれば
河野通堯(通直) の子浮穴五郎四郎通近を祖としている。
その英賀三木氏の後裔のひとつに播磨福崎の三木家がある。

福崎の三木家は江戸時代のはじめに播磨飾磨に住する英賀三木氏後裔の一族が
姫路藩から新田開発の命を受けて福崎に移り住んだことに始まるという。
代々、「通」 の字を諱に用い、家紋は 「折敷に三文字」 紋、
名乗り、家紋ともに、まことに河野一族らしいものである。

福崎三木家

今日、思い立って、三木家の紋を自らの目で確かめようと出かけてきたが
生憎の改修工事中で屋敷は養生シートに覆われた状態であった。
諦めきれず工事事務所を訪ねると、降ろして保管されている屋根瓦を
見せていただき、そこで 「折敷に三文字」 紋を間近に確認することができた。
さらに、三木家の菩提寺を訪ね墓所にお邪魔すると江戸時代からの
墓石群が林立し、そこにも 「折敷に三文字」 紋が刻まれていたのであった。

余談ながら、民俗学者柳田國男の生家は三木家のすぐ近くにあり
幼い國男は家族と離れて父の友人三木家の世話になっていた。そして、
三木家に蔵書されていたたくさんの本を読みふけったことが
のちに 「民俗学の父」 とよばれる國男を育てる源になったのだという。
戦国時代を生き抜き、近世、近代にも大きな足跡を刻み
現代まで家名が続く福崎の三木家、改修工事の竣工がまたれることだ。

posted by うさくま at 08:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 歴史探索
この記事へのコメント
我が家の旧自宅の鬼瓦とよく似ていますが、関係があるのでしょうかね?
Posted by 三木義弘 at 2013年12月13日 13:37
間違いなく
関係があると思います。
よろしければ
詳細情報をお寄せください。
Posted by 三木さん at 2013年12月14日 22:19
そうですか?
少し掲載しました。
http://www.geocities.jp/kosakajitikai/wagaya.html
Posted by 三木義弘 at 2013年12月17日 19:30
ページ、拝見しました。
折敷に三文字紋 の瓦、イイですね。
拙ブログ、サイトにリンクいただき
ありがとうございます。
Posted by 播磨屋 at 2013年12月18日 01:12
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