2013年06月10日

戦国講座「近畿の城郭と武将」第三講

一か月ぶりの福島克彦氏の戦国講座、聴講のため大阪に遠征。
本日のお題は「秀吉と山崎城−主君の葬儀より築城が先」である。

本能寺の変のあとの秀吉の動き、山崎城の存在など
おひざ元にある大山崎歴史資料館にお勤めの福島さんだけに

山崎城の秀吉のもとには多くの武将たちが参じ
秀吉は山崎城から山崎の合戦のあとを指し示しながら
得意満面、滔々と自慢話をしたことであろう

大坂城を築き天下統一を進める秀吉の前に立ちはだかった
徳川家康との間で小牧・長久手の合戦が起こると
いまだ、配下に属する武将たちを掌握しきれていない秀吉にとって
山崎城の存在は微妙なものとなった。
万が一、敵方に渡ると面倒なことになる、ということで破城となった

などなど、写真を用いつつ興味深い話を聞かせていただいた。

講義のあと、先日印刷がアップした「八上城」パンフレットに
掲載した地図の間違いを教示いただいた。
地図は亀岡市史のものを転載したのだが、市史は「細川家記」の記述を
史実と捉えて作成されたため、家記の虚偽をそのまま踏襲されたのだという。
家記の内容は細川家に為するための記述が多いので
あつかいは気をつけた方がいいですよ、とのアドバイスも。

いろんな意味で、実りの多い講座三日目であった。
posted by うさくま at 11:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 聴講録
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