2013年01月13日

驚きの連続! 感状山城に登る(垣屋氏の紋)

先週に引き続いて、山城攻めに出陣。
今日の攻城先は、西播磨の相生市域にある感状山城。
感状山城は総石垣造りが特徴で、ネットの情報などを見ると
近世城郭に近い構造を呈し、国指定史跡も受けている。
かねてより『登りたい!』と思っていた戦国山城だ。

感状山_01
大手にあたる東南方面より城址を遠望

感状山城は、鎌倉時代に瓜生氏が築城したのが始まりといい
南北朝時代、足利尊氏に味方して白旗城に拠った赤松円心が
三男則祐を入れて改修、新田義貞が率いる官軍を迎撃したと伝えられる。
現在に残る遺構は、戦国時代の末期、一帯を支配下においた
宇喜多氏によって大幅に修築、面目を一新したものであるようだ。

感状山_05

感状山_02 感状山_03 感状山_04
岩山に築かれた城跡、登り始めると気の弱そうな「熊注意」のカンバンが。

感状山城址への登山は、南西に位置する羅漢の里から遊歩道が整備されていて、
迷うことなく山上の城址まで攻め登ることができる。
羅漢からの登山道は搦め手で、本来の大手は東南山麓にある光専寺側にあったようで、光専寺の後方の山中には平時の居館址といわれる矢野城址も残っているらしい。実際、山上の城址大手門跡に立つと、光専寺方面に下る山道を確認することができた。

感状山_06
南の曲輪群、大手門・切岸などに石垣が多用され、建物礎石も散在している

感状山_07 感状山_08 感状山_09

大手より攻めたいところだが、初登山でもあり、オーソドックスに羅漢の里から登ることに決定。羅漢の里はキャンプ場として整備されているがシーズンオフのいま閑散としている。まずは駐車場に車を停め、登り口にあるお土産物&食堂に入って腹ごしらえをし、城址説明パンフをゲット! 相方は吹き出物に効くなどといわれて、ドクダミ茶を購入、荷物を一つ増やして城攻めの開始だ。

訪城者の多さを語るように踏み固められた登山道は中腹の物見台まで擬木階段が設けられ、物見台から先は往時のものと思われる石段が断続的に南西曲輪群まで続く。感状山城は、出丸にあたる南西曲輪群と、主郭部の山上曲輪群とに二分される。

感状山_10
山上の主郭曲輪群、見事な高石垣と素晴らしい眺望に圧倒される

感状山_12 感状山_11 感状山_13

城址の玄関にあたる大手門は、南西曲輪群の南斜面に位置し、大手門跡からは南西曲輪群と山上曲輪群とに通じる山道が伸びている。また、南西曲輪群の出曲輪と山上主郭部の西尾根曲輪とを結ぶ山道もあり、その途中斜面に搦め手門が構えられている。さらに、主郭部から北方を望むと山岳寺院跡が残る三濃山へと連なる尾根筋で、攻守ともに自在に動ける構造になっていることが実感された。

感状山_14

整備が行き届いた城址は、探索も軽快で飽きるところがない

感状山_15  感状山_17 感状山_16

感状山_18 感状山_19
城址は雑木林で、春の若葉のころ、秋の紅葉のころにも訪ねたい山城だ

城址は岩山でできた感城山の地形を活かして構築された曲輪が階段状に連なり、丁寧に削平された曲輪群の切岸は石垣で固められている。城址を歩くと堀切、土塁、竪堀などの山城パーツは見当たらず、主要な曲輪には礎石が散在、全体の発する雰囲気は近世城郭を感じさせるものがあった。
 
城址を一通り探索したのち、大手道もしくは南に伸びる尾根筋を下りたい誘惑にかられたが、あとが大変でもあり羅漢の里に下山。大手にある居館跡という矢野城跡へ、目印は光専寺だ。途中、点在する墓地で家紋をウォッチしながら、着いた光専寺では何とお葬式の真っ最中!流石に裏山をうろつくのは憚られる。ということで、日を改めての再訪を期して今回は撤収した。
 

・垣屋氏の家紋探索
 
つぎは、今日の遠征のメーンとなる竜野脇坂家の菩提寺ー普音寺を訪ねる。ここには、但馬垣屋氏の後裔で脇坂家の家老を務めたという垣屋家の菩提寺でもあるとの情報を得て機会を狙っていたのだ。普音寺は竜野城址すぐのところにあり、脇坂家の違い輪紋が目をひく本堂にお参りしてのち境内墓地にお邪魔させていただいた。墓地には竜野藩士の家々のものであろう墓石が並び、刻まれた名字・家紋も由緒ありげなものが多かった。
家紋に見とれていると、相方が垣屋家の墓石を発見! 逸る心で家紋は?と見ると「おぉ〜!三つ石畳紋!」が刻まれているではないか。さらに、墓石そのものも家紋を象ったデザインで、いやいやおおいに満足したことであった。ここでカメラのメモリがフルとなり引き上げようとしたところ、またまた相方がキレイに並べられた竜野藩士の古墓を発見した。風化しつつある墓石には戒名と「家紋」が刻まれている。垣屋氏の古墓は発見できなかったが「三つ団子」などの珍しい紋を刻んだ墓もあり、竜野藩士の家紋のタイムカプセルに接した思いがした。この宝の山を前にしてカメラが役に立たないとは!なんとも残念無念なことであった。


垣屋氏の墓 家紋を象った垣屋家の墓石

 
今回の西播磨遠征は、感状山城攻め、垣屋氏の家紋探しともに大きな成果をえられた。しかし、感状山城、普音寺ともに心残したところがあり、桜の咲く春ごろに出かけてみよう。
posted by うさくま at 11:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 播磨の山城
この記事へのコメント
探していた情報です。よく見つけてくれました。

一族の江戸時代の唯一、情報です。

Posted by カッキー at 2020年08月17日 19:21
ブログの方では初めまして、いつも家紋Worldの家系図には世話になっております。
普音寺にある垣屋家の古墓なら、整理してその墓石を組み合わせて今の墓に統一したそうですよ。
なので、組み合わせている墓石をよく調べると故人の名前とか掘ってあるんですね。あと、普音寺はどうやら元々近江にあった寺らしいのですが、脇坂氏が転封されるたびに移築したらしいです。
それでは、また史料漁りに利用すると思います。
Posted by 華研えねこ at 2020年12月06日 21:02
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/61496973
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック