2012年11月18日

山名城研の見学会に参加、浜坂に遠征

山名氏城跡保存会、今年最後の城跡見学会に参加するため但馬に出陣。

今日の訪城は、但馬の西部、兵庫県北西部の町―浜坂にある
相応峰寺城と芦屋城の二つ。相応峰寺城は山岳寺院を城郭化した山城、
芦屋城は有力国人塩冶氏が拠った山城として知られたところだ。

あらかじめナビで距離と所要時間を調べたところ
丹波からは110km、約三時間半という長丁場!う〜む、浜坂は遠い。
しかも、外は八上城登山を中止に追い込んだ昨日来の小雨がシトシト降っている。
ひょっとしたら中止かも知れないな〜などと思いながら、
午前六時過ぎ、未だ夜明け前の薄闇のなかを出発した。

 
相応峰_01

豊岡自動車道と早朝の国道はスイスイ状態で、思いのほか順調なドライブ
途中の湯村温泉で時間調整を兼ねて道端にある墓地の家紋を探索する。
ふっと、南方の山を見ると山城っぽい地形である。ひょっとして
畝状竪堀で知られた温泉城?…かと興味をひかれたが今回はスルーである。
(あとで調べたら、温泉城であった。来年、雪解けのころに攻める予定)

九時前、集合場所に到着。見ると、二十人くらいの参加者が集まっていらっしゃる
遠くは明石、尼崎から来られた方もおられた。
事務局のKさんは中止もやむなしと腹を決めてこられたそうだが、
不安定な空模様、足元も不安な状況ではあったが、見学会はスタートとなった。

相応峰_05

 
相応峰_02 相応峰_03


相応峰寺城は中腹に観音堂があり、参道を兼ねた山道は急勾配だが、むかしからの往来を語るように明確、八十八ケ所石仏も祀られていて山城に登るというより、お寺へ参拝するといった塩梅ではあった。
城域は仁王門手前の尾根筋に切られた堀切から観音堂、その後方の山上まで連なり、要所に開けた展望スポットから浜坂の町が一望である。城址は工事中の観音堂を包み込むように、観音山山上から山腹に曲輪群が築かれ、東方からの攻撃に備えた構を見せている。観音山上の曲輪に立つと眼下に日本海、浜坂の町が広がり、西方山上の芦屋城址も手に取る近さに見えた。

相応峰寺城は観音堂のある寺域と東部に築かれた山城部とが、尾根筋を削り残した土塁で区画されており、東部の曲輪群は戦国末期に改修、増築されたものに見受けられた(すでにあった坊を改修したものだともいう)。城址東南部の堀切と連動するように落とされた畝状竪堀の存在から、織田勢の進攻に対した垣屋豊続が支城として手を入れたというが、どうだろう。

相応峰_04 清富_01


相応峰寺城の登り口には、宮城氏が封じられた清富陣屋址が残っているが、宮城氏の治世が短期間だったこともあって、陣屋址を示す石碑とわずかに石垣らしきものが残るばかりとなっている。

芦屋_01

 
芦屋_03 芦屋_04


昼食をとったのちは、芦屋城攻めである。芦屋城は相応峰寺城とは浜坂の町をはさんだ西方の急峻な山上にあり、山腹の展望台まで自動車道が続いている。聞けば、芦屋城址に電波施設が設営され、実際は山上の城址まで保全用の道路が建設されているのであった。施設の工事に先立って城址が発掘調査され、芦屋城が戦国末期まで機能していたことが確認された。
城主の塩冶氏は但馬山名氏の有力被官で、因幡から侵攻してきた武田高信を芦屋城に拠って迎え撃った。そして、大庭田圃の合戦で高信の野望を砕いた勇将であった。秀吉の但馬、因幡攻めに徹底抗戦、最後は鳥取城の支城丸山城に拠って秀吉軍を悩ました。
かねがね気にかかっていた城址だったが、実際に登ってみると主郭部は二つの曲輪、南方尾根に出曲輪を構えたまことに小さな山城であった。西尾先生の縄張図には、尾根に階段状の小曲輪が書かれているが、それを含めても勇将塩冶氏が拠った城としては小さすぎる感は否めないものだった。

 
芦屋_05
 

芦屋_06 芦屋_07

塩冶氏は芦屋城を詰めの城として、浜坂町側の山麓に平時の館を構えていた。城址を下ったのち、陣屋跡を探索する。西尾先生の解説と陣屋の古地図を見つつ探訪すると、ほぼ往時の姿をとどめていることに驚かされた。もちろん、石垣のほとんどは消失、かつてあった芦屋城への城道、山越えの道などは自然に帰していたが。
塩冶氏が没落したのち、宮部氏が入り、そのあと宮城氏が入って、宮城氏は清富に陣屋を移したことで芦屋陣屋の歴史は終わった。かくして、今日の見学会も終わったが、それと同時に雨が降り出した。まことに運のよいことであった。

みなさんと別れたあと、雨降る但馬路を丹波へと走った。その途中の村岡に山名氏の史料館「山名蔵」を発見、せっかくなので立ち寄った。村岡山名氏は庶流ではあったが、宗家但馬山名氏が没落したことで嫡流に位置付けられた。「山名蔵」は村岡山名氏の菩提寺境内にあり、山名氏の系譜、村岡山名氏代々の重宝が展示されていた。山名氏の歴史を振り返った時、多くの重宝が散逸したことであろうと思われ、山名蔵の史料群はよく残ったというべきか?と、複雑な心持がしたことであった。
盛りだくさんの一日となった山名氏城跡保存会の見学会、来年も但馬に残る山城群を攻めるとのこと。また、三月には年度末恒例の講演会が企画されている。楽しみなことだ。

posted by うさくま at 06:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 山名氏城跡保存会
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