2012年11月04日

但馬に遠征、宵田城、国分寺城を踏破。

但馬国府・国分寺館の企画展「但馬の城と館」のイベント
“山城を歩く” に参加して但馬の宵田城に登ってきた。
九月の有子山城整備に参加した帰りに
企画展をやっていることを知り寄り道、城歩きに申し込んでいたものだ。

集合場所である日高支所に向かう但馬路は濃霧、
和田山インターチェンジから見える竹田城も霧に包まれて見えない。
うっすらとだが、陽射しも感じられる…このシチュエーションは、
雲海に浮かぶ竹田城が見られる絶好のチャンス! だが、
文字通りの断腸の思いで日高支所へと車を走らせたのであった。
(あとで調べると、雲海の竹田城が見られたそうだ (T_T) )

但馬宵田城_01
前方に宵田城址が見えてきた

城歩きの参加者は約三十人、八木城登山のときに知り合った城ガールさん
Twitter でフォロわっているIKさんも参加されていた。

さて、城歩きのガイド&講師は、城郭研究家で山名城跡保存会長の西尾孝昌氏、
いつもながら資料もバッチリ!資料をもらうだけでも参加した甲斐がある。
本日の城歩きは宵田城と国分寺城であったが、
国分寺城はスズメバチが発生しているとかで宵田城を徹底的に探索することになった。

宵田城は山名四天王の一人垣屋氏の手になる山城で、縄張、遺構、歴史ともに但馬屈指の山城として知られる。以前に登った時、相方がダニにやられた苦い想い出もあるところだ。

東南麓にある発電所そばより山上へと伸びる林道をテクテクと城址へ。
西尾氏は林道建設に際して城址破壊を最小限にとどめるように尽力されたそうで、このような抑止力となる城址研究家の存在は貴重だ。西尾氏には但馬にとどまらず、各地の危機に瀕している城址保存に活躍してほしいものだ。

但馬宵田城_02 宵田城址主郭の南虎口

林道わきに散在する曲輪、竪堀などの解説を聞きながら山上の曲輪に到着、城址はキレイに草刈りがされていてスッキリとしている。
主郭虎口を入ると東南北に展望が開ける主郭曲輪が広がり、西方南縁部に土塁が取り巻き、東南方の山上には進美寺城、南すぐの山上には岩山城の遺構がある。北側に目を転じれば国分寺城、水生城、遥か北東には三開城、さらに、但馬空港までも一望である。
宵田城が、垣屋氏が勢力を有した垣屋谷の東出入口を固める要害の地に築かれた城であることが実感される。

素晴らしい眺望を堪能したあと、西尾氏の歴史講座を拝聴。
毎度のことながら、一級史料をもとに語られる西尾氏の話は勉強になる。そして、宵田城から見える城砦群の西尾氏作成になる縄張図は、これからの山城歩きの貴重な資料だ。熱の入った講義のあとは宵田城探索、南側虎口と土塁、北側の虎口、わずかに残る石垣、そそり立つ高さの曲輪切岸、北側斜面に落とされた畝状竪堀、北曲輪群の登り虎口、折れを伴った枡形虎口、横矢掛け機能をもった土塁(半分以上が鉄塔建設時に消失しているのが残念)などなど、北側だけでも見どころいっぱいだ。
ついで、北帯曲輪から東曲輪を経て東北曲輪へ。曲輪群は削平も丁寧で切岸も高い、そして、各曲輪群は有機的に結ばれている。もし、切岸に石垣があれば小型の竹田城となりうる先進性を感じさせる山城だ。おそらく、垣屋氏が退去したあとに入った前野氏の改修によるものだそうで、宵田城に匂い立つ織豊はここにあるのだった。

但馬宵田城_04
郭土塁。左手に進美寺城、正面に岩山城が見える
但馬宵田城_03
宵田城主郭より国分寺城址を見る

東北曲輪において所定の時間切れ!
西尾氏の深い山城への造詣と愛情、洒脱な解説、エネルギッシュな城歩きに、時間はあっという間に過ぎ去っていたのだった。ここで、一旦、見学会は幕となり、下山組とさらに探訪組とに別れた。もちろん我々は、探訪組に残って西曲輪からその先の尾根筋を穿つ二重堀切を探索。二重堀切は想像したほどのものではなかったが、曲輪切岸の見上げる高さが防御的には十分な威力を発揮しているのだった。
下山は、東南尾根筋に築かれた曲輪群を下ることになったが、こちらは手入れがされていず竹藪状態のうえに明確な道もないところだ。以前、相方がダニにやられたコースである。ともあれ下っていくと大小の曲輪群はきれいに削平され、切岸も高い。こちらもちゃんと手入れして城道を復元すれば、さらに見応えのある山城となるのにと惜しまれた。でも、それにはヒト・モノ・カネがかかることでもあり、よそ者が軽々にいうことではないかも。

宵田城の見学会、天気も快晴!前回の登山で心残りだったところもクリアでき、いい城攻めを堪能することができました。下山したのち、城ガールさんが「城ガールグッズ」をくれはった。これは、城仲間に自慢できるものをいただいたな〜と嬉しいことだった。
西尾氏や城ガールさんと別れたあと、見学会では割愛となった国分寺城に登った。国分寺城は、宵田城からすぐ北に位置する山塊の東端にあり、こちらも垣屋氏の手が入った山城という。登ってみて宵田城と比べると、全体に藪化が進み荒れ気味ではあった。しかし、曲輪の削平は丁寧で切岸も高く鋭い、何よりも堀切が圧巻!

但馬国分寺城_02 北尾根の大堀切

守護山名氏と対立、戦国大名化する可能性もあった垣屋氏、
その力のほどを窺わせる垣屋氏の山城群は(その歴史も含めて)面白い!
年内に垣屋本家の楽々前城を再訪、
全国的にも屈指であろう畝状竪堀を改めてジックリと見たい!、と思っている。
posted by うさくま at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 但馬の山城
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