2012年03月19日

福島さんの戦国講座、最終日

今日は、先週の木曜日に引き続いて大阪へ出陣。
福島さんの戦国講座講座第二ステージの最終回、
お題は「豊臣秀吉の朝鮮出兵と倭城」の聴講がメーンの目的である。

秀吉の朝鮮出兵は文禄と慶長の二度に渡って行なわれ、文禄の役では朝鮮全土を席捲するものであった。その後、和平への動きがあったが破れ慶長の役となったが、明の介入もあって日本勢は振わず半島南部の海岸線に押し戻された。


倭城は朝鮮半島の各所に残っているのであろうと思っていたが、ほとんどが南部の海岸線に築かれてい内陸部には残っていないとのこと。ということは、倭城は日本との接点(退路、兵站) となる海岸線の港湾を押さえるために築かれたということだろう。また、内陸部に拠点となる城を築かなかったことは朝鮮の役に対する秀吉、渡海武将たちの占領地政策の杜撰さを感じさせる。勢いに乗って突っ走り、行くところまで行けばアッサリと引き上げる…といった腰の据わらなさ。いいかえれば、命令されるままに戦争をしに出かけて行っただけといったいい加減さが見えるのだ。

さて、倭城は長城的石垣造が特徴的で、城部分と港町部分を一体化したものが多いという。そして、城部分は日本勢が山城として構築、港町部分はすでにあった邑城、戦う山城部と交易空間ともなる港町部とを石垣で囲い込み城郭都市化した。
倭城の石垣は山城部は日本流の野面積、邑城部分は加工が施された朝鮮流の石積で、いわゆる日朝混交城塞だ。山城部分には天守が築かれたが、使用された瓦は朝鮮のものを用いたという。臨戦下のなかで、将兵らが朝鮮人らも動員して作りあげたことがうかがわれる。戦いは熾烈だったようで、石垣で虎口を塞いだもにの折れ部分は放置したままのところがあるという。そこから籠城日本勢は、敵の攻撃を食い止めるのに精一杯であったことが知られるそうだ。
朝鮮に渡海した日本勢は朝鮮側からみれば侵略軍であり、憎むべき賊であった。日本勢は自らが拠った倭城を、蔚山城、順天之御城などと地名を冠してよんだが、朝鮮側は賊の城とよんだ。のちに明を倒して清を建てた満州族の後金が、明に先立って朝鮮を支配下においた。そのとき、朝鮮は日本勢の侵攻時とは違い従順であったようだ。その背景には儒教的序列として日本は格下に目されていたこと、朝鮮への助勢による明の国力低下などがあったと思われる。いずれにしろ、日本は無教養で野蛮な国(儒教的に)と見られていたことが朝鮮出兵を失敗させた要因と思うがいかがだろうか。

戦前の日本統治時代、倭城は日本の海外雄飛を語る史跡として扱われたが、戦後は一転して日本の侵略遺跡として史跡ランクも降格、破壊されつつあるところも少なくないそうだ。朝鮮半島におけるナショナリズムのなせることではあり、不幸な側面を有している史跡ではあるが、両国にとって貴重な歴史資産が失われるのは惜しまれる。
もっとも、最近は倭城への歴史的理解も高まり、保存していこうという動きもあるそうだ。しかし、中世の日本の城に対する知識不足から、石垣や山城部分だけが着目され、外周部の堀や土塁、港町部までを含めた保存は行われていないともいう。とくに、港町部は住民たちが城主であった日本勢と共存したということが、ナショナリズム的に看過できなかったようで却って破壊が進んだということもあったらしい。

十数年前、福島さんがお仲間と倭城の調査をされたとき、城跡の残存状態は良好だったとのこと。雨の中での調査だったようで、終わったあとバスに乗ると笑顔で運転手さんがトランジスタラジオから流れる日本の放送を聞かせてくれた。一同「おぉーっ!」と喜び、運転手さんのフレンドリーな応対に感動したそうだ。ところが走り出したバスは警察署に直行、一同はスパイではないか?と調べられたという。実際、その後ほどなく北朝鮮の潜水艦によるスパイ事件があったそうで、朝鮮半島が臨戦体制にあることを実感されたとのこと。このようなお国柄であればナショナリズムが強烈にならざるをえないともいえる。倭城の保存を求めるのは、平和な国で暮らす日本人の呑気さの成せるところかもしれない。しかし、一度消失したものはそれっきりである。史跡の背景にある歴史が忌むべきものであっても、それを含めて語り継いでこそ真実の歴史学である。

倭城は戦国山城のひとつの到達点であり、近世城郭のマイルストーンのひとつでもある。遺構が残っているうちに韓国と日本が協力しあって、後世に伝える歴史資産として保存して欲しいものだ。
さて、福島さんの戦国講座第二ステージは今日で終わり、次の第三ステージは 『戦国の籠城戦」』 である。さて、どのような講義になるのか四月九日の第一回 「燃える丹後府中−細川政元暗殺事件の背後で」 が楽しみである。
posted by うさくま at 10:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 聴講録
この記事へのコメント
 朝鮮側の邑城を倭城の縄張りに取り込んだものは、固城邑城を取り込んだ固城倭城くらいで、むしろ少数派です。
 一方、鎮城(朝鮮水軍の基地)を倭城の縄張りに取り込んだ事例には、機張倭城、安骨浦倭城などがあり、敵軍に港を使用させない意味合いが強かったと思われます。
 ところで平和ボケ度で言えば、韓国の方が日本よりも上かもしれません。韓国人は北朝鮮を「同胞」と考えているため、同じ民族を攻撃してくるするはずがないと考えている人が多いようです。
 むしろ日本人の方が、北朝鮮に対して敏感になり過ぎているところが、無きにしも有らずです。平和主義者(?)の私から見ると、韓国の平和ボケの方が羨ましく感じることすらあります。
Posted by H口K弐(仮名) at 2012年04月16日 23:26
仮名 さま

書き込み、ありがとうございます。
倭城は実際に見たこともなく
今回の講座でザッとした知識をえたばかりです。
今後、深入りする余裕もなさそうですので
うさくま的には、今回限りとなりそうです。
Posted by kuma at 2012年04月22日 20:12
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/54541175
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック