2012年03月11日

十年ぶり、置塩城に再訪

播磨守護職赤松氏の居城であった置塩城に
実に十年ぶりに再訪した。
播磨赤松氏の場合、嘉吉の乱で滅亡した前期赤松氏と
応仁の乱をきっかけに再興がなった後期赤松氏とに分類される。
置塩城は後期赤松氏が本拠とした戦国山城だ。

置塩_遠望
東方より城址を遠望(2009/08)


後期赤松氏は浦上氏をはじめとした重臣らの離反によって勢力を失墜、権力回復に努めた義村は浦上氏の下克上によって謀殺されてしまった。かくて、赤松氏は戦国大名に成長することなく乱世の荒波に翻弄され、その最後はロウソクの灯が消えるように儚いものであったというのが大方の認識であろう。
たしかに播磨戦国史における置塩赤松氏の存在は、守護とは名のみで宇野・小寺・別所氏ら群雄のなかにあって弱小といった印象はぬぐえないものだ。しかし、置塩赤松氏の本城である置塩城に登るとそのような認識は一変することになる。

十年前の置塩城攻めは真夏に登ったこともあって夏草が茫々、さらに山城に対する興味も薄く知識もほとんどなかった。ゆえに、ここが赤松氏の城であったということだけで満足して見るべきとこも見ぬ、間抜けな山城行であった。今回、宍粟城研の山城見学会に参加して念願の再訪なった置塩城は、文字通り、播磨随一、流石に守護職の拠った城というべきものであった。
会長藤原さんの熱い解説を聞きながら山登りすること40分、東南曲輪群にたどり着く。まず、石垣があらわれ、見事に削平された曲輪、曲輪を隔てる切岸の高さと斜度、東南曲輪群雄の主部となる茶屋曲輪は土塁、腰曲輪との境を固める石積、石積で区画された虎口状の地形もある。

置塩_東南曲輪 置塩_横堀
東南曲輪主体部の石積     二の丸と四の曲輪群を区画する横堀

置塩_石垣 置塩_切岸
硝煙曲輪本丸側の石垣    三の丸切岸と北西腰曲輪


置塩城は東南曲輪、二の丸、三の丸、南西曲輪群、西尾根曲輪群などで構成された西曲輪部と、東北尾根筋の高所に本丸を置きその周囲に曲輪群を配した主郭部とに分けられる。西曲輪は二の丸を主体として三の丸、四の曲輪が主郭部を構成し、南西曲輪群、東南曲輪群、西尾根曲輪群が各尾根筋を防御する。その縄張りは、まるでひとつの町が山上に移されたかのような錯覚を覚える規模である。
高い切岸、要所の石垣、土塁、横堀などの山城パーツがズラリと揃った城跡は圧巻というしかない。さらに、二の丸曲輪には瓦片が散在、築地塀があったとおもわれる石組、土塁で囲まれた広い厨曲輪もある。赤松宗家と一族、家臣らが、この山上の城で暮らしていたことが実感される。

置塩_眺望 
山麓の城下町、遠く姫路市街から瀬戸内海を望む


西曲輪部と本丸部をつなぐ尾根の鞍部は硝煙曲輪であったといい、見事な石垣が残り崩落した石が散乱している。そこから急斜面を登っていくと本丸の腰曲輪を左手に見ながら本丸へと至る。本丸から南を見れば番条山城を楯とする城下町越しに書写山・姫路市街から瀬戸内海、北を見れば夢前の街並みと雪彦山系、西には置塩城の西曲輪群と西方の出城ー鞍掛山城が一望である。播磨守護職たる赤松氏が拠った城に相応しいところというしかない立地を占めている。
置塩城に立つと、宇野氏の篠の丸城、竜野赤松氏のたつの古城、小寺氏の御着城、別所氏の三木城など、戦国播磨の有力者たちの居城群が支城群に思えてくる。実際、彼らは赤松氏の藩屏というべき存在であった家々の者たちであり、置塩赤松氏は戦国播磨においてはやはり別格だったのだろう。

戦国末期、置塩城の北東に位置する恒屋城主恒屋氏が置塩城を攻撃した。恒屋勢は置塩城本丸の北東方に続く尾根筋から攻め寄せたらしい。置塩城本丸で感じた北東への備えの弱さは、出城で固められているとはいえ、攻撃側にとっては攻めやすさを感じさせる。もっとも、恒屋城の規模の大きさは置塩城の北東の備えとして整備されたものを、乱世の中で置塩赤松氏に対抗する勢力(宇野氏であろう)と結んだ恒屋氏が後ろ楯を得て反赤松に転じた。
恒屋氏のミニ下剋上は成功せず、赤松氏と置塩城は一応の安泰を得た。その後、羽柴秀吉に属した赤松氏は戦国時代を乗り切ったが、播磨から阿波住吉に遷され、播磨における赤松氏の歴史は幕を降ろした。赤松氏の去ったのちの置塩城は秀吉の管理するところとなり、姫路城建築の資材として使われたと伝えられ城としての歴史を終えた。
置塩城は石垣や瓦など散在するものの織豊城郭とは一線を画した、規模こそ大きいが技巧的にはレトロな山城だ。とはいえ、戦国播磨を代表する山城であることは間違いない。いまも発掘調査が進められており、謎の多いい戦国後期赤松氏研究への成果が期待できるところだ。つぎは、置塩城をとりまく支城群を踏破したいものだわい!と思っている。
posted by うさくま at 08:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 宍粟城郭研究会
この記事へのコメント
置塩城天守跡の真東400mの向かい側に見える山が神崎郡側からの侵入を監視するための南条山城跡があります。天守跡から垂直に降りて約1時間程で細長い道があり。また垂直近い地形を登ると削平地がります。そこが南条山城跡です。体力と垂直近いところを降りるので緊張感があります。
Posted by 播磨備前守 at 2015年08月09日 20:26
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/54401128
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック