勝山は出雲街道の宿場町で、戦国時代には高田城主三浦氏が治め、江戸時代には勝山藩三浦氏二万三千石の城下町として栄えたところ。また、勝山の町を流れる旭川は高瀬舟の船着き場として勝山の経済を支えた。加えて、第二次大戦末期、文豪谷崎潤一郎が疎開したまちとしても知られる。

勝山の中世から江戸時代、近代にいたる歴史を刻んだ風景を活かしたまちづくりへの取組み成果が、昭和60年に岡山県下初の「町並み保存地区」に指定され、平成21年には都市景観大賞「美しいまちなみ賞」大賞を受賞したところでもある。
旧山陰道の宿場町として発展した勝山の町は、目抜き通りはそのまま山陰道となっている。その古い街道沿いの町並は土蔵の白壁や格子窓の町家が連なり、家々の軒先には紋章や文様などが色とりどりに染められた暖簾が「のれんのある風景」をかたちづくっている。その風景にお雛様が加わったことで通りはなんともいえない華やかさを醸し出していた。



お雛様は通りに面した商家、民家のすべてに飾られている。伝統的な雛人形もあれば、モダンで個性的なものも多い。そもそも「勝山のお雛まつり」は、地元の蔵元が始めたことにはじまり、やがて地域の人々が参加するようになって現在のように定着したのだという。
町並みは幅5メートル、長さは700メートルで、その間を雛人形と暖簾が連なる様子は見事なもので、なによりも地元の方々主体でイベントが運営されていることが素晴らしい。

駅前から伸びる「ウディストリート」、古い町並みが続く「のれんのかかる町並」を歩きとおした印象は、雨上がりのせいもあったのだろうがシットリとしたいい町だった。町並みを構成する商家群は、むかしながらの店もあれば、草木染や川柳を書きだした個性的な店などが軒を連ねる。そして、雛まつりの火付け役となった御前酒造の土蔵造りの建物がどっしりとした重みを町に添えている。雛まつりが終わったのちも、むかし懐かしい風景は存在感を失うことはなさそうだ。



一方、経済的な面はどうかといえば駅前のウディストリートはお雛様で賑わっているものの、空家となった農協の建物、店名の剥げ落ちた商店など凋落の色は深そうだ。一方、目抜きとおりである「のれんのかかる町並」はといえば、地元の購買客を呼び込むほどの力はなさそうで、シーズンオフは相当に厳しいのではなかろうかと思われた。
今回、雛まつりでにぎわうときに訪れたこともあって町は活性化していたが、イベント頼みの危うさを感じずにはいられないところでもあった。誇れる歴史・文化を有し、第三者から評価された町並も有している勝山、そこにちらつく過疎の影はあまりにも深く見えた。
今日の視察研修は有意義なものだったが、ひとつ残念だったのは昼食であった。期間限定の「雛弁当」をいただいたのだが、弁当の器は発砲スチロールに千代紙を印刷したもので、決して安くない値段に比してショボさは拭えないものだった。いい町並みを散策して、美味しいものを食べる、そこでコンビニ弁当のような器というのは画竜点睛を欠いたものというしかなかった。