数多ある丹波の山城のなかで、船井郡の八木城、多紀郡の八上城、そして氷上郡の黒井城が三大山城とよばれ、それにふさわしい規模と城史を有している。いいかえれば、三大山城を軸として丹波の戦国史は紡がれたといっても過言ではない。丹波の山城群も濃淡の差こそあれ、三大山城とは切っても切れない関係にある。
三大山城のなかでは黒井城が丹波の再奥にあり、城主の赤井悪右衛門直正は「丹波の赤鬼」の異名をとった猛将で、その名は日本全国に響き渡っていた。信長の命で丹波に侵攻した明智光秀に手強く抗戦、何度も苦戦強いたことはあまりにも有名だろう。
はじめて黒井城に登ってから五年、その後、丹波に移住したこともあって、氷上界隈を往来するたびに黒井城址のある猪ノ口山が目に飛び込んでくる。それを見るたびに再登城を目論見ながら、ついに今日まで登る機会を逸していた。その間、縄張り図など黒井城の資料を収集、さらに丹波に散在する山城群を訪ね歩き、『黒井城の再登城はなさねばならぬ!』と、心に期すところがあった。![]()
福知山線の鉄路越しに黒井城址を遠望
先日、亀岡文化資料館主催のイベントで八上城に登ったが、そのときに知り合った館長の黒川さんから、次回十二月初めの黒井城登山には福島克彦氏が一緒に登られ解説をされると聞いた。福島氏は中世城郭研究者の第一人者というべき人であり、えがたい機会に廻り合わせた気分である。
そんなことなどもあって、今朝、『よし登ろう!』と突然に思い立ち、
善は急げ(?)と登ってきたのだ。
猿田彦神社そばの駐車場に車を停め、登り口の階段から城址を目指した。
丹波お馴染みの獣柵を入ると、整備され山道が山上へと伸びている。尾根筋の三段曲輪、山腹の太鼓の壇、そして東南尾根の東出丸、そして、急斜面を登りきって山上の主曲輪群へたどり着く。山上からの眺望は360度のパノラマ風景、主曲輪の石垣群と併せて黒井城登山の醍醐味である。
主曲輪部は本丸・二の丸・三の丸を中核として、西と東に腰曲輪、南に帯曲輪、北斜面にも数段の腰曲輪が確認できる。主曲輪群はそれほど大きなものでないが、東西南北の尾根に築かれた曲輪群を見下ろせば城郭としての規模はなかなか壮大である。
本丸で小休止したのち、黒井城最大の出曲輪というべき西の丸へ。
東西に長い西の丸は、印象的には主曲輪部より古い形態を感じさせる。城域は堀切で三分されていてい、東主郭部の土塁、横堀・櫓台、各曲輪を区切る堀切など見所は多い。とくに、主郭部西曲輪の南北に築かれた土塁、中曲輪の大堀切は見応え十分な遺構である。西の丸の西端からは、さらに西方の千丈寺山に築かれた千丈寺砦へと山道が伸びているが、空模様が怪しいため割愛してふたたび本丸へと引き返すことにする。
下山は黒井城の大手道ともいうべき、石踏の壇を経て下るコースをとった。石踏の壇には黒井城主赤井氏の顕彰碑が建立され、すぐ下の山腹には小曲輪群が確認できる。尾根筋下っていくと曲輪址?、見張り台址?と思われる地形が点在、山麓に下りつくまで飽きることはない。改めて黒井城に登ってみて、やはり凄い山城だな〜!と思い知らされた。
十二月の黒井城登山に同行される福島氏は、
黒井城の発掘調査に携わった人だけに、黒井城のことは裏の裏までご存知であろう。
う〜ん!なんとも楽しみである。
by kuma