2009年02月03日

安土城址に登る

先の日曜日、ウサクマと娘二人の四人で近江に行った。目的は琵琶湖と水鳥、雪の比良山系をのんびり見ながらの湖岸ドライブであった。山科から大津へ抜け、近江大橋を渡って湖岸道路へ。天候には恵まれなかったが、随所で水鳥の群れを横目に見ながら、草津、守山を経て近江八幡方面へと向かった。と、岡山城址のカンバンがあらわれた。岡山城址は九里氏が拠った城で、政争に敗れて近江に逃れた足利将軍義澄を匿ったことで知られる城址だ。ここで山城モードにスイッチが入り、渋る家族の了解を得て、行き先は安土城址へと変更にあいなった。
安土城址には一度登ったことがあり、その後、観音寺城址や伊庭城址などを訪ねたときに近くを通り過ぎるばかりで、再訪することはなかった。大きな理由は、かつては自由に登れたものが、有料(拝観料大人:500円)になったことで料金所以外の所からは登れなくなったことにある。安土城址は全山に曲輪が散在しており、登り口が一箇所に限定されたことが、まことに一方的に思われて「なんだかな〜」と敬遠してしまったのだ。とはいえ安土城下は、いま探索を続けている丹波波多野氏が最期を迎えたところであり、なによりも戦国の山城として魅力的な城址である。加えて、安土城址ならウサ公はともかく、娘たちにも否やはないと踏んだのだ。

安土城址01
天守閣跡から北方を見る、かつては水をたたえる内湖であった。

以前にきたときの安土城址は、発掘作業が進められていたこともあって工事現場のような雰囲気であった。ところが、いまは石垣や曲輪などがきれいに整備され、立派な説明板も設置されている・・・拝観料は有効に活用されているようだ。さて、料金所を入ると目の前に壮大な石段が山上へと続き、両脇には豊臣秀吉、前田利家ら家臣屋敷跡の石垣が連なっている。石段には石材として石仏、五輪塔、さらには仏足石までが用いられており、戦国武将の合理性に驚かされる。城址は信忠屋敷跡、黒門跡、二の丸を経て山上の本丸へと続き、二の丸の一角には豊臣秀吉が造営した信長廟が祀られている。本丸跡には千畳敷といわれた御殿の礎石が残り、背後には天守閣を支えた高石垣が聳えている。改めて登ってみて、やはり安土城址は素晴らしい城跡であった。城址の要所には標識や案内板が整備され、木々や下草もほどよく刈り取られ、かつては木々で邪魔されていた天守からの眺めもバッチリだった。

安土城址02 space_w 安土城址03
石垣が残る山麓の家臣屋敷跡  大手から山上に続く石段

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石段として用いられた石仏  天守閣跡の礎石群

下山は総見寺跡を経るコースを辿った。総見寺は信長がみずからの菩提寺として建立した寺で、安土城の西方にあった。本能寺の変ののち、安土城が炎上したときには類焼を逃れたが、幕末の安政元年(1854)に本堂など主要な建物を焼失してしまった。その後、本堂は徳川家康の屋敷跡という曲輪に再建され、かつての寺域には見事な姿の三重塔、二王門が残り、いずれも重要文化財の指定を受けている。焼失した本堂跡からは西の湖が遠望でき、その遥か遠くに叡山の峰が連なる様は絶景である。大手の石段から曲輪を経て本丸、天守閣跡へ、そして総見寺をたどる安土城址めぐりは、その展望のよさも含めて戦国時代を堪能できるところだ。これで『500円は安い!』と思ったのだから、まことにいい加減なものだ。

安土城址06
総見寺本堂跡から見た西の湖

安土城址07 space_w 安土城址08
総見寺二王門  金網越しに見た阿仁王像

安土城址は丹波の山城のように尾根を攀じ登り、雑木や藪の生い茂った曲輪や堀切を探検するということもなくスッキリした城歩きが楽しめた。もっとも、城址の全域には雑木や藪に覆われた曲輪跡が多く眠っており、それらを探索したい気持は強く持っている。しかし、それには面倒な手続きが求められそうで、ちょっと億劫ではあるが・・・。  by kuma

posted by うさくま at 13:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 近江の山城
この記事へのコメント
へえ
Posted by su at 2011年03月25日 10:05
su さま

もう少し長いコメントをいただけると
励みになるのですが・・・
Posted by クマ at 2011年03月25日 14:05
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