正月も九日目、初詣に出かけた以外は引き籠りが続いている。
今日の天気は好し、三木から小野方面に出かけてきた。
目的地は下冷泉家が領主だった三木市内にあった荘園・細川庄と
三木別所氏と東播磨の覇権を争った依藤氏の城砦群めぐり。
まずは細川庄。これまでも何回か訪れたところだが
今日は、菩提寺の大雄寺の境内にある御堂が俊成と定家父子を祀っていて
堂内の幕には「酢漿草」紋が描かれていることを発見した。
俊成と定家を祀る御堂。神紋は「酢漿草」だった?
おかまえ(内裏屋敷)とも呼ばれた下冷泉家の館跡はそれほど広くないが
細川庄を眺望できる場所にあり主郭には藤原惺窩の銅像が立っている。
戦国時代、下冷泉家が居住した細川館跡
館跡の北方に回って見ると、小川を横堀として意外な高低差があり
西側を流れる美嚢川の河岸段丘と合わせて自然の要害となっていた。
細川城をじっくり歩き回ったのち、小野市方面に移動した。
まずは依藤氏が主城とした豊地城跡、ここも何度目かの訪問。
いわゆる平城で播磨平定後の秀吉による破城、その後の歴史の流れの中で遺構は
ほとんど消滅、わずかに土塁・横堀跡が残るばかりとなっている。
豊地城跡の大土塁跡
八幡宮など城域であったと思われる場所を歩き回ったのち
豊地城の詰め城とされる屋口城跡に移動しようとしたが、道が細くて
車での移動はままならない。これは昔のままか?と思ったがどうだろう?
屋口城跡も何度目かの訪問だが、今日は冬枯れということもあって
城跡が歩きやすく遺構の確認もよくできた。とくに、主郭を覆っていた
藪が刈り取られていて、以前は見えにくかった土塁をバッチリ観察できた。
主郭を囲繞する土塁跡
依藤氏が別所氏に敗れて没落したのちの豊地城には別所一族の重宗が入り、
別所氏の西播から北播への橋頭堡的な役割を担ったようだ。おそらく、
重宗時代に相当の改修が行われたと思われるが現状からは窺い知られない。
依藤氏の城跡の次は、依藤氏のご子孫と言われる依藤家の墓所へ
おおむかしに訪ねたことのある場所だが、もう忘却の彼方だ。
地図上に記憶に残る場所に目星をつけて行ってみるとドンピシャだった。
依藤家墓所の花菱紋
現地を歩いてみるとあれこれ記憶が蘇ってきた。再訪した墓所で採取した
依藤家の「花菱」紋、諸家紋にみえる「萍」紋の変形?と思われるのだが?
昨年末の家紋、元旦の地図見直しなどで、細川庄の下冷泉家の
歴史探索に火がついた格好になっている。今日、三木から小野を
めぐってみて下冷泉家と依藤氏の歴史を併せて何とか形にしたいものだ。