年に2回、駄文を投稿させていただいている歴史民俗誌「Sala」への
次号の原稿は依藤氏、冷泉氏、いや衣笠氏にしようか思い悩んでいる。
締め切りまでは、ずいぶんの時間があるが、何分にヒマな身の上
ともあれ、資料だけでも揃えようとゴソゴソ動いているようなことだ。
あれこれ思い悩んでみて、依藤氏と冷泉氏をセットにしようかと思い立ち
まずは両氏の走り書きの草稿を作成、並行して図版などを作成してみた。
その作業の過程で悩んだのが冷泉家の「雪笹」紋。
冷泉家は上と下に分流して、下冷泉家は播磨国細川庄の領家職・地頭職を
有する一円領主であった。戦国期になると細川庄に下向し、やがて定住
所領内に城砦を構え、武家としても振る舞うようになった。
冷泉家の家紋は「酢漿草」紋と認識していたが、調べてみると
上冷泉家が「酢漿草」、下冷泉家は「雪笹」という資料が出てきた。
「雪笹」紋は「笹に雪が被った図柄」で、以前に書き起こしたものがある
などと思って楽観しつつ、あれこれ資料をあたり、上冷泉家が管理される
ホームページなどを見ると「あれ?」と思うことがポツポツ出てきた。
ともあれ、資料やネット情報をもとに冷泉家の「雪笹」紋を書いてみた。
しかし、何れが正しいものか判断できないのである?もっとも、
家紋の図柄は時代や対象によって一様ではないが、悩ましいことではある。
流石に冷泉家さんに確認すしに行くほどの根性は持ち合わせていない。
そこで、FBに冷泉家の「雪笹」紋をご存知の方ご教示くださいとコメントした。
早速、紋友の皆さんから多くの書き込みをいただきました。
光)下関市で私の知り合いに冷泉(れいせん)さんがおられるのですが、何らかの繋がりがあるのでしょうかねぇ…
公家の冷泉家ではなく、おそらく、大内氏家中の冷泉氏にゆかりの家ではないでしょうか?大内家中の冷泉氏は大内氏の一族で、母方の冷泉を名乗ったそうです。陶晴賢の謀反の時、隆豊は義隆に殉じました。子孫は毛利氏に仕えたと言いいます。家紋は大内氏と同じ「菱」紋を用いたとか。
高)雲上明鑑です。
ありがとうございます。一般的には、この紋型ですよね。色々調べてみると、いろいろな形があって迷路に入ってしまったようなことです。ネットにアップされています冷泉家の蔵、瓦などの写真(解像度が低くて参考になりませんでした)に付けられた紋も独特な紋型になってます。
高)大名家、貴族ともに明確にこれだ、という紋形はないと思いますよ。
どの家も拘らずにアバウトです。
亀)これではないでしょうか?
亀井さんよりいただいた、冷泉親子さんの写真
いい写真をありがとうございます。後ろの幕の紋を見ますと、真ん中のものが近いですね。今、冷泉家の所領であった播磨国細川庄の歴史を調べてまして、細川庄は下冷泉家が伝領、新しく後継者が決まった冷泉さんは上冷泉家の流れをくむ方ですね。ものの資料によりますと上冷泉家は「酢漿草」、下冷泉家は「雪笹」とか。でも、細川庄の故地にある冷泉家の菩提寺の寺紋は「酢漿草」、上冷泉家では「冷泉家時雨亭文庫だより」に紹介されている系図の家紋は「酢漿草」、当主は「雪笹」、女紋が「撫子」とありました。やっぱり、冷泉さんに凸撃取材ですかね〜
亀)左が冷泉家ご当主の冷泉貴美子さん。
さん 右の体格のよい方が冷泉家を継がれた姪御さんですね。渚さんというらしいですが、平安以来の家系を継ぐというのはスゴイことだな〜と思ったことです。
あれやこれやヒントをいただいたが、これだ!と特定するには至らない。
さてどうしたものか?原稿を作成、編集部に入稿するまでは、まだまだ時間はある。
あれやこれや史跡めぐりを兼ねて京にある、冷泉家住宅をはじめ
寺などのゆかりのスポットを訪ね歩いてみようかな?と思っている。
こういう風に目的をもった史跡めぐりの行き先を探し出すのは楽しい。
京都界隈には三十三観音の札所もあるし、ワクワクしてきたカモ・・・