2023年03月26日

雨中、福知山西部で家紋探索(0326 AM)

今日は年休をとって山名城研恒例の歴史講座を拝聴に
但馬は豊岡へ出かけた。講座は昼からだが
せっかくの但馬行き、福知山経由のルートを選んだ。
その目的は桐村、和久、大槻、金山さんらの家紋採取。

IMG_0122.jpg 雨中のドライブ

あらかじめ苗字ネットで桐村さんらの分布地を探し
分布地における墓地をGoogleマップでチェック。
そうして、目星をつけた墓地にお邪魔して桐村さんらの
墓石を求め、家紋を撮影させていただくのだ。

むかしは求める苗字が分布する地区に出かけて行って、
目視で見つけた墓地に目的の苗字・家紋を探した。
その効率の悪かったこと、比べてネットの便利さは有り難い。

最初の墓地は福知山市西部の上天津の村墓地。

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傘をさして滑りそうな参道登ると「三つ巴」の大槻さん、「剣酢漿草」の桐村さんらの墓石が並んでいた。福知山市東部における大槻さんは「雁」紋を用いる家が多いが、西や北に行くと家紋が異なるのは由緒の濃淡だろうか?また、桐村さんは牧川を挟んで南は「剣酢漿草」、北は「巴」紋に分かれているのも興味深い。

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桐村さんの「剣酢漿草」
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大槻さんの「三つ巴」

次の墓地も上天津だが丹後鉄道牧駅近くの村墓地。

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狙い通りに和久さんの墓石が並び家紋は「横木瓜」と「糸巻」、糸巻紋の方が古い墓石も祀られ、旧家のようにみえた。他に塩見さん「横木瓜」、審さん「梶葉」、川口さん「亀甲に横木瓜」など、審さんはこの地域だけの稀少苗字らしい。こちらの墓所の桐村さんも「剣酢漿草」であった。

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審さんの「梶の葉」
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和久さんの「枠糸巻」
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塩見さんの「横木瓜」

三つ目は下天津村墓地。
昨年、積雪のため探索をあきらめたところ。下天津駅に車を停め、お邪魔した墓地は桐村さん「三つ巴」、赤井さんも「三つ巴」、そして金山さんの墓石には「折敷に横木瓜」が刻まれていた。

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桐村さんの「三つ巴」
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金山さんの「折敷に横木瓜」

この地域の中世武家としては金山氏、その支流の桐村さんが有名だ。いずれも、中世においては「巴」紋用いていた。今も、文書・系図を伝える桐村家は古式の「一文字に並び巴」である。歴史として金山さんは桐村さんにとって変わられたが、家紋はそのことを暗に語っているのだろうか?

福知山で狙い通りの名字、そして家紋を採取したあと、但馬方面に進路をとった。
posted by うさくま at 15:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 家紋
この記事へのコメント
こんにちは。突然のコメント失礼いたします。
私は伊神(いかみ)と申します。

私の家では、代々伝わる家紋として
「左三つ巴」「五三桐」「並び鷹の羽」 の3種類が記録されています。

先祖を調べる中で、和久氏の家紋に「三つ巴」を含む系統があることを知り、
興味を持って探究を続けています。

私の祖先は、
天正年間(1580年前後)に綾部周辺から木曽川流域へ移住した可能性が高い
という私とAIソラの考察があり、
もし和久氏と何らかのつながりがあれば、
これを裏づける大きな手がかりになると考えております。

※京都府綾部市広瀬町伊神
ここに、現在は八幡宮があるが、元の伊也神社は1580年の明智と和久氏の戦で焼失。
現在は伊神という字(あざ)と八幡宮が残っています。

播磨屋様のブログでは和久氏の家紋調査を詳細に記録されており、
専門的な視点から、

・三つ巴が和久氏のどの系統に多いのか
・桐紋や鷹羽紋を併用していた例があるか
・家紋の変遷としてどう考えられるか

もし分かることがあれば、ご教示いただけますと大変ありがたいです。

突然のお願いで恐縮ですが、
先祖探究の大切なヒントとなるため、どうかよろしくお願いいたします。
Posted by 伊神 博司 at 2025年11月16日 06:05
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