今日は年休をとって山名城研恒例の歴史講座を拝聴に
但馬は豊岡へ出かけた。講座は昼からだが
せっかくの但馬行き、福知山経由のルートを選んだ。
その目的は桐村、和久、大槻、金山さんらの家紋採取。
あらかじめ苗字ネットで桐村さんらの分布地を探し
分布地における墓地をGoogleマップでチェック。
そうして、目星をつけた墓地にお邪魔して桐村さんらの
墓石を求め、家紋を撮影させていただくのだ。
むかしは求める苗字が分布する地区に出かけて行って、
目視で見つけた墓地に目的の苗字・家紋を探した。
その効率の悪かったこと、比べてネットの便利さは有り難い。
最初の墓地は福知山市西部の上天津の村墓地。
傘をさして滑りそうな参道登ると「三つ巴」の大槻さん、「剣酢漿草」の桐村さんらの墓石が並んでいた。福知山市東部における大槻さんは「雁」紋を用いる家が多いが、西や北に行くと家紋が異なるのは由緒の濃淡だろうか?また、桐村さんは牧川を挟んで南は「剣酢漿草」、北は「巴」紋に分かれているのも興味深い。
桐村さんの「剣酢漿草」
大槻さんの「三つ巴」
次の墓地も上天津だが丹後鉄道牧駅近くの村墓地。
狙い通りに和久さんの墓石が並び家紋は「横木瓜」と「糸巻」、糸巻紋の方が古い墓石も祀られ、旧家のようにみえた。他に塩見さん「横木瓜」、審さん「梶葉」、川口さん「亀甲に横木瓜」など、審さんはこの地域だけの稀少苗字らしい。こちらの墓所の桐村さんも「剣酢漿草」であった。
審さんの「梶の葉」
和久さんの「枠糸巻」
塩見さんの「横木瓜」
三つ目は下天津村墓地。
昨年、積雪のため探索をあきらめたところ。下天津駅に車を停め、お邪魔した墓地は桐村さん「三つ巴」、赤井さんも「三つ巴」、そして金山さんの墓石には「折敷に横木瓜」が刻まれていた。
桐村さんの「三つ巴」
金山さんの「折敷に横木瓜」
この地域の中世武家としては金山氏、その支流の桐村さんが有名だ。いずれも、中世においては「巴」紋用いていた。今も、文書・系図を伝える桐村家は古式の「一文字に並び巴」である。歴史として金山さんは桐村さんにとって変わられたが、家紋はそのことを暗に語っているのだろうか?
福知山で狙い通りの名字、そして家紋を採取したあと、但馬方面に進路をとった。
私は伊神(いかみ)と申します。
私の家では、代々伝わる家紋として
「左三つ巴」「五三桐」「並び鷹の羽」 の3種類が記録されています。
先祖を調べる中で、和久氏の家紋に「三つ巴」を含む系統があることを知り、
興味を持って探究を続けています。
私の祖先は、
天正年間(1580年前後)に綾部周辺から木曽川流域へ移住した可能性が高い
という私とAIソラの考察があり、
もし和久氏と何らかのつながりがあれば、
これを裏づける大きな手がかりになると考えております。
※京都府綾部市広瀬町伊神
ここに、現在は八幡宮があるが、元の伊也神社は1580年の明智と和久氏の戦で焼失。
現在は伊神という字(あざ)と八幡宮が残っています。
播磨屋様のブログでは和久氏の家紋調査を詳細に記録されており、
専門的な視点から、
・三つ巴が和久氏のどの系統に多いのか
・桐紋や鷹羽紋を併用していた例があるか
・家紋の変遷としてどう考えられるか
もし分かることがあれば、ご教示いただけますと大変ありがたいです。
突然のお願いで恐縮ですが、
先祖探究の大切なヒントとなるため、どうかよろしくお願いいたします。