かねて、福知山市経由で史料の閲覧をお願いしていた
天田郡の国衆桐村氏の後裔にあたる桐村家を訪問した。
桐村氏は金山郷(佐々岐庄)の地頭職を得て、
遠く常陸から丹波に西遷した大中臣那珂氏の一族、
本家は金山郷から金山を名乗り、庶子家が金山郷の
うち大呂の桐村谷を領して桐村を名乗った武家だ。
瘤木集落を見る
桐村家には「大中臣氏系図」「戦国期の文書八通」
「家紋が描かれた流れ幡」が伝来、京都府の文化財指定を受けている。
早めに家を出たこともあって思った以上に早く着いてしまった。
花並駅址の碑
桐村家がある瘤木集落は丹後・但馬に通じる街道の脇街道が通り、
花並駅址が残っており、それらを見学して時間を調整。
約束の時間に桐村さんとお会いできた。
挨拶もそこそこに、あらかじめ準備をしていただいていた文書群を拝見した。まず系図、その内容は福知山市史などで見知っていたが、やはり原本を見ると歴史が凝縮されていることが実感されるのだった。ついで、戦国期の文書を拝見。古くは丹波守護職細川晴元から、細川氏綱、若狭守護の武田信豊、但馬守護の山名宗詮(祐豊)、小早川隆景ら錚々たる戦国武家から桐村家に充てられたものであった。いずれも崩し字で読めない部分もあったが、署名と花押を目の当たりにできたことは感激だった。
さらに、戦国期から江戸初期に至る間に桐村家の当主が筆記、あるいは収集したであろう典籍群を見せていただいた。こちらの崩し字は文書群以上に読み取れなかったが、合戦が日常化している時代にあっても桐村家が文化にも興味を有していたことが知られてゆかしかった。
見せていただいた系図・文書・幡の撮影も快くお許しいただき、文字通りに眼福に与かったうえに貴重な史料を記録させていただいた。まことに感謝感激であった。
墓所の古い墓石に彫られた家紋
桐村家を辞したあと、小雨がパラつく中を桐村家の墓所がある村墓地を再訪。改めて、桐村家の家紋「一文字に並び巴」を写真に収めさせていただいた。墓地には荒河、小笠原氏らの墓所があり家紋は「巴」紋が用いられていた。それは、桐村家とのゆかりからか?とも思われたが、それは考え過ぎだろうか。
大収穫を得た桐村家を訪問したあと、
どうしようか?ということになった。
せっかく、奥丹波まで来ていることでもあり、
すぐ近くの丹後に鎮座する「元伊勢」に進路をとった。
伊勢神宮が現在地に祀られる以前、丹後大江に祀られていたことから「元伊勢」と呼ばれるらしい。内宮の皇大神社と外宮の豊受大神社、天岩戸神社と併せて元伊勢三社が鎮座している。
まず、外宮の豊受大神社に参拝。傘をさして傾斜のある石段を登る。境内は広くはなかったが、拝殿、本殿、境内の摂社群は寂びさびとした雰囲気を醸し出していた。
元伊勢−外宮の杉並木
外宮に参拝したあとは、さらに北上して内宮の皇大神社にお参りした。
車を停め、内宮に続く道を歩いていると古い街道の佇まいが残っていた。かつては、賑わったのだろうと思えたが、いまは人影もない寂しいところであった。
内宮は外宮に比べると参道も長く、深山幽谷を感じさせた。紅葉もいい感じで、外宮と同様に拝殿、本殿、境内の摂社群が厳かな雰囲気を漂わせているのだった。
内宮、拝殿
拝殿から鼓の音と好く通る謡の声が聞こえてきて、つい誘われて覗いてみると、神様への奉納の儀が行われているようだった。その音、声は雨にそぼ濡れた内宮によく似合っていた。また、神社に参拝するとき雨や風があると神様に歓迎されているという話もあり、今日の元伊勢参拝は宜しきを得たようだ。
元伊勢三社のうち天岩戸神社にも参拝したかったのだが、さらに山の中に鎮座しており、雨の中は危ないだろうと判断して割愛させてもらった。
帰路、鬼ケ城の登り口にある観音寺さんに寄り道、境内墓地に多い「志賀」家の墓所の家紋を採取させていただいた。以前にも訪問したところだが、今回、改めて「梶の葉」と「三つ引き両」の家紋を記録することができた。
今日は桐村家の訪問に続いて元伊勢の参拝、志賀家の家紋採取、あれもこれもの大満足な奥丹波遠征となった。