2021年02月28日

一年ぶり。山名会の山城見学会に参加

今日は、山名氏城跡保存会の山城見学会に参加するため
遠く兵庫県の西端、赤穂郡上郡町に遠征。
昨年、丹波黒井城見学会でガイドを務めてから一年、
新型コロナ騒動の拡大で、イベントは自粛が続いていたのだ。

さて、本日のターゲットとなる山城は赤松氏の白旗城。
2011年の秋以来、ほぼ十年ぶり、三回目の登山となる。
7時40分 丹波篠山をスタート、滝野社インターから中国道に乗り

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山崎インターを通り過ぎる

9時過ぎ 佐用インターから一般道へ。

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前方は高倉山城跡か?

弁当をゲットするためコンビニを探しながら集合地に向かう。
道道、「山城?」と見受けられる山がぽつぽつと連なる
思えば、佐用インターの南には上月城を主体として、福原城、
仁位山城、飯野山城、高倉山城など赤松系の城砦が散在している。

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前方に白旗城が見えた

見る限り、それら城砦群は手入れがされているような・・・。
山城跡はポツンポツンと出てくるが、探し求めるコンビニがない。

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道端の山城のスナップ

結局、集合地を通り過ぎ上郡市街のAコープで昼ごはんをゲット、
せっかく早く出てきたのに、白旗界隈がここまで田舎だったとは??
なんとか10時前、集合地に到着。すでに参加者が二十人ほど。
川見事務局長の挨拶。西尾会長は体調不良で欠席、残念!
今日のガイド役である上郡町教育委員会の萩さんの前説を拝聴

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萩さんの前説を聞き、1010  駐車場スタート

眼前に聳える白旗山、山麓からの比高は370m!
見るからにキツそうだ!

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1015  登山口ゲート

赤松氏の家紋が付されたゲートを入ると、
赤松一族や家臣の館址であろう低い切岸で区画された地形が続く
八幡宮神社址、栖雲寺址などもあることから、戦う山上の城に
対する日常の暮らしの場が営まれていたのだろう。

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段状になった地形が続く
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1028 トイレ 1037

いよいよ登山道になる手前にきれいなトイレ、むかしはなかったような。
どうやら地域観光資源開発(★)の取組み予算で作られたらしい。
その流れで発想された集客アイデアであろう絵馬がずらり。
白旗城が新田義貞に攻められ落ちなかった歴史にあやかって
受験生が「志望校」に落ちないよう願掛けする絵馬だった。
そういえば山麓に立っていた幟には「落ちない城 白旗城」とあった。

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急坂の登山道を登って行くと、要所にベンチが・・・
これも観光資源開発がらみで設けられたものという。
山城が観光の目玉になる、十年前と比べて隔世の感である。

hIMG_8254.JPG 1122  城址南尾根の石仏

途中、萩ガイドの解説を聞きながら、休み休み45分、
尾根筋に登り着いた。ここにもベンチが新設され、
かつてと変わらず石の地蔵様がポツンと佇んでいるのだった。

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堀切でガイドを拝聴
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櫛橋丸

白旗城址は尾根合流点から北に伸びる尾根筋に曲輪群が連なる。
急な斜面を登って行くと岩場を撥った堀切、その上に小曲輪、
ここで、攻め登ってくる敵勢の出鼻をくじくのである。
さらに登って行くと小曲輪群があり、そこから南尾根防備の
要となる櫛橋丸への急坂を登る。櫛橋丸は自然地形と言って
よいところだが南尾根筋曲輪群、赤松集落を眺望できるところだ。
櫛橋といえば赤松氏の重臣、南北朝期からその地位にあったのだ。

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広い堀切状の曲輪
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三の丸の切岸

櫛橋丸を南に下ると大きな堀切状の曲輪、そこから山道は
山上の主体部へと登っていく。まず広い三の丸、
そこから萩さんが言われる寺院跡が連なる谷筋に移動する。

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寺院跡の庭園跡らしい
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切岸を固める石積
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二の丸曲輪と切岸

寺院跡平坦池群は最上部に庭園跡、それを固める石垣群、
さらに急斜面を下り奥の院という平坦地(墓所ともいわれる)に下る。
以前に登った時、ここらへんは宇喜多氏の改修になるものと思ったが
今日のガイド萩さんの説によれば、白旗城と共存した寺院跡らしい。
ということは、拠点城郭には氏神、菩提寺が祀られていたのだろうか。

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山上本丸の切岸

寺院跡平坦地から尾根筋に登り返し、三の丸、二の丸、馬場、
そして本丸へと至る。技巧的ではないが広い平坦地が続く。
これだけの規模の山城、播磨を支配する勢力にとっては戦国末期まで
押さえておくべきところだったのではないか!
放っておく危険性の方が大きいと思わざるをえない。

pIMG_8307.JPG 1244  山上本丸の説明版と眺望 
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落ちない絵馬
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一等三角点
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全員で記念撮影

あれこれ考えながら登り着いた十年ぶりの白旗城本丸、
見る限り大きな変化はない。変わらぬ伽藍とした広い平坦地だ。
ただ、一角に「落ちない山城」の絵馬が数多つりさげられている。
山城ブームに乗った観光資源化のアイデアはヒットしているようだ。

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北三の丸曲輪
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赤松集落を見下ろす
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北の堀切

昼食をとり、一休みしたあと集合写真を撮影、本丸北に連なる
遺構群を萩さんの解説を聞きながらの山歩き。
萩さんの白旗城への評価は、南北朝期より戦国期はじめまで存在
浦上氏、宇喜多氏の改変はないだろうとのことだった。
果たしてそうか?と思わぬでもなかったが・・・、どうだろう。
こうして山上曲輪群を堪能、1336、下山スタートとなった。

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1406  南尾根分岐
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1440  トイレに下山
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1507  ゲート
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1515  解散

下山したあと、赤松氏ゆかりの宝林寺に寄り
赤松三尊像を拝観する予定だったがコロナのため公開は禁止中。
こちらの見学会も期待していただけに、コロナ恨むべし!


赤松集落を歩く

せっかくなので、解散後、赤松氏の名字の地を歩いてみた。
まず赤松館跡。かつて赤松小学校だったところで広い。

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片隅に石碑があり「苔縄城址」とあるが、どうやら間違いらしい。
発掘調査がされ、多くの土師器などの遺物が出たらしい。
いまは廃校となった小学校、結果論だが学校にならなかったら
かつての居館の縄張がそのままに残っていたのだろうか?

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館跡となりの五社八幡宮、円心の御影堂があるらしいが
見つけられなかった。拝殿前にあった「三つ巴」が印象的だった。

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ついで栖雲寺を引き継いだという松雲寺に
お邪魔してみたが、赤松氏にゆかりのものはなかった。

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夕闇に包まれた上月城址

かくして見学会&町歩きは恙なく終了。一路、中国道を東進。
6時前、薄暗くなったころ丹波篠山に帰着。
昨日の疲労もあって、メチャクチャ疲れました ( ̄O ̄;)


★西播磨県民局が、西播磨の各市町やツーリズム団体とともに取り組む「西播磨山城復活プロジェクト」の一環。管内に点在する山城を観光資源としてPRする中で、登山道や山頂周辺の整備を進めている。

posted by うさくま at 11:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 播磨の山城
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