昨日に続いて山城に登ろう!
今日は、三尾山城にしようと思っていたら生憎の雨。
やむをえない!山城攻めはあきらめた。
それではと、前から気に掛かっていた
河内国茨田郡伊香賀郷の新補地頭として西遷してきた土屋氏を
武家家伝にアップしようとパソコン前に鎮座した。
そういえば、30年以上のむかし、京阪沿線にクライアントを持つ
会社に勤めていたころ寝屋川から枚方界隈を歩き回った。
そのころ、伊加賀の地も歩いたような記憶がある。
しかし、改めて伊香賀郷はどこらへん?と思えばよく分からない。
辞典を引っ張り出し、地図を見て、伊加賀を探ってみたところ、
古代は伊香郷、中世は伊香賀郷と呼ばれ、その範囲は、
いまも地図に地名のある枚方・三矢・出口・走谷・伊加賀で、
そこの新補地頭職をもらったのが御家人土屋氏だったのだ。
戦国後期、伊香賀郷枚方城が築かれたことから
枚方と呼ばれるようになり現代にいたるということを知った。
伊香賀郷には地名の由来となったという伊香色男命の邸跡に
鎮座するという式内社意賀美神社がある。祭神は伊香色男命か?
と思ったが、タカオカノカミ、スサノオ、オオクニヌシらであった。
なるほど、改めて調べるとおもしろい。
武家家伝のコンテンツを作成すると、武家の歴史もだが
その武家が一所懸命に生きた土地の歴史も学べるのである。
さて、次のターゲットは大和国北部、北河内に接する茶筅の里
鷹山庄に割拠していた国人鷹山氏をターゲットにしている。
最近、史料集も出たらしく、なんとかカタチにしたいものだ。
以下余談
河内土屋氏の家伝を作成しようと思ったのは、かつてまとまって子孫の家に伝来していた河内土屋家の文書が古書市場に出回っている、しかも切り売りになって、ということを知ったことが大きかった。なぜそのようなことになったのか、おそらく代替わりのときにお金に換えられてしまったのだろう。歴史史料を伝えるのは難しい、古書市場では高額に取引される、自治体が買い取るのは予算的に無理がある。
なんとも残念なことではあるが、金もない他人が口出しすることではない。せめて、河内土屋氏の歴史を「武家家伝」に加えたいと思った。把握できる範囲の文書の翻刻を掲載したかったが、著作権なども気になり、あきらめた。昨今、歴史史料は建築物や史跡・刀剣や仏像、古文書など、消滅、散逸するケースが多いと聞く。自治体などが保管・管理するものでも、予算不足で思うに任せないとも聞く。文化・歴史を大切にできない、後世に伝えられない、まことにプアな国というしかない。