昨日、京都の車折神社で御札をゲットした帰路、
園部の宍人に寄り道した。
宍人といえば今年の大河ドラマでも名の出た
丹波の国衆「小畠」氏が本拠としたところだ。
先日も園部の資料館で小畠氏に係る文書集を買い求め、
小畠氏が拠った宍人城に登ったばかりだ。
その後、宍人に園部藩士であった小畠家の墓所があることを知り、
いつか行かねばと思い、今日、早速墓所探しに精を出した。
ネットなどから得た情報をもとに墓所を探したが見つからない、
不審な者(当たり前だが)を見る目つきでこちらを凝視されている
農作業中の方に話しかけ、墓所のあるところを教えていただいた。

たどり着けた小畠家の墓所は、ちょうど宍人城の裏手にあり、
墓石が倒れているなど、いささか荒れた空気が漂っていた。
墓石群を見学させていただくと小畠家の通字「宜」を用いた諱、
小畠家が本姓とする「清原」と刻んだものがあり、
昭和に入ってから立てられた墓石、墓誌には、
園部藩の分限帳にある通りの「柏車」紋が刻まれていた。
小畠家の墓所
分限帳にある通り「柏車」紋
目的の小畠家の墓所にお邪魔して家紋を採取したのちは
うちが本家のなのですが、
墓は本家から歩いて5分くらいの
山の中にあります。
因みに家紋は六つ柏です。
と拙ブログに書き込みをいただいた
小畠さんであろう方からの情報にある、おそらく
園部藩に出仕しなかった小畠さんの墓所を探そうとした。
小畠家のある風景
古い宝篋印塔、五輪塔群
小畠本家であろう家の屋根には「六つ柏(柏車)」紋が描かれ
家の前の公民館の広場には風化した古い宝篋印塔、五輪塔が
集積されて祀られ、小畠さんの墓所への期待は高まった。
中西家の撫子紋
平田家の三つ茶の実紋
逸る心で界隈に見つけた二つの墓所にお邪魔してみたが
目指す小畠さんの墓所はなく、「撫子」紋の中西家、
「三つ茶の実」紋の平田家(三つ星もあった)などがあった。
小畠さんの裏山に墓所に続いていそうな山道らしきものがあったが
さすがに入っていくのが憚られて発見には至らなかった。
「不審者」の目を感じます。夫婦で行くと警戒心も薄いです。自分の方から気安く声をかけていくと、会話が弾み30分ぐらい立話が続く場合があり、色々なことがわかります。お互い親近感がでて、うち解けます。必ずといいいほど自分から「こんにちわ」と一声かけますと、お互いの警戒心が下がります。