2020年12月28日

フェースブックで「大芋」談義

元同僚だったFさんのフェースブックへの書き込み

丹波篠山市の大芋地区を車で走っていると、2ヶ所で、何やら見かけない幟がはためいてました。気になったんで帰り道に立ち寄って確認したところ、一つは「白藤城」、もう一つは「豊林寺城」の幟。そう言えば、今晩から大河ドラマ「麒麟が来る」では、いよいよ丹波攻めだそうですね。これらのお城も、何か所縁があるのかな。

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が目に止まりコメントさせてもらった。

・・・
こういう旗が立つご時勢になったんですね? ( ・∇・) 。大芋党となっているのが素晴らしいです。ところで、それぞれの城址の整備は着手された? せめて登山道など開かれたのでしょうか? 

豊茂さん、私は車から降りてこの幟の写真を撮っただけなんで、ハッキリしたことは言えませんが、この「大芋ふるさとネット」の記事読む限り、今回は、この幟を立てられただけの様に思えます。

やっぱり!そのようですね。せめて城址への道を開いていただければ、登山者も増えると思うのですが。頑張って欲しいです。とくに森本城から豊林寺城への尾根筋を開けば、よい山城体感ルートができるのですが。声が上がれば、老骨に鞭打ってボランティア参加しますけど (^ ^)

豊茂さん、その提案は、ぜひ、大芋活性化委員会さんにしてあげて下さ〜い。(*^-^*)


・・・
この「大芋党」でグーグル検索しても、出てくるのは「大学芋」についての記事だけ。唯一検索で上がってきたのが、播磨屋さんのこのブログです。

検索ありがとうございます。大芋の家紋も考察しています。このときに、大芋の中世はは大芋党という地侍集団がいたのではないか! と思い至ったことでした。  

おお、そういうことか!
豊茂さん、大芋党っていうのは、大芋家っていうのがあったのではなく、大芋地域に存在した各家が協力関係築いていたということなんですね。

おそらく大芋という名字を名乗る家を主体に、地侍(農林業従事の有力者)たちが結束(一揆を結んでいたかも)していたと思っています。雁に菊の紋は地侍集団の旗印であったのだろうと。大芋地域は篠山盆地において珍しい家紋が多いところで、そこらへんもそれぞれの家が武士であった時代を伝えているように思われます。丹波新聞の連載にも取り上げる予定です (^ ^)

あっ、大芋と名乗る家を中心に、地縁で結束していたのが大芋党ということなんですね。

大芋は多紀郡と船井郡の境目の村、中世は今以上に京との関わりが深かったのでは? いまは自然に帰した京方面に通じる峠道も多かったようです。そういういった地理的背景に大芋党という地侍集団が存在したであろう歴史的背景、加えて家紋の多彩さなど、非常に興味深いところです。似た地理的歴史的背景を有しているのが旧丹南町南部の南矢代から当野あたり、こちらも何家かの酒井名字の武家が同族武士団を形成していたことが知られています。多紀郡の中世は波多野氏ばかりが語られますが、大芋や酒井といった中世武士にスポットを当てるべきなのに!と知るほどに思うことです。大河ドラマで、取り上げられる事はないでしょうが、波多野氏に匹敵する郷土の中世史です。

田中さん、昨日の大河ドラマで名前が出てきた園部の小畠家も、当時はかなり重要な役割を果たして来られたみたいです。先日、その小畠家の宍人城跡を見学に行ったのですが、なかなかしっかり残っていて、興味深かったです。私の様な素人でも、丹波は興味深い場所なので、歴史好きの方々にとっては、もう興味の対象が尽きることのない所なんでしょうね。(*^-^*)

おっしゃる通り、丹波の中世・戦国史は面白いです 小畠氏も興味深い中世武家、宍戸城、光秀との関係、波多野氏との戦いなどなど、もっともっと注目されて然るべき家です。藤井さんもご存知の摩気神社に伝来していたという小畠文書の存在は、資料に恵まれない丹波の戦国史に光をあてる貴重なものです。昨日の大河に名の出た小畠永明はのち越前守と名乗り光秀のもとで活躍、明智の姓を賜った人物です。秀治との戦いで討死しましたが、その子伊勢千代丸に宛てた光秀の心を尽くした手紙が残っています。光秀が天下を取っていたら小畠(明智)伊勢千代丸は船井郡か多紀郡を与えられて大名になっていた可能性があります。秀治が光秀から離反した背景には、光秀=信長権力に接近していた小畠氏の存在があったのでは?なんて妄想したりしています。

摩気神社蔵小畠文書って、コレですね。


・・・
豊林寺城の登山録です。http://www.harimaya.com/sasayama/sasazyo/sasazyo31.html おそらく、豊林寺参道の手前あたりから登城ルートがあったのだろうと思っています。地元の方はご存知かもしれませんね。

豊茂さん、↑ の記事全部読ませて頂きました。大芋氏は途中で没落し、森本氏が大芋党の中心になったんですね。櫛石窓神社も、ずいぶん立派な神社で、とても気になっています。

櫛石窓神社の存在も、京と丹波との関係が背景にあり実に興味深いものです。多紀郡は、知れば知るほど面白い歴史、史跡が眠っているのが分かってきます。

豊茂さん、飽きないですよね〜 (*^^)v

もう丹波の家紋、山城、中世・戦国史にドップリです (^ν^)

ぜひ、ぜひ、南丹市の方にも遠征して下さい。遠征って程の距離でもないかな。(笑)

京都丹波の方も旧天田郡、何鹿郡、船井郡、桑田郡などなど行きまくってます? \( ?o? )/


というように、なんだか盛り上がってしまい、せっかくなので
自分自身への覚えとしてブログに残すことにした。
大芋地区の取り組み、幟を立てるだけにとどまることなく
山城整備に着手してほしいと強く願う。さてどうなるだろう?
posted by うさくま at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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