2020年12月26日

講座丹波学 第五回 を聴講する

第一日は「講座 丹波学 第五回」の聴講。
お題は『山崎合戦と惟任(明智)光秀
―本能寺の変後の主導権をめぐる動向―』
講師は、東洋大学文学部 非常勤講師 柴 裕之氏だ。

以下、講義を聞きつつ走り入力メモ。

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天正三年、光秀は惟任姓を名乗り日向守に任官した。
以後、本能寺の変後も光秀は一貫して惟任姓を名乗った。

細川藤孝も細川から長岡に名乗りを変えた。
光秀、藤孝らは将軍義昭と決別して信長の家臣となったとき
姓、名字を変えたということらしい。

織田権力下における部将たち織田権力下で今後の生き残りの道模索
光秀、秀吉、長秀、勝家ら重臣の複雑な思いが渦巻きつつあった

そのようなおり、織田権力のツートップ、信長と信忠が京に滞在、
しかも、油断(増長か)しているとしか思えない少ない兵力で。
この状況が現出しなければ、おそらく光秀の謀反はなかった。

クーデターのセオリーとして権力中枢を打破、権力の拠点を掌握する
その線で光秀は信長らを討ったのち安土城を押さえようと
近江に兵を動かした。近江国衆山岡氏が光秀に従わず
瀬田大橋を焼いてしまい、三日のタイムロスが生じた。

変の当時、畿内近国にいた織田軍は
四国渡海を前に大坂にいた三男信孝と丹羽長秀、大坂城に入って状況を傍観
  →  大溝城主 信澄を殺害
次男信雄は伊勢松坂にいて近江蒲生氏救援に出陣、伊賀衆の蜂起に遭う
信孝、信雄は速やかに積極的に光秀討伐に動けなかった
摂津衆 池田恒興、高山右近、中川清秀らは光秀の従軍要請を拒否

やはり主君ゴロシということ、想定外の秀吉のアクションが相まって
光秀にとって、変後の情勢は好ましい状況にはならなかった。

変前後における羽柴秀吉の立場
 浅井長政の旧領を本拠とし、播磨、但馬、因幡を支配下においていた
 中国攻めの秀吉には、備前の宇喜多氏、伯耆の南条氏、瀬戸内水軍らが従った
  →  織田権力下における大大名といえる存在になっていた。

変当時の光秀は丹波国、近江の志賀郡が領国
  与力として丹後の細川藤孝、大和の筒井順慶、旧幕府衆らが従っていた

毛利軍と対峙、決戦を控えていた秀吉は信長の出陣を仰いでいた
 信長を迎えるうえで現場と京都の間に情報連絡網を築いていた
   情報網が機能して変のことを翌日に把握できた

変を知ったのちは毛利氏と和睦し、摂津衆らに偽情報を送って繋ぎとめ
姫路城に立ち戻り、光秀軍との決戦に向けて素早い行動を起こした。
大坂の信孝、長秀らと連絡を取り、優位な情勢を作りながら摂津に軍を進めた。

明智光秀、豊臣秀吉に関する著作のある柴氏は
持ち前だろう大きな声で、サクサクと話を進められていく。

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いまの感覚でいえば中国大返しはビックリする行動だが
当時の人にとって四十キロという道のりは大したものではなかった。
大返しの意義は、秀吉の想定のうちでなったことが大きい
その結果は準備が完全ではない光秀に動揺を与え、
光秀色の強い部将たちに秀吉方への傾斜を後押しした。

変後、正親町天皇、誠仁親王らの使者として兼見が安土に遣わされた。
兼見卿記には、その時、光秀が謀反のことを語ったという件があるが
その内容そのものは記されていない。

摂津尼崎に秀吉が上ってくると光秀方に綻びが出てきた
 長岡細川藤孝、筒井順慶らは光秀と距離を置くにいたった。
 摂津衆は秀吉方の旗色を明らかにした

光秀は味方が増えず、軍勢動員も思うに任せないなか
京都防衛を意識しながら、摂津山崎まで進出した秀吉軍と決戦となった。
戦いは光秀と秀吉の対戦というものではなく、
光秀方勢力と反光秀織田方勢力との戦いであった。
秀吉方の総大将は三男の織田信孝で、秀吉ではなかった。

信長・信忠を殺害した光秀と織田信孝を大将とする織田軍との戦い
摂津衆の奮戦が織田方の勝利に大きく貢献した
勝竜寺城に逃れた光秀は坂本城に還ろうとする途中、百姓に殺害された。
 → 当時の百姓は江戸以後のような百姓ではなく、武器も持ち戦いにもなれていた。

合戦に勝利した秀吉は、坂本城を攻撃、光秀一族は滅亡した。
合戦時、安土城を預かっていた明智秀満は坂本城に撤収、安土城に火を放った。

織田家中における主導権争い。
主導権を握ったものが次期権力の主導になる可能性は高かったが
合戦時にはそれぞれ明確なビジョンはなかった。

6月27日、清洲会議が行われる。
織田政権のその後は信忠の子三法師が担がれるが
その後見となった羽柴秀吉が台頭、織田家中は内戦を誘い
織田権力は崩れ秀吉が新しい権力者としての体制を整えていく。


やや駆け足気味に進んだ講座は、予定時間をやや越えたところで終了。
今日は質疑応答の時間が取られたが、帰宅せねばならず会場を後にした。
今日の講座で2021講座丹波学は、予定通りに終わった。
昨年に続く大河ドラマと連動した講座丹波学、講師の顔ぶれ
講座の内容、なかなかのものが揃っていた。聞けば、
渡邊大門さんが講師チョイスに一役買われたらしい。なるほど!だ。
さて、明日の大河ドラマは丹波攻めにかかるものらしい。
今年の大河はほとんど見ていないが、丹波攻めは見ずにはいられまい。
posted by うさくま at 12:24| Comment(1) | TrackBack(0) | 聴講録
この記事へのコメント
歴史の会の会長をしておられる方と数年前に知り
大返しの起点から終点まで徒歩で歩いたそうです。
地元紙にも紹介されました。
Posted by 播磨備前守 at 2021年01月29日 17:47
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