2020年12月14日

コロナウイルスを避けて、GoTo 四国!

朝、まだ暗い5時57分に丹波を出立。
舞鶴道から中国道、神戸ジャンクションで山陽道へ

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山陽道三木ジャンクションから神戸淡路鳴門自動車道に入り、
明石大橋、淡路島を越え徳島西部の井川池田インターチェンジで
国道32号線に乗り換える。9時25分、道の駅大歩危に到着。

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四半世紀ぶりに訪れた大歩危、当時の記憶はほとんど忘却の彼方にあるがイベントのウラ方として来訪、お客さんらと遊覧船に乗ったことが思い出される。

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今回は新型コロナウイルス騒動の時でもあり、遊覧船は見送って大歩危渓谷を俯瞰、道の駅大歩危をブラッとしただけで祖谷のかずら橋へと移動した。途中、平家資料館に寄り道したが、入館料500円に見合うものではなかった(かも)。

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祖谷のかずら橋、こちらも四半世紀前にイベントの下見で立ち寄ったが、その時は渡ったような渡らなかったような。今日は勇気を奮って踏み出したが、その怖いこと、橋の名となっている蔓をガッシリと握りしめへっぴり腰で何とか渡りおおせた。
渡ったあと、橋のたもとのお茶屋さんで名物の祖谷蕎麦とアユの塩焼きを食した。旅に出ると「美味しいものは海側に多い」ということを改めて実感したことだった。

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四半世紀ぶりに渡った! 怖かった!

かずら橋からうねうねした道を走り、さらにうねうねした道を登って到着した祖谷の阿佐家。平家の落人と伝え、中世から近世まで相応の格式を保った家だ。ネットの情報で建物が旧態に修復されたとのことで、はじめて実物を見る阿佐家の屋敷は政所のような佇まいであった。

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阿佐家からの眺め

入館自由というかんばんに甘えて家の中に入ると、外から見るよりも大きな間取りで、上段の間もあり近世には徳島藩の役人を迎えたのだろう。期待をした平家関係の史料はなく、ただ、屋敷だけが公開されているというものであった。念願の訪問、せめて家紋を・・・と探したが見当たらなかった。
予定通りに、大歩危渓谷 →祖谷かずら橋 →平家屋敷 阿佐家を踏破したあとは、いよいよ土佐に進撃である。

祖谷から土佐最初の目的地となる龍河洞へは、いったん大歩危まで戻る。そして、大豊インターから南国インターまでひた走った。龍河洞は日本三大鍾乳洞の一つといい、先々月に行った秋芳洞のような雄大な鍾乳洞を思い描いて行った。入洞料1200円(一人)を払い、踏み込んだ龍河洞は狭い洞窟を歩くといったところであった。

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龍河洞は弥生人が住み、発掘調査などによって壺など弥生時代の遺物も出たらしい。弥生人らは真っ暗な洞内でどのように暮らしたのだろう? 興味津々だったが、洞内を進んでいくうちにお腹の調子が悪くなり、弥生人遺跡を目前にしたところあたりで「やばい!」必死の形相で出口のトイレへと急いだ。
不完全燃焼ながら龍河洞を歩き通したあとは、土佐七守護の一家である山田氏の居城楠目城攻め。この旅はじめての山城(というより平山城)攻略だ。

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楠目城発掘調査報告書より転載

予め調べておいた登城口より概略図を見ながら城址に踏み込んだ。はじめはどこにいるのか分からなかったが、南の土塁と横堀、西の堀切を確認したのち、一の曲輪群へと攻め込んだ。城址は竹木に覆われているが、曲輪は広く削平も丁寧、切岸も高い。

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横堀と土塁
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曲輪切岸と帯曲輪
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一の曲輪虎口
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一の曲輪を囲繞する土塁

一の曲輪群の主郭となる曲輪は外縁を見事な土塁が囲繞し見ごたえがあった。一の曲輪主郭の北側は広い箱堀状の大堀切、城址最大の見どころであろうか。そこから堀底道を登ると、二の曲輪群の南西腰曲輪、そして二の曲輪主郭の高い切岸が前途をさえぎる。踏み込んだ主郭部は北方を土塁で防御し、東側には広い帯曲輪が設けられている。一の曲輪群と二の曲輪群は別郭一城を呈し、楠目城は山田氏の強勢ぶりを今に伝える規模の大きな山城であった。

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一曲輪群と二曲輪群を隔てる大堀切
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二の曲輪へ
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堀底道
fIMG_5684.JPG 二の曲輪の土塁

惜しむらくは竹木、灌木が城址を着実に覆い隠しつつあることだ。南国市の指定文化財でもあり、手入れされることが望まれた。
城址を駆け足でめぐったあと、山田氏の菩提寺という予岳寺にお邪魔した。目的は山田氏のものという五輪塔群。訪ねあてた山田氏のものという大小の五輪塔群は数も多く、造りも素晴らしいもので、ここでも中世山田氏の勢力のほどを実感できた。

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山田氏のものという五輪塔群、圧巻!

龍河洞 →山田楠目城 →山田氏五輪塔群をめぐったあとは、今日明日の宿となる「竜馬の宿南水」へと進路を取った。今日は小雨模様の寒い天気だったが、無事、竜馬の宿に投宿することができた。
posted by うさくま at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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