2020年11月30日

姫路市大津区安積家、大江島肥塚家の家紋を探す

播磨の中世武家の歴史をズーッと調べている。
とくに、西播磨の武家の家紋と歴史を
歴史民俗誌Sala誌上に連載を始めてから四年、
なんとなく追われるように楽しく取材を重ねている。
それらの奮闘が効を奏したのか西播武家に係る講座の依頼も受け
改めて西播磨の武家家紋の取材に精を出している。

とくに姫路市大津区吉美の安積家と
大江島の肥塚家の家紋が気に掛かっていた。
あれこれ下準備を進めてきて、今日、現地へ出っ張ってきた。

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まずは安積家にゆかりがあるらしい大津区吉見の西照寺さんでお話を伺う、お寺の東隣が安積文書を伝える安積家で、突撃訪問を企てたが留守。やむなし!お寺で教えていただいた大津区真砂町の村墓地に安積家の墓所を探す。

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見つけた安積家の墓石は「九枚笹」紋、文書を伝える安積家の墓石は「結び四つ目菱」紋だった。想像していた「琴柱」もしくは「揚羽蝶」の家紋ではなかった。お寺さんがおっしゃっていた安積家の仏壇に描かれているという、家紋を見ることができなかったのはが痛恨の心残りとなった。

つぎは、肥塚系図を伝えるという
大江島肥塚家の家紋を探して大江島に移動。
大江島は大津区吉美の西隣、Googleマップでは墓所は発見できなかった。一方、大江島の西方すぐの網干区新在家に寺町があり境内に墓地もある、周辺には村墓地も多い。おそらく、それら新在家の墓地の何処かに肥塚家の墓があるのでは?

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まず、肥塚氏系図にお寺の再建、維持に肥塚氏が関与したと記される浄土宗西山派禅林寺派のお寺善慶寺の墓地にお邪魔した。いきなり「三つ揚羽蝶」紋の肥塚家の墓石。さらに「肥塚氏本家総墓」と彫られた墓標があり家紋は「立沢瀉」と「下り藤に一口」の紋が彫られていた。

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たつの市の圓融寺にある肥塚氏が祖とする和泉守祐忠の位牌には「並び矢」紋が描かれ、祐忠が拠った梶山城跡界隈の肥塚さんはいずれも「並び矢」紋が用いられていた。ところが、善慶寺の境内墓地のあちこちに営まれている肥塚家の墓石には「九枚笹」「丁子巴」「三つ巴」「抱き茗荷」紋が刻まれていた。和泉守祐忠の位牌に打たれた「並び矢」紋はまったく見当たらず、本家総墓と同じ紋を彫った墓石もなかった。なにやら意外の感に打たれながら、やはり総墓のものが大江島肥塚家のものであろうか?しかし、納得がいかない気分であった。
九枚笹    ・・・・
三つ揚羽蝶  ・・・・・
三つ巴    ・
立沢瀉 →  肥塚氏本家総墓 ・下り藤に一口
抱き茗荷   ・・
丁子巴    ・・

善慶寺さん近くの村墓地を訪ねると肥塚家の墓石はなかった。が、こちらでは、英賀城主三木家にゆかりの家であろうか「折敷に三文字」紋の三木家の墓所があった。

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なんとなくスッキリしない気分を持て余しつつ、新在家では最も古刹という大覚寺の境内墓地にお邪魔した。「五瓜に唐花」の長澤家、加納家、「折敷に三文字」の三木家などの墓石が多数派を占めていた。

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大覚寺_IMG_4928.JPG

さらに、境内墓地を歩くと「並び矢」紋を刻んだ肥塚家の墓所があった。「おー!」と思いつつ大覚寺の境内を散策すると、豊臣秀吉が名護屋に下る途中に寄ったという古刹だけに意外な伽藍の大きさに驚かされた。本堂の傍らにも墓所があり、入っていくと「並び矢」紋を刻んだ肥塚家の墓石が並んでいるのだった。

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果たして、先の善慶寺さんの肥塚家と大覚寺の肥塚家、いずれが祐忠直系の肥塚家なのか?系図の記述からすれば善慶寺の肥塚氏ということになるが、祐忠位牌と同じ「並び矢紋」を用いている大覚寺の肥塚さんこそ直系ではなかろうかと思いたいのだが・・・、どうだろう? 
やはり、もっと事前調査を重ねておいて、せっかく尋ねたそれぞれのお寺の住職さんに取材をすべきだった!と臍をかんだことだった。我が身のいい加減さと小心風味の面倒くさがりな性分が悔やまれることだ。
posted by うさくま at 11:53| Comment(3) | TrackBack(0) | 家紋
この記事へのコメント
肥塚氏と言えば勘違いぁもしれませんが、江戸初期の盤珪国師の出どころでは。豪商だと思いますが。龍門寺の創建者では。龍門寺に墓があるのでは。
Posted by at 2021年01月24日 17:04
肥塚氏と言えば勘違いかもしれませんが、江戸初期の盤珪国師の出どころでは。豪商だと思いますが。龍門寺の創建者では。龍門寺に墓があるのでは
Posted by 播磨備前守 at 2021年01月24日 17:05
ネット情報では盤珪国師は揖西郡網干の出身
父菅原氏、母野口氏の間に生まれたとあります。
揖西郡の御津から網干は肥塚姓の多いところ
なんらかの縁はあったかも知れませんね。
Posted by 播磨屋 at 2021年01月30日 13:29
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