2020年08月25日

今日は、四国で近世城郭を歩いた。暑かった!

先日、戦国倶楽部同人のMさん、Sさんより城攻めの誘いをいただき
四国西方に散在する近世城郭群をめぐることになった。
訪城予定地は、丸亀、松山、湯築、宇和島、大洲、今治、村上水軍城
一泊二日の旅はハードになりそうな予感であった。

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八時半、六甲道に集合したのち瀬戸大橋を渡り、
一路、最初の訪城先となる丸亀城を目指した。
11.00 丸亀に到着、城近くの饂飩屋「綿谷」で昼食を摂る。
11:30 丸亀城に到着、まず資料館に入る。ロビーに飾兜が飾られていた、その中の「茗荷兜」とあったモノは「杏葉兜」では?なかったか?

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丸亀城は生駒親俊が築いた城、山崎氏を経て京極氏が城主となった。資料館から内堀に面する大手二の門まで移動して、そこから大手一の門、観光案内所で地図をゲット、見返り坂から三の丸高石垣、三の丸から讃岐富士を見る。二の丸から本丸へ登り、丸亀市街を睥睨する。その後、天守に入城して暑さに茹だった身体を休ませた。

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下城は搦手方面へ下り、崩落した石垣を修理している現場横を通り、車を停めた資料館に戻ると13:30、約二時間の城攻めであった。

丸亀から松山自動車道を走ること二時間ばかり、1530 松山市街に到着。登り口になるロープウェー乗り場に急いだ。
松山城は豊臣大名の加藤嘉明が築いた近世城郭、蒲生氏郷が病死したのち嘉明は会津に転封となった。そのあとに氏郷の子が入ったが夭逝、その後久松松平家が城主となり明治維新に至った。

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松山城のロープウェー駅を15:40発、山上の駅から石垣・櫓などを眺めつつ松山城本丸に15:50到着。

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本丸曲輪から城下町の展望を楽しみ、16:25本丸天守へ攻め込んだ。松山城の印象は天守というより、居館というイメージであった。天守と櫓群をくまなく歩いてロープウェー乗り場に戻ると17:10。

下山したのち、今日の目標の一つである三寶寺にお邪魔して、先日、紋友の方が個々の墓地で採取された井門家と村上家の「三十八」紋を採取。墓地紋をウォッチすると、流石に河野氏の本拠地「折敷に三文字」紋が多かった。
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三寶寺墓地で採取した「三十八」紋

そのあとは道後温泉に移動、中世から戦国期まで伊予一帯に勢力を及ぼした河野氏の居館跡である湯築城跡を訪問。二重堀切で守られた守護館らしい結構だが、丸亀城、松山城にくらべれば城域の小ささは中世城館というものであった。

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湯築城

今日の宿泊地は「道後館」、道後温泉では一二を争う高級旅館らしいが、Go toキャンペーンで割安に泊まれるそうな。居酒屋を探して夜の街を歩くのも旅の楽しさだが、旅館の板前さんの料理に舌鼓を打つのも悪くなかった。

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食後、夜の道後市街をそぞろ歩いたが、睡魔に襲われ早々と布団に入り爆睡してしまった。


posted by うさくま at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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