連載がスタートした丹波新聞の戦国コラムに
取り上げようとしている余田氏と吉見氏の取材をしようと
相方を誘って市島方面に出かけた。
まずは、余田氏が拠った上鴨阪集落(余田谷)
余田氏の菩提寺という宗福寺にお邪魔した。
ここの境内には余田氏の供養塔と古い宝篋印塔があったが
先年の台風被害で宝篋印塔は原形を失ってしまったようだ。
余田氏の供養塔
余田家の墓所、家紋は「藤巴」
住職さんがいらっしゃれば、お話を聞こうとしたのだがお留守、
せっかくなので境内墓地の余田氏のお墓の家紋を撮らせてもらった。
お寺を離れた後、余田氏が居城とした余田城の全景を撮影
台風で崩落、寺に被害をもたらした爪跡が痛々しい。
余田谷の次は、吉見氏が拠った鹿集庄の故地へ移動。
城址は中学校に変貌してしまい往時を偲ぶものはない。
写真を撮ろうと思ったが、よい場所もない。
ドローンで撮れば面白そうだが持っていない。
城跡はあきらめて市島図書館にお邪魔した。
ここは三十年くらい前に拠って以来の入館である。
吉見氏、余田氏に係る資料を物色してみたが、
「おお!」というものはなかった。そのようななかで
地元らしい研究会の冊子を発見、コピーを取らせてもらった。
豊源の塩ラーメン・天津飯のセット
図書館を出たあと、春日歴史史料館にお邪魔して
この年初に開かれた特別展の図録(無料)をゲット!
おなかも空いたことでもあり、お馴染みの豊源で昼ご飯を食した。
せっかくなので、黒井城を撮影
腹を充たした後、先ほど図書館でゲットした余田氏の資料に
あった東皐寺さんにある「丸に一文字」紋を刻んだ
余田氏の供養塔の存在が気になり、相方に引き返してもらった。
こちらの東皐寺さんも台風被害で本堂を失ったというが
供養塔は無事に残っていて、ありがたく撮影させていただいた。
東皐寺の余田家供養塔、家紋は「一文字」
余田氏、吉見氏など、まとまった資料は実に少ない。
原稿アップまでにはまだ時間もあることではあり、
余田城の台風被害を確認するための再訪と宗福寺住職さんへの
取材を兼ねた余田谷への再訪を期して帰宅の途についた。