2020年05月13日

播磨の中世武家、小寺氏の家紋を探す

今日は年休をとって、中世播磨の戦国武家小寺氏の
足跡を取材するため姫路の御着城跡と城址周辺
小寺氏の子孫が移住したという丹波市東芦田方面をめぐった。
歴史民俗誌Sala68号に予定している家紋記事の取材が目的だ。

今日の取材に先だって小寺氏の子孫といわれる
御着城周辺に散在する天川さんの墓石があるだろうと思われる
播磨国分寺の境内墓地、城址の法華寺・延命寺の墓所、
城址北方に営まれた共同村墓地を訪ね歩いた。

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小寺政隆が拠ったという庄山城跡が残る山が見えた

天気は快晴、相方の運転でデカンショ街道を突っ走って御着へ。
御着城は十四年ぶりの再訪、概ね当時のままであったが、
大河「軍師官兵衛」の影響はそこかしこに残っていた。

まずは御着城本丸、二の丸あたりを歩き、城址そばに営まれた
黒田重隆と官兵衛の生母明石氏の墓所を再訪した。
墓所は立派な五輪塔だが形式は新しい、傍らの説明カンバンを見ると
江戸時代の後期、九州から運んできた石材で造ったとあった。

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御着城二の丸の切岸?
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小寺氏の居城、御着城跡
IMG_6611.JPG 黒田重隆の墓所

御着城跡にはほとんど遺構らしきものはない。むかし来た時と
変わるところのないアッケラカンとしたところだった。
さて、御着城を歩いたのち、小寺氏子孫という天川さんの墓地を探した。

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播磨国分寺跡の石標

まずは国分寺、地図を見誤ったためたどり着くのに苦労したが
本堂・庫裏・鐘楼などなど立派な佇まいを保っている。
訪ねあてた境内墓地に天川さんの墓石はなかったが、いまも法灯がともり
国分寺跡もちゃんと整備されている姿は気持ちがよかった。

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おりから満開の杜若の花

つぎは、城址の北方、天川さんの墓石があるだろうと目星をつけた
本命ともいうべき村墓地である。が、ここにも天川さんはなかった。
チョッと焦りつつ法華寺・延命寺の境内墓地に移動、
延命寺の参道の玉垣には天川姓もあり、おおいに期待したのだった。
ところが、ここも空振り。アッサリ見つかるだろうと高を括って
御着まで遠征しながら無念の挫折となった。思えば、延命寺さんの
住職さんに突撃取材すればよかったのだが、遠慮したのが悔やまれる。

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播但道を北上、左手に谷城、前方に鶴居城が見えた

御着城界隈に多いはずの天川さんの家紋採取に失敗したのち
もうひとつの小寺氏の子孫が集住されるという丹波市に移動。
播但道を生野まで走り、どこかで昼食をと思ったがコロナに加え
平日ということもあって空いている店がない。空腹を抱えて
生野銀山湖を過ぎ、朝来から丹波に抜ける山道を走破
このルートは三椏が群生しているところだが花の時期は過ぎていた。

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朝来から丹波に抜ける山道、狭い

天川さんとは違い、ちゃんとマッピングしていた丹波小寺家の墓地は
瑞雲寺の西すぐの山腹にあった。墓地には小寺家の墓石群が林立、
逸る心で「家紋は何!」と見ると「三つ雁」紋であった。

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期待していた播磨小寺家に通じる家紋ではなく、東芦田に多い
芦田(蘆田)名字と同じ「三つ雁」紋、言われるところの家紋は
先祖を示す印ではなく、その地域に多い家紋に塗り替えられるのだろうか?

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小寺株の元祖を祀る祠

墓地は小寺株というべきもので、墓地の一角に祠があり
拝見させていただくと丹波小寺一族の先祖が祀られていた。
小寺家元祖
本源院久庵通昌居士
玉寶院清庵定光大姉
と彫られている。いわれるところの東丹波に逃れたという
小寺則治の名が刻まれていないかと見たが、法号だけであった。

せっかくなので瑞巌寺の墓地にもお邪魔すると、
蘆田・芦田姓に交じって小寺姓の墓石もあり「三つ雁」紋だった。
姫路の御着城から生野に北上して、丹波市の東芦田まで
小寺氏後裔の家々の家紋を探して回ったが、
想定していた結果は得られなかった。予定原稿のまとめとして
小寺氏の流れを汲む家々の家紋を書こうと思っていたのだが
残念ながら「そうは問屋は卸してくれなかった」。さて、困った。

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春日からの帰路、前方に三尾山城跡

東芦田からランチを求めて春日町の豊源を目指したが、コロナで休業。
やむなし!スーパーでお寿司などを買い込み、
栗柄経由で帰る道中で空腹を満たした。何と言おうか悔いの残る一日だった。
posted by うさくま at 17:04| Comment(3) | TrackBack(0) | 家紋
この記事へのコメント
こんにちは、突然のコメント失礼します。
私は東北にする小寺の者で、陸奥小寺氏の一族だと言われています。
陸奥小寺氏は、様々な分家に分かれていますが、違い鷹の羽、丸に釘抜き、丸に梅鉢を使っています。
是非、こちらの陸奥小寺氏の調査をしていただきたく思います。
ご返事のほど、よろしくお願いします。
Posted by 小寺 at 2021年08月14日 09:43
コメント、ありがとうございます。
小寺といえば、赤松氏にゆかりという姫路御着城主の播磨(兵庫)小寺氏が有名です。
私は、播磨に生まれ育ったこともあって、播磨の中世武家の歴史、家紋を調べ、その勢いで全国の中世武家の歴史・家紋の調査を進めホームページ、ブログで発信しております。昨年、播磨小寺氏を某誌のコラムに取り上げ、改めて家紋の調査を進め、リポート的にこのブログに書き留めたことです。
さて、書かれている東北の小寺名字の歴史調査、名字と家紋に興味を持つ一人として、進めたいところではございます。しかし、東北の小寺名字の歴史は全くと言ってよいほど情報もなく、資料も持ち合わせておりません。さらに、関西在住の身としては東北はあまりに遠い所でございます。
いただいたコメントを拝読しますと、家紋を見る限り、播磨の小寺名字との関係はなさそうです。よろしければ、東北の小寺名字のさらに詳しい歴史情報をお聞かせください。
Posted by 播磨屋 at 2021年08月15日 19:51
東京在住の小寺と言います。父方(小寺)の出は、父からは「丹波篠山」と聞いていて、家紋も(記憶では)「抱き橘」、宗教は日蓮宗(戦国時代は日蓮宗が関西で多かったと何かの記事で読んだことがあります)です。母が先週97歳で亡くなり、書類だとか過去の記憶を思い出したりして、17年前に亡くなった父が「調べてみたけど、ウチは由緒正しい家なんだぞ」と言っていたことを思い出し、友人で家系だとか苗字に詳しい人がいて、このHPを見る機会に恵まれました。前に自分でもネットを調べて、姫路城の最初の城主が小寺氏だとか、大河ドラマの黒田官兵衛を視ていて、「小寺氏って、黒田氏に家を乗っ取られ、播磨に残った人、黒田について九州に行った人がいたんだな・・・」と思っていたのですが、このHPの詳しい記述に触れ、コンタクトしてみようかなと思った次第です。
Posted by 小寺昇二 at 2023年06月11日 10:52
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