2020年03月01日

綾部取材行。今日も綾部の山城に登る。

今日も綾部へ取材行。
朝、外を見ると「曇り空」、予報では「曇りのち晴れ」
天気予報を信じて「大丈夫!」と出かけていった。
今日の登城ターゲットは、甲ケ岳城と位田城である。

それぞれ、一度登った山城だが、
現在、どのような姿なのか?
この目で確認せずば、人に話せまい!ということで
先週の高城城に続いて現状確認登山を思い立ったのだ。

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位田城から見た甲ケ岳城

まず、九年ぶりの甲ケ岳城。
山上の祠への参道が城道になっているが、以前に登った時に比べて、いささか荒れているような。加えて、昨日の雨で濡れた落ち葉、岩場が滑りやすい!無理せず、ゆっくりゆっくりと登って行った。

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登り口
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分かりやすい道を登って行く
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尾根筋の平場

たどり着いた城址は、変わらぬ雑木藪状態であった。
北端尾根の折れを持った虎口を登りきると、数段の曲輪が連なり、山上の主郭部へ曲輪が設けられている。その間に土塁を伴った横堀、主郭部北の堀切が構えられている。そして、広い主郭部の中央に秋葉神社が祀られ、南部を土塁で防御し、その先の南尾根に広い帯曲輪を構えている。
綾部三大山城に数えられるだけの規模を有している。

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北尾根の虎口
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切岸と平坦地
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尾根筋を区画する横堀

城址の説明カンバンを見ると、八木城主内藤氏の一族が永禄七年(1564)に築き、天正七年(1579)六月明智光秀の攻撃を受けて落城したとある。その内容に関してあれこれ言うものではなく、戦国末期の山城とみてよさそうだ。

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曲輪側の土塁越しに横堀
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土塁を見る
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主郭北の堀切
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主郭の秋葉神社
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城址説明カンバン
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主郭の土塁と切岸を帯曲輪から見る

滑りそうな急斜面の道を下ったあとは、由良川を挟んだ北方に
三つコブ状の山容に築かれた位田城攻めである。
位田城は十一年前(2009年の夏)に登って以来、11年ぶり。
綾部に来るたび目に飛び込んでくる山城、いつかいつかと思いつつ
ついぞ再登山するまでには至らなかった。

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位田城を見る

南山麓にある浄泉寺さんに車を停めさせていただき、遠い記憶を辿りながら登り口まで移動する。要所に看板があり、迷うことなく登山道に踏み込む。雑木林のなかに墓石がある、見ると綾部市に多い「村上」さん、「四方」さんらの墓所であった。

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登り口
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斜面を防御する横堀
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斜面曲輪の虎口

城道を登って行くと、東斜面を防御する二重堀切、番所であろう曲輪があらわれ、そこからは急斜面をひたすら登ることになった。記憶ではこのようにきつい斜面を登っていないような、などと思っていると山上曲輪群に登りついた。
位田城は東曲輪群、中曲輪群、西曲輪群、そして北尾根曲輪群で構成される。北尾根曲輪群へは雑木の生い茂る急斜面を下ることになり、今回も割愛して、東曲輪群からの展望を楽しむ。由良川から綾部市街、福知山方面までが一望である。

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東曲輪群に到着
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先に登った甲ケ岳城を遠望
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中曲輪の堀切

位田城は丹波の中世に小さくない足跡を刻んだ山城である。応仁の乱後の延徳元年(1489)、丹波守護代上原氏の専横に反発した丹波国衆らが一揆を結んで抗戦、須知城、位田城に籠って一年間にわたって戦い抜いた。いわゆる「位田の乱」である。
現在、残っている城址遺構は一揆当時のものではなく、畝状竪堀、堀切など戦国後期に改修の手が入ったものであろう。これだけの規模の山城、城主は誰?ということになる。そもそもの築城者は位田氏で、一揆のときには大槻氏、荻野氏、須知氏らが立て籠もったようだ。位田城の西には栗城、由良川の向こうには高津城など大槻氏の山城が点在していることから、位田城も大槻氏が城主だったと思われるが実際のところは不明である。

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中曲輪、西斜面の堀切
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西の曲輪から主郭曲輪群を遠望

東の曲輪群から激斜面を下って中曲輪群に下る。そこから、急斜面を登り返して西曲輪群を踏破。西曲輪群は城址では一番広い平坦地が連なる。綾部市内で最大級の山城であることが実感される。この山城に拠って幕府管領・丹波守護の軍勢に抵抗、それも一年間にわたって!最後は敗北、落城したとはいえ、丹波の戦国史に特筆されるべき壮挙といえよう。

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西曲輪群の切岸と帯曲輪
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段状に続く曲輪
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虎口から伸びる山道を下る

西の曲輪群より下山していくと、山麓に平坦地が広がり、小川も流れている。水の手はこの小川であったのかも? かつて登った時、平坦地に祀られていた祠は失せていた。十年の間に信仰心は薄れてしまったのだろうか。下山すると古い墓石が祀られ「荻野氏」のものと知られた。いまも、かつて籠城した荻野氏の後裔にあたる人々が祀られているのか、と思えばゆかしかった。

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山麓に祀られた荻野家の供養塔群

下山したあと、お寺後方に営まれる墓地で家紋ウォッチ。その後、位田城に関係する居館跡といわれる氏政神社に移動。神社は土塁と堀で区画され、周囲の雑木林にも平坦地が見えた。
位田城は前方の由良川を境に幕府軍と対峙した、山上曲輪群、山麓の居館跡、西方すぐにある栗城、位田城の北方に散在する山城群が連携して戦ったものであろうか?丹波において綾部の山城は、忘れられがちな傾向にあるが、なかなかどうして規模、歴史など見どころの多い山城が揃っているのだ。
ともあれ、甲ケ岳城と位田城の登り下りはこたえた!とくに、11年ぶりに登った位田城のアップダウンはキツかった?! 前に登った時はまだまだ若かったことを実感したことだった。 ( ̄∇ ̄)

posted by うさくま at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城
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