2019年12月17日

おもゼミ「中世武家と家紋めぐり[西部編]」アゲインに出動

丹波篠山の公民館事業の一つ「おもしろゼミナール」
2019年度第7講座の講師を務めさせていただいた。
お題は「篠山の中世武家と家紋めぐり」で、昨年の
東部編に対する西部編の歴史遺跡ウォーキングである。

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実は、一昨年に行った同企画のアゲインといったものだが、
来年の大河ドラマを意識した訪問先と中世武家を選び
波多野秀治にゆかりの史跡を盛り込んでみた。

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朝八時半、四季の森にある公民館で市のバスに乗り込み
市民センター → 城東公民館 と参加者をピックアップ
九時ちょうどに今年度最後になるおもゼミはスタートした。

まずは、デカンショ街道沿いにある八上城の攻防戦で亡くなった将士たちの首を葬ったという「首塚」。江戸時代、全国を測量してまわった伊能忠敬の日記にも記されているものだ。明治のころには幾つかあったらしいが、その後の道路拡張や圃場整備などで次々と失われていったのだという。

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光秀は波多野氏の拠る八上城を兵糧攻めにしたとき、篠山川をはさんだ北方に陣城を並べ、織田方に属した丹波武士を配した。その中心となったのが小畠越前守で、永禄7年、波多野氏は越前守が守る籠山城を攻め、越前守は城を守って討死した。その陣城に比定されるのが勝山砦跡、
いまは青山ゴルフ場と化したが仔細に見れば遺構らしき切岸、平坦地などが見て取れる。この戦いについては光秀が小畠氏に送った手紙があり、越前守の忘れ形見となった嫡男への行き届いた配慮が記されている。

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ついで、落城伝説として語り継がれる乙女塚と女畷、秀治の遺児を抱いた乳母、腰元ら女・子どもが八上城から落去した。途中、 炎に包まれた八上城を振り返った女たちは戦いに敗れ討死した兄弟・一族を思って自害したのだという。その真偽は分らないが、乙女塚からは八上城が真正面に見えていた。

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つぎは、沢田城である。小林氏が拠った山城で、現在、曹洞宗に属する小林寺が建立されている。小林氏は丹波守護であった山名氏の守護代をつとめた武家で、沢田城の小林氏はその子孫と誰何されるが実態は不明である。明智の丹波攻めにおいては波多野氏に属して抗戦した。小林寺の棟瓦には、寺紋である九曜、その左に桐紋、右に竜胆車紋が見える。そして、境内墓地の小林家の墓石にも九曜紋が刻まれているのだった。

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沢田城の次は、西紀方面である。波多野氏と中澤氏が、細川京兆家内訌の代理戦争を演じた福徳貴寺合戦の合戦場を車中から見学。丹波の戦いに敗れた明智光秀が、波多野氏に属する細見氏と畑氏の挟撃を受けて危うく命を落としかけた栗柄峠古戦場跡を見る。この戦いについては、資料により諸説があるが、天正四年、波多野秀治の裏切りで黒井城攻めを断念、今日に逃げ帰った時と見るべきであろう。

栗柄峠で雨がパラつき、早めの弁当を摂ることになった。会場となる五葉会館に行く途中、宮田荘の話、丹波守護山名氏が守護所を置いたという板井城、波多野秀治の菩提寺である誓願寺を開いた覚山天誉上人の墓所がある光照寺などの車中ガイドをやらせていただいた。

雨がパラついたこともあって、流れが若干速くなってしまった。ともあれ、雨宿りも兼ねてランチタイム。サクサクッと食べたあと、昼の部のスタートとなった。

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宮田から木ノ部の峠を越え、典型的な初期荘園である大山荘に西遷してきた新補地頭中澤氏ゆかりの地を訪ねた。
まずは、丹波に下ってきた中澤地頭が最初に館を構えたところという殿垣内、館跡の比定地は後方に小山(古墳といい池尻神社が鎮座)を背負い、三方を天然の川で防御される武家の屋敷として格好のロケーションであった。
大山に土着した中澤氏は大山荘を蚕食、荘園領主である東寺との相論を繰り返し、ついには大山荘の大方を支配するにいたった。そのような状況下、最後まで東寺荘園として残ったのが一院谷で、その長閑な風景は荘園時代から大きく変化はしていないようだ。また、一院谷の中世記録などには荘官であろう庄司・太夫を称する有力者が見え、歴史的におもしろいところである。

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中澤地頭は波多野氏と戦って勢力を後退したが、滅亡することはなく波多野氏に属して大山界隈を支配した。戦国末期、明智光秀の丹波攻めには大山城に拠って抗戦、衆寡敵せずあえなく落城した。大山城は市内では少数派の平城だが、前方は大山川の段丘を自然の防御とし、主郭部の後方は横堀で遮断した要害である。地権者がいらっしゃるわけで城跡の整備は難しいだろうが、少し手を入れれば見違える中世城跡が現れるだけにいまの状態は惜しまれることだ。

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大山の次は、波多野秀治の忘れ形見という甚蔵が居を構え、昭和に至るまで子孫代々が暮らしたという味間奥集落。車中より波多野家旧宅と長屋門を見学、バスを下車したあとは秀治が大正時代のはじめに従三位を追贈されたのちに建立された供養塔、秀治を祀る御霊神社をウォーキング。御霊神社の奥の谷に、味間奥波多野氏の菩提寺であったという満願寺跡があるそうな、機会を見つけて訪ねてみたいところだ、

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波多野秀治の旧跡を歩いた後、トイレ休憩をはさんで酒井一族が割拠した旧丹南町の南部を訪ねる。まずは、車中より初田酒井氏の館跡と詰めの山城をウォッチ、そこから当野酒井氏の旧跡に移動する間、中世酒井氏の歴史と史跡について車中ガイド。
当野では丹波酒井一族の先祖である酒井政親のものという五輪塔を訪ねた。一昨年は側まで行ったのだが、今回は五輪塔群前の田んぼに入らせていただいて見学した。政親が丹波で死去したのが1240年ごろといわれるので、いまから八百年前より連綿と家系が紡がれている。考えてみれば、スゴイことではある。

当野で、今日のおもゼミの歴史めぐりは無事に終了。これで四回を重ねた「篠山の国人と家紋めぐり」はコンテンツとしてはおしまいである。ガイド役を務めるための取材、資料作成など個人的に勉強になった。今日のおもゼミで市内に残る中世武家の史跡の再発見、代々守られてきた名字と家紋について興味を持ってもらったとしたら望外の喜びだ。
posted by うさくま at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史講座
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