今日は年休をとって、波多野氏ゆかりの史跡歩きのガイド。
先月、市の商工観光課より電話をいただき
来年の大河を睨んで篠山にゆかりの講談師さんに
波多野秀治と明智光秀の戦いに着目した講談を新作されるとのこと。
講談創作に際して、光秀の丹波攻めと八上城主秀治に関わる
取材をしたいので史跡を案内してほしいという依頼を受けたのだった。
もちろん快諾、今日の日を迎えた。
午前十時半、JR篠山口駅に観光課の方と待ち合わせて
講談師の旭堂南左衛門さんと作家の狐狸窟さんをピックアップ!
行程としては、八上城登山→誓願寺→女畷と乙女塚→篠山状大書院
→味間奥に残る波多野家旧宅を踏破しようという流れである
八上城山麓の駐車場に車を停め、春日神社口から登山開始。
春日神社、前田主膳屋敷、鴻の巣曲輪、下の茶屋丸まで一気に登り、
茶屋丸より篠山盆地、篠山城の石垣、盆地を囲繞する山並を睥睨!
そこから、中の茶屋丸、上の茶屋丸、竪堀、北西尾根の中核曲輪、
その背後の堀切まで、解説および休み休みしながら登っていった。
家康に切り捨てられた主膳の供養塔(後世に組み合わせたもの)
三の丸と主郭部切岸、バッサリです。
二の丸から主郭、岡田丸、スッポンポンです。
二の丸から三の丸、篠山盆地を見る。曲輪の切り株が痛々しいです。
さらに登っていくと、先だって伐採作業が行われた山上曲輪が
見えてくる。疲れた足に渇を入れて日と登りすれば右衛門丸に到着だ。
右衛門丸で篠山盆地、多紀連山を望み、三の丸、二の丸へと登れば
山上曲輪群に到着である。旭堂さんははじめての登山とのことで、
バテバテながら山上曲輪群に登り周囲を見回した体験は
城主波多野秀治の気分、攻めた明智光秀の気持が実感できたそうな。
山上で城史をガイドしつつ小休止したのち、登ってきたルートを下山。
山麓の食堂で遅めのランチを摂ったのち、誓願寺さんを目指した。
誓願寺さんは波多野秀治の菩提寺。小ぶりな木造の山門は、
かつて八上城下にあった時代のものを移築したものという。
菩提寺らしく、秀治の 肖像画 、家紋入りの位牌、
高城山合戦図などが伝来し、境内墓地の一角には波多野家の墓所がある。
住職さんとは雑談を交えつつ誓願寺の歴史、史料群の解説をいただき
気がつけば予定の時間を大幅にオーバーしていたのだった。
波多野秀治の菩提寺、誓願寺さんの山門。壁面に波多野氏の家紋が描かれる。
秀治の位牌と波多野家の位牌群、家紋「丸に出轡」が描かれる。
誓願寺さん所蔵の高城山合戦図、ジックリ鑑賞するといろんなことが見えてきます。
その後はどうするか、行程通りに行動するかいなかと迷いつつ
大書院は割愛して落城伝説を語り伝える女畷と乙女塚に移動。
八上城の落城伝説としては、市が作成したポスターの主題ともなった
「光秀の母の磔」が有名だが、乙女塚、首塚などが語り伝えられる。
八上城から逃れた女・こどもが走った女畷。
焼け落ちる八上城を見て自刃した女たちを祀る乙女塚。
それらの真偽は不明というしかないが、講談のストーリーづくりには
欠かせないネタばかりであろう。ここで、時間は三時半、
最後の味間奥訪問も時間的に割愛せざるをえず、篠山口駅に移動。
旭堂さんと作家さんを見送り、今日の歴史歩きは無事に終了した。
今日の取材などを踏まえた旭堂さんの新作講談
来年の夏ごろには完成と聞く、どのような物語が生まれ、
どのように語られるのだろうか?さて、楽しみである。