来年の1月末に予定されている
京都アスニーさんでの家紋講座の取材と紅葉見物で上洛。
今日の目的は、洛北衆のひとり一乗寺の渡辺氏の家紋
渡辺館から近い紅葉の名所である曼殊院
長岡京市あたりに割拠した西岡衆に数えられる
能勢、中小路、神足氏らの家紋探索 とした。
あらかじめネットでチェックしておいた
京都造形大学すぐのところにある墓地を目指した。
位置的に一乗寺渡辺氏の墓地があると思われたのだった。
車を停め、逸る心を抑えかねて墓地にお邪魔すると、まず目に入ったのが佐竹家の墓石、家紋は「扇に月丸」。渡辺家の墓石もあり、家紋は「三つ星一文字」である。
上高野系佐竹家であろうか、 五本骨扇に月
墓地の一角に古い墓石を祀った「渡邉」家の墓域があり、江戸時代の年号が彫られた墓石の横面に「三つ星一文字」。おそらく、この墓域こそが一乗寺渡邉家のものと思ったが確信がない。一つのヒントとしては渡邉家の「邉」の文字であろうか。
一乗寺 渡邊氏の墓地か。江戸時代の墓石に 三つ星一文字
江戸期代々の墓石に家紋、それぞれ微妙に違うのがいい
渡辺家の「辺」は「邊」の簡略文字で、「邉」は異体字である。一乗寺堀の内に残る一乗寺渡辺館の表札の文字を拝見、「渡邉」とあり、墓地の渡邉家と同字体であった。館の住人に聞けばよいのだろうが、それも憚れる、ということで「これで確定」とはいかないが一乗寺渡邉家の家紋採取とした。
その後、車を北上させて曼殊院へ。むかし、一乗寺渡邉氏の詰めの城とされる一乗寺山城に登って以来の再訪である。境内の紅葉は盛りを過ぎてはいるものの、まだ見応えのある風情を見せていた。
入山料を払って寺内に入ると、よく手入れされた庭に名残の紅葉、苔と落ち葉のコントラストがいい感じを見せていた。天台五門跡の一つに数えられる門跡寺院だけに建物、伝来文書など見応え十分の文化財ばかりであった。とくに足利将軍家からの御教書の花押には目を奪われた。さらに、寺紋であろう「菊に笹」紋が気にかかり、お寺の方に訪ねると「竹内門跡」とも言われたことから、菊と笹竹を組み合わせた紋を用いているとのことだった。
名残の紅葉、曼殊院 にお邪魔した
盛りは過ぎたが、落ち葉がいい感じ
寺紋の菊に竹笹
曼殊院の境内をそぞろ歩きながら、せっかくなので境内墓地にお邪魔して家紋を探索した。おおお!という名字、家紋はなかったが、こちらでも渡辺家の墓石が点在し、いずれも三つ星一文字であった。
一乗寺渡邉家の家紋を採取し、曼殊院の紅葉を楽しんだあとは、次の目的地である長岡京市方面へと移動した。
車のナビと、タブレットのナビがなかなか同期しないこともあって、目指した長岡京市の墓地とは違う方向に逸れてしまった。タブレットナビをを見ていて墓地を発見!寄らずばなるまいとお邪魔した。まず、目に入ったのが石像物群で、六地蔵、お釈迦さんと阿弥陀さん、閻魔大王と眷属、いずれも田舎ぶりというのだろうか、おおらかな造りに思わず和んでしまった。
長岡京市神足の墓地。阿弥陀如来(手が・・・)と釈迦如来の石仏
墓地の説明カンバンによれば、 文化財指定ではないが江戸時代末期の作で「神足石像物群」 と呼ばれているものであった。 市域においては唯一のものであるそうな。この墓地では神足家の墓石を発見、いずれも「三つ巴」紋が刻まれ、中世西岡衆の神足氏にゆかりの家であろうかと心が躍ったことだった。
神足家、こぞって三つ巴紋。氏神の神足神社も巴紋だ
かくして、長岡天神前を通り過ぎ、長岡京市における目的地としたる墓地にお邪魔した。
ここの墓地では、西岡衆に数えられる「中小路家」「能勢家」の墓地紋探索と採取が目的である。
見つけた中小路家の墓域は、立派な墓を中心に菅(草冠に宦)原の名字を刻んだ古墓が祀られ、まず本家であろうと思われた。しかし、残念なことに家紋は刻まれていなかった。とはいえ、墓地内にてんざい散在する中小路家の墓石に彫られた家紋は想定していた「梅」ではなく「剣カタバミ」など一様ではなかった。ほかに、西小路、東小路、宮小路などの名字だあったが、いずれも梅紋は用いられていなかった。
長岡京市今里の墓地。本家であろう中小路家の墓石に紋はなし。
ついで、能勢家の墓石探索である。墓地内に十基以上の能勢家の墓石があったが、こちらも家紋は一様ではなかった。とはいえ、目的としていた「十二目結」紋をはじめ、「目結」「九曜」など「然もありなん」という家紋が採集できた。
能勢家の 十二目結 紋。目の位置が・・・
九曜紋の能勢家
隅立四つ目結の能勢家。十二目結の変形か?
墓地探索後は長岡天神、光明寺の紅葉鑑賞を目論んでいたが、曼殊院同様、盛りは過ぎているようで割愛して丹波へと移動。気がつけば、昼ごはんを食べていない。何を食おうか?王将にしようということになって亀岡の王将で遅い昼ごはんを食し、我が家へと帰っていった。
できれば、今月のうちに山城一揆にかかる中世武家の家紋探索に、京都南部に出かけたいのだが、はたして実現できるだろうか? 師走でもあり、悩ましいことではある。