2019年11月24日

埴生城攻めのオマケで墓地紋探索

伐採作業が行われたというニュースをゲットした埴生城
再訪ついでに登り口の最福寺の墓地にお邪魔した。

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このお寺の墓地は、何度か訪問したところで
城主だった野々口西蔵坊にゆかりであろうか野々口家の
墓石が多かった。今日改めてお邪魔したところ以前に変わらず
野々口家の墓石を最多として、近在の家々の墓石が営まれていた。

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味わいのある野々口家の古い暮石に彫られた「三つ引両」。野々口家は多紀郡の東部にも多く、そちらでも「三つ引両」紋が用いられている。

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内藤家:多紀郡曽地の内藤家と同じ「五三桐」、曾地内藤氏は丹波守護代に任じたといい、多紀郡、船井郡に内藤一族が連なったものだろうか。

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谷口家:五本骨扇に「釘抜」あるいは「隅立石畳」か?

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門前の旧街道に平田酒造場のお店がある
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平田家:門前にある造り酒屋さんが「瑠璃の誉」平田酒造場とあったが、その平田さんであろうか。しかし、平田家の飾り瓦には「丸に算木」紋が刻まれていた。はて?

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朝子家:「あさこ」と読むらしい。家紋は「蟹蔦」、鬼蔦をうまく使った可愛らしい紋だ。

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五島家:「花菱」の五島家といえば長崎の五島列島を領した五島氏が思い浮かんだ。墓誌を見ると、明治のころからの代々の戒名が刻まれている。はたして、定番通りに五島から移住した家なのだろうか

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湯浅家:湯浅名字は丹波ではお馴染みで、家紋は「九曜」が定番。戦国時代、細川氏と関係があったことから「九曜」紋を用いるようになったという。ここの湯浅家は熊本藩細川家と同様の「離れ九曜」だった。

最福寺の墓地は小さなものだが、野々口家をはじめ内藤家、湯浅家など丹波らしい名字が多いのは興味深かった。それぞれの家々が、中世以来のものか、明治以降のものなのか、いつも悩まされるところである。

posted by うさくま at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋
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