朝、天気はとみると雲が多いもののまずまず、
八時半、スタッフ一同、篠山口駅に参集。
受付の準備をして、今日の参加者を待つ。
聞けば五十人申込があったが、キャンセルが出て
44人のみなさんが参加され、スタッフを併せて五十人!
チャーターしたバスは満員状態で鐘ヶ坂に向かう。
バスの中で、金山城と明智光秀の話をする予定だったが
満員ということもあり割愛、十五分ばかりで鐘ヶ坂に到着。
丹波県民局、丹波ボランティアガイドの皆さんと落ち合い、
午前10時、三班に分かれて、明治の鐘ヶ坂トンネルへと登っていった。
今日は特別に明治、昭和の両トンネルがオープンされ
明りのないヒンヤリとした明治のトンネルを通り抜ける。
左手に金山、江戸時代の鐘ヶ坂越えの峠道を横目に昭和トンネルまで下山、ガイドさんのお話によれば、明治のトンネルは約270m、昭和のトンネルは約460メートル、そして、平成のトンネルは約1kmとのこと、トンネルを掘る工法が進歩するとともに、より山麓に、より長いトンネルが掘られたとのこと。
確かに、昭和40年代まで乗り合いバスが通っていたという明治のトンネルはスリル満点、昭和のトンネルもなかなかのもの、それらに比べると平成のトンネルは高低差も少なく工法の進歩が道路の安全につながることが実感されたのだった。
明治、昭和のトンネルを歩き通したのち、すぐ登る組とトイレ組とに分かれ、トイレ組を担当した。トイレ組が集合したのち、江戸時代の鐘ヶ坂越えの峠道経由で金山城を目指した。峠道は一部崩壊しているが、道幅も広く、おおむね良好な状態である。ゆっくりと江戸の鐘ヶ坂越えまで登り、そこからは金山へと続く尾根道をひたすら登っていった。
金山で先発組と合流、弁当を使い、金山城からの展望を楽しむ。金山城は多紀郡の波多野秀治と氷上郡の赤井荻野直正の連携を分断する意図で、明智光秀が築いた山城。大河ドラマが決定したのち、地元の有志の皆さんが手入作業を続けられ、山上の主郭をはじめとして城址の木々が伐採されている。
たしかに見晴らしはよくなったが、金山城の見どころである石垣が伐採された木々に覆われて近づくことができなくなっていた。実に惜しまれ、なんとか伐採された木々を片付ける作業を行われないものか? ウォーキングに協力して参加されていた地元の方にお話させていただいたが、どうなるだろう?作業が行われるのであれば、ぜひ参加したいものである。
さて、主郭でまったりしたのち、下山となった。北斜面に見える石積を見つつ、鬼の架け橋、馬駆け場、園林寺跡を経由して赤坂観音へと下って行った。怪我人もなく、13時40分、追入宿の登り口まで無事下山。
振りかえれば、天気は快晴、寒くもなく暑くもなく、いい山歩きが楽しめた。点呼をすませてバスに乗り込み、一路、篠山口駅へと帰還。今日のハイキングは終了したのだったが、お一人、不調を訴える方が出られ、その方の回復を待って、われわれスタッフの今日のミッションは終わった。