2019年10月14日

おもゼミ国人編のコースを下見でめぐる

12月に予定されている丹波篠山市の公民館事業の
人気コンテンツとなっている「おもしろゼミナール」企画。
その一つである「多紀郡の中世武家と家紋を探る」を
担当して四年目、捻り出した訪問ルートの下見行を実施。

朝、城東公民館に集合。メンバーは、おもゼミ担当のMさん、
サポータのTさん、そして自分の三人。公用車に乗り合せて
まずは小畠越前守永明が波多野勢と戦って討死したロウ山城跡。
城跡はゴルフ場と化しているが、わずかに残った山部分に
曲輪跡、切岸跡とも見られる地形が残っているが、はたして?

つぎは、討死した波多野方の武士たちの首を祀ったという首塚。
丹波を測量して通った伊能忠敬の日記に「光秀高城山 責落し首を埋という 今首塚という」との記述があり、すでに江戸時代には首塚として存在していたことが知られる。今あるものは、おそらく、後世の道路敷設や圃場整備などにより再整備されたものであろう。首塚の上の石碑には昭和三十六年の建立とあった。

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乙女塚
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女畷

八上城には「光秀の母の磔死」などの落城伝説があり、乙女塚、女畷も落城の際に城を落ちた女たちが走りぬけた伝説の地である。女たちのなかに波多野秀治の忘れ形見という甚蔵もいたといい、乙女塚、女畷からは炎に包まれた八上城が間近に見えたことであろう。落城伝説の真偽は、そのままに受け取ってよいものかどうか?

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つぎは、波多野氏に属して明智光秀と戦い落城した沢田城跡と城主小林氏にゆかりの小林寺。小林寺には小林家の墓石が数多あり寺紋の九曜紋が小林家の本家と思われる墓所にも刻まれている。寺を訪ねると住職さんは留守で、奥さんに話を聞くことができたが小林氏に係る伝承や伝来品などはなさそうであった。

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小林寺の墓地を歩いたのち、つぎの目的地は西紀の福徳貴寺、波多野元清と中澤元綱とが合戦を演じ、勝利を収めた波多野氏が多紀郡一帯に勢力を及ぼす節目の戦いとなった。しかし、合戦を語る遺跡らしいものはなく、あえて訪問地とするかどうか?。
その足で、栗柄峠から鼓峠へと車を走らせた。このルートは黒井城の戦いに敗れた明智光秀が敗走した道、しかも鼓峠は波多野方の細見氏と畑氏の挟撃にあって命を落しかけたところ。とはいうが、鼓峠の戦いにおいては諸説あり、はたして黒井城の時なのかどうか?

鼓峠からは大山方面に移動、道々、栗柄砦、垣屋城、板井城
波多野氏の庇護を受けた覚山天誉上人、加茂神社、長安寺などの
山城、寺社、史跡などがあり、当日、ガイドが必要に思われた。

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さて、大山は東寺の荘園大山庄として知られたところであり、明智光秀と戦った中澤氏が勢力を及ぼした地でもある。
まずは、関東から西遷してきた地頭中澤氏の居館跡である殿垣内、中澤氏は大山庄の土地支配をめぐって東寺と相論を繰り返した。大山庄は次第に中澤氏に蚕食されていったが、大山庄として残ったところが一院谷であった。一院谷の風景は往時の姿をとどめ谷のあちこちに有力農民(庄司か)の館跡も残っている。

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大山には中澤氏が光秀勢を迎え撃った大山城があり、良好に残存する主郭部分の横掘、土塁、大山川に臨む断崖など見応え十分だ。大山は中世における荘園と地頭のせめぎ会い、明智光秀の丹波攻めにかかる史跡など見どころは多い。

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大山庄のつぎは味間奥。味間奥には八上城から落ち延びたという波多野甚蔵の後裔という波多野本家があった。そして、一帯には波多野姓の家が同族会をつくられていたところ。

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味間では、波多野秀治の墓所、秀治を祀った御霊神社、そして、いまは断絶してしまった波多野本家の長屋門などをめぐる予定であったが、全体の時間配分いから考えて御霊神社は割愛することになった。波多野本家前の田んぼの畦道から、何気に東方を見ると八上城跡のある高城山が遠くに霞んでいた。波多野氏の後裔たちは、遠く八上城を見て何を思ったのだろうか。

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さて、味間奥からは篠山口駅を経て初田へと移動。中世、丹南町域の西南部は酒井一党が割拠していたところ。初田は初田酒井氏が館を構え、詰めの城として大沢城を構えていた。館跡の東半分は舞鶴道の建設で発掘調査され、調査地の大半は道路と化してしまった。
今日の最後の訪問地は、丹波酒井氏が西遷してきたとされる当野集落。ここには、酒井一党の先祖・酒井政親のものという五輪塔が祀られている。いまも、当野では酒井一族の方々が徳円寺を菩提寺として一族関係を続けておられるという。

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かくして、予定している訪問地を一通り訪ねることができた。史跡を訪ねてみて、改めて真偽のほどは覚束ないことである。一旦、公民館に戻り、当日のスケジュールを練り直した。気になったのは、高齢の参加者が多いだけに訪問地が多すぎるのではないか?ということだった。確かに、バスに乗ったり降りたりは意外と疲れることだろう。ということで、すべての訪問地を歩くことは止め、車中見学を増やすことにした。
ともあれ、当日のイメージは出来た。つぎは、12月の初めをターゲットに配布資料作りとなる。これはこれでおもしろい作業、じっくり楽しみながら作ることにしよう。

posted by うさくま at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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