2019年09月28日

丹波市で、フォーラム「黒井城を語る」を拝聴

大河ドラマ「麒麟がくる」が決定してから、あちらこちらで
講座や講演会、山城登山などのイベントが開かれている。今日は、
丹波市が主催の「フォーラム 明智光秀の丹波攻め『黒井城を語る』」を
拝聴するため丹波市の春日文化ホールに出かけていった。
ホールは黒井城の城下町となる黒井の駅近くにあり、後方の山上には
ズバリ黒井城跡が見えている。絶好のロケーションである。

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冒頭の市長さんお挨拶は措くとして、フォーラムは二部構成で
一部は、黒井城跡整備委員会委員長の北垣聰一郎さん、
城郭談話会の山上雅弘さん、同会の福島克彦さん、
丹波史懇話会の芦田岩男さん、龍谷大学教授の山本浩樹さんら
五人の講演者が得意分野で黒井城を語られた。

北垣さんは、足利義政が築いた東山山荘の石積に高石垣の萌芽があり、近江高島 長法寺の石積、近江観音寺城の石垣などから矢穴の跡、垂直の石積み、隅に算木積などが見て取れ、さらに、安土城二ノ丸の石垣には算木積が見られ、黒井城東曲輪跡の石積みには算木積の初期段階が見いだせる、また、金山城の石積みにも算木の名残があり、それぞれの石積みの技術は新旧が混在していて編年は難しいと語られた。加えて、石垣の反りは慶長期から目立つようになり、江戸期において現在に残る反りが完成したものであろうと。持ち時間が20分という短さもあって、これからというところで時間切れとなったのは残念だった。

つぎの山上さんは「黒井城跡 縄張と構造」。黒井城は山頂に主郭を置き、支尾根に曲輪を配置した広域城郭群であり、入口、虎口が精緻に作られ、横矢が効いた縄張りになっている。曲輪と曲輪の関係とそれぞれのつながりは曲輪を取り巻く防御構造、いわゆる求心構造であり、織豊期にあらわれるものであると。また、曲輪からコビキAの瓦が出土していることから、山上曲輪は天正年間、明智以降の構築であり、今に残る石垣は堀尾時代のものか?と。 そのなかで、曲輪の間に残る空堀は荻野氏時代の名残りであろうと。いずれにしろ、黒井城は織豊系城郭に分類される山城であり、山そのものも含め故郷にとって高価値なものになる史跡と括られた。

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三人目の福島さんは「黒井城下町 プランについて」、丹波の山城研究に詳しい氏にとって黒井城が山城に興味をもった原点とか。丹波の中世は都市発達が未発達で、畿内に多い一向宗、法華宗の門前町(寺内町)も少なく、わずかに柏原八幡門前に古市場があったという。黒井城の城下町は東西に通じる二つの主要街道を南北に二つの道でつないだプランで、山上城址の石垣は南を意識していることから、山上曲輪と南山麓城下町は一体のものであったと聞き取れた。もっと、山上の城址と山麓の町との環形に意を払った研究が求められるのでは!と括られた。

四人目は芦田さん、地元で長く戦国史の研究をされてきた方だけに、「明智光秀の丹波攻略について」を通史的に語られた。丹波国は細川氏の守護領国であっただけに丹波国衆は細川氏の被官という気分があり、織田信長の上洛に際しても信長ではなく足利義昭を意識していたのだろうと。波多野氏の裏切りで光秀が敗北した「黒井の呼び込み戦法」も、後世に言い出されたことであり、波多野氏と赤井氏は姻戚関係にあったこと、小畠一族に多紀郡を与える旨の信長朱印状を発していたこと、信長との不和を感じさせる秀治の書状写しなどから、波多野秀治は疑心暗鬼の状態で出陣、結局、一族関係、所領問題などから信長と袂を分ったのではと。おそらく、そうだったんだろうと同感であった。

五人目は山本さんで「明智光秀の丹波経営について」。氏は光秀の生誕地に比定される岐阜県可児市の出身で美濃金山城跡の近くで育ったとのこと。さて、確かな史料上の光秀は永禄11年に上洛し、天正十年に滅亡するまでのおおよそ14年間という短さ。そのうち丹波攻めに4年、丹波支配に約3年、歴史上の光秀において丹波との関わりは大きい。丹波の大名になった光秀は、丹波要地に拠点城郭を改修、構築し、併せて城割を行うなど領域支配と畿内防衛を行った。一方で、石高制への移行、軍役賦課の統一や差出検地の実施して国衆、土豪の領地を把握していった。おそらく、次の大規模戦争への布石であったのだろうが、本能寺の変を起こしたことで、光秀の丹波経営は途上で終わったと語られた。

各講師の方々は、20分という限られた時間のなかで、それぞれ興味深い話をされた。しかし、20分というのはあまりにも短すぎるものであり、正直、消化不良というしかないものであった。

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休憩をはさんで二部。こちらは芦田さんをコーディネータに、北垣さん、山上さん、福島さん、山本さんらがパネラーとなってディスカッションが行われた。一部で語りきれなかったところを、それぞれ補足する形で話され、それにプラス、芦田さんの質問が効果的に各氏のツボをくすぐられ、なかなかおもしろい話を聞くことができた。一部が終わったのち、多くの方が席を立たれたが、二部も聞いてこその今日のシンポジウムであったのにと惜しまれた。

IMG_7545.JPG 今日のレジュメ、力作だった

今日のフォーラムを拝聴して、丹波市さん黒井城を愛してはるんだな〜!というのが強く感じられた。しかも、これだけのメンバーをそろえて、聴講料はなし!すごい勢いである。いや〜、わが住む町である丹波篠山と比べて、頑張ってはるな〜!と感動させていただいた。
posted by うさくま at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 聴講録
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