2019年09月29日

飾磨に遠征、展示会と歴史歩きを楽しむ

今日は、招待状をいただいていた Sala表紙写真展を見に
会場になる姫路市飾磨に遠征した。ちょうど、帰省している
孫ウーと次女も一緒に出かけていった。

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Sala は 、もともと娑羅 と表記されていたことを知った。
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会場の庭に出ると、懐かしい山陽電車が

会場は姫路と神戸を結ぶ山陽電車の線路脇の洒落た小ぶりな建物で
おそるおそる入ってみると、Salaの創刊号から直近号までが
展示され、壁にはそれぞれの表紙を飾った写真が飾られている。
いわゆる派手さはないがアットホームな展示で、孫ウーにはジュース、
われわれには珈琲のおもてなしをいただいた。

編集担当のFumieさんにはお会いできなかったが
超ひさしぶりに懐かしい山陽電車を間近に見ることもでき
のんびり楽しい時間を過ごさせてもらった。

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妻鹿城跡を南側から

さて、会場からすぐのところに妻鹿という在所があり、妻鹿駅すぐ北の小山に妻鹿城、別名国府山城の跡が残っている。南北朝期に妻鹿氏が築いたといわれる山城だが、羽柴秀吉に仕えた黒田官兵衛が、みずからの居城であった姫路城を提供したのちに拠った山城として知られる。

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妻鹿城跡 登り口に鎮座する荒神社
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妻鹿城への登り口になる山麓の荒神社近くに参じると、城址の概略図と城史の説明カンバンがあり、見ると小山全体が城址となっている。社殿に登る石段の脇に城址を示す石標があり、玉垣を見るとゆかりの方であろうか妻鹿さん、福岡藩主であった黒田さんらの名が刻まれていたのはゆかしかった。

71203789_2295748147190418_405317944919195648_n.jpg 妻鹿氏の子孫?

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妻鹿城跡の門跡らしい
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井戸跡

社殿に参拝し、かたわらの山道をたどっていくと城跡へと登っていく。せっかくなので、曲輪群を探索したかったが、今日は孫ウーらも一緒であり、山登りの準備もしていない、とりあえずいけるところまで行ってみて全城域の踏破は次の機会に期した。

妻鹿城の近くに元宮八幡神社があり、寄ってみると母里太兵衛生誕地の石標が立っていた。さらに黒田官兵衛の父で実質的な妻鹿城主であった小寺職隆の墓所の道案内カンバンを発見、「これは寄らねば!」と探してみると宅地内の一角にお堂があり五輪塔が祀られていた。

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黒田職隆 廟所、おりから彼岸花
IMG_7427.JPG 立派な五輪塔

かたわらの説明カンバンを見ると、なんと!江戸時代の中期に発見され、その報告を受けた福岡藩が廟所としてお堂を建立したという。換言すれば、あの官兵衛の父にあたる人物の墓所が、死後、行方知れずになっていたということであり、大名家における先祖祭祀がそのようないい加減なものということにも驚かされた。

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ジジイの勝手気ままな行動にも関わらず、孫ウーのご機嫌は悪くない。しかし、昼どはん時を大きくまわっている、帰り道にどこかで食事をしようということになった。とはいえ、子連れで食べるところは少ない、結局、イオン加西北条店のラーメン屋さんをチョイス。遅まきながらの昼食をとり、丹波へと帰っていった。
posted by うさくま at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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