2019年09月07日

丹波大山の昔ばなし、歴史講座を拝聴

丹波篠山市民センターで、「大山昔ばなしの会」さんによる
丹波国大山庄にかかる昔ばなし、石造物、大山史などの話を聴講した。

昔ばなしの会の小林会長は、駅からウォーキングのガイド役や
おもしろゼミナールの調査でお世話になった大山の歴史通の一人。
先月だったか、今日の講座の前打ち合わせにこられた時、
久しぶりにお話をうかがい、今日のお話し会に混ぜてもらった。

お話し会は『大山地区石造群と道標案内』と題され、四人の女性会員さんが大山の昔ばなし「鬼の架橋」「小豆三升、米三升」「人取り川」「鐘ケ坂のお話し」をそれぞれ紙芝居で披露された。それぞれ、ノンビリとした流れで、おもしろく大山のむかしに思いをはせることができたような。

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紙芝居のあとは小林会長による「大山の荘の歴史(遺跡と石像)」。この春、大山昔ばなしの会の皆さんによって作成・印刷された「大山地区石像群と道標群」を配布され、そこに取り上げられた石像物群を解説された。ひとつひとつの石像がそれぞれ大山の歴史の語り部であり、会長の解説を聞いたあと、涼しくなったころにでも印刷物を片手に大山の里を歩いてみたいな〜と思った。

続く「追入宿の話」では、かつて60軒ほどの家があり、最盛期の文化文政期には20軒が宿だったといいう。いわゆる江戸時代後期のプチバブル期であった化政時代で、石造物群の多くが当時に作られたものであった。また、多紀郡を測量した伊能忠敬が鐘ヶ坂を越えたのも文化11年のことだったと加えられた。
鐘ヶ坂といえば明智光秀が築いた鐘ヶ坂城址が知られる。その中腹に園林寺跡があり、昭和30年代まで尼さんがおられ、お寺の境内で盆踊りが行われていたらしい。思えば、自分の幼少期に被る昔ばなしであり、半世紀前の日本、なんとものどかな時代であった。

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大山は東寺の数ある荘園の一つ大山荘の地であり、新補地頭として着任した長澤氏との土地争いの歴史を刻んだところ。地頭中澤氏が居館を構えたのが池尻神社の境内地で、やや高台、川が自然の要害をなす武家が拠点を置くのに格好の地である。大山荘を蚕食し勢力を張った中澤氏の前に立ちはだかったのが新興勢力波多野氏で、中澤氏は波多野氏に敗れ、大山荘も波多野氏の支配化に入った。
とはいえ、大山に残り波多野氏に属した中澤氏の一族は、大山城(長澤城)を築き、一定の勢力を保ったようだ。大山城は七つの曲輪を有した平城で、明智光秀の丹波攻めに抵抗して落城、いまも城跡には大山川を濠とする急崖、主郭部を防御する横掘などが当時の姿をいまに伝えている。

小林会長は、最後に大山の歴史年表に沿って、大山の歴史を語られて昔ばなしの会のお話しは終わった。すべて一時間、盛りだくさんな大山に関わる話を聞くことができ、こういう会に参加、聴講するのも新鮮で楽しかった。

最後に質疑応答の時間がとられ、主催者さんにうながされて「大山中澤氏の義経後裔伝説」について質問させていただいた。会長いわく、義経伝説はのちの人が作り上げた伝説であり、歴史的には受け入れがたいものとおっしゃった。まったくその通りであろうと思われたが、伝説は一人歩きしやすいものである。そういえば、大山には和泉式部にかかる伝説もあり、昔ばなしの多さも含めて面白い土地柄ではある。
一方、弘法大師に始まる東寺の荘園であった大山荘、なぜか、弘法さんに関わる伝説がないのは、それはそれでおもしろいことだな〜と思われた。しまった、ありきたりな義経伝説よりも弘法伝説のことを質問すればよかった。後日、機会を見つけて小林会長に尋ねてみよう。

posted by うさくま at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 聴講録
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