2019年08月31日

神戸と三田の境目、松原蒲公英城の現説へ

神戸電鉄道場駅の東すぐのところにある戦国山城−松原蒲公英城、
宅地開発の波に呑まれ、城山は造成、城址は消失することになった。
昨年、そのニュースを受け、現地を見に行ってより一年
消失に先立って行われていた発掘調査の現地説明会が開かれた。

31日の土曜日は「講座 丹波学」の初日であり、
蒲公英城の現地説明会とブッキング、さてどうするか?
悩んだが、蒲公英城の現地説明会に出かけていった。

b69490391_3042772362459927_630560396587040768_n.jpg
はじめて訪れたころの蒲公英城跡
c69293789_3042772732459890_1033997197370195968_n.jpg
昨年、訪れた時の蒲公英城跡

蒲公英城にはじめて訪れたのは2006年のこと、城址は
雑木と笹藪に覆われていて踏み込むのに躊躇う状態だった。しかも、
立入禁止の看板があったりして城址探訪を見送った。城山の山麓には
商店や民家もあり、まさか宅地開発で消失するとは思いもしなかった。

a69645497_3042771799126650_3087388110598701056_n.jpg

さて、道場駅に降り立ち、城址を見ると、文字通りのスッポンポン状態。蒲公英城が機能していた頃は斯くやという姿であった。
13時半スタートの現説を前にして城址に登ってみると、土塁で囲繞された西の曲輪とその北の帯曲輪、東曲輪とを区画する箱掘が今日の説明会の対象であった。

d69377263_2247742211991012_5580749349006082048_n.jpg

e69577900_2247737211991512_3682444215867932672_n.jpg

f69698481_3042773759126454_7763711282296913920_n.jpg

降り積もった土砂を取り除いた城址は土塁も高く、帯曲輪、腰曲輪群も明確、切岸も見事な高さを呈している。曲輪を区画する箱掘も驚く深さで、底部を石積で補強した閉塞土塁、西曲輪には石列をもつ虎口が確認され、発掘前の城址からは気付かぬ先進的な構造であった。

g69412226_3042775205792976_7502295984701964288_n.jpg

h69304382_3042775732459590_2946100728990531584_n.jpg

現地説明会がスタートするころには驚く人出で、ロケーションの
よさを差し引いたとしても山城人気未だ衰えずを実感した。
また、説明会には見知った顔も揃っていて、蒲公英城について
「あ〜だ、こ〜だ」と説明会をそっちのけで城談義が花開いた。

i69713020_2247737175324849_4901761319255932928_n.jpg

j70539172_2247742225324344_8912358607249473536_n.jpg

k69394464_2247737255324841_3817343533702971392_n.jpg

l69834571_3042777439126086_291706748450897920_n.jpg

むかし、蒲公英城を訪問したころ、城主は赤松氏族の松原氏で、羽柴秀吉の播磨攻めにおいて三木別所氏に味方して秀吉に攻められ城は落ち城主は没落したというのが歴史理解であった。
今回、城址の発掘調査により、蒲公英城は織田信長に反旗を翻した荒木村重の有岡城と、村重の一族重堅が拠る三田城を分断し、三田城を攻める陣城であったという解釈が示された。
ということは、三木合戦のはじめにおいて蒲公英城は秀吉勢の攻撃を受けて落城。ほどなく、荒木村重が謀反を起こすと蒲公英城は陣城として改修された。そして、前衛として築かれたという横山城、立石城などを後援する荒木攻めの兵站基地の一つとして機能したものであろうか。城址発掘によって従来語られていた歴史に新たなページが付け加えられたことになり、北摂の戦国時代を語る史跡として残す方途はなかったのだろうかと惜しまれる。

むかし、蒲公英城址の西曲輪には民家があり、東曲輪には稲荷神社が祭祀されていた。民家は跡継ぎがなくなり廃墟と化し、やがて潰れてしまったと聞いた。また、一方のお稲荷さんもいつのころか潰れてしまったそうで、昨年、登ったときは曲輪に陶器製の狐像が残されていた。また、山腹に残る五輪塔群や山麓の石仏などはどうなってしまうのだろう?あるべき場所にあってこその祭祀だと思うのだが。
実際、摂津北部に400年以上の歳月を刻み戦国時代を語る遺跡が、100年後には空き家になるだろう住宅建設のために潰される・・・。いまの時代、家を建てても無駄なことだと思うのだが、どうなんでしょうね〜行政の対応は?いずれにしろ、人の営み、神を敬う心は儚いもので、現代というのは戦国時代などよりもスゴイ時代なんだな〜と思った。


m69431444_2247737348658165_7196731159198302208_n.jpg

帰路、以前ネットに紹介されていた油井のドライブインの「海老天ぷら定食」を食した。なるほど、ネットの情報というのは、鵜呑みにするな!ということを改めて感じたことだった。

posted by うさくま at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 摂津の山城
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/186514658

この記事へのトラックバック